一般的な共同体からの排除確率を高めるもっともおろかな行為が
人間嫌いである。人間嫌いということは、幼少のころ間違った
価値観を植えつけられた可能性が高い。
考えてみてほしい、人間嫌いの成功とはなんだろうか?
永遠の逃避 か 生命すべての抹殺である
自由からの逃走 エーリッヒ・フロム P288より
自発的に行動できなかったり、本当に感じたり考えたりすることを
表現できなかったり、またその結果、他人や自分自身に対して
にせの自我をあらわさなければならなかったりすることが
劣等感や弱小感の根源である。気がついていようといまいと
自分自身でないことほど恥ずべきことは無く、自分自身でものを考え
感じ、話すことほど、誇りと幸福感を与えるものは無い
このことは、過程が大切で、結果が大切でないことを意味する。
劣等感や弱小感の根源が、従属・服従・迎合であると書いてある。
意識できていようといまいと、従属・迎合・服従ほど恥ずべきことはなく
自分自身でものを考え・感じ・話すことほど誇りと幸福感を与えるものは無い
このことは日々の生活が大切で、結果が大切でないことを意味する
937 :
(-_-)さん:2006/09/12(火) 10:34:51 ID:U+skC6gUO
確かに、自分は小さいころいくつも習いごとをやらされてた。小学校低学年まで成績もよかった。引っ越しをきっかけに場所がかわり、中学生になるころには次々とやめた。親はそんな私を捨てた
938 :
(-_-)さん:2006/09/12(火) 10:38:11 ID:U+skC6gUO
あと自分は、人と会話が出来ないことに悩んだ。まわりをみれば、みんな楽しそうにしているのに、自分だけ下をむいてた。 自分の容姿にも自信がなかった。それで完全に自分が嫌いになってスキがない性格になってしまった。 今でもその当時のことをよく思い出す。
939 :
(-_-)さん:2006/09/12(火) 10:39:54 ID:U+skC6gUO
ヒキでどうして、働きたくないの?って言われる。時間もいっぱいある。でも自分は考えることがたくさんあって、暇なんてない。
過保護か・・修学旅行の荷物の準備なんかも高校になるまでやってもらってたし(勝手にやってた)来るなって言ってるのに駅にいたり・・・。気持ち悪かったなぁ
941 :
(-_-)さん:2006/09/12(火) 14:28:09 ID:U+skC6gUO
このスレ勉強になるなぁ
>>921最初のスレッドでは、加藤・アドラー・ユング・フロイトといった
基礎的心理学を。第二のこのスレッドでは、第一スレッドを昇華した
権威主義と支配と従属と偽りの感情・依存の正当化などについて
やってきた。
最初のスレ読みたいんだけど、もうムリかしら・・・?
>>942 自分で何冊か買ってみたら?加藤諦三でアマゾンとかで買ってみ
規範意識の増大・・・過度の義務感が、偽りの義務感である点について
自我(規範・価値観)
意識
自己(自己を憎む、自己執着は自己を否定する)
無意識
自己執着者がうその義務感が強くなる理由は、自己を否定し
自我を増大させるからです。自分が出そうになるときの不安は
嫌われるかもしれない不安ではなく、権威者との関係を不安にするから
不安なのです。現に不安じゃない人は最初からそれほど不安ではありません
規範意識や義務感は、自我だが、絶えず自己が決定しているので
自己執着者は不安定になる。そこでその場の権威を探し当て
それに従おうとする。自己を否定しているので、権威にすがると同時に
権威を恐れている。権威を憎んでいる。
だから、自己執着者は、自分の自己を憎んでいるし
他人の自己も憎んでいる
このイカレタとしか思えない価値観が、ヒキにはあるのだ。
これは、服従の正当化であり(そのことすら気づけないだろう)
両親による権威の・・・支配と従属・・・理不尽の正当化により
受け継いだ価値観である。子供全員には受け継がれない。
なぜなら、隠された憎しみだからだ。一人でいい。
