1 :
日本@名無史さん:
邪馬台国はどこだ!なんて論争ずっと長い間続けているけど
結論から言うと邪馬台国=ヤマトで奈良県にありました。
女王卑弥呼は日巫女で太陽信仰の巫女にすぎない。
当時、戦争や政治の重要なことは神にお伺いをたてない
となにもできなかったのです。それで外から来た人には
まるで巫女が実権を持っている女王のように見えたのでしょう。
2 :
日本@名無史さん:01/09/10 10:25
学校、もう始まってるよ>1
秋田に「八幡平(はちまんたい)」っていう地名があります。
地元の人とかは「やまたい」と読めるから秋田が邪馬台国だったと
言ってます(一部だけですけど)。
4 :
日本@名無史さん:01/09/10 11:55
>>3 八幡平=「やまたい」って訓読みじゃん。
せめて音読みに地名だったらわかるけど。
ふつう、平は何て読むと思う?
日本平はニホンダイラだろ。
じゃ、なぜここはタイなのだろう?
そう、はじめにヤマタイという音があって
あとから漢字をあてはめたからさ。
>>4 訓読みだからっていうのはあまり関係ないと思いますよ。
だったら「大和」は音読みで「だいわ」だから全然関係なくなってしまいますよ。
>>5 秋田の「八幡平」が邪馬台国かどうかは別にして、地名って結構言葉の音の当て字
だったものが後にその漢字を別の読み方をして、更にまたその音から別の字が当て
られるというのがありますよね。
例えば実際のものが思い浮かばないので架空のものですが「しょうない」という地
名が「小内」という字に当てられ、時代を経るに従って「おうち」って読まれ、ま
たその当て字で「大内」になったりと・・・。
7 :
日本@名無史さん:01/09/10 20:46
宇宙戦艦邪馬台
8 :
日本@名無史さん:01/09/10 20:58
昔、テレビで邪馬台国、卑弥呼を当時の中国の
音で読むとどうなるかやっていたよ。
たしかに邪馬台は「ヤマト」に近い音だった。
「ヤマトゥ」みたいな感じ。
ちなみに卑弥呼は「ハ(ヒ)メホ」
1の言うこともあながち間違ってないと思う。
9 :
日本@名無史さん:01/09/10 21:09
九州にもヤマトって地名あるけど、知ってるよね?
10 :
日本@名無史さん:01/09/10 22:44
>>9 でも、その「ト」の発音が甲類なのか乙類なのかという論文もあったりしたよね。
>>他の方々
ちなみに、「大和」と書いて「やまと」と呼んでいるけど、元々は「和」のみで
「やまと」と読むんだ。
漢風の国号って、冠に「大」をつけることが多いからね。
今風に言えば、「大日本」と書いて「にっぽん」て言うようなもん。
もちろん「和」は、魏の人達が書く「倭」という字が屈辱的な表現だったので、
美しい字に変えたもの。
ただし、東夷伝倭人条にある「倭」と、倭王武の「倭」が同じものかどうかは、
学者により解釈が違うけどね。
11 :
日本@名無史さん :01/09/10 23:11
>>10 なるほど。「和歌」「和文」「和服」とかいう様に「和〜」って表現
するのもね。
でも漢風の国号の冠に「大」ってついてるの見た事なんですけど・・・
中国は一字国号は自分たちだけ、二字以上の国号を周辺の蕃国に付けて
いたのでは。それとも何か外交文書などで名乗る時に「大」を付けるん
でしょうか?
12 :
日本@名無史さん:01/09/10 23:18
秦って、「大」秦だったような気が(間違いかな?)。
今のヴェトナムが「大」越と名乗っていた。
蒙古人が漢民族を支配していた時、「大」元と名乗っていた。
他にもあったような・・・。
漢民族の王じゃないじゃないかと言われるかも知れないが。
向こうはオーバー目の表現が多いでしょ?
13 :
日本@名無史さん:01/09/11 00:35
>>10 >元々は「和」のみで「やまと」と読むんだ。
出典何?そんな事例あるのか?
14 :
日本@名無史さん:01/09/11 02:39
>>13 俺は10じゃないけど、広辞苑で調べてみたら下記の通り。
初め「倭(やまと)」と書いたが、元明天皇の時国名に二字を用いる事が定められ
「倭」に通じる「和」の字に「大」の字を冠して大和とした。「おおやまと」
出典はわからんかった。
15 :
日本@名無史さん:01/09/11 08:36
>>12 ちょっと典拠は忘れたけれども
漢も唐も宋も、全土を支配した帝国は基本的に「大」を自称すると思う
「大漢帝国」とか「大唐帝国」とか
16 :
日本@名無史さん:01/09/11 09:02
なぜ和になったか推測するとおそらく倭という字があまりよい意味の
字でないので、同じ音の和に変えたのではないのでしょうか?
邪馬台国の風俗地理は外国で
ある中国からみた姿である。ヤマトの一地方である
九州北部の地理風俗を邪馬台国(ヤマト)全体
がそうであると勘違いして本国に伝えた可能性
は十分ある。
ヤマトの地名が各地に残っているのはそこがヤマトで
あったわけではなくヤマトから移住したひとがつけた
のではないどろうか?たとえばニューヨークとみたいな
感じで。それかヤマト人村とか。
たしかに九州の地名と畿内の地名は共通するものがあります。
ヤマト族の九州→畿内への移住もしくは畿内→九州への移住があった
のかもしれません。
17 :
日本@名無史さん:01/09/11 09:34
他にも山門(やまと)って地名あるね。福岡だったっけ?
18 :
日本@名無史さん:01/09/11 09:49
魏志倭人伝に書いてある邪馬台国の位置は
はっきりいって信用できない。
19 :
日本@名無史さん:01/09/11 09:55
魏志倭人伝ってそんなに信用できるのか?
あの時代に、こんなド田舎まで飛ばされてくるような奴の書いたものだし。
20 :
日本@名無史さん:01/09/11 10:48
>>19 呉と対峙している魏にとって倭は重要な国だったはず。
決していいかげんな人物を派遣したとは思えない。
ヤマトって関東地方にもありますぜ、上総や安房地方にも和歌山方面
からの同地名があるんで、農家の人に聞いたら祖先は関西から移住
したとか、おっしゃてた。
22 :
日本@名無史さん:01/09/11 12:50
ヤマトは、
倭−大倭−大養徳−大倭−大和
と変わったんで、大倭(ヤマト)−>大和(ヤマト)であり、
『元々は「和」のみで「やまと」と読』んだ例を聞かない。
出典はなんだ?
23 :
日本@名無史さん:01/09/11 13:07
>>21 千葉には勝浦とかあるし、熊野神社も多数ある。
最近でも和歌山からよく地引網を引くために出稼ぎに来ていた。
船で来ていたかどうか不明だが・・。
24 :
日本@名無史さん:01/09/11 13:14
>>6 京都の宇治市の宇土口(うとくぐち)が
ウトロになったのと同じですね。
あのですね、魏志倭人伝を伝える写本には「邪馬台国」ではなく、「邪馬壹国」(やまいちこく)と書いてあるんですよ。
ヤマタイコクなんて何処にもなかったんですよ。
存在したのは「ヤマイチコク」ですよ。
奈良の「大和」は新羅の元号「太和」から来ているんです。
邪馬壹国とは何の関係もないんです。
だから、大和中心の「日本書紀」には邪馬壹国の記述は何処にもないんです。
では、邪馬壹国はどこにあったのか?
