1 :
日本@名無史さん:
宿場にいた飯盛女について語りましょう。
2 :
日本@名無史さん:01/10/08 06:08
マニアックやな(w
3 :
日本@名無史さん:01/10/08 06:14
>2
よいのです(藁
このネタでマターリゆくのです。
4 :
日本@名無史さん:01/10/08 06:18
「鬼平犯科帳」を読んでいるとたまに出てくるよ、飯盛女
「○○宿の飯盛女の子が盗賊××」という感じで
5 :
日本@名無史さん:01/10/08 06:33
>4 飯盛女の子
実際そうゆう子供って多かったのかな?
産む前におろしそうなのに・・・。
7 :
日本@名無史さん:01/10/08 06:46
じゃあ結構いたって事?<子供
ふーん。飯盛女の子供までは気がまわらなかったなぁ。
それも調べてみると結構よいかも。うん。
>>7 そうじゃなくて産んでから殺すの。
現代じゃないんだから堕ろすなんて危険でしょ。
9 :
日本@名無史さん:01/10/08 06:55
飯盛女ってどういう意味なの?
基本がわかってないので説明して下さい。
呼んで字の如く宿で飯を盛る女。つまり雑用係。
但し遊女兼任。三味線弾いたり唄って踊ったり枕を取ったり。
当然早死にナンマンダブ。
12 :
日本@名無史さん:01/10/08 07:10
名前の由来ははっきりしないけど・・・。
一説では、奉公の身で食事もままならなかったから客の残した朝ごはんを
いただこうとわざと客がご飯を残すように山盛りにしたからだとかいわれてるけど。
飯盛女ってのは、簡単にいえば各宿場にいる娼婦。もちろん私娼。
そのため一応は奉公人という事になっている。
ただ、私娼とはいっても時代によっては幕府から「各宿場に何人までしか飯盛女
をおいてはいけない云々」と制限も受けてます。
もっと詳しい方補足して下さい・・・(w
13 :
日本@名無史さん:01/10/08 07:30
>>8 いやいや、当時の堕胎の技術はかなりのもんらしいよ。
どっかのスレに書いてあったよ。
14 :
日本@名無史さん:01/10/08 07:35
15 :
日本@名無史さん:01/10/08 07:37
>14 先進的?
大都市ってこと?
16 :
日本@名無史さん:01/10/08 09:53
>>13 その通りだよ。
だから水子地蔵が各地にある。
17 :
日本@名無史さん:01/10/08 19:39
一番賑わってた宿場ってどこだ?
18 :
四宿といって>17:01/10/08 20:57
江戸の周辺の品川、新宿、板橋、千住が一番さ、中でも品川がすごい。
とはいえ純粋な宿場とは違うがね。
水子は必ずしも堕胎によるものとは限らんだろ。
流産も多いんじゃないの?
20 :
日本@名無史さん:01/10/08 21:49
何時の時代もどこの国でも庶民は動物とかわらんな
21 :
日本@名無史さん:01/10/08 23:39
>18
中仙道とかってくらーいイメージがあるんだけど・・・。
やっぱりメジャーなのは東海道かしら?
22 :
日本@名無史さん:01/10/09 00:27
>>1 題名にスペースいれるなよ!
検索できないだろ
23 :
日本@名無史さん:01/10/09 00:34
>22
そうなんですか?
すみません・・・(ウル。
知らなかったので・・・。
俺の故郷(東海道の宿場町)の寺には集団自殺した飯盛女の墓があるよ
辛かったんだろうね
25 :
日本@名無史さん:01/10/09 06:44
>>21 そりゃ中仙道に失礼だよ(w
確かに東海道のほうがメジャーだけど、箱根越えや大井川の川越し等の
難所が多いので、中仙道のほうを通る旅人も結構いたようですよ。
有力大名の参勤交代の時期は
大名がウザイから結構、中仙道経由してたみたい
27 :
日本@名無史さん:01/10/09 13:10
日本で飯盛女を復活キボン!
29 :
日本@名無史さん:01/10/09 19:04
30 :
日本@名無史さん:01/10/09 19:30
>27 塩尻の子が塩尻宿に・・・。
さんくすです。
自分の住んでいる同じ地域に売られてくってのが私には理解できないなぁ。
他の宿場の請状みてみたら、結構ほかの国(越後とか)から売られてきてました。
地元でやれるくらいなら、うしろめたい感じではなかったのかな?
31 :
日本@名無史さん:01/10/09 19:53
中山道って暗いかえ?
地元なので親しみ深いよ(仙でなくて山だぞ)
宿場の数も東海道より多いぞえ(受験生注意!)
32 :
日本@名無史さん:01/10/09 19:56
33 :
日本@名無史さん:01/10/09 20:28
○ 中仙道
○ 中山道
どっちでもOKです。
他の四宿もそうですが特に品川宿は旅人向けではなく江戸の住民が遊びにいく歓楽街でした。
吉原程格式ばらないで安く遊べるというのでかなり人気だったそうです。
また他の宿場もそうなんですが旅人だけでなく宿場周辺の農民達もかなり遊びにきたようです。
当時の田舎では公式には宿場などでの飯盛女による売春行為しか許可されていなかったで
各宿場が歓楽街として発展したようです。
>>30 マジレスですが、当時の儒教観念だと親あるいは家族の窮状を救うために
苦界に身を沈めるのは美談とされていました。
忠孝の道にかなう親孝行な行為であり孝行娘とされたそうです。
実際に本人がどう思っていたかは不明ですがね・・・。
塩尻の件は家族と頻繁に会えるというのが理由じゃないですかね?
36 :
日本@名無史さん:01/10/09 23:39
>35
うん。周りの目とか気にならなかったのかなぁと思ったので・・・。
知ってる人が来ることもあったろうにー。
ところで、請状には出身地も親も保証人も書いてあるのになんで
皆一緒くたに無縁仏にされっちゃたのかなぁ?
引き取りにこなかったのかな・・・。身内が誰もいないならしょうがないけど。
さぁねぇ、売買の対象になってる時点で人ではなく物なんで本人の意思とかいうのは関係ないんでないのかな?
とにかく至急金策する必要があって急いでいたとかかな?
遠くへつれていって売ればその分費用もかさむよね。
それと転売OKという文言も入っているんで必ずその宿で働いたとは限らんよね?
あと請状の定型文言には「死骸は勝手に処理しても構わない」というのがあるでしょ。
現地で葬儀といっても葬儀費用を店が出すわけがないし、遺族に費用負担を問い合わせても
返事が来るには何日かはかかるし、その間遺体を保存するのはかなり面倒だよ。
おまけに葬式代を出す程裕福かどうかは怪しいし。
かといって故郷まで運搬するのはもっと面倒だし費用もかかるし・・・
といった理由で投げ込み寺なんてのができたんでないのかな。
隆慶もたまに触れていたな飯盛女。
39 :
日本@名無史さん:01/10/10 03:02
>37
そっかー。
当時の人間ではないから分からないけど、今よりも親子の
結びつきって薄そうだね。
まあ、売る時点でもうあきらめていたんだろうけど・・・そうかな?・・・。
もっと心情が分かるような史料(文書じゃなくても)ってないのかな。
40 :
日本@名無史さん:01/10/10 05:26
>>39 親子の結びつきが薄いんじゃなくて、
当時の考え方として、子は親のために生きるのが
当然だったんだよ。生活が苦しくなって売られても、
親のためだからしょうがないという価値観なんでしょ?
41 :
日本@名無史さん:01/10/10 19:59
あげー
42 :
日本@名無史さん:01/10/10 20:07
儒教的観念で美談なんていうと言葉はいいけど・・・
そんな感じ方で売る人て多かったのかな?
貧しくて娘を売るような家の百姓家なのに・・・
43 :
日本@名無史さん:01/10/10 22:40
>42
私もそう思う。
建前としては「貧しい家族を救うために・・・」かもしれないけど、
実際のとこそう割り切ってたとは思えないんだよね。
だって、ただの奉公じゃないんだし。売春だもの。
44 :
日本@名無史さん:01/10/11 15:06
そもそも,売笑・売娼とかに関する感覚自体,当時はどうだったのよ?
売られたっていう感覚もどうだかだが。
45 :
日本@名無史さん:01/10/11 15:10
名スレの予感
46 :
日本@名無史さん:01/10/11 19:46
飯盛女は過労と性病のために短命で、ある調査によると25歳を超える
飯盛女は、全体の1割にも満たない人数しかいなかったそうだ
47 :
日本@名無史さん:01/10/11 19:49
48 :
日本@名無史さん:01/10/12 00:51
>44
遊女はえた・非人と同じ被差別階級に属してたはずだけど・・・。
だいたい、被差別民に対する感覚もどうだったのか・・・疑問。
触れるのもためらわれる程のもんなのか、ただ名ばかりのもんなのか。
>遊女はえた・非人と同じ被差別階級に属してたはずだ
は?
はずだから何なんだ。結論を言えよ。
遊女が自分の所属階級を被差別階級であると認識していたとでもいうのか。
遊女とえたと非人が手を組んでデモでもしたのか。
遊女の生業は何だ?
えたの生業は? 非人の生業は?
「えた・非人」といっしょくたに括っている時点で人権板の厨房のお出まし決定だ。
50 :
日本@名無史さん:01/10/12 08:16
遊女って、被差別階級だったか?
そりゃ、大手を振ってお天道様の下を歩けるような仕事ではなかったかもしれないが、
だからといって、ひとつの階級に固定されていたとはわけではないぞ
飯盛女の場合、形式上は旅篭の下働きとしての年季奉公だったわけだし、なんでも
差別と結び付けてしか考えられないのは、どうかと思うぞ
51 :
日本@名無史さん:01/10/12 20:38
「被差別階級」という言葉をちょっと出したとたんにメクジラたてる
あなた達がが理解できません。
実際、そういう階級の人がいたことは事実なんだし、別に過去の被差別階級を調べて
その子孫にどうにかしてやろうとかそんな馬鹿なこと全く考えてないし。
ただ過去の事象として知りたいだけ。
「今もそういう差別に苦しんでる人もいるのだから」っていうのは分かるけど、
だからといって過去に起こったことに目をつぶって隠蔽するのもどうかと思う。
というか、スレ違い?
52 :
50だけど・・・・:01/10/12 21:12
遊女全体を一括りにして「被差別階級」としたことに対して疑問を
感じただけなんだけど
遊女にも様々な形態の遊女がいたはずで、それらの一つ一つを
考えもしないで、なんで「被差別階級」なんて言葉が出てくるの?
飯盛女もいれば、花魁や夜鷹や比丘尼もいる
このスレは、江戸時代にいた飯盛女という女性の実態を知るために
あるのだから、「目をつぶって隠蔽する」つもりなど、まったくないよ
弥生人は、自分達の住んでいる場所が中野区弥生だから、将来自分達は『弥生人』と呼ばれるだろうなあと思ったか。
織田信長が自分を近世人だとでも思ったか。
歴史を中世だ、近世だ、近代だと呼称する意味は何だ。
歴史を扱うときには、あるディスクール内においてのみ成立するタームを投影することがいかなる意味を持つのか、また効果を持つに到るのかに終始自覚的でなければならない。
(史料の書き換えが言語道断なのは何故なのかを鑑みてみれば一目瞭然のはずだが)
あるディスクール内においてのみ成立するタームを投影するということ。
それは、そのディスクールの構造を顕かにする記述そのものとして立ち現れる。
言い換えれば、その顕界を指し示すためにしか役立たないということだ。
“飯盛女”を歴史的に考察すべきタームは52の言う通り数多く存する。
上記『中世』『近世』というタームは上位概念である。
いきなり『被差別階級』という上位概念を持ち出す意図とは何か。
『被差別階級』というタームを上位概念として持ち出すバカは、実はショウジョウバエの如く何処にでも涌き出ずるが、それは歴史を扱う態度としては唾棄すべきものであることに論は俟たない。
世にR指定があるように、>「被差別階級」という言葉をちょっと出したとたんにメクジラたてるあなた達がが理解できません。
などと言っているバカは入場する資格がないのだ。
>スレ違い? などではなく単なるノータリンであることに気がつきなさい。
ちょっと質問。よいですか?
うちらが認識してる近世とか古代とか士農工商とかの区分は
いつできあがったの?
基本的な事きいてスマソ(藁。
飯盛女のサービスと値段はどんなもんですか?
品川と新宿と千住じゃ、違うんですかね。
56 :
日本@名無史さん:01/10/14 02:21
>55
都会と地方ではやはり違うのでは?
あくまで憶測ですが・・・。
>>53 細かいツッコミでスマンが、「弥生式土器」が出たのは
中野区の弥生町じゃなくて、文京区の弥生町だよ。
58 :
日本@名無史さん:01/10/14 14:10
飯盛女と同様に、下女という名目で売春をしていた存在として、
湯女(ゆな)があります
湯屋で客の背中の垢を「掻き落とす」(=柿落とす)ことから
サルとも呼ばれていた湯女は、湯上りの客の相手をすることを
仕事とした私娼でした
この湯女も幕府によって禁じられ、次第に三助という男性が
背中を流すようになったそうです
59 :
日本@名無史さん:01/10/14 17:02
幕府も大変だったんだなあ
60 :
日本@名無史さん:01/10/14 17:35
>58
湯女って取り締まり受けた時、吉原送りになったんでしたっけ?
あれ・・・違うかな?
62 :
日本@名無史さん:01/10/14 22:20
別に幕府は大変じゃないよ。
これらを私娼ということにしても実際はザル法で
ここから莫大な利権を得ていただけだから。
博打に関してもこういったシステム。
64 :
日本@名無史さん:01/10/17 00:16
>>63 あっ。よかった。まちがいじゃなかった(w。
夜鷹なんかも一緒でしたっけ?<吉原送り。
65 :
その通り! 2:01/10/17 09:22
66 :
日本@名無史さん:01/10/17 20:48
>>65 そうなんだ〜。
じゃあ、船まんじゅうなんかも追い出された人が多かったんですかね?
夜鷹なんかを買う理由はやっぱり安いからですかね?
それともただ個人の嗜好の問題?
67 :
江戸時代の物価:01/10/18 21:08
ある程度は物価の変動があったでしょうが、夜鷹の値段は
24文ぐらいだったそうです
屋台の蕎麦が一杯16文だった時代のことです
1文は約25円だといいますから、約500円です
68 :
江戸時代の物価:01/10/18 21:16
ある程度は物価の変動があったでしょうが、夜鷹の値段は
24文というのが相場だったそうです
屋台の蕎麦が一杯16文だった時代のことです
1文は約25円だといいますから、約600円です
69 :
日本@名無史さん:01/10/18 21:17
ごめん、二重カキコしてしもた
70 :
【^▽^】ジョーカー:01/10/18 21:37
夜鷹は、口を鳴らして客を誘ったそうな・・・
71 :
【^▽^】ジョーカー:01/10/18 21:48
幕府は博徒のことも泳がしていたし、許せんな!