三部作の次スレでは
自我
意識
自己
無意識
自己について書きたい。ライフスタイル・アイデンティティ
あらかじめ行っておきたいのは、自己執着者にアイデンティティは望めない。
思えば自分は他者の存在なしにありえないのだから
自分とは、他者とのかかわりあい方だとも言える。
自己執着者は操縦者のいない、ロボットである。絶えず操縦者を求めている。
なぜなら、操縦者に攻撃を仕掛けているから。だから、葛藤で一日中寝てる
ヒキがいるのだ。ヒキはそうすることが正しいと思っている。思わされてしまった
思ってしまった。
逆に通常の人は自分が操縦している。つまり自分とは自己にとって
乗り物でしかないのだ。
ヒキやヒキ体質の人が悩んでいる、根本的な葛藤は
自分を否定すれば自分が肯定される、だろうというめちゃくちゃな
考え方である
これは、権威者の命令である。非言語の命令である。
949 :
942:2006/09/12(火) 17:34:19 ID:???0
950 :
(-_-)さん:2006/09/12(火) 18:47:08 ID:U+skC6gUO
自分は半ヒキで普段、自室にいることが多いです。 たとえば、朝、父が母に対して「お前は俺のこと何も考えてない、お前が全部悪い、お前がバカなんだ」など聞こえてきた場合、どのような精神で親をみればいいですか?自分の中に、嫌な感情がでてなかなかとれません。
>>950 それは実は幼児的な依存心が父親にあるだけです。
どうしようもありません。父親が悪ではなく、単に甘えの欲求があるだけだと思います。
外面がよくて、内面が悪い。父親は、あーだこうだいっていても
結局は、奥さんにちやほやされたい願望を隠しているのです。
952 :
(-_-)さん:2006/09/12(火) 19:34:36 ID:U+skC6gUO
そういうのを見て育つと、人とうまくやれない子になったりします?
>>952 当然そうでしょうね。なんせ、そういうのを見て育つと、人とうまくやれない
子になると聞いてないんですから。
動機・・・誠実な関心か?(愛か?)
・・・権威者の命令を自発的だと思い込んでいるか?(服従か?)
この分かれ道が・・・デッドラインを分けるのだろう
我執=自己執着=人間嫌い なのである
他人と自分は違うのだ・・・人はみな 「 似たような顔 」をしているが
精神は驚くほど違う。まったくそのとおりだと思う。
そう思えないのは、分離していないからだろう。分離は苦しみのうちに始まり
依存の終わりを持って、それは終わり・・・
脱ヒキというのは、権威を得て終わるのだろうか
ヒキに約束して欲しいのは、誰か好きな人を見つけて欲しい
永田祐二なら永田でそれでいい。鳥肌実るならそれでいい
原因がはっきりしない神経症は、対人問題だと思う。
自立しないといい関係が気付けない。
そして、自立が自己執着をやめることだと知ったら、ある種類の人たちは
かなりショックを受けると思う。
なぜ金持ちでも不機嫌な人がいて、貧乏人でも楽しそうな人がいるのか
これが自己執着と大いにかかわりがある。いや、ないわけがない
自己で生きることを尊重している人たちとそうでない人たち
ヒキの親はそれほど悪い親はいないと思う。しかし
この自己執着の手法をやってしまったのだと思う。
それが日本だけじゃないが、世界の過去の文化だからだ。
自由主義化では、自己執着は敗因となると思う。
親だから、子供と友達のようにしたら、馬鹿にされるとかつけあがるとか。
(実際にこういう親だと、好かれようとして嫌われることをする
子供になる)(人は人を馬鹿にするのは、自分のことを恥じており
絶えず、馬鹿にされないかきょろきょろしている人間だけだ)
結果、よかろうとして、悪かろうになる。いつの世も馬鹿が損をするとは
このことだろう。馬鹿とは自分を恥じている人間である。
誰も尊敬できる奴なんていない、誰も尊敬できる人がいないなあ
そういう人は、どちらにせよ、自分が尊敬できないのだ
