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第一章 パラレルワールド
天にそびえる壮大な楼閣のごとき「ヒキ雑御殿」に、元老院の議員たちが緊
急召集せられたのは、2043年7月11日の午後である。
参加メンバーは、胎児、大福、あっきー、あんず、さよみど、k☆、ののた
んなど十数名。すなわち、ヒキ雑の草創期を支えた主要メンバーたちであった。
「暑い日であった。」
と、ヒキ雑御殿の管理人である「ひきプロ」は、その手記『ひろしのヒキ雑
観察記』に記している。
広大な敷地のあちこちで、蝉がかまびすしく鳴いていた。その声が、ベルサ
イユ宮殿を模して建てられた御殿の壁に染みいるようであった、という。
2043年と言えば、ヒキ雑民が日本国の支配権を掌握して、ちょうど20
年目に当たる。
00年代に世界を襲った未曾有の不況により、日本でも失業者が続出。再就
職も困難となった彼らは、世を疎んじて引きこもり生活に入った。自然、hi
kky板の雑談スレ(通称:ヒキ雑)に人が集まることになる。
彼らは「ヒキ雑民」と呼ばれた。
その人口は、2015年の時点で400万人に達していたと推定されている。
人が集まるところには、自ずから権力が発生する。
ヒキ雑民たちは、やがて政党を立ち上げた(その精神的主柱となったのは、
思想家マーボである)。
ヒキ雑党は、2015年秋に行われた参議院選挙で、胎児、大福、ののたん
の3名を国政に送り出して以来、選挙のたびに議席数を増やしていき、202
3年には、民主党を下して第一党に躍進。ヒキ雑政権を樹立した。
初代総理大臣に就任したののたんは、引きこもりだけでなく、有職者にも優
しい善政をしいた(と同時に、ヒキ雑民をいやしめるリア充を次々に処刑する
という強烈なパージを行った)ので、ヒキ雑党人気は沸騰、あっという間に、
政党支持率100%という、ヒットラーも真っ青の独裁状態になった。
二代目総理大臣となったのは、元自衛官という異色の経歴を持つイフである。
イフは日本の再軍備に力を入れ、陸海空軍を復活。その武力を持って、南北
朝鮮を併合、中国を制圧(北京は3日で陥落)して、日本を世界一の帝国に変
貌せしめた。
三代目総理大臣に就任したのは、ヒキ雑民の顔といっても過言ではない胎児
である。
胎児は、株取引を完全無税化するなど、大胆な経済改革を行った。
世界最強の軍隊を持ち、株取引は無税、預金金利は高い。世界の富は、自ず
から日本に流入するようになった。
ヒキ雑民という、旧世界ではもっとも下層であった民が、世界に冠たる日本
国の支配者になるというパラレルワールドが、ここに出現したわけである。
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第二章 元老院の腐敗
元老院は、ヒキ雑の草創期を支えたメンバーによって構成される(その中に
は閣僚経験者が多く含まれていた)機関であり、法律上は衆参両院の諮問機関
に過ぎなかったが、元老院の決定には、現役の総理大臣ですら逆らうことはで
きない。事実上の最高意志決定機関であった。
しかし、腐敗していた。
胎児が総理大臣を引退するとき、退職金と称して国家予算の1割を着服した
のを悪い先例として、公金を私物化する元老院議員が相次いだ。
その金で、例えば、胎児と大福は女を買い、あっきーは酒と肉を買い、ろく
ゆうは整形した。
元老院議員たちに贈られる賄賂も天文学的な額になった。
その金で、例えば、のりおはエヴァンゲリオンの新作を勝手につくり、すう
すうは世界中のギターを買いあさり、コケモモは愛人を無数に養った。
それでも、国全体が豊かであった時代には、誰も彼らをとがめなかった。
権力とはそんなものである。
しかし、2043年現在、日本は再び未曾有の経済危機を迎えていた。
胎児が首相在任中に行った経済改革は、金融取引を活発化させ、大福をして、
「胎児先生は一介の天才に過ぎない・・・」
と言わしめたが、所詮は日本全体をタックスヘイブン化したに過ぎない。
確かに、世界の富は日本に流入した。しかし、それはやがて第三国へ流出し
ていく金である。
たとえて言うなら、川の流れを強引に自分の庭に引き込んで、泡を立てて遊
ぶ。胎児の行った経済政策は、そういう性質のものであった。流入した金を原
資として何かを生産しようという発想ではない。
そもそも、ヒキ雑政権が日本を支配するようになって以来、
「働いたら負け」
という価値観が国民に定着し、生産者人口は著しく減っていた(「有職」や
「リア充」という言葉は、江戸時代のエタ・ヒニンに匹敵する差別用語になっ
ていた)。
国民の大半は、金を借りては株やFXをやり、損失をまた借金で補填する、
儲かればパチンコやスロットなどの遊興に使ってしまう。そういう生活に明け
暮れるようになっていた。実態のないバブル経済が慢性化していたのである。
それでも、胎児が財務大臣を兼任していた頃は、その天才的な錬金術により