72 :
日本@名無史さん:01/10/19 07:02
必要悪だし、それは仕方がないと思う
遊郭も賭場もなかったとすれば、江戸は世界一の犯罪都市になったいたでしょう
73 :
日本@名無史さん:01/10/19 09:08
(;_;)・・・・・グスン!・・・
74 :
日本@名無史さん:01/10/19 23:24
遊郭からの利益ってどのくらい?>幕府
75 :
日本@名無史さん:01/10/21 08:58
↑なかなかいいところに目をつけたと思うが、調べたことないなあ。
明治に入ってからは富国強兵を目指す以上、税収に関してはかなり正確に記載されるようになったが、因みに神奈川県の税収のなんと47%が遊郭からの税収であったという記録もある。
また神奈川県以外の県においても、税収のかなりの部分を『からゆきさん』による海外からの送金、つまり“外貨”が重要な役割を担ったとの指摘もある。
76 :
税収じゃないけど・・・・:01/10/21 10:43
江戸時代の宿場では、飯盛旅籠屋から飯盛女の揚代の一部を上納金として
取り立てるということが行われていた
天保8年(1837)の東海道保土ヶ谷宿の場合、飯盛女一人につき一日8文が
取り立てられていて、手数料などを差し引いた金額は一年間で22両になった
これは宿場の収入の2.3%に相当する金額だった
この当時の宿場の財政は厳しく、赤字になるのが常であった
幕府が飯盛女の実態を知りながら、その存在を黙認せざるを得なかったのは
経済的な理由もあったのだといわれている
77 :
日本@名無史さん:01/10/21 10:48
76の参考文献は齋藤富一『東海道保土ヶ谷宿の飯盛女』(近代文藝社、1994)です
78 :
名無しさん脚:01/10/21 14:51
>1文は約25円だといいますから、約600円です
当時の人の生活実感からしてみると、もっと高いのかも。
感覚でいったら、1文100円くらいかなと。
風俗はよくしらないので、週刊誌とかから。
(現代の)吉原の高級ソープが6万〜10万。
(現代の)大衆店が2万〜
(現代の)あやしい料理店とか1万〜
(現代の)夜道に立っている夜鷹に該当する方々?が1万〜
(江戸時代の)吉原の高級遊女が300両〜
(江戸時代の)吉原の大衆向け遊女が200文
(江戸時代の)私娼が50文〜
ということで、現代の物価水準に合わせると、高級店になるほうがトクなんだかな?
飯盛女相当だと値段UPで、花魁相当で値段DOWN。
太夫クラスとかだと、現代では女優(1日300万とか噂されるひとがいたよね)にあたるのかな。
>>60-
>>64 チョット違うよ
吉原が出来た頃は
湯女と言う名称もなかったし
銭湯自体なかった
湯女が出てきたのは江戸中期
禁止令は禁止しただけで
アフターフォローはしてません
一文=25円は安すぎる
今だと40円ぐらいでしょう
ちなみに一両は六万〜10万円ぐらい
当時の生活品から換算すると
これぐらいになる。幅があるのはしょうがない
日本刀は当時も高かった
今と同じ位じゃないかな
一文40円だと一両はいくらになるのか
誰か計算してくれ
81 :
名無しさん脚:01/10/21 16:10
一両=4000文だから、40円だと16万円だよ。
一文=25円で一両10万円だよん。
82 :
日本@名無史さん:01/10/21 16:19
そばの値段で妥当なラインで
一文=32円ということで
一両12万8千円に決定
83 :
日本@名無史さん:01/10/21 17:09
>>79 あなたが言ってるのは「元」吉原、
>>60などで言ってるのは「新」吉原
浅草寺裏に吉原が移転されたのは、明暦3(1657)年です
84 :
日本@名無史さん:01/10/21 17:21
新吉原に移転された時
湯女はいなかったし
取り締まりに対することも
答えになってると思うが
85 :
名無しさん脚:01/10/21 17:59
つーことは、太夫クラスだと300両で4000万円近く...
吉原総揚げでいくらかな^^;。
結局、やるだけなら湯女でいいや。ヨタカはやばすぎだけど。
遊びなれた者は吉原より湯屋なんかにいったとか書いてあったけど、飯盛女というのはどうかな。
湯女遊び=イキということで、飯盛女=野暮のほうなの?
87 :
日本@名無史さん:01/10/21 20:29
湯屋って江戸だけのもの?
地方にも普通にあったものなの?
88 :
日本@名無史さん:01/10/21 22:27
京や大坂にはあったみたいだけど、湯女がいたかどうかは知りません
89 :
日本@名無史さん:01/10/22 01:03
有名な飯盛女っていたの?
90 :
日本@名無史さん:01/10/22 03:05
飯島愛。
91 :
日本@名無史さん:01/10/22 08:06
湯女は、江戸時代には、あまり意味が無かったのではないかと。
元々、当時の銭湯である湯屋(ゆうや)には、女湯を準備している店が非常に少なく
高価であった為、殆どの女性は、時間を選んで男性の少ない時間帯の湯屋で、入るか
男性を気にせず、混浴していました。
そのため、湯屋は、逢引の相手を探す場所としても機能していたようです。
おおらかな時代だったんですね。
92 :
日本@名無史さん:01/10/22 08:15
ちなみに、当時、行水が一般家庭で普及していたのは、湯屋が混浴であり、
高価な女湯には毎日通う訳には行かなかったため、恥ずかしがった女性が
自宅で行っていたと言われています。
93 :
日本@名無史さん:01/10/22 08:59
千尋も湯女ですか?
>>2 私も最初それはやばいんちゃうって思った(w
>>93 ロリコン宮崎は湯女=ソープ嬢とあるインタビューで答えてるよ。
源氏名(?)もつけられるし、確信犯と思われ・・・。
96 :
日本@名無史さん:01/10/22 14:42
千尋はまだ下働き
あと2、3年したらどうなってたかはわからんけど・・・・
『江戸の風呂』(今野信雄、新潮選書、1989)によると江戸に最初の風呂屋が
できたのは天正19(1591)年、家康が江戸入りした翌年のことだという
伊勢出身の与一という男が作り、都市建設のために集まっていた人足の間で
評判になったのがその始まりだった
『慶長見聞集』(1614刊)には湯女という「なまめける女ども」がいたことが記録
されていることから、湯女の登場は江戸時代の初頭に遡ることができる
98 :
日本@名無史さん:01/10/24 21:18
>85
湯女が粋で飯盛り女が野暮というより、単純に見た目の善し悪しの
差じゃないのかな。
湯女は場所柄。常に清潔だったしすっぴんでも見られる肌と容姿を
していた…つまり若い女が多かったと言う。一方飯盛り女は中には
勿論綺麗なのもいただろうが、日中は畑仕事をして夜だけ駆り出される
者なんかも多く、全体的にあまり美人はいなかったらしい。
旅の途中なんかを別にすれば、「手持ちが少ないから湯女…」と言う
ならともかく「遊女の変わりに飯盛女」と思う者はあんまりいなかった
だろう。その位なら、格の低い安い遊女を買う方が良いだろうしね。
夜鷹の花代は24文と相場が決まってはいたが、実際には祝儀として
50ないし100文を与えることになっていたらしいです
ちなみに京・大坂では32文というのが相場だったが、こちらは定価のみ
でよかったそうだ
旅の文化研究所編『落語にみる江戸の「悪」文化』(河出書房、2001)より
101 :
日本@名無史さん:01/10/25 13:02
俳人の小林一茶は飯盛女のいる宿にしか泊まらなかったという。
102 :
日本@名無史さん:01/10/27 21:46
飯盛女はいつまで存在したの?
明治になっていつごろまでいたんだろうか??
飯盛女がいなくなったとしたら、それに代わるものとして何ができたの?
103 :
日本@名無史さん:01/10/27 23:41
明治5年10月に娼妓解放令がでてます。
ただそれで飯盛旅籠屋がなくなったわけではない。
森 安彦「近世宿場女性史研究」(『日本地域史研究』)文献出版 1986年 より
104 :
日本@名無史さん:01/10/28 21:39
105 :
日本@名無史さん:01/10/29 03:07
遷都千尋ってそういう側面があるのね。
106 :
日本@名無史さん:01/10/29 19:39
江戸時代の人、性に関する感覚ってどんなもんだったの?
町人と武家じゃあ大分差がありそうだけど・・・。
107 :
日本@名無史さん:01/10/29 20:09
寛政の改革で混浴を禁止した老中松平定信は「男女のまじわりは、
子孫を残すために必要と思えばこそ行うのであって、自分自身
そうしたみだらな欲情を感じて我慢できないなどと思ったことはない」
と言っていたそうだ
108 :
日本@名無史さん:01/10/29 20:27
すごいセリフやな<定信
109 :
日本@名無史さん:01/10/29 20:40
絶倫だからな,一茶って
110 :
日本@名無史さん:01/10/29 20:41
定信って建前じゃなくて本気でそう思っていそうなところが
こわいねー
111 :
日本@名無史さん:01/10/29 20:44
絶倫一茶と禁欲定信、すごい対比だね
112 :
名無しさん脚:01/10/29 20:46
113 :
日本@名無史さん:01/10/30 00:06
町人の娘の婚前交渉率はどのくらい?
武家は低そう。
何?
疲れた
116 :
日本@名無史さん:01/10/30 18:44
>106
本を読む気があるなら
講談社現代新書「江戸の性風俗」氏家幹人・著
がお勧め。広く浅く、けどちょっとマニアックで面白いし
何より買う時恥ずかしくないぞ。安いしな(藁)
117 :
日本@名無史さん:01/10/31 17:14
飯盛女がいる宿場といない宿場では集客力が段違いだったそうだ
人を集めるには遊郭を作れ、というのは江戸時代では普通の発想だった
らしく、宝暦期(1751〜64)に下総国から本所・深川を編入する際には
町を発展させる手っ取り早い方法として、神社仏閣と並んで遊郭を建設
するという政策を幕府が執っている
「本所七場所」と呼ばれるほどの繁栄を見せ、一大歓楽街を形成するに
至ったそうだ
ちなみに池波正太郎の『鬼平犯科帳』では若き日の長谷川平蔵が放蕩
の限りを尽くしたのが本所・深川だったとされている
118 :
日本@名無史さん:01/10/31 20:25
深川といえば・・・芸者だけど、例えば吉原なんかにも芸者って出入りしてたの?
それとも大門の中にいたの?
芸者ってどこに住んでたの?<江戸時代全体的
119 :
日本@名無史さん:01/11/01 18:28
揚げ。
1844年、南品川宿では旅籠屋40件に対して飯盛女400人余もいたそうな。
多すぎないか・・・。
↑
×「40件」
○「40軒」
でした・・・(w。
123 :
日本@名無史さん:01/11/05 22:46
1718年に旅篭一軒につき飯盛女は二人までと決められたが、
1746年には品川宿は宿役の御用が他の宿場よりも多いという
理由で500人の飯盛女を置くことが許された
その当時の品川宿には93軒の旅篭があったので、一軒当たり
5人強の飯盛女がいたことになる
しかし実際にはこれを上回る数の飯盛女がおり、天保の改革で
取締りを受けた際には、94軒の旅篭に1358人の飯盛女がいたと
いわれている
10人以上の飯盛女を抱える旅篭があったということになるので、
40軒で400人というのは妥当な数字だと思われる
124 :
日本@名無史さん:01/11/08 01:00
あげ。
125 :
日本@名無史さん:01/11/14 12:13
江戸時代には飯盛女や夜鷹、湯女といった遊女が多く存在し、吉原は
これらに対する取り締まりの強化を奉行所に度々願い出ていた
しかし取り締まる側の奉行所には私娼を完全に廃止するつもりはなく、
適当に捕まえた遊女を吉原送りにするぐらいしか行っていない
この吉原と奉行所の意識の差を知ることが江戸時代の性風俗に関して
考えて行く上で重要になってくるだろう
126 :
日本@名無史さん:01/11/22 22:21
>125
>この吉原と奉行所の意識の差を知ることが江戸時代の性風俗に関して
>考えて行く上で重要になってくるだろう
そうかの?
127 :
日本@名無史さん:01/11/23 20:41
吉原が私娼の取り締まりを訴えるのは当たり前。
だって吉原儲からなくなるもの。
私娼っていっても飯盛女みたいに旅籠屋なんかの組織に属してればそこからのあがりが
あるわけだし、幕府は当然見て見ぬふり。
飯盛女なんてどう考えても売春婦なのにあくまでも「奉公人」扱いだし・・・。
江戸の人口における男性の割合はかなり高かったそうだ
建設の当初は各地から流入する商工業者、幕藩制下においては参勤交代の
武士が多く、彼らの需要に応えるためにも遊郭が必要になっていた
幕府が見て見ぬ振りをせざるをえなかった理由はそのあたりにもありそうだ
129 :
日本@名無史さん:01/11/23 22:40
>128
>彼らの需要に応えるためにも遊郭が必要になっていた
その辺は男性的な考えよね(藁
女性の私にはあまりピンとこないのですがー。
逆に江戸の人口がほとんど女性だとして、ホストクラブが増えるだろうか???
(↑愚問でスマソ)
130 :
名無しさん脚:01/11/23 22:46
>逆に江戸の人口がほとんど女性だとして、ホストクラブが増えるだろうか???
役者買いとか力士買いとかあったはず。
今だと、堂本くんとか旭豊を買ったりするものか^^;
131 :
日本@名無史さん:01/11/23 22:55
>130
「力士買い」・・・。
初耳です。
私はご遠慮したひ(w
132 :
日本@名無史さん:01/11/23 23:28
「熊さんタダ」という落語は江戸時代の性風俗を考える上でなかなか
興味深い話です
そのあらましは・・・・
八公が女房に金をもらって岡場所に行こうとするが、隣の熊の女房に
「私で間にあわせな]と言われ、そのお金を置いてくるが、女房にその
必要はないと言われる
「いいんだよ、だって、あたしゃ、いつも熊さんにはタダでさせているもの」
ここには亭主には金を持たせて岡場所に送り出す一方で、自分は間男を
引き込む女房が描かれています
133 :
日本@名無史さん:01/11/24 22:47
何をどこまで史料にするかは難しい・・・。
極論、正確なものなんて何もないかもだし。
それをいっちゃぁオシマイだけど(w
134 :
名無しさん脚:01/11/24 23:19
>131
昔の力士は、今の寺尾クラスの体が標準だよ。
あと、玉三郎セクハラ疑惑...今でも...なのか...
135 :
日本@名無史さん:01/11/25 01:09
>134
「寺尾」クラス・・・。
ちといいかも(w
そういう力士買いとかってどうゆう人がかってたの?
136 :
名無しさん脚:01/11/25 11:21
一流の芸者やお金持ちの妻子とか。
山本夏彦の本とか読むと、芸者とかは戦前まであったらしい。
「あいつは一流の役者や力士とやるような芸者だ」と、ステータスがあがった。
アメリカだと、試合が終わって花道を引き上げる若手プロレスラーの背中に紙幣をはりつける
のがその合図(藁。
137 :
日本@名無史さん:01/11/25 13:19
スレ違いだけど、佐倉の歴博にあった展示解説で
「昼間は魚のアユを売っていて、夜は体を売っていた」
というのはなんて言ったっけ?
138 :
日本@名無史さん:01/11/25 14:00
桂女のことかな?
139 :
日本@名無史さん:01/11/25 15:30
そう、そう、桂女。
発音は全然違うのにいつも大原女と混同しちゃう。
140 :
日本@名無史さん:01/11/26 23:20
「○○女」って名称はどんなもんがある?