もちろん九州ですよ。
27 :
日本@名無史さん:01/09/11 13:50
ほんとかよ
28 :
日本@名無史さん:01/09/11 13:58
>25
現行『三国志』の最古のテキストは12世紀にまでしか
遡れず、全て写本ではなく木版印刷の形で伝えられて
いる。また、『隋書』などの記事から、『三国志』には元来は
「邪馬臺國」とあった可能性が高い。
29 :
日本@名無史さん:01/09/11 14:01
ヤマイチか。
倒産しそうな名前でやだな。
30 :
日本@名無史さん:01/09/11 14:13
>>25 邪馬壹国の読みを現代日本語の音で読むと「ヤマイチコク」
ですが、「ヤマイツ」とも読めます。
それに、その当時の中国語の音がどうだったかわかりませんが
ヤマトを漢字にあてて「邪馬壹」とした可能性は十分ありえます。
現代中国語でアメリカのことを美国というけどあれは美利根
(メイリケン)からきているし、ワシントンのことを
華盛頓(ホアシェントン)モスクワのことは莫斯科
(モスクー)だから、漢字の音にむりやりあてはめている
ところもあって現地の人が言ってる音とは違ってきている
こともあるのです。
ですから仮に「邪馬壹」であっても「邪馬壹」
は「ヤマイチコク」であるから「ヤマト」ではないとは一概に
言えないのではないのでしょうか?
なにせその当時のヤマトの人の発音さえわからないのだから
ひょっとすると「ヤマッチ」って発音してたかもしれません。
>奈良の「大和」は新羅の元号「太和」から来ているんです。
かりにそうだとしても、なぜ「大和」を「ヤマト」と読む
のですか?
31 :
日本@名無史さん:01/09/11 14:16
ちなみに現代広東語で「壹」の発音は「ヤッ(yat)」
32 :
日本@名無史さん:01/09/11 15:21
>>15 それ後の歴史学での呼び方では?
それになんで明、清王朝が「大明帝国」「大清帝国」って呼び方がないんだろ?
33 :
日本@名無史さん:01/09/11 18:17
34 :
日本@名無史さん:01/09/11 18:25
つーか、全土を統一してなくても必ず支那王朝の国号は「大○」だぞ
#もっともどっからどこまでが全土だか分からんが
>>29 ツガルなどの多量の不良債券により既に破算しました
36 :
日本@名無史さん:01/09/12 00:00
>>34 >つーか、全土を統一してなくても必ず支那王朝の国号は「大○」だぞ
なるほど「大和」は支那王朝の支配した「和」なのかもな。
白村江に勝ったし。
37 :
日本@名無史さん:01/09/12 00:19
「大〜」ってあくまで尊称でしょ。だから王朝自らが「大〜」なんて言
わないよ。それは周辺国家とか後世のもんが言う文句。
中華帝国の国号は「漢」「明」「宋」っていう様に一文字だよ。もちろ
ん「後漢」「東晋」「南宋」だってこりゃ歴史学の用語で「漢」「晋」
「宋」だよ。
38 :
日本@名無史さん:01/09/12 02:20
男性・単数・主格:ιαματοs
中性・単数・主格:ιαματο
女性・複数・主格:ιαμαται
中性・複数・主格:ιαματα
39 :
日本@名無史さん:01/09/12 10:48
>>37 ちがう。たしかに「大」とつかないのもあるが、つくのもある。
40 :
日本@名無史さん:01/09/12 10:51
>>37 三国志のいわゆる蜀漢の国号って「大成」じゃなかったっけ?
41 :
日本@名無史さん:01/09/12 12:09
42 :
日本@名無史さん:01/09/12 13:09
?
いきなり邪馬台国が消滅してヤマト朝廷が出現するのって
すごく不自然な気がしてたのですが・・。
ヤマタイ=ヤマト否定論者はこのミッシングリングを
埋めてください。
山奥の大国
↓
山の大国
↓
ヤマタイコク
↓
ヤマタイ
↓
ヤマト・・・かな?
45 :
日本@名無史さん:01/09/12 14:05
山人=ヤマトだと思う。
46 :
日本@名無史さん:01/09/12 16:59
いきなり邪馬台国が消滅してヤマト朝廷が出現するのって
すごく不自然な気がしてたのですが・・。
ヤマタイ=ヤマト肯定論者はこのミッシングリングを
埋めてください。
47 :
日本@名無史さん:01/09/12 17:01
48 :
日本@名無史さん:01/09/12 17:03
49 :
日本@名無史さん:01/09/12 18:01
>>37 尊称じゃない。自称。
「大明」「大清」と自分から名乗ってる
50 :
日本@名無史さん:01/09/13 10:30
魏志倭人伝での記述を見ると倭はまるっきり海洋民族で、農耕民族のかけら
も見当たらない。もう既に稲の栽培は始まっていたはずなのに。
これからみても魏志倭人伝はとても日本の風俗地理を正確に記述したもの
でないことがわかる。
51 :
日本@名無史さん:01/09/13 10:34
親魏倭王の印が発見されればなぁ。
52 :
日本@名無史さん:01/09/13 10:34
53 :
日本@名無史さん:01/09/13 10:52
ヤマ=山が語幹で
木の国・火の国と言うように山の国が後ろに尊称である
タイ・トが付いたのでは?
54 :
日本@名無史さん:01/09/13 10:57
山城(山背)は山(奈良)の後ろという意味。
55 :
日本@名無史さん:01/09/13 12:52
山門(戸)が語源。
56 :
日本@名無史さん:01/09/13 16:50
57 :
日本@名無史さん:01/09/13 17:35
山本も関係あるそうです。
58 :
日本@名無史さん :01/09/13 17:44
奈良時代までは「土(と)」には「クニ」という意味もあった。
角川や小学館の「古語大辞典」調べてみるとよろし。
59 :
日本@名無史さん:01/09/13 17:49
60 :
日本@名無史さん:01/09/13 18:03
「耶麻臺」を中古漢音(後漢〜西晋時代)で発音すると
「ia-mba-'to」
61 :
日本@名無史さん:01/09/13 18:28
よりどりみどりですな。
>>50 日本人が稲だけを食ってたと思ってる君は馬鹿。
63 :
日本@名無史さん:01/09/13 18:48
神皇正統記には
山があった場所という意味
だって乗ってたぞ
65 :
日本@名無史さん:01/09/13 21:25
山処が語源。
66 :
日本@名無史さん:01/09/13 21:28
67 :
日本@名無史さん:01/09/13 21:45
木の国 火の国 坂の国 山の国 泉の国 土の国
68 :
日本@名無史さん:01/09/13 21:53
貧乏人は麦を食え!
69 :
日本@名無史さん :01/09/13 23:13
「ヤマト」はサンスクリット語の「ヤヴァ・ドウィーパ(穀物の地)」が語源とは
おなじみ大野晋(おっとあれはドラヴィタ語が専門か)
70 :
日本@名無史さん:01/09/14 12:29
ヤマトはウリナラ起源ニダ!
筑紫の八女が邪馬台。
72 :
日本@名無史さん:01/09/14 14:09
「あれは何か?」「山たい」九州の言葉に決まってるだろうが。
73 :
日本@名無史さん:01/09/14 23:24
それは飲み屋でだべる駄洒落だろうが!
74 :
日本@名無史さん:01/09/14 23:43
大元のみ、正式に”大”がつく。
邪馬台国をどうしてヤマトに結び付けないのか、幼いころから
不思議に思っていました。結びつけている学者もいるので
しょうか?はっきり断言している書籍あれば教えてください。
そもそもヤマタイだのヤマイチだの現代日本語の発音から
考えているのが???だと思うが?考古学者と言語学者って
仲悪いの?
76 :
日本@名無史さん:01/09/18 23:40
君はオコチャマらしいけど、チョットは勉強してよ!
図書館にいって、検索してご覧。。。ただし古田・安本の著書は見るだ
け無駄。その他に作家系も馬鹿らしいのが多いから止めいたほうがいい!