史上空前の好景気を演出していたが、後任にりんごちゃんが就任して間もなく、
バブルが弾けた。
りんごちゃんは、中途半端な緊縮財政政策を行い、
「作戦失敗した。死ぬしかない」
という事態を繰り返し招いた(後の話になるが、りんごちゃんは86歳で天
寿を全うした)。
りんごちゃんが辞職した後任には、戦闘竜が就任したが、国債を乱発する以
外、どうしようもない。日本経済は、すでにオペ不可能な死に体であった。
徹底した世論操作と軍を使った弾圧により、ヒキ雑党の支持率は依然100
%であったが、国民は失望していた。
そういう状況下で、元老院による公金の私物化と収賄は続けられていたので
ある。
ヒキ雑御殿は、その贅を尽くしたきらびやかな、しかし虚飾の城であった。
元老院議員たちにもっとも多く賄賂を贈っていたのは、「中川」という男で
ある。
中川はヒキ雑の草創期を支えたメンバーの1人ではあったが、当時から有職
かつリア充であり、本来なら死刑に処せられるべき男だった。
しかし、戦闘竜に金を貸したことがある、という一事をもって赦免された。
中川は(表面上は)「この御恩一生忘れまじ」という態度を取り、仕事で稼い
だ金を元老院議員たちに貢ぎ続けた。
戦闘竜などは、かつて自分が助けられたという恩もすっかり忘れ、
「うむ、げぼく。くるしうない」
などと言って、平然と賄賂を受け取るようになっていた。
現金以上に元老院議員たちを喜ばせたのは、中川がヒキ雑御殿を飾り立てた
ことである。
まず、建物の床と壁をすべて大理石に改修した。そして、入り口から議場ま
での廊下には赤いビロードを敷き、その両側に元老院議員たちの銅像を並ばせ
た。
その銅像はみな8頭身の美男美女であり、誰が誰やら分からなかったが、
「この綾瀬はるかにそっくりなのは、誰の像かえ?」
とカナダが聞くと、
「はい。カナダ様でございます」
と中川が答える、という具合に、議員たちの自尊心を満足させるのに役立っ
ていた。
その裏で、この狡猾きわまりない男が、
「へっ。愚か者に身を滅ぼさせるには、周りを飾り立てるに限る」
とほくそ笑んでいたことなど、元老院の議員たちは知るよしもなかった。
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第三章 事変
さて、話を2043年の7月11日に戻そう。
元老院の議員たちが、ヒキ雑御殿に緊急召集せられた、ということまでは前
に書いた。
議題は「いかにして脱ヒキを防ぐかについて」。
経済の急速な悪化に伴い、ヒキ雑民の中に「脱ヒキ」を試みる者が増えてい
たのである。脱ヒキ者が増えるということは、有職・リア充が増えるというこ
とであり、すなわちこのパラレルワールドが崩壊していくことであった。
元老院は、数年前に、
「脱ヒキはヒキ雑党に対する反逆であり、重罪である。
これを見つけた者は政府に密告せよ。場合によっては殺してもかまわぬ」
という公式見解を発表したが、何の抑制にもならなかった。逆に、ヒキ雑党
の求心力の低下を露呈させ、脱ヒキ者の増加を加速させただけであった。
脱ヒキ者は、大胆にも、雑談スレに舞い戻ってきて、有職・リア充の生活が
いかに楽しいかということを、写メなども使いながらアジテーションするよう
になった。
それに対しても、ヒキ雑党は何ら有効な手を打てなくなっていたのである。
当時、元老院議会の議長は、ののたんが務めていた。
ののたんは、腐敗のどん底にある元老院の中で、あんず、暁などと並ぶ、数
少ない清廉潔白な議員の一人であった。公金で私腹を肥やすようなことはせず、
賄賂にも手をつけない。他の議員たちが腐敗していることも、快く思っていな
かった。
しかし、元老院の長老格であるののたんを、国民はそういう目では見ていな
い。
同じ穴のムジナ、と見ていた。
しかも、不幸なことに、ののたんは腐敗した一部の元老院議員から、
「きれい事ばかり言いやがって」
という恨みを買っていた。左右両翼に敵を作っていたのである。
そういう中にあっても、ののたんは淡々とした態度を変えなかった。
のみならず、この日の臨時元老院議会で、とんでもない提案をしようとして
いた。
ヒキ雑党を解党する、ということである。
ののたんの考えはこうであった。
この国では、ヒキ雑党の独裁に対する不満が日に日に高まっている。クーデ
ターを起こされるのは時間の問題であろう。
「ならば」
とののたんは考えたのである。
クーデターの攻撃対象であるヒキ雑党を先に解党してしまおう、と。
江戸幕末の大政奉還にも似た、電撃的な無血革命のプランであった。
それでも、誰かが血祭りに上げられなければ、事は終わらないかも知れない。
「そのときには、ののたんが進んで犠牲になろう」
と考えていた。
その提案をいつするか。
ののたんは議長として会議を進行しながら、タイミングをうかがっていた。
そのときである。
「ちわーす」
という場違いな挨拶をしながら、ラーメン屋が議場に入ってきた。