ガイシュツ
・飯盛女
・湯女
・桂女
141 :
日本@名無史さん:01/11/29 00:32
白川女は?
142 :
日本@名無史さん:01/11/29 22:57
大原女?
143 :
日本@名無史さん:01/12/04 19:40
あげ
144 :
日本@名無史さん:01/12/10 18:10
江戸には重箱を片手に提げ、行商を装いながら売春する
「提重(さげじゅう)」という遊女もいました
これは岡場所などが営業停止処分を受けている時などに
急増した個人営業の出張売春だったそうです
145 :
日本@名無史さん:01/12/16 13:49
箱根には飯盛女がいなかったそうな。
なんでだろ?
>>145 箱根の峠越えるのに体力がいるからかな?
147 :
日本@名無史さん:01/12/16 16:31
箱根の峠って相当キツイの?
険しい行程の前後の宿場にはいなかったのか?<飯盛女
148 :
日本@名無史さん:01/12/16 17:47
関所があったから治安上の問題じゃないかな?>箱根
客としても寛げないような…
149 :
日本@名無史さん:01/12/16 18:03
飯が無ければお菓子を食べればいいじゃない
151 :
日本@名無史さん:01/12/16 19:31
>149
アントワネット?
152 :
日本@名無史さん:01/12/16 20:42
>>149 このスレ的に言えば「飯盛女がいないならば、船饅頭を
抱けばいいじゃない」ではないかと…
153 :
日本@名無史さん:01/12/18 18:39
>>145 箱根には温泉旅館があったから、旅館組合から抗議があったとか?
安い飯盛旅籠に客を取られたら困るだろうし…
154 :
日本@名無史さん:01/12/18 18:44
すれっからきしの飯盛女なんていやだよ
155 :
日本@名無史さん:01/12/18 19:52
>>153 温泉旅館。
この頃からあったんだー。結構数あったの?
詳しく教えてチャン。
156 :
日本@名無史さん:01/12/19 11:19
157 :
日本@名無史さん:01/12/19 14:22
八女
158 :
日本@名無史さん:01/12/20 13:50
>>155 当時の箱根は「江戸の奥座敷」と呼ばれ、湯本・塔之沢・堂ヶ嶋・宮之下・
木賀・底倉・芦之湯の七つを総称して「箱根七湯」と呼んでいたそうです
天保12(1841)年の『新編相模国風土記稿』には、湯本19軒、塔之沢
9軒、堂ヶ嶋5軒、宮之下3軒、底倉3軒、木賀3軒、芦之湯6軒の48軒
の湯治宿があったと記されています
江戸時代には相撲の番付の形式を真似た「○○番付」というものが多く
あり、温泉にも様々なものが残されています
その中の一つ「諸国温泉効能鑑」には東の大関には「上州草津の湯」が
挙げられ、「相州芦の湯」は「豆州湯河原の湯」などと並んで前頭に挙げ
られています
159 :
日本@名無史さん:01/12/24 21:46
揚げます。
160 :
宇佐美ミサ子『宿場と飯盛女』参照:01/12/27 15:38
明和元年(1764年)の8月、品川宿の名主が道中奉行安藤弾正少弼に
「公儀の定める旅籠一軒につき2人の飯盛女では宿場の経営が苦しく、
このままでは公儀の御用にも差し障りがあるため、飯盛女の増員を許可
してほしい」と願い出たところ、「格別の思召」によって「黙許」してもらえた
そうです
「黙許」というのは私娼である飯盛女の存在を「準公認」するということで、
それ以後の幕府の姿勢は窮乏する宿財政への救済手段として飯盛女の
設置を認めるという方針に決まっていったようです
161 :
日本@名無史さん:01/12/29 23:53
>160
>「格別の思召」によって「黙許」
ってあたりが・・・w
162 :
日本@名無史さん:02/01/02 14:19
>153
もし仮に箱根に飯盛旅籠があったらやっぱり温泉はひいてるんだろか?
ひいてて安くて飯盛女がいたら・・・そっちにいくよねー(ニガワラ
163 :
宇佐美ミサ子『宿場と飯盛女』参照:02/01/03 16:04
「窮乏する宿財政への救済手段として飯盛女の設置を認めるという
方針」とはいっても、周辺住民の反対にあって計画が中止されること
もあったようです
文化10年(1813)に日光例幣使街道の太田宿では前年に飯盛女
が設置されて以降、宿の風紀が乱れ、村の若者たちが遊芸に耽り、
中には御用米を売り払い、親から勘当され、離縁される者もいると
書き連ね、このままでは村落社会が崩壊するとして飯盛女の廃止を
訴え出ています
その際に飯盛女の設置が認可された経緯には旅籠屋と宿役人との
癒着があったということを暴露し、それが効を奏したのか飯盛女は
廃止され、「叱置」や「手鎖」、「過料銭」などの処罰が下されています
164 :
宇佐美ミサ子『宿場と飯盛女』参照:02/01/08 09:17
一度は飯盛女が廃止された太田宿ですが、天保8年(1837)には
飯盛女の設置を求める許可願が出されています
しかも、その主体となって行動したのはあれほど飯盛女の廃止を
訴えてきた周辺農村の百姓たちだったそうです
その許可願には近年不作が続き、「潰れ百姓」が出て村落の維持が
できず、宿場も利用客の減少と米価の高騰により困窮しているので、
以前のように飯盛女の設置をお願いしたいとあります
結局はそれは許可されたようで、おそらくは周辺の農村から「奉公」に
出てきた女性も多かったのではないでしょうか
165 :
日本@名無史さん:02/01/10 13:14
江戸時代の遊女はどのような身分として統制されていたんですか?
飯盛女は奉公人という名目だから、町人身分なんですか?
>165
吉原の遊女はどうなんだろな?<身分
167 :
日本@名無史さん:02/01/13 20:42
>166
吉原などの遊女は、例えば年季が明けたなどで生きて郭を
出られれば町人、つまり一般人の身分になったとのこと。
そのため一般以下の立場におかれていた人々は、あえて
生まれた娘を吉原に託したという話もあるとか。
運がよければ、将来は自分達より良い立場で生きられる
可能性もある、と言う事で…
てことは、遊女達はそこで仕事をしている限りは普通の
身分よりは下に置かれている、と言う事かと。
士農工商、と言う身分制度には寺関係の人間などがそうで
あるように、そこに含まれていない生業や生まれの人間も多い
結構大ざっぱな区分。
遊女もそういう「公には含まれていない身分」の下位に位置する
人々だったのかな、と。
かなり想像も混ぜての意見なので、誰か詳しい人教えてくだされ。
168 :
ウラ日本史:02/01/13 22:18
吉原は存在してるのに、品川は面影が全く無いとは・・・。
今なら、八つ山橋を越えたところから、山手通りぐらいまでですよね。
そこが今でいう品川宿ですよね。
あと板橋にもあったと聞いたことがあります。
ライフあたりに本陣跡があると思います。
それを越えると何十人の赤子を殺されたヤバイ坂があるんですよね。
169 :
日本@名無史さん:02/01/13 22:40
ココの上の方に被差別身分ってあったけどそれはどうなの?<吉原遊女
ついでに・・・、
罪人なんかも吉原に送り込まれたってどこかで聞いた気がするんだけど(あやふや)、
江戸時代の罪人の身分ってのはどうなってたの?
171 :
日本@名無史さん:02/01/14 19:24
罪人は非人身分、じゃなかったけ?
172 :
日本@名無史さん:02/01/16 16:16
穢多頭だった弾左衛門が、その由緒書の中で「傾城屋は弾左衛門の
支配下である」と書いていて、しかも「傾城屋の下には湯屋と風呂屋が
ある」とも書いているんですけど、本当の所はどうだったんですか?
江戸で傾城屋といえば、おそらくは吉原を指しているんでしょうけど…
遊女は穢多でも非人でもないはずなのに、なんでそうなるのでしょう?
173 :
日本@名無史さん:02/01/16 17:26
>172
弾左衛門と言えば関東周辺全ての穢多非人(約7万人?)の支配者。
生活は相当裕福で、二本差しも許可され下手な下級武士顔負けの
様々な権限を持っていたとか。
となればその「権限」の一つとして遊女達を支配していたんじゃない?
実際日本の当時の身分制度って結構いい加減な部分もあるし、
名目上の身分が実際の権力と等しくないことも割とあったようだから。
あと傾城屋って確か遊女屋の異名(?)で、吉原全体を意味する物
ではなかったかと。
聞きかじりなんで間違いだったらゴメソ(w
175 :
日本@名無史さん:02/01/22 22:33
>174
陰陽師も支配下に?
176 :
日本@名無史さん:02/01/23 04:18
川端康成の伊豆の踊り子も似たような身分なのかな
伊豆の踊り子か・・・正月にドラマやってた。
なぜか主役のゴマキより脇役の子役の方が光ってたような気がする。
まあ関係ない話だが・・・。
178 :
日本@名無史さん:02/01/25 23:13
伊豆の踊り子・・・もう一回読みに逝ってくる〜
179 :
日本@名無史さん:02/01/26 01:23
ぜひ知りたい資料があるんですが・・・。
『日本の歴史 16元禄時代』(中公文庫)の171ページに「自害をすると
元金の二倍を請求される」ので、遊女は死ぬこともできない、という
とてもコワイ記述があるんですが、どなたか他にご存じありませんか??
>>175 スレッドには関係ないが、中世から漂泊民として陰陽を行う者はいた全然不思議じゃない
181 :
宇佐美ミサ子『宿場と飯盛女』参照:02/01/26 15:53
>>179 手元に資料がないのですが、最初に交わす契約の中に病気で
休んでるときは給料が出ないとか、旅籠に損害を与えた場合に
は弁償するとか、いろいろなことが決められていました
そこには「どんなことがあっても文句は言いません」ということも
書かれていましたので、そのように決められているのならば、そ
れに従わざるを得なかったのではないでしょうか
『村からみた日本史』(田中圭一)(ちくま新書)を買ったけど、ちょっと違う
みたいね。どちらかといえば、江戸の農村もすでに商品経済を運用していた
みたいな・・・。でも、やっぱりそれは本百姓にかぎられるんじゃないかな。
たとえば、現在、アメリカが世界の富を独占しているように、江戸時代も、
侍といわず、江戸の町人たちが日本の富を独占していたわけでしょう(江戸・
大坂かな)。ならば、飯盛女ってのは、現在の東南アジアの娼婦たちにあたる
そうは思いませんか??
183 :
吉田伸之『近世都市社会の身分構造』参照:02/01/28 16:25
天保14年(1843)に「人返し令」という、地方から江戸に出稼ぎに来て、
そのまま江戸の生活に馴染んで住み着くようになった者を、国元へと送り
返すことを定めた法令が出されています
この法令では、「在方之もの、身上相仕舞、江戸人別ニ入」ることを禁じ、
「大工、左官、木挽、杣、其外諸職人等、当分出稼之もの」や「奉公稼ニ
罷出候もの」の管理を強化することを目的としています
江戸には「日用」(日雇いの鳶など)を統制する日用座が設けられていて、
それを通じて「身分」としての把握がされていたそうなので、遊女に関して
も何らかの形で把握がされていたのではないでしょうか
国元へと送り返されていないところを見ると、江戸の人別に入り、何らかの
形で「身分」として統制されていたのは間違いないとは思うのですが、それ
がどのような「身分」であったのかが、よくわかりません
(もう少し勉強して来ます…)
185 :
宇佐美ミサ子「飯盛女」参照:02/02/01 16:21
天保期の「東海道宿村大概帳」という文献によると、東海道中の53の
宿場のうち、飯盛女が不在の宿場は箱根宿(神奈川県箱根市)、江尻
宿(静岡県清水市)、鞠子宿(静岡県静岡市)、掛川宿(静岡県掛川市)、
舞坂宿(静岡県浜名郡舞阪町)、新居宿(静岡県浜名郡新居町)だけ
だったそうです
箱根宿・新居宿には関所(舞坂―新居間は舟で浜名湖を渡った)が設け
られていましたので、旅人があまり宿泊せず、治安上も好ましくなかった
からではないでしょうか
しかし、これらの宿場にも「留女」「出女」「湯女」「客引女」などと呼ばれる
女性がおり、名前が異なるだけで、その実態は飯盛女と同様であったの
ではないかと思われます
186 :
日本@名無史さん:02/02/06 15:54
飯盛女がいないのは6ヶ所だけか…
どこの宿場も苦しかったんだ
187 :
日本@名無史さん:02/02/08 19:22
>>186 売られた人や、田舎からでてきた人などが主でしょ。
宿場が苦しかったわけではないと思うが・・・
「苦しかった」というのは、宿場の経営のことを言ってるんだよ
宿場が務めていた公儀の御用ってのは、無償で務めなければ
ならないものだったから、宿場としての機能を果たすためには、
少しでも客を集める必要があって、そのために幕府も飯盛女を
黙認せざるをえなかった、ってことでしょ
189 :
日本@名無史さん:02/02/12 09:20
>>167 その意見にかなり近いんじゃないかと…
いや、これも特に明確な根拠があるわけじゃないけどね
遊女の身分について、誰か詳しい人いないのかよ
191 :
日本@名無史さん:02/02/13 22:13
>190
んなこといわれてもさーーーー
192 :
宇佐美ミサ子「飯盛女」参照:02/02/14 08:36
保土ヶ谷宿には『東海道保土谷宿食盛女人別帳』という史料が残されている
そうで、旅籠に奉公する飯盛下女の生国・名前・年季・給金・年齢を書き上げ
た戸籍台帳のようなものだそうです
百姓身分は百姓だけが、町人身分は町人だけが書かれた人別帳によって、
「身分」として把握されていましたので、飯盛女だけが書かれた人別帳がある
ということは、「飯盛女身分」とでもいうべき「身分」であったのではないかとは
思うのですが・・・・
193 :
日本@名無史さん:02/02/14 15:45
「飯盛女身分」ってのがあるとすると、
>>167の「「公には含まれていない身分」の
下位に位置する人々」 ってのは、かなり的を得た発言だったということですな
195 :
日本@名無史さん:02/02/15 08:48
箱根を越えた三島も繁盛してたらしいしな
やっぱり開放感があったんでしょうな
196 :
日本@名無史さん:02/02/18 09:20
江戸時代にはホオズキの地下茎を乾燥させたものが、堕胎薬として
よく用いられていました
(ホオズキに含まれるヒスタミンには子宮収縮作用があるそうです)
夏の風物詩として名高い浅草寺のホオズキ市ですが、その裏手には
吉原の遊郭があったことを想起すると・・・・
197 :
日本@名無史さん:02/02/19 23:20
>196
ホオズキ以外でおろそうと思ったらどんな方法があったんでしょか??
「おしん」の極寒の川に浸かるシーンが思い浮かぶんですが・・・w
いろいろあったようですよ
唐辛子や朝顔の種を煎じたものや、水銀を飲んだりとかもしてたらしいです
あとは、牛蒡や大根、南天の枝や麦藁の茎を突っ込んで、胎児を刺し殺したり、
強い刺激を与えたり・・・・
堕胎の失敗によって、命を落としてしまう女性も多かったらしいです
199 :
日本@名無史さん:02/02/23 09:18
そりゃ、そんなもん突っ込んだら、死んじまうわな
(想像するだけでも、痛そうだ…)
200 :
日本@名無史さん:02/02/23 17:09
>>199 うん。
痛そう・・・。
唐辛子くらいならさほど害はなさそうだけど、水銀以降が怖すぎ(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
江戸時代には中条流という堕胎専門の医学の流派もあったそうですし、
堕胎が日常的に行われていたようですね
「中条」は「なかじょう」じゃなくて、「ちゅうじょう」て読んで下さいね
202 :
日本@名無史さん:02/02/23 22:12
コソドームは人類最大の発明だ!