77 :
日本@名無史さん:01/09/19 00:02
南至邪馬台国 女王之所都
水行十日陸行一月 官有伊支馬
次曰彌馬升 次曰彌馬獲支
次曰奴佳提 可七万余戸
・・・まず、これを全部信じてイイのか?
78 :
日本@名無史さん:01/09/19 00:47
>>77 知らん。
結局、結論がでて初めて魏志倭人伝をどう読むかが決まるのさ。
79 :
日本@名無史さん:01/09/19 00:59
>>77 魏志倭人伝自体がそれより以前の文献を引用している。
そこからわかるのは、邪馬台国の前に倭の都だったと考えられる伊都国までは、
中国からの使者が何度も訪れているということ。
そのため、伊都国までの道程は信用できる。
ところが、新興勢力である邪馬台国へは朝鮮からの使者が訪れているだけで、魏の
都から直接、邪馬台国へ訪れた使者は皆無。信憑性は推して知るべし。
80 :
日本@名無史さん:01/09/19 19:39
なんかあやしいなあ… ほんとか?そんなこと言えるのか?
>1
ヤマトとは麻呂のことダニ!!
汝は誰で御JALか?
>ヤマタイ=ヤマトですよね。
こじつけるなよ。
別に奈良で良いんじゃねーの?
興味ねーし。
84 :
日本@名無史さん:01/09/19 23:52
奈良でよし
85 :
日本@名無史さん:01/09/20 00:17
あおによし
>>75 ヤマト=ヤマタイ としたいからこそ
壱 を 臺 と見立てた。 しかしやっぱり
↑
こいつは「タイ」としか読めなかったので、
「ヤマタイ」が定着した。
とうのも、古田あたりの説でしたか??
これで行くと、国学のあたりから
みんなそうだってことになっちゃうよね??
「ヤマタイ」が定着した後に、場所の検証をやり直したから
今みたいにごちゃごちゃなんだと思っていた。
87 :
日本@名無史さん:01/09/20 14:34
古文学者、漢文学者は逝ってヨシ!
88 :
日本@名無史さん:01/09/20 15:27
壱与はトヨなのかなあ
89 :
日本@名無史さん:01/09/20 18:03
>>50田が無いとは書いてない。良い田はないと書いてある。
風俗は刺青をしていたそうだ。やっぱり、縄文人と弥生人
の連合王国か、支配階級弥生人で、縄文人と弥生人の混血が
被支配階級でそいつらが刺青したりしてたんだと思うんでたぶん
海洋民というか川や海の魚とったりはよくしてたんだと思うよ。
軽犯罪で妻や子を没収、重犯罪で一族皆殺しだってこわー。
どっかのホームページに書いてあったノ丸写しです。
>>88 確かに、古田氏はそうも言っていた気がする。
ワザワザ、「たいよ」とルビふってたんじゃないかな。
「とよ」が成り立つんなら、ますます「ヤマト」が成り立つんだけどネ。
偶然、イヨさんのイと國の名前が同じだったってのが、ありえないのカナ??
って考えること自体、初心者なんだよね、きっと。
91 :
日本@名無史さん:01/09/20 23:47
>>50 >農耕民族のかけらも見当たらない。
まあ、ネタだろうとは思うけど、本気だとしたら、50は
種禾稻紵麻蠶桑緝績出細紵緜
魏略曰其俗不知正歳四節但計春耕秋收爲年紀
をどう読んだんだろうね。
海洋民族って、船の上でおカイコさんを飼っていたとでもいうのだろうか?
92 :
日本@名無史さん:01/09/21 00:53
宇宙戦艦邪馬台
93 :
日本@名無史さん:01/09/25 22:44
入れ墨って日本の古代ではどうだったんですか?
94 :
日本@名無史さん:01/09/25 22:52
ヤクザさ!
95 :
日本@名無史さん:01/10/13 06:23
奈良県天理市にある「大和神社」は
「おおやまとじんじゃ」と読む。
「和」一文字を「やまと」と読むよ。
ちなみに大和神社は日本最古の神社ともいわれています。
96 :
【^▲^】ヤマト退屈男@":01/10/13 06:59
★ヤマトとは麻呂のことダニ!!
97 :
日本@名無史さん:01/10/13 09:02
顔に入墨九州では8世紀までやっていたそうだ。
大和政権が7世紀の始めに入墨禁止令を出して九州で入墨が消えるまで200年近くかかった。
太秦→うずまさ
99 :
日本@名無史さん:01/10/13 13:44
今の奈良〜南大阪の地区と宮崎の地区に2つの邪馬大国(ヤマト)があって、
宮崎から神武天皇が奈良のほうに婿入りしてきたんだヨ。
卑弥呼がいたのは宮崎のほう。(by原田常治)
100 :
日本@名無史さん:01/10/13 14:04
101 :
日本@名無史さん:01/10/13 15:14
そもそも刺青って江南の風習なんでしょ?
102 :
日本@名無史さん:01/10/15 04:03
神武天皇の東征を説明してください。
私も邪馬台国は、畿内だと考えますが、神武の東征が説明できないんです。
103 :
日本@名無史さん:01/10/15 04:08
神武は朝鮮から来たから良いんだよ。
ヤマタイは旧日本人の最初にして最後の政権だったってことだ。
104 :
日本@名無史さん:01/10/15 04:27
神武は邪馬台より前でしょ、東征して大和にきたでいいんとちゃうの
105 :
日本@名無史さん:01/10/15 04:33
どこから東征したん?ってきいてんちゃうの。
106 :
日本@名無史さん:01/10/15 04:46
どーでもいいけど。ダサダサ。
九州、畿内対立って、時流から遅れてない?
最近は出雲も入って3勢力対立が主流じゃないの?
107 :
日本@名無史さん:01/10/15 06:45
神武なんてどうせ史実じゃないんだから関係ないじゃん。
108 :
日本@名無史さん:01/10/15 11:46
へ? 邪馬台ってもともと読みは「ヤマト」でしょ?
おいらの高校の頃の教科書にも邪馬台国のルビは「やまたいこく(やまと)」って
なってるよ。
ただ後の大和国とのつながりがはっきりして無いから便宜的に
「ヤマタイ」と読んで区別をはかってるだけだと習ったけど。
つか、要は九州、畿内説対立の関係で「ヤマト」と読むと文句つけるやつが
いるってことだろうと思うけど。
>>25 >魏志倭人伝を伝える写本には「邪馬台国」ではなく、「邪馬壹国」(やまいちこく)と書いてあるんですよ。
問題の魏誌東夷伝倭人項は「台」と「壹」が混同されているとか
(実際は「台」が旧字体で両者はもっと似ている)。
卑弥呼の死後ひと騒動あって立ったという新女王「壹与」が昔は「イヨ」と
読まれていたのも、今は「台与」が正しくて読みも「トヨ」が有力だった
ような。
これからいっても邪馬台の読みは「ヤマト」でしょ。たんなる当て字だもの。
俺的にはなんで教科書までもが本来存在しない「魏誌倭人伝」を
採用していたのかの方が不思議だ。今の教科書はどう?
109 :
日本@名無史さん:01/10/15 12:04
神武東征は九州勢力から畿内勢力への権力の移動を
反映してるんじゃないの?
110 :
日本@名無史さん:01/10/15 12:57
>>106 神話を見れば、日向と出雲は古くから同盟関係にあったと思われる。
また、神武東征の際、神武は筑紫や吉備などにはなんなく入国していることから、
その当時、既に西日本の各国は同盟関係にあったと想像できる。
結局、神武東征とは、西日本の連合軍が大和を攻め落としたことに他ならない。
そして、その連合軍の中心となった、神武のルーツは日向、吉備の兵のルーツは
出雲だったと考えれば、日本神話の舞台が日向と出雲に限定されていることが
説明つく。
111 :
日本@名無史さん:01/10/15 14:29
弥生時代、倭を代表する国は最初北九州の勢力だったのが、
瀬戸内海の交通の要衝を押さえた大和ー吉備連合が、台頭してきて
北九州の勢力にとってかわったというだけで、国自体の東遷はなかった
と思うよ。
東遷説の弱いところは、なぜ大陸に近い九州を捨てて畿内に国の中心を
移さなければならなかったか、という理由にうまく答えられない所だと
思う。
国の中心は九州のまま、畿内には監視機関を置くだけでいいじゃない。
明らかに伊都国はもとは独立国だったのが女王国に服属しているように
描かれているから、弥生時代の九州勢力の中心地は伊都国周辺で、
東遷などしていないというのが自然だろ?
