胎児
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●エムボマと最強ホットラインを築く
胎児(たいじ)は、日本の元プロサッカー選手。ヨジップ・クゼ監督時代のガン
バ大阪で活躍したが、2000年、大阪府の迷惑防止条例で逮捕され、プロ資格停
止処分を受けた。現在は個人投資家として活動している。愛称は「浪速の白豹」。
Jリーガーのほとんどが、小学生以下からサッカーを始めているのに対し、胎児は
「社会人になって初めてサッカーボールを蹴った」という異色の経歴を持っている。
しかし、人間離れした運動神経と持ち前のセンスで、たちまちトップレベルの技術
を身につけ、96年には大阪府社会人リーグの得点王に輝いた。翌年、ガンバ大阪
に入団。背番号は17。府リーグ時代はフォワードだったが、クゼ監督にパサーと
しての才能を見出され、ミッドフィルダーに転向。この年ガンバに入団したパトリ
ック・エムボマと強力なホットラインを築き上げ、最下位常連だったチームを2位
にまで引き上げた。この二人を止められるディフェンダーは日本に存在せず、中田
英寿をして「あんなやつらがサッカーやってるなんて反則だよ」と言わしめた。ま
た、二人に頼り切った戦術は、しばしばマスコミから批判を受け、「胎児とエムボ
マがいないとガンバれない」と揶揄された。この年、エムボマは得点王に輝く。
●個人プレーに走り、チーム内で孤立
この入団一年目が、胎児の絶頂期だった。シーズンオフには、色白で精悍な顔立
ちを買われ、モデルとしても活動を開始。エムボマとともに、パナソニックのテレ
ビCMにも出演した。しかし翌年、エムボマがイタリア・セリエAに移籍するため
チームを離れると、状況が一変する。胎児の野性的な勘から繰り出されるキラーパ
スを受けられるフォワードはチームに存在せず、ファンの目からはパスミスと映る
シーンが多くなった。胎児と同期入団した稲本潤一、大福将志などは、この頃まだ
主力選手に育っていない。胎児はフォワードを無視して一人で強引にゴールを狙い
にいくが、敵チームの徹底したマークにあい、潰される。司令塔であるべき胎児が
個人プレーに走るため、チームとしての戦術も成り立たなくなり、ガンバは再び暗
黒時代に逆戻り。胎児は2ndステージの試合中に膝を負傷したこともあり、ベン
チを温めることが多くなった。また、この頃からディフェンダーの要・宮本恒靖と
度々口論するようになる。苛立ちを募らせた胎児は、99年の1stステージ第4
節で、ヤジを飛ばすファンに唾を吐きかけ、5試合の出場停止処分を受けた。
●奇行、逮捕……墜ちていく天才MF
皮肉なことに、胎児が戦列を離れた頃から、稲本や宮本といったユース上がりの
若手が主力に成長し、ガンバは徐々にではあるが、自力のあるチームに変貌してい
く。99年に就任した早野宏史監督は、1stステージ終了後「もう、一人の天才
には頼らない」と発言し、暗に「胎児はずし」を宣言した。この頃から、グラウン
ド外での胎児の奇行が目立つようになる。しかも、その多くが性的犯罪すれすれの
ものであったため、天才MFのイメージは完全に失墜した。そして、稲本潤一がベ
ストイレブンに選ばれた2000年のシーズン終了後、胎児は女性のスカート内を
覗き見ているところを、マークしていた警察官に現行犯逮捕され、罰金刑を受けた。
即日、ガンバ大阪は胎児の解雇を発表。間もなくJリーグも無期限出場停止の処分
を下した。こうして、あまりにも惨めな形でサッカー界を去った胎児だが、元チー
ムメートの中には、その天才性を惜しむ声が根強くある。なかでも、元日本代表の
大福は、いまだに胎児を「先生」と呼び、「一介の天才に過ぎない」「試合の空気
を支配するファンタジスタ」などと取り付かれたように繰り返し発言している。