マンセー
203 :
日本@名無史さん:02/02/23 22:21
フェラチオ専門の飯盛女もいたそうだ
204 :
日本@名無史さん:02/02/25 04:11
205 :
日本@名無史さん:02/02/25 04:14
ダルマ女は都市伝説なのか?
206 :
日本@名無史さん:02/02/28 08:26
207 :
石井良助『日本の歴史を読み解く』:02/03/02 19:28
飯盛女が馴染みの客と夫婦の約束を交し、起請文を書くということが
行われていたようで、近松門左衛門の『心中天の網島』にも客と起請
文を交す遊女が登場します
そこには「夫婦の約束を交した上は、命を掛けて添い遂げましょう」、
「付き合いに出かけても他の女とは枕を交しません」、「それに背いた
ならば、神罰を受けるでしょう」、などの文言が記されていたようです
208 :
日本@名無史さん:02/03/03 01:54
>207
遊女なんかがおなじみさんの名前を刺青したってのは??
「茂吉命」とか??
>>205 ダルマ女って見世物でしょ?
東南アジアあたりに行けば現在でも見られるという
噂があるやつでしょ?
210 :
塚本学『生きることの近世史』参照:02/03/04 11:50
平戸藩主であった松浦静山の『甲子夜話』に、オランダ人医師が
梅毒について「オランダ人には千人の病人に五、六人の梅毒持ち
がいるが、日本では千人の病人のうち、梅毒でない者は五、六人
だろう」と語ったとあります
この数字は誇張だとしても、元禄期以降の遊里の盛行によって、
梅毒が猛威を振るうようになったのは確かなようです
その中で、命を落とした遊女もかなり多かったようです
>>209 都市伝説を信じ込んでいる厨房など相手にするな。
212 :
日本@名無史さん:02/03/11 14:51
たまにはageとく
213 :
日本@名無史さん:02/03/18 20:44
飯盛女って何歳くらいの子が多かったんだろ?
夜鷹なんかは年齢高そうだけどさ。
214 :
日本@名無史さん:02/03/19 15:41
平均年齢は20歳前後、25歳を越える飯盛女はあまりいません
(過労と病気のために短命なのです)
215 :
日本@名無史さん:02/03/21 00:26
25歳過ぎて売られることはなかったのかいな。
当時の25歳っていうと今の何歳くらいの感覚なんだ?
30歳過ぎくらいかの?
216 :
遊角ファン:02/03/21 00:34
年季奉公の期限が決まっていたのではなかったですか?
>210
色気とかさっ気のない奴はいない、とか(?)
日本人の多くは梅毒に免疫を持っているとかいう噂があるようですが
217 :
日本@名無史さん:02/03/22 21:57
>>214 史料読んだことある?
身請け證文なんていくらでも残ってるんだからさぁ。
18ですでに年増だよ。
218 :
日本@名無史さん:02/03/23 01:29
こうゆう人たちって何歳くらいからいるの?
本当に知りたかったら自分で調べなさい。
それでも分からない事があったら答えます。
日本史板の基本的スタンスです。
220 :
日本@名無史さん:02/03/23 05:07
自分で調べるんだったら、レスの意味ないじゃん
221 :
日本@名無史さん:02/03/23 07:35
>>219 まあ、まあ、そんなこといわないで仲良くやりましょうよ!!
>>217 飯盛女は15歳から客を取るようになり、長期の奉公(5年とか10年とか)を
することになっています
「18ですでに年増」と言われていたとしても、平均年齢は20歳前後になる
はずではないでしょうか
(このことは史料からの裏付けもとれています)
223 :
日本@名無史さん:02/03/23 17:26
214さんの対応を見ると、219はえらい高ビーーーだな!!
とし‐ま【年増】
娘盛りをすぎて、やや年をとった婦人。江戸時代には二○歳過ぎをいった。
(広辞苑)
225 :
日本@名無史さん:02/03/24 08:15
20歳で年増か
江戸時代って、なんだかスゴイね
>>217 18ですでに年増ってことは、平均年齢は15、6歳って
ことになると思うんだけど・・・・
本当にそうなの?
226 :
神崎宣武『盛り場の民俗史』参照:02/03/27 13:48
安永6年(1777)の『山下新説』によれば、上野広小路周辺は江戸を代表する
歓楽街として栄え、「二百文より客をまねく」といわれた「けころ」(稽古路、蹴転
などとも書いた)を抱える水茶屋・料理茶屋が107軒もあったといいます
また、男女の逢引に用いられる出会い茶屋が不忍池周辺に登場するように
なったのもこの頃だといわれています
(出合茶屋は「池茶屋」とも呼ばれていたそうです)
>>225 俺が見たので一番若いのは、6歳くらいで売られていったのがある。
「飯盛下女」としてだよ。確か2両くらいだった(養育費がかかるから、幼い子は安いんだよ)。
まぁ、幼いうちは宿の下働きなんだろうけど、実際に「業務」を行ったのが何歳からなのかは史料の上からは分かりません。
病気で故郷に帰る娘もいるけど、結構な人数が死んじゃっていたよ。
あなたが言っているのは、身請けされた時の年齢のことで、飯盛女の
平均年齢のことではありません
また、飯盛女は名目上は「奉公人」とされていましたので、「飯盛下女」
として身請けされたのかどうかは、証文からだけではわからないのでは
ないかと思います
詳しくは27に挙がっている身請証文を参照して下さい
229 :
日本@名無史さん:02/03/28 08:11
なんだ?このスレは?(ワラ
230 :
日本@名無史さん:02/03/28 08:13
なんだ?このレスは?(ワラ
遅ればせながら「年増」の話題。
俺が教えてもろたバージョン(江戸後期〜明治初期)は
「娘」16ぐらいまで・「ご新造」17〜20
「年増」20以上・「中年増」27,28辺り
「大年増」30以上
って感じだった。ソースは不明。スマソ
「鬼も十八、番茶も出鼻」というぐらいだから、18歳が娘盛りなんだと思ってた
233 :
日本@名無史さん:02/03/31 14:04
>>214 みんな25歳までに死んじゃうって事じゃないだろう
(不幸な結果になった女は少なくなかったろうが)
商品価値がなくなるから、他の仕事にまわったんだろう
今は40代のソープ嬢もチラホラ?
234 :
日本@名無史さん:02/03/31 14:06
わたしゃ飯炊き女、飯盛り女じゃないわいな〜 飯島直子
235 :
神崎宣武『盛り場の民俗史』参照:02/03/31 14:08
上野周辺には「陰間」(かげま)と呼ばれる男色を売る者を抱える
陰間茶屋が多くあったそうです
陰間を買いに来る客は、妻帯を禁じられていた僧侶がほとんどを
占めていたそうです
明和元年(1764)の『男色細見』によると、42人の陰間が上野周
辺にいたと記されていますが、全盛期には230人の陰間が江戸
市中にいたともいわれています
一気に三つも書き込みがあるとは・・・・
このスレにしては、珍しいこともあるものですね
237 :
日本@名無史さん:02/03/31 14:17
直接、売春する女よりヤリテばばあ〜の方が罪思いらしい(現在)
>>233 15歳から10年契約で奉公をしても、25歳で契約が切れるわけですから、
25歳以上の飯盛女があまりいないのは、そのあたりにも理由があるのでは
ないかと思います
しかし、史料からだけでは無事に奉公を務め上げた飯盛女が、その御どの
ような人生を歩んだのかがわかりません
国元に帰って幸せに過ごせた女性がどれぐらいいたのでしょうか
239 :
間違ってsageちゃった…:02/04/02 15:55
×その御どのような人生を
○その後どのような人生を
240 :
日本@名無史さん:02/04/04 16:04
68 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 01/10/05 03:16
女郎の平均寿命が25歳程度であったことを忘れてはいけない。
性病感染率は100%に近く、発症後客が取れなくなるほど悪化すると隔離され、十分な食事も与えられず慢性的な栄養不足による体力低下により、すぐに肺炎を併発。
必定死亡に到るも死因は性病とはならなかった。
要は人的処遇が死因に直接結びついていたということ。
死ぬまで客を取らざるを得ない管理売春。
これを地獄と呼ばず何と呼ぼうか。
女郎を上がるには4通りしかない。
1.年季奉公を終える。
2.身請けをしてもらう。
3.楼主のお気に入りになり、遣手として郭に残る。
4.冷たくなって投込寺に捨て置かれる。
噺物としては2が多く巷間伝誦されているため印象が強いが、実際は4が圧倒的な事実であった。
1は実際には殆ど例を見ない。(ここで詳論はしないが“前借金”という制度がいかようなものであったのかをみれば顕か)
そして、主に文言化された遊郭内事情ものは、女郎中例外中の例外的といえる3が書き手として散見されるために、実際の陰惨さを匿情したものが多かった。
http://mateichi01.hoops.ne.jp/minowa/joukan1.jpg
241 :
日本@名無史さん:02/04/07 22:23
>>235 >陰間を買いに来る客は、妻帯を禁じられていた僧侶がほとんどを
>占めていたそうです
んじゃ、僧侶は遊女やら飯盛女なんぞは買わなかったの?
242 :
日本@名無史さん:02/04/07 22:45
>241
確か僧侶の世界は大概が女人禁制で(例外もあったろうけど)、
遊女買いなどをはじめ、女性と遊ぶこと自体が禁じられていて、
だからこそ稚児遊びやら陰間買い(これも医師を装ってこっそり
通ったとか)が流行ったんじゃなかったっけ?
ちなみに陰間を買う客には女性も結構いたそうだよ。
243 :
日本@名無史さん:02/04/08 01:34
中宿へ出家はいると医者が出る
僧侶(寛永寺・浅草寺あたり)が、船宿で医師の格好に着替えて
吉原へ繰り出す様子を詠んでいます。
244 :
日本@名無史さん:02/04/08 21:59
なんか心中物とかで遊女と坊さんってなかったっけか?
記憶違いか・・・?
記憶違いでなかったとしても別におかしくはないんじゃないか?
禁断の恋(藁 だからこそ成り立つ「心中話」なんだろうし。
246 :
神崎宣武『盛り場の民俗史』参照:02/04/12 10:32
吉原移転の契機ともなった明暦3年(1657)の明暦の大火以後、江戸の各所に
火除地が設けられました
本来の火除地は空地でなければならないはずが、次第にごみ捨て場や物干し場、
物置き場として利用されるようになり、やがては露天商や大道芸人が集まり、仮設
の茶屋などが立ち並ぶようになり、歓楽街として栄えるようになって行ったそうです
「常々明地之内へ、昼夜共ニ人集り申すまじく候、もし左様之儀もこれ有り候はゞ、
是又其支配の所より追い払い申すべく候事」という触書が度々出されているにも
関らず、火除地に蔵を建てる者まで現れるほどだったそうです
247 :
日本@名無史さん:02/04/14 11:33
>>242 >ちなみに陰間を買う客には女性も結構いたそうだよ。
ということは、陰間はバイリンガルなのですか?
陰間として男性の相手をするのは12,3〜18歳くらいまでで、
二十歳以上になると殆どは女性客相手に切り替えたとか。
つまり同じ店であっても男性は少年を買いに、女性は青年を
買いに来たって事なんでしょうね。
249 :
日本@名無史さん:02/04/14 13:19
陰間として働いていた子達はその後どうしたんでしょう?
普通の生活にもどったんでしょか?
250 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:43
>>208 他にも小指を切り下ろしたり、腕や腿に刃物を突き立てたりとかも
していたらしい
今からステーキ焼いて食べるから、想像するのは止めとくわ
251 :
日本@名無史さん:02/04/16 21:20
「この小指 さてはしんこか ええ無念」
しかしその小指も必ずしも本物とは限らないと言うこと。
で、もらう側も結構それは承知の上だったそうな。
252 :
日本@名無史さん:02/04/17 12:25
吉原には「遊女の小指」を作る
しんこ細工職人が住んでたんだってさ
253 :
日本@名無史さん:02/04/17 20:17
そらそうだわな。
指が何本あっても足りんわー。
その作り物の指はどんなだったんだろか?
見てみたいような。。。
254 :
今戸榮一『遊女の世界』参照:02/04/20 09:05
指を切り落とす場合には、小指を堅い台に乗せて、剃刀を当てた上から
鉄瓶などを叩き付けたそうです
その時には、切り落とした指が遠くに飛んでいかないように、障子を閉め
切った部屋ですることになったいたそうです
それ以外にも小塚原の女の刑死人や墓から掘り起こした死体の小指を
買うこともあったらしいです
255 :
日本@名無史さん:02/04/20 14:26
本物でも偽物でも、そんな小指貰いたくね〜
256 :
日本@名無史さん:02/04/20 22:20
まぁまぁ(w
257 :
藤木久志『飢餓と戦争の戦国を行く』参照:02/04/24 21:50
関西地方を襲った寛永の大飢饉(1641〜43)の際に、「上方抱え下ろし者」と
呼ばれる人々が、肥後国の宇土藩領で「下女」「奉公人」などとして売買されて
いたそうです
その際の請状には、「飢饉にあい、我等てまえまかりならず」とか「当年飢饉につき、
飢えにおよび申し候間、肥後へふだいに」などという文言があり、後年の飯盛女の
請状などとよく似た形式だったことがわかります
258 :
日本@名無史さん:02/04/27 23:20
あげますぅ
259 :
日本@名無史さん:02/04/28 04:34
260 :
日本@名無史さん:02/05/01 20:32
age
女の指はイケマス。
262 :
日本@名無史さん:02/05/07 14:19
263 :
日本@名無史さん:02/05/11 13:40
揚げる
264 :
日本@名無史さん:02/05/14 21:39
保全あげ
265 :
日本@名無史さん:02/05/14 22:25
↑この新スレ削除する方がいいんじゃない?
完全に重複スレじゃない?
267 :
日本@名無史さん:02/05/24 23:26
うぷ
268 :
日本@名無史さん:02/06/03 11:12
急速サルベージage
269 :
日本@名無史さん:02/06/11 01:00
AGE
age
271 :
日本@名無史さん:02/06/28 23:00
飯盛旅籠の屋号って、平旅籠と何か違ったのかしらん
・・・とつぶやきつつ保全age
272 :
日本@名無史さん:02/06/29 01:27
273 :
日本@名無史さん:02/07/02 22:21
外見上はどうか知らんが・・・
廊下からどの部屋の出入りも見れるような造りにはなってたみたい。
客室は、無理やり仕切って数を増やしてたらしい。
ま、当たり前か。
274 :
日本@名無史さん:02/07/13 19:47
江戸時代の中期以降に飯盛旅篭の数が増えているらしい
旅篭の数そのものはあまり増えていないらしい
よって、普通の旅篭が改修されたということらしい
275 :
日本@名無史さん:02/07/19 22:05
>274
>普通の旅篭が改修されたということらしい
飯盛旅籠に押されて、普通の旅籠じゃやってけなくなった
ってのが多かったのかねー?