だから、他人を尊敬できない。自分がなぜ尊敬できないのか
本来自分を尊敬できるはずだ。する必要さえない。卑下しなければ
いいだけだ。卑下するのは、じゅうぞくを認識していないからだ
会社の上司でも総理大臣でも北朝鮮の金正日でさえ、ほどほど悪いことは
認めた、金正日でさえ拉致を認めた。なのに、親の親も、ヒキの親も
ひとつも認められない。それは自分を憎むように仕向けてしまう文化があるから。
自分を憎むようになるにつれ、権威者に従うしかなくなる。それを
はっきりさせていないからだろう。いつまでたっても
平均年収より多くても、人間嫌いが直らない。自分嫌いが直らない
つまり、権威主義的な子育てでは、親は自分の責任を認めることが
できない。なぜか?それどころか、100%正しいことを羅列するだけという
間違ったことは言っていなかったという、 「 間違い 」をおかしてしまう。
それは親に自己愛がないから。つまり自分自身が嫌いなのだ。
自分を密かに憎んでいる。それがあたりまえだと思っている。
だから、責任を認められない。〜があまりよくなかったとは素直に認められない
自己を憎んでいる状態で、自己を攻撃されれば激怒するだろう
たとえば、劣等感の強い人、というのが良い人だと思われがちだ。
しかし、自由主義化ではそうではない。身の破滅さえ起こしかねない
危険な存在だと思われる。劣等感を意識していれば、まだいいが
相手から劣等感を刺激され、相手から攻撃されるのではないか
馬鹿にされるのではないかと身構えることも多い。
劣等感の根源が、自分自身の自己で生きていないこと・・・
従属を認識していないことによるものなのに。
絶対の権威者であった、親の親に対する憎しみを持てなどとは
いえないだろう。
子供を育てたので親に感謝しろという。
おまえのためにがんばったという。
親に口答えするなという。
もちろん、こういう親でも良い親が多いと思う。しかし
心理的に破綻しかねない危険なものがある。
何度も言うように、権威主義的であるし、悪しき文化
これからやっていけないであろう、従属と支配の文化が見え隠れするのだ。
子供は運が悪ければ(学校などで気付かなければ)破綻するだろう。
そして、たいていの場合は気づかず、学校で外の世界で悪化する
つまり、真に受けてしまう子供は
理不尽でも理不尽と認識することなしに、愛だとおまえのためだと
思って従えということになってしまう。
これを真に受けるとどうなるか。世界が敵になるだろう。
だから、良い親も良い親で曲者なのである。
この無意識にはびこる憎しみが現代の問題である。
憎しみがなければ、あっても意識していれば、対人関係が気付けるのだ。
なぜなら、対人関係は利益だから。それを不利益になってしまうのは
根本的に考え方逆だろうし。、自分の自尊の感情、自分の欲求に対する敬意が
ないと思われる。
よく、自己愛性人格生涯がとりざたされる。
これは、自分を愛せないのだ。愛という言葉を使うのはやめよう。
要するに、自分の存在に誠実な関心を自分でもてないのだ。
自分で自分のために人生を設計する気がおきないのだ。
自分を憎んでいる。簡単な話で、自分を憎んでいるから認められるわけがない。
なんか書いてばっかりだね
ここまで読んできた人は、だいたいカルト宗教の仕組みがわかるだろう。
あのような集団も何か特別なことをしていると思われがちだ
実際に、しているかもしれない。
しかし、素質のある人を選んでいるのだ。
カルト宗教に入るということは、権威の鞍替えという要素が大きい。
なぜ権威の鞍替えがあるのか?自分を憎んでいるからである。
それがあたりまえになるといよいよ、依存性が高まる。
自分を尊重できない罪は、他人を殺すのと同じことである。死刑。
つまり、他人を殺すのも自分を殺すのもにたようなものなのだ
いいや、自分を殺すほうが、可能性がないという点では最悪の罪だ。
良い親だと思う。しかし、その服従の文化の連鎖を真に受けてしまった
