ヒッキーなら佐川君を理解できるだろ。

このエントリーをはてなブックマークに追加
1(-_-)さん:2005/12/23(金) 16:55:05 ID:???0
1981年6月、パリ西部のブローニュの森で、人並みはずれた小男がふたつのトランクを重そうに引きずり、それを湖に投げ捨てるのが目撃された。
 通報により警察がトランクを引き上げ、ふたを開けると、中にはオランダ女性の死体がトランクに入るよう適当な大きさに切断されて詰め込まれていた。死体はほとんど完体であったが、ただ乳房と尻、腿の肉、それに唇と鼻だけが削ぎ落とされてなくなっていた。
 被害者の身元が割れるとほぼ同時に犯人も逮捕された。目撃者の語った人相風体はどこにでもいる平凡な人間のものではなかったからだ。
 逮捕された男の名は佐川一政、当時33歳。フランス文学と日本文学の相互影響について博士論文を書くべく、パリのサンシエ大学院に留学中で、被害者であるルネ・ハルテヴェルトとは同じ大学内の友達だった。
 彼の家の冷蔵庫にはルネの唇、左乳房、腿の一部、左右の尻肉がまだ保存されており、ほどよく冷えていた。フライパンには調理済みの肉が残っていた。
 警察は「ほかの部分はどうした?」と訊ねた。
「食べてしまいました」
 佐川はひどく冷静に、そう答えた。

http://profiler.hp.infoseek.co.jp/sagawa.htm
2(-_-)さん:2005/12/23(金) 16:56:01 ID:???0
>人並みはずれた小男が
それでも胎児より背が高い
3(-_-)さん:2005/12/23(金) 16:56:19 ID:???0
佐川急便
4(-_-)さん:2005/12/23(金) 17:07:28 ID:???0
5(-_-)さん:2005/12/23(金) 17:35:28 ID:???0
サイコーだw
6(-_-)さん:2005/12/23(金) 18:28:45 ID:???0
オランダの女はめちゃくちゃでかいからな。日本の男より平均身長が高いぐらい。
7(-_-)さん:2005/12/23(金) 19:51:09 ID:IlQlwIWl0
このキチガイ佐川急便の御曹司で金の力でキチガイ無罪勝ち取ったってマジ?
8(-_-)さん:2005/12/23(金) 20:08:06 ID:???0
>>7
栗田工業の御曹司らしいよ。
9(-_-)さん:2005/12/23(金) 23:35:29 ID:jAyfuG4I0
自分の容姿に劣等感を持っていた佐川くん。
それに相まってか、欧米白人種に強い憧れを持っていた。

アフォな佐川くんは、オランダ女性を食べることによって
自分を欧米人種に変身しようとしたのか。。。

江戸時代後期以降、日本人は欧米人に強い劣等感がある。
佐川くんの狂った気持ちは、分らんでもないが・・・。
10(-_-)さん:2005/12/23(金) 23:57:02 ID:???0
コンプレックスが強いのは団塊〜バブル世代あたり。
今の若い子って価値観が全く違って驚くよ。
11(−_−)さん?:2005/12/24(土) 00:14:07 ID:???0
ところで人肉っておいしいの?
12(-_-)さん:2005/12/24(土) 22:40:12 ID:???0
>>11
生臭くて食べられたものじゃない。
死臭って半端なく臭いでしょう?
普通の牛肉とか豚肉腐らせてもあんなにならないのに。
食えるわけないあんな臭いの。
あの匂いだけでご飯1週間食べられなくなるくらいの強烈さ。
13(-_-)さん:2005/12/25(日) 01:49:55 ID:???0
>>11
佐川君曰く、まぐろのお刺身の味らしいよ。
14(-_-)さん:2005/12/25(日) 01:54:45 ID:???0
確かに俺の親が手術して、取り出された胃を医者に見せられたが、
生臭くて鼻をつく臭いだったのは間違いない。
15(-_-)さん:2005/12/25(日) 03:00:12 ID:lVeM3Ofd0
     曰 / ̄ \
     | |0⌒>   ヽ                           
     | |  ⊂ニニニ⊃    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ノシヽ (〃´Д`)_ <  なにがクリスマスだ馬鹿野郎         
    ||ャ ||/    .| ¢、 \__________
    ||ン || |  .    ̄丶.)
    ||ペ||L二⊃ .(<コ:彡)\
  ||\||ン ||            \
  || \`~~´              \
  ||   \|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||        .☆
  ||     || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||        ,个、
      ||             ||       ノ ♪ミ
      ||             ||      イ 彡※ヽ
                             ||||
16(-_-)さん:2005/12/25(日) 06:01:09 ID:1jpXUe7H0
佐川って今何してるんだ?
17(-_-)さん:2005/12/25(日) 06:07:40 ID:???0
こんなことが現実にあるなんて・・・orz
18(-_-)さん:2005/12/25(日) 17:01:30 ID:???0
>>16
人肉食った知名度活かして作家してるんじゃない。
19(-_-)さん:2005/12/25(日) 19:08:19 ID:???0
名著、「生きていてすいません」を世に出したもんなw
20(-_-)さん:2005/12/25(日) 19:28:15 ID:???0
佐川一政は1949年、神戸では非常に有名な「立志伝中の人物」のひとり息子として生を受けた。
 しかし生後数週間たっても「父親のてのひらに乗せられる」ほど極端な未熟児であった。
医者にはとても成人するまで生きられないだろうと言われ、両親は息子の望むことならなんでも叶えてやろう、とその瞬間から決意したという。(実際には佐川は2002年現在も存命中であるが)
 事件当時ですら、佐川の身長は150センチ足らず、体重は35キロに届かなかった。
 佐川本人は自分の外見が人を驚かせるものであることをよく承知しており、こう記述している。
「頭だけが大きく、その部分だけは30を過ぎた大人です。どこか人を寄せ付けないところがあります。そしてまなざしは、何かおどおどしています。……」
 逮捕されたときも、佐川の細い腕にかかった手錠はそのまますっぽり抜け落ちてしまったという。
 彼は「人が思うほど、自分の肉体に劣等感は持っていない。わたしは身体的コンプレックスや生い立ちなど関係なく、幼い頃からのやむにやまれぬ衝動によって殺人(食人)を犯したのだ」
 と主張したが、これは供述を聴取した人々にはむしろ悲しく響いた。
 その言葉はかえって、自分の劣等感を受け入れたくないと駄々っ子のようにもがく彼の哀れな魂を際立たせただけのように思えたからだった。
 富裕な家に育ち、平均をはるかに超えた知性も持ち合わせていた。
 だがその異様に貧弱な肉体によって、彼の性衝動は歪んだものになっていかざるを得なかった。
21(-_-)さん:2005/12/25(日) 19:31:27 ID:???0
彼が魅力を感じるのは「大柄で、豊満な白人女性」だけだったというのも、まるで自らの欠陥を補うため、彼女らの豊満な肉体を吸収しようとしたかのように思えるのである。

