>>39 光仁天皇と皇后の井上内親王が双六で遊んでいた。
「わしが勝ったら十人の若い女をくれ」と天皇が皇后に言った。
「じゃあわたしが勝ったら十人の若い男をください」と皇后も天皇に言った。
天皇は自信満々だったが、実際に勝ったのは皇后だった。
冗談で済まそうとした天皇だったが、皇后は約束の履行を執拗に迫った。
困った天皇は藤原百川に相談した。
百川は山部王(後の桓武天皇)を皇后のもとに差し向けることを提案した。
いやがる山部王を百川は因果を含めて送り出した。
皇后は継子の山部王と男女のことをして、いたく満足した。
>>41 桓武は45歳で即位し、70歳で退位するまでに、史料に明らかなだけでも23人のキサキと
総計35人の子どもをもうけている。このような桓武の子だくさんと精力については、
宇多天皇の「寛平遺戒」の証言があり、それによると、桓武は平生の昼はたくさんの
子どもたちの遊び相手をしながら、身辺を掃除する采女たちにはとくに「表袴」という簡便な
袴を着させていた。それは気持ちが動いたときに、「御するに便ならしむと欲」したためであった
という。(保立道久『平安王朝』より)