歴史的に偉大な人には同性愛者が多いってホント??

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52歴史の勉強:01/11/06 00:55
上杉謙信がホモだったかどうかは知りませんが、
彼が一生涯女性と関係しなかったことは事実だと思います。
偉い人が子供作らないなんてアリ?
って気もするけど、非常によく似た例で、管領家の細川政元がいる。
彼は管領家の嫡流だったにも関わらず、子供がいなかった。
これには戦国時代に流行した山伏信仰によるものらしい。
一生涯女性とセックスしないでいると、霊力が授かると考えられてたらしい。
上杉氏(当然、長尾氏も)は以外と京都に深く関わっていたから、
謙信がその山伏信仰の影響を受けていても不思議はない。

上杉謙信のあの悪魔のような強さには、性欲を発散しきれない鬱憤があったかも知れない。
細川政元も、残忍かつ有能な政治家だった。
もっとも、政元は「男で」発散してたかな?
53日本@名無史さん:01/11/06 00:57
>>52
謙信は京都で遊んで性病を移されていたが何か?
54日本@名無史さん:01/11/06 00:58
>44
薩摩の方ですか?
しかし西郷と桐野は同性愛らしいですね。
55日本@名無史さん:01/11/06 01:01
>>53
マジで?
56日本@名無史さん:01/11/06 01:04
上杉謙信って実は女じゃなかったのか・・・・?
57日本@名無史さん:01/11/06 01:36
>>56
それは珍説スレにてどうぞ。
58日本@名無史さん:01/11/06 01:38
52>性欲を発散しきれない強さ。というのは、面白いコメントですね。そうかもしれません。
話し変わりますが、
男色がはやったとき、当時の武将達は、自慰行為なんぞは、どういう認識だったのでしょうかね?
やってたのかな?くだらない質問ですんまそん。
59日本@名無史さん:01/11/06 01:45
☆大化の改新を行った中大兄皇子こと天智天皇もホモらしいです。
60【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/07 22:55
トッティの陳歩晒し上げ!
61【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/07 23:02
それにしてもイタリア男って素☆敵ね♪
62日本@名無史さん:01/11/07 23:05
ポンペイの遺跡はチンチンだらけ。
63【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/07 23:15
あれじゃ女もオカマもチンポを吸いたくなるわけだ。
64名無し:01/11/07 23:19
>>59
中大兄は同母妹との近親相姦関係にあったという説もありますね。
65歴史の勉強:01/11/07 23:53
僕は全然皇室擁護派ではありませんが、
とかく歴史上の有名人の男色が好奇の対象に陥りがちなのは不満ですね〜。
僕はね、天皇がホモだろうと、西郷隆盛がホモだろうと、かまわないと思うんです。
だって、ホモが悪いという考えはもともと無かったんだから。
いや、万葉集なんかを読んで、この皇族はホモなり! と解釈してもいいと思うけどさ、
それを歴史に反映させて考えると大失態犯すと思う。
母子相姦問題にしたってさ、それを近江朝の敗退に結びつけたりしちゃうと、
山岸涼子の「日出る処の天子」を鵜呑みにしてる連中と変わんないわけだよ。
あれって、聖徳太子と妹(刀自郎女だったっけ?)がやっちゃう……
な〜んて話なんだよね(フィクションはフィクションでいいのさ)。

個人の問題はあくまで個人の問題。
歴史上有名な人物も無名な人物も、ホモはホモ。個人の問題だと思うよ?
66【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/11/08 20:57
私のホモとドキュンぶりとも無関係です。
67みい:01/11/08 21:30
伊達政宗がもれてます。
政宗50歳頃の側小姓のひとりで、
只野作十郎という人がいますが、無実の浮気疑惑を
かけられたとき、起請文(自分の腕を刺した血つき)
を書いてます。
政宗から返事の文も、仙台市博物館にあるそうです。
個人的歴史ですね。
覗き見てきなものがこういうのかな。
68日本@名無史さん:01/11/28 22:16
ホモは人類の敵。絶滅すべし。
69【^▽^】酔鯨ジョーカー@黒潮:01/12/02 13:28
今日の日本史板は荒れているから、
これで息抜きしませう。
70日本@名無史さん:01/12/02 14:51
というか当時は男色は女色以上に好意的に思われてて。
男色は男気が良い、爽やかである、堂々としている
とか明るいイメージだったんだよね。
71日本@名無史さん:01/12/04 18:04
はーん。だから俺の学校にはホモが多いんだ(ワラ
特に下から上がってきた仲間には多いね。西郷とか伊達、
徳川の同級生は違った(どれも女)けど。
72【^▽^】酔鯨ジョーカー@黒潮:01/12/06 22:08
男色は人類の恥だ。
73長髄彦:01/12/06 22:32
>>1
 百代目の後小松天皇の本当の父親は足利義満だ、というウワサも有ります。
74長髄彦:01/12/06 22:36
>>32
 八切止夫という作家には「上杉謙信は女だった」という著作があります。
75日本@名無史さん:01/12/07 00:19
柳沢吉保に限らず、江戸幕府の「側用人」について考える際、避けては通れない問題と思われ。
言い換えれば、男色なくして政治史は解けません。代々の将軍の好みや身辺関係など、もっと議論する余地がある筈です。たぶん。
76日本@名無史さん:01/12/07 00:32
院政期なんて男色関係を考慮に入れないとわけわからない。
いきなり出世したと思ったら院の男色相手だったとかある。
77日本@名無史さん:01/12/07 01:55
だてまさむねにはサクノシンと言う
相手がいた
78【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 19:50
公家・宮家・武家・僧侶には脳梁の曲がった人が多かったのかな?
79日本@名無史さん:01/12/11 19:52
人物の功績と人格は、一応別物である。
80【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 19:58
男性の千人に一人は同性愛者(両刀使いを含め)。
81日本@名無史さん:01/12/11 20:48
ジョーカーさん、一過性のホモを含めると男性に十人に一人の割合では
ありませんでしたか?
82【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 21:05
81さん、もしかして私自身がそう言いましたか?
83日本@名無史さん:01/12/11 21:15
い    わ    く     ら      と       も        み
84日本@名無史さん:01/12/11 21:16
た    け    だ   し    ん      げ     ん
85【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 21:17
岩倉具視はゲイじゃなく芸者好きじゃなかったっけ?
86【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 22:33
モーホー撲滅!
87【^▽^】縄文太郎ジョーカー@吾妻:01/12/11 22:40
強姦と乱交も撲滅!
88日本@名無史さん:01/12/12 22:17
>>84
た    け    し   ぐ    ん      だ     ん    は   ?
89非秋田県人:01/12/13 00:08
吉良上野介と浅野内匠頭
痴情のもつれが松の廊下の悲劇をもたらしたと云う珍説が・・・・・
90日本@名無史クン:01/12/28 02:07
>>44>>46
南の方は知らんけど、会津は教育が厳しくて什という決まりの中に
「女の人と話してはなりませぬ」というのがあったそうです。それでじゃないかな?

