1 :
(-_-)さん:
おまえら生きてるか〜!
安否確認!
2 :
(-_-)さん:2011/03/14(月) 10:08:11.75 ID:???0
内陸部なので停電だけですんだが・・・
沿岸はしゃれにならないな・・・
言葉もないよ
タイダルウェイブ
4 :
ニュース速報:2011/03/14(月) 10:23:54.75 ID:xpff4Ux80
被爆をふせぐためにすること
@外に出るときは、帽子、マスク、手袋、ながそでの服を着用する!!
A外から帰ったらセッケンやお湯で体をよく洗う。
Bカンキセンや空気の入れ替えをやってはいけない。
C被爆したときの衣服は、ビニールのゴミ袋にいれて
しっかりゴミ袋をみっぺいしてください。
D子供は必ず、国からくばられる「ヨウド」というクスリを
飲むようにしてください。
政府から「ヨウド」が配られますので、
福島の近くの子供は必ずヨウドをのんでください。
5 :
(-_-)さん:2011/03/14(月) 11:21:14.66 ID:???0
内陸部最強伝説
6 :
(-_-)さん:2011/03/14(月) 14:10:11.79 ID:???O
引きこもりでも大地震に備えて風呂は最低3日に一度は入った方がいい。
昼間はパジャマなど変な格好はやめて、いつでも逃げれるような服装を。
7 :
(-_-)さん:2011/03/14(月) 14:11:20.53 ID:0Kqq84fY0
8 :
(-_-)さん:2011/03/14(月) 14:44:28.86 ID:???0
電気は復旧したが
水道ガスはまだみたいだ
9 :
(-_-)さん:2011/03/17(木) 12:47:58.05 ID:???0
15年引きこもってた男津波から奇跡の生還
2階の窓を開けると、高さ10メートルの防潮林をのみ込む津波が見え、瞬く間に
自宅も襲われた。岩手県野田村の海岸線近くに住む無職男性(48)は約15年間
外出せず、引きこもっていた。自宅ごと流され、一時は死を覚悟したが奇跡的に
生還し「幸運だった」と喜びをしみじみと語った。男性は母親(72)と2人暮らし。
勤めていた東京の会社が約15年前に倒産。故郷の野田村に戻り、そのまま
引きこもるようになった。「避難はおっくうだった」と男性。11日の激しい揺れの
直後「逃げなきゃだめだ」と何度も訴える母親の言葉を聞き入れなかった。
母親だけが避難した直後、ドンという音とともに自宅は流された。部屋の壁が崩れ、
天井が落ちてきた。あっという間に胸まで水に漬かり、屋根の梁(はり)に手を
伸ばし必死に抱え込んだ。わずかな空間で呼吸し、屋根ごと1キロ近く流された。
だが間もなく屋根は真っ二つに割れ、濁流の中に。気が付くと下着ごとジャージー
は脱げ、腰や脚は擦り傷だらけに。ようやくビニールハウスの骨組みをつかみ、
引き波に耐え続けた。どこにいるか分からなかったが、寒さに震えながら
高台へ歩き、隣の久慈市の避難所に運ばれた。「息子はもう生きていないだろうと
正直諦めていた」。野田村の避難所にいた母親の元に3日後の14日、朗報が
届いた。再会し、母親は涙を流して男性を抱き寄せた。
「人とのコミュニケーションは苦手だが、避難所の生活はそんなに苦でない」と
男性は話している。
ttp://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/17/kiji/K20110317000442390.html
10 :
(-_-)さん:
子離れ出来ていなさそうな親だな
こういうクズが子供を引きこもりにさせる