276 :
日本@名無史さん:02/07/20 02:11
>>16 ねえねえ、水子供養って風習は昭和30年代以降に現れたモノだ
って話を聞いた覚えがあるんだけど、どうよ?
277 :
日本@名無史さん:02/07/20 12:20
>>276 興味あるな……
しかし検索をかけるのもこわい……
278 :
日本@名無史さん:02/07/20 12:29
279 :
日本@名無史さん:02/07/27 22:23
あげとくか。。。
280 :
日本@名無史さん:02/08/06 21:29
銀シャリ>>>ご飯>>めし
281 :
日本@名無史さん:02/08/18 21:26
282 :
日本@名無史さん:02/08/31 22:16
283 :
日本@名無史さん:02/09/13 13:01
AGE
285 :
日本@名無史さん:02/09/18 20:00
age
286 :
日本@名無史さん:02/09/21 13:20
まだいますよ、飯盛女。
掛川に。
287 :
日本@名無史さん:02/09/25 20:59
>286
仔細きぼんぬ
>287
測量技師をやっているのですが、
同僚と4人でしないのある旅館に泊まったところ、
食後に女中さんがやってきて、
「マッサージはいかがですか?」というので、
頼んだところ、「皆様ご一緒ですか?」と意味不明な答え。
私ともう一人が頼んだところ、別々に別室に案内され、
見ると、枕が並んだ布団が敷いてありました。
289 :
日本@名無史さん:02/09/26 09:39
それだけなんですか?
290 :
日本@名無史さん:02/09/26 20:40
>288
んでどうしたんですか?
12000円で「特サービス」と女中さんに言われたけど、
丁重にお引き取り願いました。
翌朝早く、その部屋から女中さんと50くらいの爺が出てきました。
まあ、志摩のほうにある売春島みたいなもんです。
292 :
日本@名無史さん:02/09/28 01:44
293 :
日本@名無史さん:02/09/28 03:23
>志摩のほうにある売春島
週刊誌かなんかで読んだことあるけど、ボンボリなんかが並んでいて結構風情があるそうだ。
でも、外国人ばかりだそうだけど。
行ったことある人詳しく教えて。
294 :
日本@名無史さん:02/09/28 06:00
>293
朝、船に乗って帰るとき、
昨夜の相方が港で手を振って送ってくれます。
295 :
日本@名無史さん:02/09/28 14:08
飯盛女と書いて何て読むの?
めしもりおんな
297 :
日本@名無史さん:02/09/28 17:21
298 :
日本@名無史さん:02/09/28 20:51
286さん!掛川の何処に飯盛女がいるんですか?
299 :
日本@名無史さん:02/09/28 23:03
300 :
日本@名無史さん:02/09/28 23:14
飯盛女に関してだったら、西村寿行の「牛馬解き放ち」を読むとその悲哀が詳しく載ってるよ。
角川文庫ででてるからブックオフとかでも余裕で手に入るぞ。
302 :
日本@名無史さん:02/10/07 00:50
>299
そんな島があったとは。
他にもあるのかな?
303 :
日本@名無史さん:02/10/07 00:55
もう散々雑誌に出てるよ、
売春島。
304 :
日本@名無史さん:02/10/07 00:56
じゃあ、横浜日の出町から黄金町の川沿いは
305 :
日本@名無史さん:02/10/12 01:39
>303
三重県以外にもあるのかな?
306 :
日本@名無史さん:02/10/12 03:38
307 :
日本@名無史さん:02/10/12 09:07
有名な温泉街行くと風俗あるよ。
まあ若い娘がいるかどうかは、僻地ではないこと、
近くに都市が隣接していれば、いないことないんじゃない?
発展途上国では身売りは日常茶飯事と聴く。
世界規模で考えるならこの飯盛女も決して昔のことで
はないだろう。
子供の売買のなかには欧米の臓器移植のための要員として
取引されるから、人間というのは金銭のためなら、どのような
おぞましいことでもする。昔も今もそれはかわらない。
売春ておぞましいのかね?
>309
スレッドをよく読めよ。それでもそう思わないのなら「しゃべり場」で
議論をやるか、みのもんたに質問しろ。
>310
よく読んで言ってんだけどね。あんたこそよく勉強したほうがいいよ。
恥ずかしいから。
>311
だからしゃべり場に行けっていってだろ。『そのとき歴史は動いた』でも
観て、うなづきながら膝でも打っとけ。
313 :
日本@名無史さん:02/10/27 15:28
はいよ
314 :
日本@名無史さん:02/11/14 22:23
>>309 おぞましいと思うかどうかは彼女達それぞれじゃろね。
好きで好きでたまらん、ってのはなさげだけど(苦藁
買うほうはおぞましいなんてこれっぽちも思ってないだろうし。
売買に全く関係ない一般人はどうゆう風に見てたのかは興味あるなー。
315 :
日本@名無史さん:02/11/30 18:13
316 :
日本@名無史さん:02/12/01 21:13
317 :
日本@名無史さん:02/12/02 03:31
すごい揉めてるんだけど、どうなってるの?
小谷野敦さんって誰???
見ず知らずの男に身を任せる女の嫌悪と苦痛は、
見ず知らずの男に身を任せる男の嫌悪と苦痛に
勝るとも劣らないそうだ。
女郎屋の堕胎は逆さに吊るして堕胎用の劇薬を注ぎ込む。
梅毒で気が狂ったり、体を壊して商売ができなくなった人は
地下の穴倉みたいなとこに押し込む。稼ぎがないからもちろん店
のおやじからぶたれたり、罵られて、残飯をあてがわれる。
汚物も垂れ流しだから、すぐに衰弱死か病死だ。
320 :
日本@名無史さん:02/12/02 11:01
>>317 "小谷野敦 2ch"で
googleシル!!
321 :
日本@名無史さん:02/12/05 23:05
age
322 :
日本@名無史さん:02/12/08 15:42
めしもり〜〜
323 :
日本@名無史さん:02/12/08 23:36
>319
堕胎用の劇薬注ぎ込んで生きてるもんなの?<胎児じゃなくって遊女ね
本当は「おじゃれ」って読むんだろ
325 :
日本@名無史さん:02/12/10 22:42
揚げ豆腐
326 :
日本@名無史さん:02/12/11 00:04
327 :
日本@名無史さん:02/12/16 10:53
小谷野〜〜
328 :
日本@名無史さん:02/12/20 20:52
現代は、飯盛男の時代です
329 :
日本@名無史さん:02/12/29 01:37
>328
なんか山盛りのドンブリ飯がでてきそうだな(ワラ
330 :
日本@名無史さん:02/12/29 15:55
今号の風光るで出てきたね。土方さぁ〜ん
331 :
日本@名無史さん:02/12/29 21:05
飯盛り男ってあんまりな言葉で思わずワラタYO!(;´Д`)
332 :
日本@名無史さん:02/12/30 21:49
うーん。
これからは飯盛男の時代やもしれん(ワラ
333 :
日本@名無史さん:03/01/10 22:43
(^^)
(^^)
336 :
日本@名無史さん:03/01/17 00:57
337 :
日本@名無史さん:03/01/28 11:17
338 :
日本@名無史さん:03/01/28 12:54
江戸時代の旅宿にいた制限付きのいわば半公認の私娼(ししよう)の俗称で,
たんに飯盛ともいい,食売女(めしうりおんな),宿場女郎(しゆくばじよろう),
〈おじゃれ〉などとも呼ぶ。交通の要地にはすでに平安時代には売春婦がおり,
交通と経済の発達に伴い,その数は増加した。江戸幕府は公娼遊郭制をとり,
1659年(万治2)には道中筋の遊女を厳禁したが,その後これを〈食売女〉として認め,
道中奉行の支配とし,1旅館2人以内(江戸4宿は宿内全人数制限),衣服は木綿着用と定めた。
しかし,人数制限は守られず,さらに飯盛の認められない所では
〈洗濯女〉などの名で雇うこともあった。飯盛の容認は,その収益が宿駅
の助成となったためで,飯盛を遊女でなく給仕女とみなしたのは幕府の
自慰的手段にすぎない。飯盛が旅客以外に近郷の遊客にも接したことは,
品川宿が江戸の遊所であったことでも明らかである。なお,飯盛をおく
飯盛旅籠(はたご)に対し,飯盛をおかないものを平旅籠(ひらはたご)といい,
箱根,石部などには1軒も飯盛旅籠がなかった
339 :
日本@名無史さん:03/02/07 23:47
なんで箱根にはなかったんですかね?
340 :
日本@名無史さん:03/02/16 20:55
関所があったからか?
漏れの実家は中山道の宿場町だから、飯盛女の話も色々残ってるよ。
まず、当時の街道は宿場同士の競争がとても激しかった。
東海道57宿・中山道69宿で、旅人は13−15日ぐらいで移動する。
宿場にしてみれば、旅人が昼飯食うだけじゃ儲からないから、なんとか泊って
欲しい。飯盛女はそのための重要なアトラクション。だから飯盛女が大勢いる
宿場は、繁栄している宿場を意味する。
飯盛女の出身地は大体決まってる。北向き斜面の貧しい村から代々娘がやってくる。
素性の判らない娘は雇わない。
でも、当時の人は「売春」という意識はなかったようです。「飯盛女」には
「旅人が宿で飯を出すよう頼むように、女を出すように頼んだ」という意味もある。
今で言うと、マッサージを頼むような感覚だったと思う。
343 :
日本@名無史さん:03/02/26 00:02
>341
>漏れの実家は中山道の宿場町だから
どの辺りですか?
344 :
日本@名無史さん:03/03/09 19:17
あげ
345 :
日本@名無史さん:03/03/14 00:44
346 :
日本@名無史さん:03/03/15 20:41
age
347 :
日本@名無史さん:03/03/30 15:41
348 :
日本@名無史さん:03/03/30 15:44
洪庵よ、出てきて一言言え、今、南京玉すだれ駆けてるだろ
349 :
日本@名無史さん:03/03/30 15:44
350 :
日本@名無史さん:03/03/30 15:45
そんなおもちゃに頼るなんて、落ちたものよ・・・・
351 :
日本@名無史さん:03/03/30 22:04
age
352 :
日本@名無史さん:03/04/17 11:57
353 :
日本@名無史さん:03/04/18 00:08
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
355 :
日本@名無史さん:03/04/29 11:32
356 :
日本@名無史さん:03/04/30 00:02
おれ、飯盛り女の意味わかんなくて、中学時代、おふくろに「おーい、飯盛り女」って言ったらすごい怒られた。
357 :
日本@名無史さん:03/05/07 22:28
お母さんは歴史的な意味がわかってて怒ったのだろうか?
そうじゃなくても怒ると思うが?
俺も思った、どこの主婦でも家政婦みたいな言われ方は嫌だろ。
359 :
日本@名無史さん:03/05/07 23:28
>357
>358
そうですね、たぶん、息子のおれが家政婦みたいな言い方したのが母のカンに触ったのだろう。
もし、母が歴史的な意味を知ってたならおれは、半頃しになってただろう。
360 :
日本@名無史さん:03/05/21 11:17
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
362 :
日本@名無史さん:03/05/22 12:45
363 :
日本@名無史さん:03/05/22 16:30
もっと知りたい飯盛り女
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
365 :
日本@名無史さん:03/05/29 00:02
366 :
日本@名無史さん:03/05/29 19:56
現代にも飯盛女がいたらいいね。
旅行いって、夜の町に外出する手間がはぶけるから。
シングルの部屋に1人ずつそういう飯盛女がついててくれたら、旅行はいっそう楽しくなるだろうね。
367 :
日本@名無史さん:03/06/12 20:44
368 :
日本@名無史さん:03/06/19 22:20
369 :
日本@名無史さん:03/07/08 00:27
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
371 :
日本@名無史さん:03/07/18 06:47
>>240 ワクワクしながら見てたのに、萎えるなあ〜。
372 :
日本@名無史さん:03/07/25 00:04
373 :
日本@名無史さん:03/07/30 08:30
(^^)
375 :
日本@名無史さん:03/08/03 01:12
376 :
日本@名無史さん:03/08/03 03:10
箱根には1軒も飯盛旅籠がなかった、ってのは湯治客=病人が
多かったからじゃないかなあ。
病人がウロウロしてるんじゃ、その気もおきないと思われ。
ところで、品川宿(今の北品川商店街)が最大の飯盛旅籠ってのは意外。
今じゃその雰囲気、かけらも残ってないもんね。
逆に川崎は雰囲気残りすぎ。夜は、その気がないと歩けないとこ多し。
377 :
日本@名無史さん:03/08/09 00:50
378 :
日本@名無史さん:03/08/09 01:24
>>376 江戸庶民の最大の気軽な娯楽は大山参り
関所を越えないので手形の必要がなかった
大山に参った後は藤沢宿で精進落としの遊興
それから江ノ島・鎌倉・金沢などを見物し
最後に品川宿で楽しんでから江戸に戻った
379 :
日本@名無史さん:03/08/14 22:02
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
381 :
日本@名無史さん:03/08/15 20:09
382 :
日本@名無史さん:03/08/20 20:41
383 :
日本@名無史さん:03/08/20 21:06
宿屋飯盛っつー川柳作ってたおっさんが江戸時代にいたじゃない?
あのおっさんの作品は結構笑えて好き
384 :
日本@名無史さん:03/08/29 01:04
385 :
日本@名無史さん:03/09/03 22:10
386 :
日本@名無史さん:03/09/11 22:33
387 :
日本@名無史さん:03/09/18 01:12
空揚げスレやね(w
389 :
日本@名無史さん:03/09/26 01:00
390 :
日本@名無史さん:03/10/03 20:58
391 :
日本@名無史さん:03/10/15 20:04
392 :
日本@名無史さん:03/11/01 00:56
>383
石川雅望やね。
でもあれって川柳じゃなくて狂歌じゃなかったっけ?
393 :
日本@名無史さん:03/11/14 01:47
飯盛女 1168?〜1185
(平)たいらのいいもりのむすめ
平清盛の大叔父・酒盛の庶子・飯盛の長女と伝えられている。
生年は不詳、死亡年から推測で1166〜68年ではないかとされる。
早くから宮中に上がり、典侍として高倉天皇の中宮・建礼門院(平徳子)に仕える。
しかし源氏の台頭・平家の衰退により、都落ちを余儀なくされる。
文治元(1185)年、周防の国は赤間関(山口県下関市)沖における
「壇ノ浦の戦い」において、安徳天皇とその祖母二位ノ尼(平時子、清盛の妻)らと
ともに海中へ身を投げる。
彼女の父・飯盛は平氏側に味方した水軍・松浦党の手引きにより戦場を脱出するも、一人
生き長らえることを潔しとせず、築前の国・日向峠付近(福岡県福岡市西区)にて自害する。
彼の没地はその名を取って、飯盛と呼ばれるようになった。
とゆーのは、大ウソはっちんです<m(__)m>
福岡の飯盛神社の創建は9世紀だもん。
信用しないでね(^_^;)。
ageだけではなんなので・・・。
395 :
日本@名無史さん:03/12/12 22:18
396 :
マジレスきぼん:03/12/12 23:01
ちょっと飯盛女について調べてる者ですが。
飯盛女がいた宿場は潤ったとかよく言われるけど本当なの?