神武東征の神話は中国史書(つまり魏志倭人伝)との整合性をとり、
大和が古くから倭の代表であったかのように七世紀につくられたものだよ。
神話を根拠にする人は、その神話が七世紀からどれくらい遡れる可能性が
あるのか論証してくれ。
それをやらずに自説を並べてみても説得力ないよ。
112 :
日本@名無史さん:01/10/15 15:22
「邪馬台」を「やまたい」と読む根拠ははっきりしないって聞いたけど、、、
たしか京大が「邪馬台」を「やまと」とよんで「大和」と関連付けようとしたら
東大が「邪馬」は「やま」とよめるが「台」は「と」と読めないと主張したために
「やまたい」とよぶようになったらしいのですが
これをとなえたの誰だかわかるひといますか。
台はトって読めるよ。
訂正読めないかもしれない。
でも美利根はアメリカって読めますか?
115 :
日本@名無史さん:01/10/19 12:46
「めりけん」とよむなり・
116 :
ヤマタイラーメン:01/10/19 13:17
福岡県の朝倉郡には大和と似た地名があるが、何で?(概出?)
あっちから落ち延びてきた人がしのんでつけたの?
>>116 北海道にも大和の十津川から移住した人がしのんで新十津川っていう村作ったからね。
そんなところじゃないか。
118 :
日本@名無史さん:01/10/19 22:57
ahha
119 :
日本@名無史さん:01/10/20 07:51
魏志倭人伝自体が内容むちゃくちゃなんじゃないの?
東夷思想を持った三国人から見た日本なんてクソぐらい
にしか考えてないよ。
魏志倭人伝に耶馬台とあるというけれども、台の字は略体文字であり、ここから読み方に混乱が始まった。
歴史の専門家でさえもが、気付かないでいた問題でもある。簡易化される前の字体をみてみれば、すぐ理解できる。
このインターネットで旧漢字体をどのように求めるのか判らないので、簡単に説明しよう。
台の旧漢字には冠の下に豆がおさまっている。豆は<とう><と>とも発音される。例えば、頭は<とう>と読む。
古代シナでは<と>と、読んでいた。豆は古代シナでは、数字を使うときに用いたもので、20を顕すときは豆を20個置いて数えたという。
豆は栄養上からも欠かせない蛋白元であり、生活上もっとも大切な道具でもあった。
最初、元、礎という意味の壱の旧漢字は冠の下に豆を配置し、一番大事なものの象徴に使われた。
日本では耶馬台と漢字体を変えてしまったから、ヤマタイと読むほか無くなってしまったが、本来はヤマトと読むのが正しいのである。
121 :
日本@名無史さん:01/10/20 14:17
122 :
日本@名無史さん:01/10/20 15:51
>>1ってさあ・・・・・・・・馬鹿、あほ、間抜け。ドジ、ポンコツ、トンチキ、
最低以下の下劣、下等種族、 劣等種族、下衆野郎、腐れ外道、邪道、外道、
非道、ウジ虫、害虫、ガン細胞、 ウィルス、ばい菌、疫病神、病原体、汚染源、
公害、ダイオキシン、有毒物質、 廃棄物、発ガン物質、猛毒、毒物、アメーバ、
ダニ、ゴキブリ、シラミ、ノミ、 毛虫、蠅、蚊、ボウフラ、芋虫、掃き溜め、汚物、
糞、ゲロ、糞虫野郎、ほら吹き 、基地外、デタラメ、ハッタリ、穀潰し、ろくでなし、
ごろつき、、ヤクザ者、 社会の敵、犯罪者、売春婦、反乱者、前科者、インチキ、エロ、
痴漢、ゴミ、シデムシ、 ゴミ虫、毒虫、便所コオロギ 、詐欺師、ペテン師、
道化師、危険分子、痴呆、白痴、 愚鈍、ボケ、ボケナス、エタ、非人、エス、
チョン、毛唐、露助、野蛮、残虐、不可触民、賎民、熊襲、朝鮮人、エス、アカ、
三国人、野蛮人、レッドネック、ニガー、ジプシー、ロマ、猿人、土人、未開の民族、
食人族、首狩り族、原人、原始人、猿、エテ公、悪魔、鬼、 魔物、妖怪、悪霊、
有害物質、毒薬、猛毒、発ガン物質、誇大妄想狂、ボッコ、妄信、 狂信者、
他人の悪口は山ほどほざくが反省は一切しないガキ根性野郎、腐れ根性、
腐って歪んだプライドの持ち主、狭量、ボケ、ボケナス、アホンダラ、たわけ、
怠け者、無能、無脳、思考停止、単細胞、蠅、蚊、カビ、 腐敗、膿、下劣、
劣等種族、クレイジー、マッド、ストーカー、 人格障害、守銭奴、見栄っ張り、
ええ格好しい、粗製濫造品、偽物、似非、 イカレ、乞食、浮浪者、ルンペン、
狼藉者、放蕩息子、道楽息子、極道息子、 迷惑、困りもの、厄介者、村八分、
異端者、アウトサイダー、サイコパス、サイコマニア、電波系、オオカミ少年、
極悪人、人殺し、殺人鬼、シリアルキラー、凶悪犯、 猟奇殺人犯、死ね、くたばれ、
消えろ、失せろ、潰れろ、監獄、獄門、さらし首、 打ち首、市中引きずり回し、
戦犯、絞首刑、斬首、 邪教徒、共産主義者、売国奴、鬼畜、鬼畜生、畜生、
浮遊霊、死神、悪夢、貧乏神、疫病神、部落、よつ、穢多、非人、
だよね。
荒しさんですね。可哀相に・・・。
124 :
日本@名無史さん:01/10/20 22:03
もお。ちゃんと会話しようよ。わしの解釈は1さんの解釈とは違う部分
もあるけど、今回の嵐行為については1さんに同情。
125 :
日本@名無史さん:01/10/21 11:47
age
自分であげ
127 :
日本@名無史さん:01/10/27 13:09
>>119 というか倭人伝って西戎と対になる形で描かれてるから距離的なスケールが無茶苦茶誇張されてる。
128 :
日本@名無史さん:01/11/03 22:44
お〜い 120
>台の旧漢字には冠の下に豆がおさまっている。
[士ワ豆] これを縦にしたモノが「台」の旧字だというのでしょうか??
ちがいます。これは壱の旧字です。「壹」読めるかな??「壱」これの旧字だよ。
[士ワ至]これを縦にしたモノが「台」の旧字です。 「臺」読める??
さて、くだんの「魏志東夷伝倭人条(通称 魏志倭人伝)」には
>>25 >>108 以下略
129 :
日本@名無史さん:01/11/04 11:11
八幡平は?
130 :
日本@名無史さん:01/11/04 11:13
だじゃれで古代史がわかるか!