戦国時代に戦場には女はダメだから女中のかわりの少年らがいて、お茶汲みとかやっていたって本当なのでしょうか?
あと女人禁制の坊さんとかは、まあ、そういうことで。
91日本@名無史さん:02/01/03 20:52
ttp://syudo.fc2web.com/index.html
コミケ出陣の戦利品?
92日本@名無史さん:02/01/08 03:00
あのー、平賀源内が男色家というか陰間茶屋の上客だったというのは
相当有名なことだと思ってたのですが。
違うんですか?
93一応…:02/01/08 03:30
明治以前の日本には、同性愛が禁忌と言う考えは普及していなかったようです。
それは宗教の問題にも関係あります。
ザビエルが日本に布教しにくる前まではキリスト教と言うものは存在しなかったのです。
つまりそれは、キリスト教の「ソドム」と言う考えも日本になかったと同義です。

仏教ではご存じのように同性愛を忌む習慣はありません。
さらに、昔の武士の同性愛は「衆道」といって、一種神聖なものとされていました。
肉体的関係をもつことによって、主従の絆が強まるとされていました。
殿様の小姓になる少年たちは、後の重臣に出世する「エリート予備軍」ですし。
あと、誤解されている方が多いようですが、森蘭丸なんかが有名な「小姓」は
戦場では、殿様(総大将)の身辺警護の任を負っていました。
戦場では女性は連れて行けないですしね。秀吉が淀殿とかを連れて行ったのは
ああいうかたちの戦だったのでってことで(w
戦場の夜のおあいてはそうなると必然的に小姓ということになります

日本の武家文化って、結構男色なしでは語れないんですよね。
けっして801の道具ってわけじゃないのであしからず
94四天王:02/01/09 02:53
補足、仏教でも同性愛はちょっと・・・・・ですよ、確か大陸のほうでは。
日本に来てからだったと記憶しています。
兎が何羽とかいう話では無いのですが「女がだめだったら・・・」という思考だったとか。

そして衆道については93さんの通りだと思う。
801のおかずにするようなもんじゃねえ。
95りょう:02/01/09 04:06
久坂義助は生涯一度も女を知らなかったと聞きますが、それは松蔭の考えを受け継いだからではなく
ホモだったからではないでしょうか?
96日本@名無史さん:02/01/09 04:46
801と衆道と男色の違いについて誰か教えて下さい。
いや、これはネタでも煽りでもなく。真面目に。
97日本@名無史さん:02/01/09 13:22
>>96
 801は当事者でない人間の創作または妄想で男性同性愛関係を想定すること。
男色と衆道はほぼ一緒でいいだろう。衆道のほうは少なくとも片方が少年に限るかもしれないが。
98日本@名無史さん:02/01/10 05:11
>>95
確かに女好きが多い松門一家の中で女を一度も抱かないっていうのはおかしすぎる・・・
99日本@名無史さん:02/01/10 05:27
義兄弟的なニュアンスを含む念兄・念弟の関係(=衆道)と、
お金で一時の快楽を買っちゃうような陰間買いとは結構違うの
ですか?お坊さまの間ではまた別のニュアンスが??
100日本@名無史さん:02/01/10 05:39
100ゲット♪
101日本@名無史さん
足利義満の陰に隠れているけれど、息子の義持もなかなか。
なにせ一休宗純と称光天皇の実父って話もあり。
(三谷茉莉男「淫の日本史」)