大抵の本にはさらっと飯盛女のいる宿場は栄えたってあるけど、
具体的なソースが書いてないんだよ。
これを証明してくれる史料や本、誰か知りませんか?
397 :
日本@名無史さん:04/01/02 17:56
398 :
日本@名無史さん:04/01/02 22:43
>376
>ところで、品川宿(今の北品川商店街)が最大の飯盛旅籠ってのは意外。
>今じゃその雰囲気、かけらも残ってないもんね。
川島監督の幕末太陽傳という映画をみてみそ、赤線廃止直前の品川が冒頭にでてきますな。
それでなんとなく感触が掴めるはず。
あと品川が栄えたのは江戸から近くて吉原みたいに格式ばらなくて安直に遊べるからだとか。
>396
ガイシュツですが 「宿場と飯盛女」 宇佐美ミサ子 著
宿場維持のため(公役負担である伝馬人足制度維持のため)の経費補填目的で
宿場の活性化を理由とした飯盛り女許可願いが宿場側からだされています。
>>392 家にあれば けにもる飯を 旅にあれば めしもりあげて たのしみぞする
のオッサンだから、狂歌だね。
夏休みのレポートで少しだけ近所にあった遊郭を調べたんだけど…
浜松には江戸時代にはちゃんとした遊郭は無く、宿場であった伝馬
町界隈の旅館や飲食店でのいわゆる飯盛り女が発達して、一種の赤
線地帯みたいになった。ところが大正期、こうした風潮が「よろし
くない」という事で、当時は山林や田畑が多かった鴨江地区に遊郭
を設けた。いわゆる「隔離」だな。
ちなみに浜松で最初に水道が通ったのはこの遊郭です……
401 :
日本@名無史さん:04/01/21 23:23
402 :
日本@名無史さん:04/01/22 13:00
今も飯盛女がいればいいのに、なんて。ま、そうも思うけど、
年季奉公を早く終えたい飯盛女の客引きってスゴかった。
TV・水戸黄門に出てくるレベルじゃない。
お泊りは いい程がや(保土ヶ谷宿)と 留め女(飯盛女)
とつか(戸塚宿)まえ(前)ては 離さざりけり
十返舎一九「東海道中膝栗毛」
藤沢宿の某旅籠の飯盛女の平均寿命、21.3歳(吉原は21.7歳)。
もっとも、年季が明けたり、行商人に身請けされたりしたケースは除く。
403 :
日本@名無史さん:04/02/05 00:51
404 :
日本@名無史さん:04/02/22 17:35
405 :
日本@名無史さん:04/03/13 17:22
406 :
日本@名無史さん:04/04/03 18:12
407 :
日本@名無史さん:04/04/06 15:54
歴史の授業に使う副読本で江戸時代の狂歌師のペンネームが載っていた。
恋川春町というのはひどいペンネームだと思ったが
宿屋飯盛は旅篭に出てくる食事の事だと思ってた。
408 :
日本@名無史さん:04/04/08 23:07
飯盛り女とセックルしてぇ。
409 :
日本@名無史さん:04/04/15 03:24
夜鷹の相場って二十四文らしいけど、四百文、六百文の四六見世なんかに比べて
なんでそんなに安いんだろう?
よっぽどの薄利多売だったのかな?それだけ需要があったってこと?
素朴な疑問なんだが、飯盛女ってどう読むんだ?
411 :
日本@名無史さん:04/04/15 22:15
出張のときでも、ホテルより旅館に泊まると気持ち良いぞー。
広いし、畳の上で手足が伸びるし、飯盛り女が付いているともう最高。
412 :
日本@名無史さん:04/04/15 22:31
めしもりおんなage!
413 :
日本@名無史さん:04/04/15 22:43
飯盛り女って、あんなことやこんなこともしてくれるのか?
>>409 上の方のレスで600円とあったが、すさまじいよねえ。
薄利多売というより、貧富の差が激しかったと思われ。
415 :
名無しさん@英語勉強中:04/04/16 02:24
しね!
416 :
日本@名無史さん:04/04/16 05:04
江戸の夜鷹は実際は二十四文じゃいい顔はされなかったそうな。
五十文、百文とか渡してたみたい。
これは「宵越の銭は持たない」っていう江戸っ子の気風もある。
417 :
日本@名無史さん:04/04/16 05:06
それにしても一晩に2,3人の客じゃ商売にはならなかったことは確かだね。
418 :
日本@名無史さん:04/04/16 10:20
本業は、宿の店員でしょ?
419 :
日本@名無史さん:04/04/16 13:14
建前上はその名のとおり飯を盛るために旅籠にいる女
実際は性サービスのために旅客に差し出される女
二十四文で当時何が買えるんですかね?
一食分の食事代くらいにはなったんでしょうか?
>>420 夜鷹がよく利用してたっていう二八蕎麦(夜鳴蕎麦、夜鷹蕎麦ともいう)が
十六文だったそうだよ。
二人の客の相手をすると三杯食えるってことで
客二つつぶしてそばを三つくい
っていう川柳がある。
>>421 サンクス。
二八蕎麦、何故かうちにいっぱいあるんですが・・・ドキドキ・・・
423 :
日本@名無史さん:04/04/17 11:48
っていうか600円女なんか買うと梅毒っすよ。
424 :
日本@名無史さん:04/04/17 11:50
425 :
日本@名無史さん:04/04/17 11:57
赤線廃止の頃は、ちょんの間、500円じゃった(ジィ)
426 :
日本@名無史さん:04/04/17 12:28
鴨長明もこれについてふれてなかったっけ?
>>427 「これ」って何?
遊女については書いてるだろうけど、飯盛女や夜鷹は無いんじゃない?
429 :
日本@名無史さん:04/04/19 23:00
出張で和風旅館に泊まったぜ。温泉に入って部屋に帰ると次の間に布団が敷いてあって、
自分の部屋で食事さ。飯盛り女がやって来て、飯を盛ったぜ。
飯を盛ったぜ。・・・・・・んじゃ。
430 :
日本@名無史さん:04/04/20 01:07
>>429 飯を盛ったのは、いくつぐらいの女?なの??
431 :
日本@名無史さん:04/04/20 22:28
そうだなー、25歳くらいかな。
飯を盛りに来たんだぜ。くっくっく・・・んじゃ。
432 :
日本@名無史さん:04/04/22 22:32
現代の飯盛り女は、飯盛り以外に何をしてくれるのだろうか。
あんなことや、こんなこともしてくれるのだろうか。
もしかして、いけないこともしてくれるのだろうか。
宿に自動的にセクシーコンパニオンがついているようなもんか・・・。
434 :
日本@名無史さん:04/04/27 20:25
25歳以上の飯盛女っていなかったみたいなことをなんかで読んだけど
それは何故なのでしょう?
年季明けで親元に帰った?
身請けされた?
客が付かなくなったので別職に就いた?
別職を与えるまでもなく飢え死させて処理?
それとも梅毒って25歳でそろって死ぬ病気なの?
年季奉公は7年だったかな?(25歳だと年季あけでは)
行き先がなければ岡場所か夜鷹かな?
436 :
日本@名無史さん:04/04/27 23:32
25歳くらいからが一番熟れていて良いんだがなー。
飯盛女と遊女は全然違いますよ。
いつか きっと ふたり 恋のマホウの虜(とりこ)
ずっと ずっと 私はここにいるよ
アナタのそばに
ずっと恋をしてる それしか見えない日々ね
かんじんなアナタは 気弱な笑顔をフッと浮かべるだけで...
でも! 私は そんなアナタが好きよ
朝な夕な アナタを守りたい yeah yeah!
いつか きっと ふたり 恋のマホウの虜
どんな 苦しい事で アナタがひどく
落ち込んでいても 絶対に大丈夫!
ずっと ずっと 私はここにいるよ
アナタのそばに
例えば夢のような 他愛(たわい)無(な)い望み抱いて
転んでつまずいてボロボロの運命(うんめい)過ごしたとしても...
見上げる空 今日も朝日はのぼり
こわれそうな 二人を照らしてる wow wow!
いつか きっと 叶(かな)う どんなおとぎばなしも
恋の 光 浴びて 奇跡はおこる
本当の 強さ ゼッタイに掴もうよ
だから ずっと 私はここにいるよ
アナタのそばに
いつか きっと ふたり 恋のマホウの虜
どんな 苦しい事で アナタがひどく
落ち込んでいても 絶対に大丈夫!
ずっと ずっと 私はここにいるよ
アナタのそばに
439 :
日本@名無史さん:04/04/30 16:02
440 :
日本@名無史さん:04/04/30 22:52
>>439 ピンクコンパニオンとハメましたがなにか?
441 :
日本@名無史さん:04/04/30 23:08
>>441 ちゅーか、お金はずめばハメられるんじゃネーノ?
443 :
日本@名無史さん:04/05/06 21:27
How much ?
444 :
日本@名無史さん:04/05/07 12:41
5000円でマンコなめた。めちゃかわいいこだった。
445 :
日本@名無史さん:04/05/15 00:48
ハメ
東北の農村の娘は、肌が良かったので
「○○美人」として高値で売られたのです。
447 :
日本@名無史さん:04/05/17 23:40
中出し
>>446 で、それを見兼ねた青年将校が2・26事件と。
449 :
日本@名無史さん:04/05/18 23:22
AF
450 :
日本@名無史さん:04/05/22 21:55
69
451 :
日本@名無史さん:04/05/24 19:40
70
452 :
日本@名無史さん:04/05/24 22:27
71
453 :
日本@名無史さん:04/05/28 22:00
72
454 :
日本@名無史さん:04/05/28 22:48
家の近所に飯盛女の墓がある。
飯盛女は人権を無視された生活を送り、
気が狂ったりして非常に悲惨な死を遂げたと、
市史などには書いて有るけど、
冷静に考えると俺は違うと思う。
多分彼女達は、梅毒にかかって頭がおかしくなって、
死んだのではないだろうか?
現在でも娼婦がエイズで死ぬことはあるが、
彼女達が仕事をしているときは、それほど悲壮感はない
(大阪の飛田遊郭に行ってみるとよくわかるよ)。
ただ、運悪く性病にかかっただけ、という気がする。
これは、あくまでも俺の考えで、偏見だとは思うけどね。
その市史は本当に人権云々と書かれてるのか?
江戸時代に人権なんて観念はないと思うんだがな。
物凄くズレてるし、書いた人は日教組出身かもね。
当時は普通の女の平均寿命も40ぐらいなんだから、
あんまり変わらないでしょ。
457 :
日本@名無史さん:04/05/30 04:07
教育委員会が咬んでる以上、
「あっけらかんと春を売って幸せな人生を全うしました」
とは書けないだろうな。
458 :
日本@名無史さん:04/05/30 08:07
>>457 安藤広重の東海道53次で、
飯盛女が強引に客引きしている吉田宿の光景なんて、
ちょっと掲載できんだろうな。
>>457 まあ、世の中のほとんどの人は幸せな人生を全うしないような気もするのだが。
まあ、「幸せ」の定義にもよるか。
460 :
日本@名無史さん:04/06/18 18:23
>>459 少ないとは言え、
春を売る行為がそれほど苦痛じゃない人もいるしねえ。
幸せの定義って、個人差あるよな
ホシュage
461 :
日本@名無史さん:04/06/18 18:42
売春婦だった過去を逆手にとって、従軍慰安婦にさせられたといって、謝罪と賠償を求める人生もあるわけだが、
生まれ年をごまかしていたのバレタ哀れな婆さんも韓国にはいたようだし・・・・。
幸せって、何だけ、何だっけ〜?
>>460 そうかもね。
ただ、病気にかかりやすいような気はするね・・・。
>>461 幸せって期待と現実の関数だったりするような気がするね。
463 :
日本@名無史さん:04/06/19 22:47
現実の関数、現実の関数、現実の関数だったりするような
現実の関数、現実の関数、現実の関数だったりするような
現実の関数、現実の関数、現実の関数だったりするような
それが幸せそれが幸せ
幸せ幸せ、はいはいほー。
464 :
日本@名無史さん:04/06/19 23:07
当時でも不幸せと思われていたのは間違いない。
明治以降、戦前までの遊郭の女郎でも、ひどい扱い
を受けていた。そもそも、ちゃんと食事も与え
られていなかった。病気になっても医者にも
みせずに、放っておかれた。リンチなども横行
していた。
そのへんのことを知りたい人は山口瞳の『血族』
を読むといい。(これは小説の形態を取っているが、
一種のノンフィクションに近い。)この本では
神奈川県YSK市の遊郭のことが紹介されている。
そこの経営者たちはほとんど家が絶えているが、
これは地元では女郎さんにひどい仕打ちをした
祟りだということが地元で言われていること、
さらにそういうことから、経営者の家族は
差別され、義務教育を超えて教育を受ける
ことができなかったことなどが紹介されている。
置屋の家族は差別されてもしょうがないよな。
人間のクズだ。
466 :
日本@名無史さん:04/06/19 23:32
江戸時代から明治になって、かえって人権が踏みつけられるような事例も多々あるしな。
男は、女をずっと抱かないと、どうなるの?
滅亡する
469 :
日本@名無史さん:04/06/21 23:01
カラダが硬くなります。
去勢化する。
つまり、腑抜けになる訳だ。
宦官みたいなもん?
472 :
日本@名無史さん:04/06/23 22:12
抱かなくても出来ます。
473 :
日本@名無史さん:04/06/23 23:11
手を触れずに入れるためには、・・・・
474 :
日本@名無史さん:04/06/23 23:51
ブスでも、飯盛女になれたのだろうか?・・・無理かw
龍馬の姉は、男みたいだったそうだけど、嫁に行けたの?
475 :
日本@名無史さん:04/06/23 23:51
ブスだったから?
活力があるから、女を抱くのか
女を抱くから、活力があるのか
<活力があるから、女を抱く
絶対こっちだと思う。
活力がないとそもそも女を抱こうと思わないから。
抱かないと段々活力が失われるからデフレスパイラルの繰り返し
卵が先か鶏が先かみたいな話だなぁ
>>474 昔は相手を選ぶ自由はそれほどなかったんじゃないの・
481 :
日本@名無史さん:04/06/27 11:57
抱き心地は巨乳が一番。
482 :
日本@名無史さん:04/07/13 23:25
熟女でも、巨乳の抱き心地は中々良いぞ。
483 :
日本@名無史さん:04/07/13 23:31
軍隊などで昇進が遅れることを「お茶を挽かされる」というが
これは、三島辺りの売れない飯盛り女がお呼びがかからないとき、
遊ばせておくよりは、とお茶を挽かされたことからきた言葉。
484 :
日本@名無史さん:04/07/25 20:50
巨乳女は、体も丸くて気持ち良い。
485 :
日本@名無史さん:04/07/28 00:04
飯 盛 女 に つ い て
ってこんな話をし続けるんだ。
486 :
日本@名無史さん:04/07/30 21:35
抱くだけじゃ物足りないぞ。やっぱハメなきゃね。
487 :
日本@名無史さん:04/08/02 00:27
>486
ハメて病気になったらどうするんだ。
488 :
日本@名無史さん:04/08/09 20:45
489 :
日本@名無史さん:04/09/08 21:21
興味深いのでage
490 :
日本@名無史さん:04/09/09 22:41
クラブのママとチーク。豊満熟女。モッコリ、そっと押し付け。
ママしがみつき、顔うずめ。乳押し付け、太もも押し付け。
大河ドラマの、はしのえみの役柄も飯盛り女ですか?