131 :
日本@名無史さん:01/11/04 12:32
邪馬台国論争やると荒れるね。
継体天皇スレなんてまもとなのにね
所詮あの分量じゃ無理なんだよ。
どうとでも解釈できちゃうから
山田→ヤマタイ
スマタ天国→ヤマタイ国
小山田の名は、大ヤマタイからですよね。
133 :
日本@名無史さん:01/11/04 15:34
>邪馬臺=ヤマト
「入唐求法巡礼行記」で知られる円仁は、「臺」の字を「ト」と発音する歌を詠んで、
大和を偲んでいた。
また隋の煬帝から派遣された裴世清も,邪馬台はヤマトとしています。
確か漢字は元々、一字一音が原則だったはず。秦の始皇帝がそう決めた。
邪馬台国は多分 >1 の言う通りと思うが・・・ そんな主張をすると右翼扱いかな?
134 :
日本@名無史さん:01/11/04 22:58
邪馬台国が沖縄だと言うことを分からない馬鹿がいるな
135 :
日本史板部外者:01/11/05 22:03
女性の権力者になる方法としては、「女傑」スタイルがある。つまり率先して
人の前にでて、指揮するタイプ。
しかし卑弥呼は違う。ほとんど人目に触れない生活をしていた。このタイプには卑俗な
言い方をすれば、パトロンがいるはず。つまり別に本当の権力者・実力者が居て、
庇護されてる立場。
更に「演出」も不可欠。「鬼道で人を惑わす」と言っても、人前にでなければ
そんな事は不可能。卑弥呼の神秘性をアピールするには、背後でそれを演出する
人物がいるはず。それが本当の「倭王」ではないか?
136 :
日本@名無史さん:01/11/08 23:04
卑弥呼の後継者に少女を据えたが、つまり元々実権の無い「お人形で良かった」と言うことでしょうね。
137 :
日本@名無史さん:01/11/11 18:02
age
亀頭で人を惑わす。。。。
139 :
日本@名無史さん:01/11/17 20:06
男色の歴史は古いのだね
140 :
日本@名無史さん:01/11/18 11:55
age
141 :
日本@名無史さん:01/11/18 13:45
>>135 その説に酸性。
ただし、そこに日本書紀に書かれたメッセージをつなぐと、更に面白いことになる。
(日本書紀ってさ、全くのウソ話じゃなくて各豪族を牽制する意味もあるわけだから
そういう背景を読んでいくのも面白いよね。)
あそこにある倭王の系譜で、景行天皇→成務天皇→仲哀天皇→応神天皇というのが、
気になるね。
卑弥呼ってこの辺りの時代の人物っぽくない?
逆に言えば、東夷伝の時代にヤマトの王権がメジャーになっていったと。
同仮名阿。
142 :
日本@名無史さん:01/11/18 15:32
>141
>あそこにある倭王の系譜で、景行天皇→成務天皇→仲哀天皇→応神天皇というのが、
>気になるね。
>卑弥呼ってこの辺りの時代の人物っぽくない?
それってまさかオキナガタラシヒメの事を言ってるんですか?(笑
143 :
日本@名無史さん:01/11/18 19:35
>>142 別に息長タラシ姫に限定はしていないよ。(藁
景行天皇の皇太子と伝えられるヤマトタケルの命、「転戦の挙げ句に落命し白鳥に
なりました」ってストーリーだろ?
んで、成務天皇が即位するという伝記がその後にくっついているだろ?
しかも、「成務天皇崩御のあとはヤマトタケルの命の皇子が帝になられました」
と、これまた系譜がもとの筋に帰るかのような記述がある。
さらにその帝、仲哀天皇についても「お早く亡くなられました。そこで皇后が
政を代行されました」とある。
そして「その皇子が応神天皇」と書かれている。
これって、倭国大乱を大和朝廷に有利に書き留めたものじゃないのかなあ?
144 :
日本@名無史さん:01/11/20 04:39
>>143 時代が違うんじゃないかな、それに「戦乱があった事」しか一致してないし。
崇神天皇のころでは?。戦乱についても、例の四道将軍の話もあるし。
145 :
日本@名無史さん:01/11/20 05:11
卑弥呼=神后皇后=オオヒルメムチ=天照大神
146 :
日本@名無史さん:01/11/20 21:49
自分は耶馬壹国の名前の由来についてこのような説を持っています
耶=伽耶=弁韓
馬=馬韓=百済
壹=「ひとつ」の意味、読みは「ト」
続けて「耶馬壹国」(ヤマトコク)
148 :
日本@名無史さん:01/11/20 22:11
耶馬壹国、耶馬弐国、耶馬参国・・・と、耶馬拾国まで全部で十カ国あって、
最後の耶馬拾国が「耶馬十国=ヤマ“と”国」
って東日流外三郡誌にかいてあったぞ(w
149 :
日本@名無史さん:01/11/21 04:31
>147
その可能性は無いと思う。「邪馬臺」は当時の中国人が、発音に当て字した物。
だから意味について深読みしても仕方がない。
>>149 知識人にとっては既に漢字文化圏だった可能性もあります。
151 :
日本@名無史さん:01/11/25 10:23
やっぱり卑弥呼の墓は箸墓古墳かなぁ
152 :
日本@名無史さん:01/11/28 14:47
3世紀、大和政権はほぼ西日本全域に支配権を握っていたと思うよ。
連合王国の首長国のような支配じゃなかったのかな?
153 :
日本@名無史さん:01/11/30 20:32
>>152 熊襲とかはその時点では征服済みだったの?
154 :
日本@名無史さん:01/11/30 21:04
おうよ!
155 :
日本@名無史さん :01/11/30 22:03
狗奴国は、どうよ!
156 :
日本@名無史さん:01/12/03 00:06
クナ国って東海勢力じゃないのかなあ?
今で言う、和歌山東部から三重・岐阜南部・愛知・静岡あたりを治めていた首長が
いたんでわ?
紀州に熊野市(三重県)ってあるじゃん。
クナ野が訛ったんじゃない?あれってさ。
>>153 日本武尊の息子で応神天皇の父、仲哀天皇は熊襲征伐により亡くなっています
(神託を無視したために死亡した、と日本書紀は記述)
神功皇后の評価を考えると日本武尊の時代に始まった熊襲征伐が
神功、応神の代に完了したと考えるのが自然ではないでしょうか?
>>156 自分の説では狗奴国=旧狗邪韓国植民地であったと考えています。
邪馬臺国時代は既に狗邪韓国勢力とは独立していたのでしょう。
場所は狗奴国王の称号『狗古智卑狗』(くこちひく)により
現熊本県菊池市付近だと考えられます。
158 :
日本@名無史さん:01/12/03 02:41
>>157 狗古智卑狗は王ではなくて官だよ。
狗邪国は熊本県球磨郡(日本書紀の熊県)そこに王の「卑弥弓呼」がいた。
狗古智卑狗は王ではなくて官だから、
熊本県菊池市付近にあった前線の指揮官だったのだろう。
159 :
日本@名無史さん:01/12/07 18:16
>>111そうかな。大体日本て都を移しつつその地域を開拓して
いった感じがするけど。東京もいい例。
160 :
日本@名無史さん:01/12/09 22:34
強力なヤマト王権age
161 :
日本@名無史さん:01/12/12 02:37
邪馬台国をヤマト国と表記するだけで九州王朝信者とアズマがお怒りに。
162 :
日本@名無史さん:01/12/12 02:40
日本史板ローカルルールを制定します。
意見のある人はスレに書き込んで下さい。
意見を言わない場合、ローカルルール申請後に
「勝手に決めるな」と異を唱えるのはご容赦下さい。
一応各スレを回ってローカルルール導入への同意を
求めています。
現在、書き込み人数が少なくて決め手に欠ける状態です。
今回こそはきっちりしたルールを明文化して、無軌道な
書き込みを規制しましょう。
163 :
日本@名無史さん:01/12/15 23:38
狗古智卑狗がそのまま熊本県菊池市につながると見てもよいの?