ヒキの責任だろう。そうしておいたほうがいい。
そこで男が試される。
子供を育てて大変だった感謝しろ・・・
親に口答えするな
真に受けることはできないだろう。強い自己があって初めて
この文章は通じるのだ。要するに服従しろということである
動機は憎しみである。自分の親にされた憎しみを子供に同じことをやって
正義だと確認しているのだ。
この文化的服従のトラップを真に受けると、現在の世の中では
やっていけないと思われる。自分を憎むことこそ自分の存在を認めてもらう
方法だということ(従属的理不尽さ)を抑圧すると、他人と仲良くなれる
わけがない。それどころか、他人への意味不明な憎悪が出てくるだろう。
さらに、ひどいと、ひきこもる以外自分を守れなくなる。
ひきこもるのは、思想の防衛である。
思想が脅かされるとき、不安が生じる。いや思想と自尊心が脅かされることが
セットだと、ときとして思想を守ろうという理屈でひきこもる。
間違った思想なのに。しかしこの思想を否定することは、自分の存在を
一番認めてくれた人を裏切ることだ。よって不安に襲われる
約束を守ったがゆえに(親はそんな気持ちの悪い約束していないというだろう)
破綻したのだ。そして約束を守ったことについて怒られる
ヒキは真に受けすぎたのだ。自分の欲求を一番に尊重しなければならない。
高い自尊なくして、青年はどうやって自己を作れるのだろうか。
親との議論は極力避けたほうがいい。
「 自分が間違っていないことを証明するために、相手を否定する 」
というのが議論だ。議論は無意味である。たいていそうなる。
子供のためだったとか、俺は子供によくさせてやったとか、そういうことを
言う親は、かわいそうなほど、自分のために何かやることに対して
否定的な考えを少しはもっている。
これが文化的服従のトラップだ。当然自由主義化ではやっていけないと
思われる。親の代には、秩序があっただろうが、今はないのだ。
だから、昔も今も大変なのだ。
だいたい、今の時代の方が良いという意見を考えてみよう。
今の時代の方が良いというのは、ただの一点しかない。
昔は昔で良いところがあったのだ、悩む必要がなかったとか。
病気になれば、すぐに死ねたとか。現在では医療関係者ですら、否定的な
延命が行われている。
それでも今の時代の方が良いという意見には賛成だ。
なぜなら、科学を基点とするのなら、人類のその流れを科学の発展や人々の
生活水準とするならば、一番先の時代の方が肯定できるし肯定しなければ
ならないだろうから。
するとおかしなことになる。今の時代が良いという親に限って
昔の、服従的トラップにはまっているのだ。それは他人が言っても無駄だろう。
決して、昔は服従思考で自己主張などいらなかったが
今はそれをやめて、自己主張、戦わなければならなくなったなどとは思いもしないだろう
今の時代が良いのなら、今の時代に合わせていただきたいものだ
今の時代がよいといいながら、昔の親の教育を否定しない
これが神経症である。何も考えていないのだ。それができないのだ
それが自己執着である。親の親との関係を聞くと冷やかされたかと
思い激怒してくるだろう。それは、刻印を刺激され不安になったからだろう
今の時代が良いというのなら、この真実を追究することの責任を
受け入れるべきだと思うが。
今の時代が良いのなら、親は親の自然な欲求で子供を生んだんだと
認めるべきだ。(それは言ってはならない)
それを親は子供の責任にする。子供のためにと。
それ自体が、ひそかに自分自身を恥じている、自分自身を卑下しているのだ
つまり、親は自分でそういう自己にかかわる責任を追うことができないのだ
社会的責任は負えるだろうが。つまり今の時代が良いといいつつ
自分の親との価値観を信じて疑わないのだ。子供を自分のために生んだといえる人は
自尊心が高い。いや普通の自尊だと思われる。従属していない人ならそういうだろう。
だから、今の時代が良いというのなら、激怒しないで聞いて欲しい