492 :
日本@名無史さん:04/09/14 22:08:11
493 :
日本@名無史さん:04/09/18 20:38:56
それを言うなら、寺田屋で働いていたお龍はどうなんだろう。
そもそも普通の飯盛女と仲居さんの違いって、
パッと見で解かったものなんだろうか?服装なんかで?
このスレ初めて知ったけど長生きだなぁ〜
494 :
日本@名無史さん:04/09/19 05:37:25
漏れは昔の内藤新宿のあたりに住んでいるが
なんかふつーに飯盛女に関しての話題がつきまとう寺々がある
なんかそれで興味もって個人的に調べたことがあったが
まさかこんなスレがあるとは
>>1は何者かと小一時間
この間、黒澤明の「用心棒」を見てたら、
山田五十鈴が束ねている宿場女郎がでてきた。
さて、この場合 宿場女郎=飯盛女なのか
宿場女郎≠飯盛女なのか、
「幕末太陽伝」の品川遊郭なら分かり易いんだけど・・・。
496 :
日本@名無史さん:04/10/02 21:03:39
初めてこのスレに来ました。
女郎=専業売春婦
飯盛り女=宿の雑用兼売春婦
かな、と思ってましたが、実際どうだったんでしょうか。
「幕末太陽伝」でもそうですが、落語なんかでも
「女郎」は「じょうろ」と言ってますよね。
ところで
>>5-8の辺りを見ますと妊娠と中絶についての話題が出ていますが、
いつだったか江戸博の展示を見ていましたら、
「吉原の女はほとんどが20歳くらいで死んだ。原因は中絶やその失敗によるもの」
と言うような説明書きがありました。
蛇足ながら。
498 :
日本@名無史さん:04/10/29 00:41:22
性病のせいで死んだのも多かったんじゃないのか?
本人が売買春を気に入って商売している人の気持ちは多分
趣味と実益が合ってていい商売を選んだって気持ちなのだろうが
人身売買や人的賄賂斡旋ブローカーに無理やり集めてこられた人は
逃げ出したくて仕方ないんだろうな。
斡旋ブローカーがいい女の条件としている性器の状態とかも
肛門で言うところの疣痔とか痔核、痔楼みたいな
裂傷跡かもしれんし。
501 :
日本@名無史さん:04/11/18 10:54:41
502 :
日本@名無史さん:04/11/18 14:29:06
>>501 それ以外でも
普通の風邪や 軽い食中毒でもすぐ死者は出てたよ
話はそれるけどいまアフガンで必要な医者は高度技術をマスターした
医者ではなく 風邪や下痢を治してくれる医者で十分なんだ
飯盛り女 白首屋の女たちも 当時の事情からして察しはつくよ
503 :
日本@名無史さん:04/12/02 13:10:50
>>497 × 飯盛り女=宿の雑用兼売春婦
○ 飯盛り女=宿の専業売春婦だけど雑用も
だと思う。
薪拾いとかの雑用を客のない時間にさせられてたようです。
とにかく、遊ばせてるのはもったいないってことですね。
吉原の遊女よりもひどい待遇だったってことだな。
外出は認められてたのか?
505 :
日本@名無史さん:04/12/02 17:04:14
>>504 もっと勉強してここのスレに入ってくださる?
506 :
日本@名無史さん:04/12/23 21:04:42
吉原の遊女のほうが飯盛女などより当然格上だろ。
507 :
日本@名無史さん:04/12/24 11:41:17
じょろうの葬り方の作法として
獣みたいに、縄で両手両足を逆がために後ろでしばりあげるというのがあった。
化けて幽霊になって出てこないよう死体の自由を奪うおまじないだね。
つまり、うらまれてるだろうという罪悪感はあったわけだ。
508 :
日本@名無史さん:04/12/24 12:25:35
飯盛山(いいもりやま)に住むんでいる女のことを飯盛(めしもり)女
と言うのか?
509 :
日本@名無史さん:04/12/24 15:30:31
高杉晋作の セックスフレンド
おのうも飯盛り女だったよ
>>508 電車に住む男を「電車男」と呼ばないのと同じことかと。
511 :
日本@名無史さん:05/01/02 22:50:04
そうかな?
512 :
日本@名無史さん:05/01/03 12:57:41
513 :
日本@名無史さん:05/01/03 19:37:45
旧東海道歩いてしまった、俺。
515 :
日本@名無史さん:05/01/28 01:25:06
暇ですね
516 :
日本@名無史さん:05/02/20 14:35:08
ええ
517 :
日本@名無史さん:05/03/10 13:54:59
力強く生きていたんだろうな
518 :
日本@名無史さん:05/03/10 15:20:52
死ぬまでに 一度は食いたい 女体盛り
519 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 01:19:47
今でも存在するの?
浜松の東海道沿いにはピンサロビルがあるぞw
以前、JRの品川駅で降りたとき、「品川遊郭ってどこら辺にあったのかな」と
考えてしまった。
結局「わからん」で済ませたけど・・・。
523 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 20:58:14
ウホ
524 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 23:42:25
江戸時代の女性の職業集団ってほとんど売春兼業になってる。
豆売りに来たのも魚売りに来たのも、挙句尼さんまで…。
恐ろしい時代だ。
>>521 遠江人発見w
も少し南に行くとソープもある罠
>>524 楽しい時代だと思うが
床屋も風呂屋も風俗店でいいよな
>>525 残念ながら旅で行っただけです(;´Д`)
もう少し南にソープもあったんだねえ・・・結局どこかわからんかったけどw
>>526 今ならOLでも看護婦でもフリーターでも売春兼業だったりしますぜw
528 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 00:19:11
ウホウホ
うちの近くに飯盛町ってとこがあって
その町の女の話が何故日本史板に?と一瞬オモタ
>>529 というか、その町の女は飯盛女と呼ばれているのか?w
531 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 23:51:01
どこですか?
梅毒ってどういう病気?
533 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 23:27:15
鼻がもげる
534 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 00:09:56
マジ?
最終的には中枢神経(要は脳)まで細菌に冒され、
運動神経その他がおかしくなり、最終的に死亡する。
抗生物質発明前は死亡理由の上位の一つだ
536 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:44:58
ほほー
537 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:41:02
538 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 05:19:42
チンコももげるんじゃなかったっけか
539 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 01:28:45
ほほー
540 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 02:22:31
>>167 >吉原などの遊女は、例えば年季が明けたなどで生きて郭を
>出られれば町人、つまり一般人の身分になったとのこと。
出ても、どこへ行くんだ?身請けしてくれる家があればいいが、大半は
行き先がないんじゃあ。
541 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 19:06:14
飯盛女について研究なさってる方はいらっしゃいますかね?
どなたかご存知なら教えてください。
542 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:08:33
しらん
543 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:47:32
544 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 14:40:45
アナルセックス専門の売春婦っていたのかなぁ?
545 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 17:12:51
>>540 料亭の仲居になったりお茶屋に勤めたり。
まあ身体を売ってるのには変わりはないね。
江戸は男余りだったので気質の職人の女房になるってことも可能だったのでは。
546 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:21:09
>>432 遅レスだが今は一部のその手の旅館とか除けばそれはないよ。
せいぜいしてくれてもお酌が限度。でもこう考えると江戸時代って酷いなあ。
やっぱり女性の地位がだいぶ低かったんだろうな。
飯盛女っていわば今で例えるなら旅館の仲居さんやホテルの女性従業員が
男性客の性欲処理係もしてるようなもんだろ。ほんとそう思うと酷い時代だな。
洗濯女ってのもいたよね
548 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 06:17:42
なんで男の人つーのはそんなやりたいのか、と考えてしまいます
ワテは女なんでよくわからん
それにしても江戸時代、女性の地位が低すぎる
飯盛女として売られ、転売され
もし身請けされたとしても、ダンナが困窮すればまた売られるかもしれないわけで
結局「モノ」やってらんねー!と思う
ちょこっとだけ飯盛女のことを調べてる者でやすが、この間、成覚寺と文殊院で
線香あげて手を合わせてきましたですよ
現代の日本に生まれてよかったね。
550 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 14:43:15
>>549 現代の日本もリーマンは奴隷になりかけてます
江戸時代の悪代官とか廻船問屋に生まれてみたかったな。
接待におぼこ娘を差し出されるような。
当時は今みたいに処女性に価値はなかったらしいけどね。
552 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 04:47:08
だからなんでそういう発想なん?
今の時代だかやらないってだけで、結局女はモノって考えてるわけ?
やれればいいの? 男の人は?
「山吹色のまんじゅう」もらうくらいにしとけばいいじゃん?
処女性に価値とか・・・結局、男の心根つーのは変わってないってことなんかね
そんな人ばかりじゃないと思うけど
今の日本でも事実上「モノ」扱いで売買されている女性は
いるよ。
554 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 05:38:13
いやーだから、今そういう人がいる、とかいない、とかいうことを言ってるんじゃなくて
なんでそういう人が出るんかっていうこと
だってそれは、根っこを考えたら男の人が「やりたい」からでしょ
女の人がモノ扱いされるのは、男のそういう発想があるからでしょ?
なんでそうなの?と思うわけ
人間をモノ扱いしてまで(つまり人間じゃないようなあくどいことをしてまで)
やりてえのかよ、っていうこと
555 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 05:39:55
>>554 基本的に牝という生物が発生するようになった原因が生殖の為である
から、生殖の為の存在と女性を捉えるのは本能的には普通でしょう。
物ではなく、生殖を司る存在として見るので、単純に考えると生殖
行為をする対象となる。
つい最近まで、いろんな意味で力の弱い女性の立場は、歴史上
ずーっと苦しかった面もあると思います。
ただ、それは女性だけの問題じゃなくて、有色人種だったり
障害者だったり貧困者だったりの色んな立場の弱い人々共通の
問題でもあったのです。
現代のいわゆる先進国はそういった問題になんらかのフォローを
入れていますよね?それには色々な理由があると思いますが
キリスト教の影響などもありますし
私は世情安定のためということが最大要因だと思います。
おそらく554さんは女性の方だと思いますが、
男のそういった欲望発想というものは別に男性特有のものではなく
女性にもあるものだと、自分は考えます。歴史上の女性の権力者や
現代の一部のお金持ちの女性の行動などは
男性の例と変わりありません。
結局、ぶっちゃけてしまいますと
この世界のセオリーは弱肉強食だということです。
これは自然界の方がより顕著だと思います
また続き書きます
558 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 07:35:33
ディープインパクトの短小に100万個
559 :
553:2005/09/26(月) 08:45:03
女は男よりも価値が低い男尊女卑って考えや、労働生産性が低いとかいう事情があって
また一方で、男にはヤリタイっていう本能があってそのためには金出しちゃう。
んで、飯盛女みたいな性商品としてのモノが生まれちゃうんじゃない?
労働力としてのモノってのは奴隷みたいな例があるし、立場の弱い人たちはモノ化されて
搾取されちゃうんだよね。
561 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 14:40:12
でもなんだかんだ言っても、女はやられるのが好き。
俺もやるまではなんだかんだで必死だが、やり始めたとたんに冷めて下を
眺めると俺より気持ちよさそうにしてる女がいたりする。
そんなに気持ちいいんならもったいぶるなよ。と、いつも思う。
飯盛女も一概に不幸だとか搾取だとかは言えないんじゃないか?
不細工でダンナに相手にされない普通のおかみさんより、毎日いっぱい
気持ちいい思いしてて、案外幸せな暮らしなんじゃないの?
って結婚されたら奥さんに
お嬢さんが生まれたらその子に伝えてあげてくださいね。
>>562 女嫌いなので、結婚もしなければ子供も作らないよ
ウホッ
女だって優位にたてば男を買ったりレイプしたりしてるだろ。
現代日本の出張ホストとかシベリア抑留のソ連兵とか。
たまたま今までは男が優位に立つ機会が多かっただけ。
566 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 02:08:17
なんでやねん
567 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 07:46:54
なんでやねん
保守
569 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 00:45:08
4年目を超えたか。
570 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 12:36:25
江戸時代って男は普通に処女好きなんじゃなかったっけ。
571 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 00:33:37
さあ?どんな時代でもそういうのって人それぞれだったんじゃあない?
飯盛女や女郎の人権云々言ってるけど、日本は基本的にフリーセックル・オーラルセックルの文化
(夜這いとかね)ですから。
売春イクナイ、人権蹂躙イクナイと言い出したのは、明治になって西洋人が「喪前らフリーセックル
イクナイ!」と言いつつ売春婦を買っているのを見た政府が禁止しただけで、基本的に今でも
変らない。
援助交際で女子小・中・高生が売春をしているということを、マスメディアが面白おかしく報道
していたけど、これも日本の文化をあえて無視して騒いでいただけ。
ちうか、村単位のコミュニティが崩壊してしまったからしかたがないけど、ある程度の年齢に
なったら、男女とも『夜這い』(経験十二分のオバチャンやオッサンが筆卸や初割をし、セックル
関連の作法を教える)というシステムは、原始的に見えるけど極めて文化的で効率的だと思ふ。
長々と書いたけど、つまりは、現代の人が考えている程セックルを神聖視していない上に、現金
収入(というか収入そのもの)が少ないので、現代の主婦や娘サンがサービス業にバイトに行く
のと変らないわけよ。
(若くて体力があり、イキがいい物程良いってのは今でも変らんし)
リーマンだって、金のために満員電車に詰めこまれて出勤し、夜遅くまで残業なんてのは、
はたかた見たら女郎の苦しみと変らないしね。(まさに苦界)
>>554 人間を物として見るというのであれば、特定の権力者以外の人間は特定の権力者から見れば
ソイツの所有物であり、それは昔も今も変りません。(リーマンやなんかを見りゃわかるでしょ?)
そのカースト制度を容易に抜け出して、被支配者が支配者になれるのが、民主主義というものです。
ちなみに、女性の権利云々とありますが、近世までは一部の人間(坊主とか公家、上級の武家)
を除き、現代よりも女性の方が強かったのです。(生きる事自体がかなりリスキーであったり、
「家」の実務権限を握っていたので。むろん、男女問わずDVもありましたが。)
「上州(群馬県あたり)名物カカア天下とカラっ風」という言葉がありますが、この言葉は、女性が
よく働き「家」の経済を握っており、男性よりも女性の方が強かった事を端的に表しています。
(ちなみに男性は、農閑期などは芝居見物やファッションに熱中して遊んでたw)
それに、「売られた」女性は極貧の家庭出身の者であり、一族を生かすため、ほとんどのケース
は「本人同意の上」での事ですので、しかたがないことではないのでしょうか?