164 :
日本@名無史さん:01/12/20 11:14
息長氏が当時どこまで勢力をもっていたかだな
165 :
名無しさん@1周年:01/12/20 15:16
>>119 魏が金印を授けたのは、西の大月氏国(クシャナ朝)と東の邪馬台国(ヤマト)だけだから
四夷の中では重視していたことは事実だな
166 :
日本@名無史さん:01/12/23 14:13
大月氏国はでかかったかもしれないが、
西にそういうのがあると東にもあるだろうという心理が働く。
東の邪馬台国についてよくわかっていなかったため、
大きくみせる心理効果が働いた。
167 :
日本@名無史さん:01/12/23 18:40
はじめて来ました。
邪馬台国は宇佐にあった。
168 :
日本@名無史さん:01/12/23 18:49
>>167 宇佐って地名、山口にもあるんですが、九州の宇佐と関係あるんですかね?
ってのが柳井の近くにあるね<山口県
たぶん、宇佐の勢力範囲だったんだろう。
170 :
日本@名無史さん:01/12/29 03:07
宇佐=ヤマトとかんがえてよい?
171 :
日本@名無史さん:01/12/29 03:14
>166
中国人は海越えにコンプレックスがあるらしい。
「海を越えて良くやって来たな〜」てな意味で待遇が良かったそうな。
(陳瞬臣の「小説十八史略」から得た知識なので判断はまかせる)
172 :
日本@名無史さん:01/12/29 09:06
九州から畿内までの大連合国が有ったとして熊野や東海程度の国に
脅かされていたと言うのは変だろう。
邪馬臺は「じゃまだい」と読むのが正しい。
173 :
日本@名無史さん:01/12/29 10:08
お前なんか、じゃまだい!
174 :
日本@名無史さん:01/12/29 12:53
邪馬→にいたか山
台 →台湾
ッテ事で台湾のにいたか山のことです。
175 :
名無しさん@1周年:01/12/29 13:48
>>172 お前、古代史に無知すぎだぞ 東海地方を拠点として前方後方墳が東北南部まで広がっていた
西日本VS東日本の戦いだったのだ 結局は一気に前方後方墳が姿を消して前方後円墳に統一された
176 :
名無しさん@1周年:01/12/29 13:53
177 :
日本@名無史さん:01/12/29 20:51
会津大塚山古墳 前方後円墳、かっては東北最古といわれていた
飯盛山古墳 前方後円墳、白虎隊で有名な飯盛山山頂にある
これ全部前期古墳なんだけど?
そして古墳時代の盛りのころになると前方後円墳は福島あたりでは少なくなる。
(円墳の方が圧倒的に多くなる)
一方九州では初期前方後円墳て非常に少ない。
古墳の分布で邪馬台国の位置を推定しようなどとは出来ないよ。
>>176の分布を見ると滋賀と奈良の間で戦争していたことになる。
滋賀県新旭町にある熊野本古墳群で、前方後方墳、前方後円墳(同約30メートル)が
3世紀半ばに相次いで築かれた可能性が高いことが分かった。
同時期に両方が同じ場所に作られたことさえある訳だからここで国同士の争いがあった
などと考えるのがいかに既知外的であるかが判る。
熊野本古墳群の二つの方式があり、東では前方後方墳が流行し、西では前方後円墳が
流行しただけと考えるべきだろう。
==H======================================================
2ちゃんねるのお勧めな話題と
ネットでの面白い出来事を配送したいと思ってます。。。
===============================読者数:84480人 発行日:2001/12/21
どもども、ひろゆきですー。
こないだのメルマガでお知らせしましたが、警察を相手にしたおいらの勇姿見てくれましたかー?
警察を相手にしても一歩も引かなかったですよー。
いやあ、5月に珍走団に土下座させられて以来、「ひろゆきってヘタレ?」なんて言う奴等が
いるので頑張ってみたですよー。
「得意気に武勇伝を披露する中学生みたいで馬鹿みたい」なんて声も聞きますが大きなお世話ですー。
実を言うと、おいらは企業や警察を相手に勇姿を見せるのは結構得意なんですー。
この連中はいきなりパーンチやキーック飛ばしてくることはないですからねー。
苦手なのはやっぱり珍走の連中ですー。
あいつらときたら、おいらの屁理屈に全く耳を貸しませんからねー。
まったく困った連中ですー。えぇえぇ、、、
ところで今回発売した本の中で珍走団との一件をいかにもクールに乗りきったように嘘を吐いて
しまいましたが、これって奴等の世界じゃ背信行為に当たるんですよねー?
本当は丁重に詫びて許してもらったわけですからー。
もし珍走団がそれを読んで再び乗り込んできたらどうしたらいいんすかねー?
もちろん言い分けは用意してありますけど、言葉遊びに付き合ってくれるかなあ、、、
なんだかちょっぴり不安な今日この頃ですー。。。
それはさておき、最近みんなおいらに冷たくない?なーんか信者だって激減してきたしー、、、
以前はネット王子とかwebヒーローなんて言ってもて囃してくれてたじゃん、、、
それが最近じゃ、ワキガ王子に歯糞オトコなんて、、、ちょっとひどいよー(泣
明日からは頼んだじょ!
んじゃ!
179 :
日本@名無史さん:02/01/06 00:28
朝鮮半島南部の前方後円墳が倭人のものでなかったとすると、
時期からみて倭国から伝わった風習であることは明らかなので、
倭人系帰化半島人であるか倭国の属国であるかどちらか。
180 :
日本@名無史さん:02/01/06 00:51
日本列島南部の洋式便器が欧米人のものでなかったとすると、
時期からみて欧米から伝わった風習であることは明らかなので、
欧米人系住民であるか欧米の属国であるかどちらか。
181 :
日本@名無史さん:02/01/11 14:15
でかい銅鐸もヤマトではやってたんですね?
ヤマトって地名なの?
ヤマト朝廷っていうけど、それは単に大和の地に都をおいた
からですかね。
ヤマトの地名は、北九州〜四国(瀬戸内)〜畿内まで
複数存在した
そう考えるしかない
>>181 >でかい銅鐸もヤマトでは、やってたんですね?
えっ?銅鐸が何をやってたんだ?盆踊りでも踊ってたのか?
・・・と、ボケてみる
186 :
日本@名無史さん:02/01/27 21:20
187 :
日本@名無史さん:02/01/28 01:34
白村江の終戦後の新羅の元号<大和
つまり新羅に日本が乗っ取られたことの意。
感じ悪いねぇ〜。
189 :
日本@名無史さん:02/02/06 16:45
白村江のあと、日本は出所不明の天武系になるわけだけど、
天武天皇はどうして年齢的に合わない天智天皇の弟と位置づけたの?
190 :
日本@名無史さん:02/02/06 21:10
年齢的に合わないってのがガセだから
191 :
日本@名無史さん:02/02/06 21:13
>白村江の終戦後の新羅の元号<大和
>つまり新羅に日本が乗っ取られたことの意。
へー。「日本」だって元々は蝦夷の国の名称だったらしいね。
うーん。完全に「クマソタケル」状態だ。
192 :
日本@名無史さん:02/02/07 22:39
「新羅」の意味は「日の出るところ」の意。
つまり、「新羅」と「日本」は同義語。
193 :
日本@名無史さん:02/02/15 11:00
だけど、新羅の言語が韓国語になったのを信じるとすると、
日本語と新羅語は似ている基礎語彙がほとんどないんだよね。
日本語と高句麗語は基礎語彙で似ているものが色々あるのに。
194 :
日本@名無史さん:02/02/22 06:45
>>191 >「日本」だって元々は蝦夷の国の名称だった
そうなったのはずっと後の時代。「元々は」ってナニ逝ってんの?
195 :
日本@名無史さん:02/02/25 22:09
ひのもと中央のこと?
>>193 >高句麗語は基礎語彙で似ているものが色々ある、と書けるほどは無いと思うが。
197 :
日本@名無史さん:02/03/03 23:30
母とか口とか。
あと数字は判明分は全て日本語と同一。
198 :
日本@名無史さん:02/03/17 02:30
てことは、やはり、同言語族??
