>>301 すまん言い方悪かったな。
僕がひきこもり関係で感じたのは
表面的な権威にすこぶる弱く信望してるんだなーと。
例えば 学歴とか・・・
で、僕は相手と権威の価値を天秤にかけて勝ってる負けてるというよりも
その権威より先にその人の魅力を第一に見ていたので
二の次、三の次、と後回して それらを考える様な事も無く育ったので
不思議に感じたの。
それは二つ感じた。
一つは、権威主義で人を見たら自分より上へは遜り、下へは強く出るのでしょう?
子供の頃は余りそういう打算は持ち合わせていなかったように感じるし、だからこそ多種多様な人と交流出来た気が。
2つは、ひきこもりといういわばドロップした状態で何故型にハマって自身が不利、卑下するような
マイナス的真逆の権威思考をするのだろうかと。
これらはいわば自縄しないかなーと。
つまり、この思考の裏には表面の権威さえ得れば下を叩きまくれる邪な気持ちと
それを得たい願望があるのじゃないかなと。
何故原点回帰し、正しきものを見通す眼力と自身の経験を通して弱者を労わる慈悲の念が出ないのかなーと。
僕が昔知り合った連中は幅広く様々な人がいたが、
何らかの問題を抱えていた子はその分人一倍魅力を備えていたし
その経験を活かしていたよ。
とするならば、ひきこもりの人達は弱者で被害者を装いつつも
その負担を他人に被せてしまっているのでその部分が育たずにきてしまってるのかなーと。
所謂道楽息子・娘と言うのかなーと。ストレートにグサリッと言えば。
負けず嫌いや、勝ち負けとは別の次元なんだよね〜。