【通報済】アンチオレンジレンジpt.11【そして伝説へ】

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355訴える名無しさん。
中島みゆきは2004年に、アルバム「いまのきもち」を発売した。
これまでに発表した曲の中から選曲し、新たに歌い直した、いわゆる世間一般で言う「セルフカバー」のアルバムである。
そして彼女はその歌詞カードにこんなまえがきを記した。
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この歌を書いた日には、書いた日の気持ちがあり。
この歌を録音した日には、録音した日の気持ちがあり。
この歌を人前で歌った日には、歌った日の気持ちがあり。
どの日にも、誰も戻ることは不可能であり。
この歌は、私の子供。
私の想いを離れて、いろんな意味に遠くで育っていたりする。
でも、私の子供。  どの子も好きに変わりはない。
古い写真を眺めては、あの頃のおまえは可愛かったのにと
嘆くことを、私は好かない。
今日の私の子供が、今日の私の目の前で呼ぶ。
それで私は忙しい。
今日は、この子と「翻楽」の旅をしてみようか。
今の気持ちを臍の緒にして、明日が細胞分裂を始めている。
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このまえがきで使われている”翻楽”という言葉は辞書では見当たらない。
中島みゆきの造語かもしれないし、あるいは中国語かもしれない。*1
しかしこの翻楽をそのままの意味で捉えるなら「ひるがえして、楽しむ」である。
彼女は多分セルフカバーの事を”翻楽”と言い表したのだろう。
「今日は、この子と「翻楽」の旅をしてみようか。」
こんな言葉は、本当に自分の作品を愛し、誇りを持っていなければ出てくる事はない。
また「いろんな意味に遠くで育っていたりする。」とは、
まさに自分の作品が自分の手を離れて行く事である。
これは権利関係を全く無視して盗作されている自分の歌の事すら容認している言葉といえよう。
昨今の安易なカバーブーム。静かに明かにされつつある、盗作といわれる作品群。
ミュージシャン達は、この言葉を受け、もう一度考えなおしてみてはどうだろうか。
*1翻案という言葉はある
「翻案」…小説・戯曲などの、原作を生かし、大筋は変えずに改作すること。
「ハムレットを江戸時代の話に―する」「―小説」(三省堂提供「大辞林 第二版」より)