199 :
日本@名無史さん:02/03/23 00:15
いまさらですが1は明石散人?
丁度最近読んだら、全く同じ事書いてあった。
201 :
日本@名無史さん:02/03/29 01:30
こんなカキコあったよ
邪馬台国九州説を検証してみる。【弐】
69 :日本@名無史さん :02/03/29 01:07
ちょっと長くなりますが,三国志魏書 東夷伝に見る戸数から魏志倭人伝をチェックしてみました.
現在の北朝鮮と韓国を併せた領域
高句麗:戸三万/東沃沮:戸五千/[ワイ]:戸二万
馬韓:凡五十餘國あり。大国は万余家、小国は数千家、総じて十万余戸/辰韓,弁韓:辰合わせて二十四國、大國は四五千家、小國は六七百家、總じて四五萬戸。
総計:20万戸前後
現在の日本と思われる倭人の住む地域では
対馬国:千余戸/一大国(一支国):三千ばかりの家
末盧国:四千余戸/伊都国:千余戸/奴国:二万余戸/不弥国:千余家/投馬国:五万余戸/邪馬台国:七万余戸
総計:15万戸
現在の人口
韓国:4460万人(95年の統計)/北朝鮮:2120万(93年の統計)
総計:6580万
日本:1億2692万(2000年の統計)
福岡県:501万人/佐賀県:87万人,熊本県:185万人,宮崎県:117万人
沖縄(131万人)を除く九州全域:1343万人
山口県・広島県・岡山県の合計:635万人/島根県・鳥取県の合計:137万人
中国地方の総計:772万人/四国の合計:415万人
兵庫県:555万人/大阪府:880万人/京都府:264万人/奈良県:144万人/滋賀県:134万人/和歌山県:106万人
近畿地方の総計:2083万人
これで何が言えるのかというと,
1.戸数の記載がおよそ正確であり,一戸あたりの人数もほぼ同じである
2.これらの地域の人口の比率は過去も現在も大差ない
と仮定すると,朝鮮半島全体の人口に関する記述(約20万戸)との比較から,3世紀の九州本島の戸数は全体でも4,5万戸程度になると思われます.倭人伝に記載された戸数は総計15万戸に達しますから,九州本島だけに関する記述とみなすと人口が過大になってしまいます.
ちなみに奴国に関する二万余戸という記述は現在の福岡県全体に相当する人口と考えれば矛盾はありません.
投馬国の五万余戸や邪馬台国の七万余戸という数字は,それぞれ前者が現在の中国・四国地方の人口を併せたもの,後者が近畿地方全体の人口に相当すると考えれば,朝鮮半島全体の人口に関する記述(約20万戸)と整合性があります.
結論として,三国志魏書東夷伝に書かれた各地域の戸数は,倭人伝の扱った領域が九州北部から近畿地方にかけての地域を含むこと,そして邪馬台国が近畿地方にあったと解釈することでしか説明できないものだと思うのです.
方位の問題については倭人の住む島が現在の揚子江河口の東,つまり台湾附近だと仮定されていたので,地図状の位置に整合性を持たせるために,九州以東の地域の方角を東とすべきのを全て南に置き換えたのだと解釈すれば辻褄があいます.
ちなみに東夷伝には台湾と思える島に関する記述がありません.恐らく当時は中国本土と台湾の交流がほとんどなかったが,断片的な情報は中国側にも入っていて,地理的な位置に関して倭人の住む島と混同していたのではないかと思います.
あくまで推測ですが,倭人伝に見える風俗については当時の台湾に住んでいた人々に関する情報も混じっていた可能性もあるのではないでしょうか?
202 :
日本@名無史さん:02/04/04 20:42
物部が初期渡来系でない可能性もあるぞ
203 :
日本@名無史さん:02/04/04 23:37
俺的には九州説が正しい気がする。
魏志倭人伝の出てくる地名が九州地方のものがほとんどだからな
もし大和説ならその周辺の地名の記述があってしかるべきだが
見当たらない
204 :
日本@名無史さん:02/04/18 15:36
物部=夫余系説は大きく二つに分かれているようですね。
邪馬台国をそれ自身の祖とする説と、
あとから夫余系が征服したという説。
205 :
日本@名無史さん:02/04/18 18:40
高天原の地名のほとんども九州。
206 :
日本@名無史さん:02/04/18 19:28
たまたま中国と交渉をもった一地方政権が向こうの記録に残っただけのことで、
それを大勢力であるかのように錯覚してるだけ・・・とか思ってはイカンか?(笑
ヤマタイ国は北九州で生まれ、北九州で育ち、北九州で滅びたっつーか南九州の
クナ国(クマソ?)に滅ぼされたマイナー政権で、大和盆地で成立した大和
朝廷とは縁もゆかりも無い・・・ってのはダメか?(笑
ヤマトタケルのクマソ征伐や筑紫磐井の乱などなど、九州地方の調略に大和朝廷
が苦労したっぽい記述からすると、ヤマタイ国九州説ではつじつまがあわんよう
な気がするんだが。
自分たちの本来の領土の支配に、なんであんなに苦労するんだ?って感じで。
いや、素人の妄想だけど(笑
207 :
日本@名無史さん:02/04/18 20:00
倭人大乱と卑弥呼・台与即位の経緯は邪馬台国王家と大和朝廷王家(天皇家)
との関係を想起させる。
普通、王位は力で奪うものであり、その原則が当てはまらないのが天皇家。
\ |:::::::::::,ー――――一'´ ヽ:::::::::| / / ̄ ̄ ̄\
.\:::::::::/━━━ ━━━ |:::::::::| / ( ((((((^^))))
\/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ.|:::::::::| / |ミ/ \ /|
.\ -=・=- | | -=・=- ロ=:::::::| / (6 ー[¬]-[¬]
\ / ヽ /ヽ::::::::| /. | < 」 >
ブヒヒヒ \´/ `ー―一´ ヽ::::|./ __| |||| (ー) |
._/)_/)_.\●_●) |:::/ (__/\___/
(∴)◎∀◎(∴) .\| ∧∧∧∧∧ / (__)) ))
⊂) ̄ ヲタラー ̄(つ .\--.< ク >[]____| | ラブヒナ命| |
(~ ̄ ̄ ̄) ̄ ̄~) \< ソ >|] | |_________| |
(____)___) < 予 ス .> \_.(__)三三三[]__)
――――――――――――< レ >――――――――――――
彡川川川三三三ミ〜〜〜〜 < 感 の >============/ ̄ ̄ ̄ ̄\
川|川 \ /|〜〜〜〜<. !! >==========.( 人____)
‖|‖ ◎---◎|〜〜〜〜 /∨∨∨∨∨\===========|ミ/ ー◎-◎-)
川川‖ 3 ヽ〜〜〜 ./::::/ ,,;;;;;;;;;;;;;;, \========(6 (_ _) )
川川 ∴)〆(∴)〜〜 /:::┏━━━━┓ ┏\=======| ∴ ノ 3 ノ
川川 〜 /〜〜 /|::=ロ -=・=- ┣━┫ -=\=====ゝ ノ
川川‖ /リ〜〜 //|:::/ヽ /ノ ヽ \=/ \_
川川川川 (⌒)ビシッ./ | |/ ` ̄ ̄ ̄´/ ` ̄ ̄ ̄\=ヽ ノ\_)
:::::::::|-、 ,-/:::::/ ~レ-r、/ `| (. o⌒o .) \( ⌒ヽ´
:::::::::| /:::::/__ | .|./ \ :::::::::::::U:::::::::::::: /.\ ヘ )
:::::::::| /〈 ̄ `-,/ .|\ ::::--┬┬┬--:::: ./| \`J
209 :
日本@名無史さん:02/04/26 06:02
確かにみな、勝手なこと言ってる。
でも、やはり考古学的裏づけがあるか否かでしょう。
大和盆地、纏向は3世紀にあって他を圧する巨大さです。
また、>>1の「卑弥呼」について「皇女(ひめみこ)」の音写もあるのでは?