だが、聞かないだろう。自己執着者とは、昔の日本人のことである。
だからこの手の卑下や恥じているというのは、内面化された
権威者から生じる不安の回避方法なのだ
子供のためというのが、親のためであり
親自身のためというのが、不思議なことに 「 子供のためになる 」
という矛盾を抱えている。
親子関係じゃない。この相手のためというのが、意外と自分のためであり
相手に責任を負わせていたりすることがよくある。
それで、自分のためというのが実は相手のためにも自分のためにもなる
そういう時代だろう。本当の粉飾・・・昔の日本ならうまくやれた人たちには
手痛いしっぺ返しが待っている。そういう時代だろう
ここで何度も言ってきた自己執着者のは、昔の日本人だと思って
もらってかまわない。だからといって悪いわけではないのだが
今の時代では生きられないのだ。あの時代はあの時代で仕方なかったが。
今はそうでないのは明らかだ。分裂病とは昔の日本人のことである。
言い過ぎかもしれないが。その文化的従属・迎合トラップに引っかかったのが
ヒキだと思われる。日本人は攻撃を自分に向ける習慣があるし。
自分の親が自己執着者である、決定的なことがわかってしまった。
今の時代はよい、昔はつらい。今の時代は好きなことができると
言っていた。昔は就職はよかっただろうが、情報などの差で
好きなことはできなかっただろう。でもね、今時代の真実追求や
競争の厳しさ、精神病の多さを知らない。自分の親を心では多く
批判しなければならないのに。口に出して言うか言わないかの違いしかない
そうでないなら、そいつは人の心がわからないという矛盾を抱える
最近、トンカチで殴って母親を殺害した、有名国立大学工学部の
生徒がいたと思う。通常、考えれば、就職先はあるだろうし
なぜ、パチンコに入り浸り、あげく、母親を殺害するのかということになる。
これが、自己執着者の末路である。自己執着者は常に憎しみを抱えており
それが表面化すると凶暴になる。パチンコに入りびたりとは、自尊心の欠如
自己の欠如というのが大きな理由だと思われる(私もパチスロ依存症でしたから)
人間嫌いなのだ。自分が嫌い。だから他人も嫌い。
自己執着が強い者は、国公立大学に入ろうが、医者になろうが
自分が嫌いである。そして、他人も嫌いである。
生命を憎悪している。なぜなら、それが正しいからだ。
無意識では違うとわかっている。常に葛藤に悩まされている
自分を否定すれば自分の存在を認めてもらえるという
隠された自滅思考だ。自分の意見を主張してはいけない。
それを守るために他人を嫌いになるしかなかったのだ
非人格的な、非人間的な権威・・・受け継がれてきたのろいのようなもの
に服従してしまい、人間を憎悪した。このような複雑な過程を報道することは
ないのだろうか。しかし、アルノ・グリューンなどの本を読めば納得だ
秩序で支えられるというのも納得だ
偽の自我で生きていくことはできない。
この偽の自我ができる家庭に、重要な他者による
うそを真実だと思い込ませる過程がある。重要な他者自身、うそだと思っていない。
親が親であるために、あるいは親が自己の確かさを親という仮面に求めたとき
動機は憎しみとなる。親が親であるために子供をしかる。
親を親として、見るように強制する。
真に受けた子供は、親のイメージどおりに、親を見るようになり
親をあるがままに見れなくなる。そして、自分自身イメージを作り偽り
そして、過剰適応へと進む。自己をひそかに憎む
今の時代が良いという人は、今の時代の良い部分しか見ていない
今の時代であまった余暇は、十分に努力しなければならない
それも本心から。自然の欲求で。
それが嫌なら、劣等感の共有する団体で生きるか
宗教団体で生きるしかないだろう
とにかく、自己執着状態で現代を生き抜くのは至難の業、不可能無理
真に受けてこの従属文化トラップにはまり込むと
永遠と、葛藤の正体・・・つまり偽装された憎しみの
周りを回る羽目になる。なぜかはわかると思われる。