ちなみに「やりたい」云々ともありますが、それは男女問わずジーンの成せる技であり、キリスト
教で言うところの『原罪』ですので、御勘弁ください。
(その事を話題にすると、無限ループにおちいり、有意義な結論が出なくなります)
興味がありましたら、夜這いなどを調べてみるのも一興ではないでしょうか。
>>556 逆だよ。元々、単性生殖で済んでいたけど、バリエーションに乏しいと環境の変化とかで全滅
しちゃうから、メスが発生し、さらに生殖が効率的に行われるように、メスから分岐してオスが
できたってのが、今時の説。
生殖に便利なようにクリトリスが発展してペニスになったわけだね。
(だからクリトリスは充血し勃起する)
ちなみにクマノミって魚は、全部オスで産まれ、生殖を済ますとメスになり、産まれた若いオスと
セックルするという、エロ同人書いてる人にはネタとして興味深いであろう魚です。
574 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 12:02:55
わかったようなことを書いてるがメスから分岐説とオスから分岐説は
まだ確定してないのでは?
片側の説だけ読んで信じこむのはみっともないよ。
それに「クマノミは・・・」ってのもすごく恥ずかしいね。
魚類にはクマノミに限らず、オスからメスに性転換するものは多いよ。
身近なところではクロダイもスズキもそうですね。
573の書いてることってすごく薄っぺらで退屈。
575 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 21:25:46
飯盛女、洗濯女、湯女もいましたw
茶汲み女もね
577 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:23:58
まあ漏れも短大時代は、ヘルスやソープでバイトしてたことあるし。
じゃあ俺はゲイバー
二丁目
581 :
日本@名無史さん:2006/01/13(金) 23:36:40
582 :
日本@名無史さん:2006/01/14(土) 10:42:21
名前の由来ははっきりしないけど・・・。
一説では、奉公の身で食事もままならなかったから客の残した朝ごはんを
いただこうとわざと客がご飯を残すように山盛りにしたからだとかいわれてるけど。
飯盛女ってのは、簡単にいえば各宿場にいる娼婦。もちろん私娼。
そのため一応は奉公人という事になっている。
ただ、私娼とはいっても時代によっては幕府から「各宿場に何人までしか飯盛女
をおいてはいけない云々」と制限も受けてます。
補足)
韓国のカラオケで横に座る女とか、カンボジアの散髪屋で髪切った後「やりますか?」って女と同族。
583 :
日本@名無史さん:2006/01/24(火) 22:22:49
584 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 09:53:34
飯盛り女の娼婦って実際のとこどの程度のレベルだったの?
抱いたりするくらいか、それとも本番行為までさせられていたの?
おまえ、童貞か?
抱くだけで金なんか払えるわけないだろ。
本番中出しは当然だ。
586 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:48:22
当時「女を抱く」というのは、「本番中出し」という意味のことだよ。
戦前までは、当然、そういう意味だった。
587 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 03:43:20
588 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 10:56:42
どうだろうか やっぱり病気は恐いし 生だったかは疑問 紀文がコンドーム 使ってたらしいし
紀文がコンドームってのは初耳。
性病対策として本番中出しした後、女性は一度客の前から去り、
別の場所で棒を使い精液を掻き出す(高級な場所だと風呂に入って洗浄)
その後、また、客の前に出るって読んだことがあったけど・・・
590 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 13:09:09
見ず知らずの親父にけつの穴へぶっこまれる
それも毎日、10年続く、逃げることもできない
そう考えると俺だったら性病の前に発狂するよ
50過ぎのデブなバアさんたちのマンコに10年ぶちこめと
契約を勝手に親がしたとしても同じく発狂するよ
↑しみったれ
592 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 18:03:42
一発 なんぼやったんやろか?w
593 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 18:10:50
/: . /: . : . : i: . l: . : . ヽ: . l: ヽ
/: ./: .l: . l: . } ,|r ハ''iト|! : }: . :|: . '、
ヽー‐、、__ ,: .|: .l.ト、: |: ノ´ __.ソ レイ: . : .|: . :',
ヽ ', ト--、 !ハ:.|: :|こ` ´ ´ ̄ 〃: |: . : . ト、: l
ヽ ', ' | 〉-、 ヽト、弋_ノ、 |: . : . レ: .|
ヽ / 〉、 ,';''' r ' ´ヽ |: . : . |: . l 一発、飯いっぱいの駄賃だよ!
ヽ / / |、 ,' { ヽ ', |: . : . .|: .,'
ヽ_、、_,、 / / ,': . ヽ, ヽ. _丿 |: . : . :.|:/
,>^// jヽ , ' ,゙: . : . | ヽ、 ,|: . : . ;|': . ヽ,
l l | ! l^!'>' l: . : ...:|  ̄`! /l: . : ./|: . : . :|
ヽ ' ' レ / |: . : . :|_ __ ノ´ノ /,': . :./、,_: . /
ヽ ', ト|: . :l.| // /_ ,イ: . ///`ー、ー、
.〉 } /`ー'´',: ..リ/ | ,'-=ヽ//:/ / ヽ;.|
/ / ̄`ヽ ヽ| | | ' / / イ | ー-ゝ、
/ /'ヽ || | /、 \,|/-‐,、 '´ |、| l_
/ / | || | /___\/^〕 ̄ / '|
{ ノ _,| || | /´ ´メーl \` ー‐ ' \_ /
l _,´ -‐ヽ_ノ__/-レ' / / ヽ /、ヽ_ / /
{ / { 〉 / ヾ / /
594 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 22:56:03
飯盛り女の場合は、見ず知らずの相手ということもあったとは思うが、
吉原の場合は、遊女相手といえども浮気は厳禁だった。
男は一度決めた相手にハメまくるしかなかったんだよ。
浮気などしようものなら、総すかんで、吉原からは永久追放ってこと。
浮気って吉原でも2・3度か通って(裏を返すだっけ)馴染みになっての話だよね。
初会ばかりを続ければ吉原でもあまり問題ないんじゃないのかな?
596 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 22:22:57
まあ、そうだね。
597 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 13:01:55
飯盛り女って上は20代後半から下は10歳くらいまでいたらしいが。
10歳とか犯罪もいいとこだな。こういう側面から見ると江戸時代って
やっぱり暗黒時代だったのかも・・・。
598 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 19:22:33
寿命も短かったし、結婚も早かったし。
そんなところだけ見て暗黒時代と呼ぶのもなんだかねぇ。
現代でも少女売春あるしな。赤坂のプチエンジェルとか
600 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 14:47:54
601 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 23:32:34
仲居やホテルの女性従業員が売春婦兼務。それが飯盛女。
602 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 00:08:09
つーか、数えで15というからいまの13歳くらいでの結婚がふつーにあった
時代だろ。
603 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 11:16:26
だろう。
605 :
日本@名無史さん:2006/04/30(日) 15:05:48
まじ?
606 :
日本@名無史さん:2006/04/30(日) 15:07:45
本質的に神を持たない日本人は売春も不倫も悪いとは思っていない
607 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 16:39:01
608 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 17:10:49
>>606 本質的に神を持つという神ってのはどんな神かいな?
日本にも神様は大勢いるぞ。
609 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 18:58:02
キリスト教にしろユダヤ教にしろスラム教にしろなぜか淫行はご法度なのに
日本人はOKだよね。乱交とか夜這い文化とか。
610 :
定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/05/28(日) 19:00:25
〃
(`・π・)
σ σ めちっ!あが!
611 :
定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/05/28(日) 19:33:36
,,ゞ.ヾ\\ ゞヾ:ゞヾ ノノ ゞヾ . ゞヾ ゞヾ .ゞ;ゞヾ;ゞゞ;ゞ
ゞヾ ,,.ゞヾ::ゞヾゞ:ヾ ゞ:.y.ノヾゞ..ヾ .ゞ,'ヾ ゞヾゞ ;ゞヽ,.ゞ:,,ヾゞヾ;
ゞヾゞ;ゞゞヾゞ;ゞiiiiii;;;;::::: イ.ヾゞ, .,; ゞヾゞ___// ;ゞ ゞヾゞ;ゞ
ゞヾ ゞ;ゞ iiiiii;;;;;::::: :)_/ヽ,.ゞ:,,ヾゞヾゞ__;::/ ゞヾゞ;ゞヾ;ゞゞ;ゞ
ゞヾゞ;ゞ iiiiii;;;;::::: :|;:/ ヾ;ゞゞ;ゞ ヾゞ ,
ヾ;ゞゞヾ;ゞゞ |iiiiii;;;;::: : |:/ ヾゞ `
ヾ |iiiii;;;;;::::: ::| ` `
` |iiiiiiii;;;;;;::: :| ` ` ` ` ,
` ,|i;iiiiiii;;;;;;::: :| ` ` ` ` ` ` `
` |ii,iiiiiii;;;;;;::: ::| ` /^l いあ いあ すとらま ,
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` |iiiiiiii;;ii;;;;;;~ :ミ .,/) 、/) ハ,_,ハ
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` |iii;;iiiii;::;:;;;;::: ミ,, , , ミ ミ,;:. ,ッ
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,.,.. ,v.vv..v. v,,,v.. ,,,v,.,.. ,..v.vv. ,,,.. vv,,,,.,.. ,.v... ,v,v,..vv ,,,v,v.,.v. v,...v. v,,,.v.v ,,,v,v.
326 はじめまして名無しさん sage 2006/05/28(日) 19:44:10 ID:???
325 はじめまして名無しさん sage2006/05/28(日) 19:43:25 ID:???
44 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2006/05/28(日) 19:43:11 ID:BJI0m0CJ
260 マロン名無しさん sage 2006/05/28(日) 19:42:35 ID:???
324 はじめまして名無しさん sage 2006/05/28(日) 19:38:57 ID:???
322 はじめまして名無しさん sage 2006/05/28(日) 19:33:29 ID:???
298 はじめまして名無しさん sage 2006/05/28(日) 18:01:19 ID:???
ちゅうがMとラブホでいちゃいちゃしてるとき
行殺は一人寂しくオナニーしこしこ
613 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 22:32:40
614 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:39:30
ゆなって何?
615 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:45:02
湯女
616 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:49:40
湯女風呂
徳川家康が江戸入りし、開発の進む中、建設に従事する労働者にとって
砂塵や汗を洗い流す大衆浴場は必要不可欠なものとなりました。
労働者の大半は男ですから、男が集まるところに「女」は付きもので、
やがて銭湯にもあやしげな気配が漂ってきます。
それが「湯女風呂」です。『慶長見聞集』には湯女風呂について次の
ような記載があります。
「今は町ごとに風呂あり。びた拾五文廿銭ずつにて入る也。
湯女といいて、なまめける女ども、廿人、三十人と並びいて、
垢をかき、髪をそそぐ。さてまた、その他に容色よく類なく、
心ざま優にやさしき女房ども、湯よ茶よと云いて持来りたわむれ、
浮世がたりをなす。こうべをめぐらし一度笑めば、百のこびをなして
男の心をまよわす。」
現在のソープ嬢か韓国垢摺り嬢ってとこかな…
617 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 22:22:45
やっぱり中出しするのか?
618 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 11:38:50
あたりまえ
この前、デリヘル嬢に
「いいじゃん。いいじゃん。」
と言いながら本番に持ち込んだら
「中に出さないでよ」とか言いやがった。
「うん。うん。わかった。わかった。」
と答えたけど、結局中に出してやったよ。
プリプリ怒ってたけど、まぁ、その場だけだしな。
619 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 19:55:50
エイズ確実だな
620 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 22:28:44
この世に病気がなければ、どんなに自由であろうや。
621 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 22:36:23
宿屋飯盛さんていたよな?
宿場町とかでは、幕府の御用を務めるために馬やら宿泊施設やらの維持費が必要だったが普通じゃ赤字で維持できない
だから飯盛女という名の売春を黙認した
623 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 20:46:22
このスレまだあったのか!
飯盛女なのに長寿だな〜
624 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 23:38:58
まもなく5周年やな。
むげにん
626 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 10:53:34
age
627 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 13:22:58
飯盛女というと、
勝新の座等市で
いっつあんが足を洗ってもらったり
おにぎり食べてるシーンがうかぶ
628 :
適宜改行:2006/10/25(水) 02:10:47
雑学 大航海時代に生まれた言葉だったのか!?
「正常位」っていったいどこが“正常”なんですか?
http://r25.jp/index.php/m/WB/a/WB000100/tpl/rxr07_11/bkn/20060831/id/200608310107 誰もが知ってる日常語なのに、どうしてなのか辞書には載ってない。そんな言葉って、意外とたくさんあるものなんですよ。
たとえば「正常位」。いや、いきなりエロスな話題で恐縮ですが。キッパリ“正常”と言い切ってる以上、健全な話題として然るべき解説を行ってもいいわけじゃないですか。だのに、こればっかりはみんな口をそろえてダンマリ。
そんな有様では、正常位って本当に“正常”なの?てな疑問すら、わいてきますよね。というわけで、正常位が“正常”である根拠について調べたのですが…なんかシックリこないんだ。
そもそも。日本には「四十八手」と呼ばれる、江戸時代に完成した体位の分類がありまして。そのなかで、いちばん正常位に近い型の呼称は「本手(網代本手)」または「本間どり」。
「本」って字が入ってるんだから、ベースとなる体位なんだな、という連想はできるものの、これが正常位って言葉の原型になったとは、どうにも考えにくい。
そこでさらに調べると。どうやら正常位の“正常”って概念は、輸入モノのようなんです。「missionary position」、直訳すれば「宣教師の体位」というのが、欧米における正常位の呼称。
文献によれば、15世紀半ばから始まった大航海時代に、世界各地へ赴きキリスト教をひろめた宣教師たちが、赴任先の皆さんに “もっとも適切なスタイル”としてこの体位を指導したことから、この言葉が生まれたんだとか。
つまり、この場合の“正常”ってのは、キリスト教のおしえに基づいたもの、だったんですな。
ちなみに。この「宣教師の体位」がいつごろ、如何なる理由で「正常位」という日本語となり、一般化したかについては、残念ながら未詳。
性に関する文献の収集家として知られる松沢呉一氏によれば「第2次大戦後に普及した言葉である可能性が高い」とのことなんですが…。
いったいあの体位を“正常”としたのは、誰なのか? 今宵二人でゆっくり考えてみてはいかがでしょう…なんて、エッチね!
(石位敏郎)
正常位など体位の歴史についてマジメに考察してはどうだろう。
16世紀以前の絵画にある性行為の体位はどんな種類があるの?
629 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:45:34
宿屋飯盛のお墓に明日お参り。
630 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 11:24:34
飯盛女ってすごくかわいそうだよな。
家が貧しいがために身売りを余儀なくされて、売春婦にされる。
毎日、交代ごうたいで沢山の男の相手をさせられ、病気などになり若くして
亡くなる。沢山の男の相手があってもそれらは男の欲望のためであり愛のある
男女の関係にはほとんどまず巡り合うことなく亡くなる。
亡くなった後は雇っていた宿屋からは用済みで無縁仏として葬られる。
昔はこういうのって当たり前だったのかもしれないけど今の感覚・価値観で生きている
俺らからしたらあまりにも残酷で気の毒でかわいそうで仕方がない。
631 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 11:28:06
>>630 全く同じ状況は海外じゃ今でもいっぱいあるのに「今の感覚・価値観」
なんていうのはおかしくない?
地球規模で共有されてる感覚や価値観で
現在限定のものなんてそうそうない以上、
「今の感覚や価値観」って言ったら
地域限定のものと解釈するのが当然だと思うけど。
近代でも現代でもよくあったろうな
親の借金の片に風呂屋に沈められて・・・
古今東西男はタコ部屋女は女郎ときまっとる
ホス?
636 :
日本@名無史さん:
ん