あと、神武東征、天孫降臨などの紀記の日向尊重は、応神仁徳朝にとって関連が
密だったことから作られた話だと、個人的には思っています。
応神仁徳朝下で日向へのルートを勢力圏に置く、大和川の葛城氏、紀ノ川の紀氏
の勢力が急激に増大したこと、がその証左?
となりうるのでは?
210 :
日本@名無史さん:02/04/26 06:08
朝鮮半島南部の古墳の発掘が最近は進んでいます。
3世紀初頭までは北九州に由来する副葬品が多いのですが、3世紀にはいると
畿内に由来する副葬品が激増し、北九州のそれは全くなくなってしまうそうです。
倭国王帥升あたりは北九州の可能性ありですが、やはり3世紀のそれはもう大和
以外にはありえないといっていいと思います。
211 :
日本@名無史さん:02/05/02 23:47
狗古智卑狗も大和の近傍であるとみてよいのかしら?
212 :
日本@名無史さん:02/05/09 19:43
熊野といううわさ
213 :
>>1 人生ヤケクソなの?:02/05/09 20:16
西都である証拠。 (邪馬台国の東に海があるだと。。。冬でも温暖で、生野菜食って生きてただと!!!)
1、地名から(都という文字が後ろにつく。コレは東京「都」、京「都」に近いから宇「都」宮とはワケが違う。
「宮」城県が首都でないことからも明らか。最後に「都」という文字がつくのがポイント。)
西都の「西」。もちろん日向地方は九州地方南東部でありさらに西都は東、海岸沿いにある。だから西都の「西」を「ニシ」と読むなんてオカシイではないか。
だからこの西都の「西」とは東西南北の「西。にし」のことではなく、西洲(九州)の都という意味。
2、三角縁神獣鏡も出土。(ただし、畿内で作られサイトに輸入されたことになってるが。。。)
3、どうして21世紀になっても西都は宮内庁の管理化と言う名目で遺跡(古墳)の発掘調査させないのか。
9割5分以上手付かずというではないか。出土したら困るものでもあるのか?悔しかったら古墳の発掘調査させろよ。
4、初出だがそもそも邪馬台国の場所が特定できないと言うのも変な話である。長岡京や藤原京の場所が特定できるのになぜ邪馬台国だけ特定できないのか?(ある政治的意図(天皇制)を感じざるをえない)
卑弥呼の墓が特定できないと言うのならまだわかる。しかし古代の最大都市であるはずの邪馬台国に魏からの使者、交易求めてやってきた商人、観光目的でやってきた人々・・・等誰か一人くらい自分の日記に邪馬台国の
場所くらいの記載を残したとしても悪くないはず。魏志倭人伝以外全ての古史古伝を偽書のレッテルはりに終始してる畿内説(ウヨ)は正直ウザイ。
仮に京都のような都がどこにあったか特定できないとする。原爆2回落とした上ブルトーザーで更地にして工場なり住宅地にでもなっているのならわからないかも知れない。
だから邪馬台国ほどの規模の遺跡は日本のどこか(九州か畿内)にあるはず。街全体が3世紀のことだからわからないというなら3世紀よりはるかに古い中国の漢の首都もメソポタミヤ文明の首都もエジプト文明の首都もどこも特定できないではないか。
政治的にある意図が感じられるのである。
5、九州(いや畿内含め)最大規模の古墳群遺跡が西都にはある。ついでに九州で一番大きな古墳(オサホズカ)がある。
6、神話伝承の数の上からも日向地方は出雲地方についで2番目に多い。その日向地方の中心地こそ西都。
7、弥生時代(つまり卑弥呼の時代)日向地方は人口密度が一番高かった。遺跡の数の上から。。。人間が過去そこに住んでもいないのに遺跡だけが残っていたならオ・バ・ケ!
8、朝鮮総督府修史委員会の奇妙なウワサ。「黒板を中心とする焚書のウワサ」
コレだって火のないところに煙は立たないであろう。卑弥呼の墓に尻尾をつけると言うことは卑弥呼の墓が円墳であった証拠。やはり240年代は前方後円墳の時代ではないのだ。
9、まあ好太王の碑文アラシ、カンダンコキの焚書しようとした形跡からこいつ等が卑弥呼の墓を隠蔽しようとしたと疑われても返す言葉ないであろう。
記紀を天皇制に結び付けたい気持ちもわかるが現実は神武も卑弥呼も朝鮮からきたのよ。
コレ認めたくないから邪馬台国の場所がわからないわけ。まあ畿内の仁徳稜にしても同じこといえるが西都の発掘調査させるなら
一気に邪馬台国論争解決するだろう。(ついでに義経ジンギスカン説もね)
伊都国から水行10日で熊本県玉名。そこから東へ大分経由で西都。(17日)
つまり伊都国から西都まで1月(27日)かかると言う意味。
投馬国は熊襲のクマ国の方で人吉盆地から鹿児島県吉松町永山遺跡のあたりで、
水行20日に相当。狗ナ国はハブが出て、馬、牛の骨が発掘されない所、つまり本州
ではない、地域でトウジ(福建省)の真東の沖縄。だから郡(沖縄)から1万2千里で西都
(邪馬台国)。つまり九州で一番大きな古墳群遺跡が邪馬台国の跡。(古墳300基確認)
で九州で一番大きな円墳だったオサホヅカが女王卑弥呼の墓。
※伊都国・・・前原。
※※ナ国・・・吉野ヶ里
※※※唐津・・・マツラ国
※※※※宇美・・・不邪国
※※※※※・・・狗邪韓国(宇佐と半島南部両方に縄張りがあった)(竹村さん)
214 :
>>213:02/05/09 20:55
バーカ
悔しかったら箸墓古墳について説明してみろ。
215 :
>>214人生ヤケクソなの?:02/05/09 22:28
hasihakaって説明の余地あるの>わら
邪馬台国はどこだ!なんて論争ずっと長い間続けているけど
結論から言うと邪馬台国=日向で西都原にありました。
女王卑弥呼は日巫女で太陽信仰の巫女にすぎない。
当時、戦争や政治の重要なことは西都原の政治の中心斎殿で神にお伺いをたてない
となにもできなかったのです。それで外から来た人には
まるで巫女が実権を持っている女王のように見えたのでしょう。
宮崎県西都原古墳群
オサホ塚、メサホ塚、この2大古墳を中心にして、西都原だけでも
大小古墳329基を数える。付近の川南古墳、持田古墳、新田原古墳、本庄古墳、生日
古墳の各古墳群を合計すると1000以上に上る。
217 :
卑弥呼の古墳を捏造した男・黒板勝美:02/05/09 22:56
黒板勝美
卑弥呼の墓、宮崎県西都原古墳オサホ塚に土を持ってホタテ型前方後円墳にしたてた
のが彼の犯行。
それだけにはあき足らず、総督府修史委員会顧問として大正12年7月、対馬に史料採
訪を行ったとき、朝鮮に関係ある文書古記録等が多数あることを知り、・・・古文書
類66469枚 古記録類3576冊 古地図34枚 古画類18巻および53枚を押
収。これら全てを焚書。
偽史シンジケートの指揮官 日本の恥 東大教授 黒板勝美。
本居宣長が九州説を出す前には一般に邪馬台国=大和だったというのは
本当でしょうか
219 :
日本@名無史さん:02/05/14 05:29
そんなの聞いたことない
220 :
日本@名無史さん:
そりゃ無知すぎ。