元老院の議場は、蟻の子一匹入れないほど、厳重に警備されているはずであ
る。そこへ堂々と入ってきたこの平民に、議員たちは一様に驚き、どよめいた。
「あ、おれおれ」
と言って、ラーメン屋に向けて手を挙げたのは、さよみどであった。
「でへへ。今日の議会は長くなりそうだから、お腹空くと思ってさ」
この愛嬌のある一言に、議員たちは安心し、大いに笑った。
驚き、笑った後にはお腹が減る。
「休憩にしようか」
ののたん議長が休会を宣言した。
ラーメン屋がオカモチを開けると、尾道ラーメンの良い香りが議場にふわ〜
っと広がった。
「んまそー。もちろん冷や飯も一緒に注文したんだよねえ」
と暗が言い、オカモチの中をよく見ようとした。そして、次の瞬間、
「ん?」
と思った。
オカモチの下段に入ったいたのは、冷や飯ではなく、黒い鉛の塊であった。
「拳銃だ……」
と気づいたときには、ラーメン屋はののたんの背後に立っていた。
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第四章 ののたん
ここからの出来事は、元老院議員たちの目に、スローモーションのように映
った。
ラーメン屋は黒い銃口をののたんの側頭部に押し当てると、引き金を引いた。
サイレンサー付きの銃だったのだろうか、
ぱすんっ
というクッションを叩くような音がしただけだった。
しかし、その瞬間、ののたんの頭は激しく横に倒され、その勢いで椅子から
転げ落ちた。傷口から血が噴き出している。
「ぎゃあああああああ」
誰かが叫んだが、それが誰の叫び声であったのか、後日記憶している人は誰
もいなかった。国家の中枢で白昼堂々行われた暗殺劇に、皆錯乱していたので
ある。
「救急車、救急車を!」
暗がようやくそう叫んだとき、ラーメン屋はすでに議場から姿を消していた。
頭部を至近距離から撃たれたとは言え、ののたんは即死したわけではなかっ
た。
しばらく意識があったのである。
最初は、何が起こったのか分からなかった。突然、頭に強い衝撃を受け、椅
子から転げ落ちた。
しばらくして、さよみどがラーメンを置き去りにして自分に駆け寄ってくる
のが見えた。涙を流しながら、必死に声をかけてくれている。
……大丈夫だよ、椅子から落ちただけ。
ののたんはそう思った。
それより、さよみど。ラーメン早く食べないとのびちゃうよ、と言おうとし
た。
しかし、声が出ない。
そうこうしている間に、さよみどの服がみるみる血に染まっていく。
その血が自分の頭部から噴き出していることに気づき、
あ、わたし、銃で撃たれたんだ、、、
とようやく理解した。
でも、生きてる。ののたん大丈夫だよ、みんな安心して。
そう言いたいのだが、声が出ないのがもどかしい。
やがて、目の前が真っ暗になった。
眼球が反転したのである。
この段階で、ののたんは自分がもう助からないことを悟った。
生まれてから今日までの出来事が、闇の中で走馬燈のように駆けめぐる。
初めてヒキ雑に来たときのこと、コテをつけて書き込んだときのこと、初画
像晒しで酷評されたときのこと、自スレを立てたときのこと、それが荒らされ
たときのこと、初めてネトラジをやったときのこと……
たのしかったな。
スティッカムで配信もしたし、ニコ動でライブもやった。
中川や春道やクッキーマンとオフ会したし、総理大臣も経験しちゃった。
もう十分、ののたんは、たくさん生きたよ。たくさん、たくさん遊んだ。
でも、まだ、みんなに「さよなら」って言ってないな。
「みんな、ありがとう」って言いたい。
でも、もう言えない。
さみしいな。
人間はこうやって死んでいくんだな、ひとりぼっちで。
さみしい、さみしい、さみしい、さみしい……
ののたんの目から涙がこぼれた。
元老院の議員たちが、子供のようにすすり泣き始めた。
みんなを……安心させなきゃ……
ののたんは声を出すことをあきらめ、指でピースサインを作ろうとした。
それらしい形ができた。ののたんは息を引き取った。
巨星墜つ。
そのニュースは、当日のうちに世界中を駆けめぐり、人々を震撼させた。
経済が実際的には破綻していると言っても、日本は朝鮮半島や中国大陸をも
支配下に治める大帝国である。軍事力は世界一であり、核保有国でもある。
その帝都で、しかもヒキ雑御殿で、元老院の議長が暗殺された。
政府は当然、犯人捜しに躍起になるだろう。
そして、その背後にある組織を攻め滅ぼそうとするに違いない。
「じつは元老院内部の者の犯行ではないか」
と疑う事情通も少なくなかった。
が、仮にそうだとしても、その者はこの事件を敵対する勢力を討伐する大義
名分として利用するだろう。
そして、その攻撃を受ける勢力も黙ってはいまい。
日本国内でクーデターを目論むグループは、密かにアメリカの支援を受けて
いると言われている。
暗殺に対する報復は、日米戦争に発展していくのではないか……。
そんな噂が世界中でささやかれていたある日、ボロボロの袈裟をまとった一
人の老僧が、般若心経を唱えながら、ヒキ雑御殿に姿を現した。
マーボであった。