 佐川自身が事件の詳細について記した著書『霧の中』では、彼には小学校にあがる前から食人願望があった。そして教育を受けはじめ、知識が増えるにしたがって彼の欲望も強くなっていく。
グリムやペローの童話、古代ギリシャのミノタウルス神話――世界は人肉食の饗宴に満ちあふれているように思えた。
 また大学3年のとき、友人宅にホームステイしていたアメリカ人女性を見、『彼女の体が大皿に盛られて食卓に出される図』をありありと想像したという。この頃から佐川の食人願望は、
強迫観念(オブセッション)じみたものになってきている。
 当時、佐川は自分は永く生きるまいと思っていた。「死ぬ前には喰わなくては……30前には」と彼は思いつめ、遂に決心した彼は近所に住むドイツ人女性の住まいに深夜、侵入した。無論、結果は失敗だったが真の動機である「食人」の意図はさとられなかった。
この時点で彼の強固たる願望があきらかになっていたなら、なんらかの精神治療をほどこすことができただろう。しかし実際には「強姦未遂」としてこの事件は片づけられ、女性が佐川の父親の出した示談金を受け取り、告訴は取りさげられた。

 
22(-_-)さん:2005/12/25(日) 19:35:30 ID:???0
過保護の父親は、佐川が文学に興味を抱いていることを知ると、彼がひとかどの文学者として名をあげることに希望をつないだ。
28歳で修士号を取得したのち、佐川はパリへの留学を希望したがこれは勿論すんなりと叶えられた。
 パリの道を歩けば、そこには佐川が今まで昼となく夜となく抱きつづけてきた妄想が、まさに手の届くところにあった。
彼が憧れたジーン・セバーグやグレース・ケリーのような白い豊満な肉体をもつ女たちが、胸のあいたノースリーヴのドレスを着、
短いスカートで足を組み、彼の「食欲」を刺激するべく、ふくらはぎや二の腕をむきだしにしていた。
 彼は白人売春婦とつかのまの情交を持つことによって、一時期その衝動を抑えこんだが、やはり結局は食人への強迫観念のもとに舞い戻っている。
「わたしにとってカニバリズムとは暴力とは対極的なもののはずだったのだ。ただし夢の中で、幻の中で」
 と佐川自身は書いているが、この言葉は空虚だ。第一彼はルネを殺し、食したことについて
「後悔したくなかったから」
 と繰り返し言っているのだ。今やらなければきっと後悔する、そう思い彼はルネを食べ、
「うまいぞ! やっぱりうまいぞ!」と歓声をあげ小躍りした――
(『霧の中』より)。彼がどう否定しようとも、やはり彼は過保護な両親の庇護下で育った利己的な精神を持っていたのであり、自分の欲望の充足の前に正直であることにためらいがなかった。
 彼がルネを殺したことについて、「佐川はルネに恋しており、告白され断られたので殺して喰った」という報道が当時、主流となったようだが、実際佐川は殺害当時ルネを「長い間抱いていた妄想の結実、
すべての白人女性の象徴」としか見ていなかった。彼の中に「ルネ・ハルテヴェルト」という名の個人はなかったのである。これは、同じく利己的なサイコパスだったテッド・バンディが被害者の女性たちを「人間ではなく、なにか好ましいもの」と表現したのに非常に似ている。
23(-_-)さん:2005/12/25(日) 19:41:41 ID:???0
佐川は1977年パリに留学、1980年に修士課程を終え、博士課程にすすむ。同年1月に一時帰国したおり、
室蘭の女子大講師の職が内定したが、大学側の要望により博士課程を終えるため、1981年ふたたびパリへ留学。
ルネ・ハルテヴェルトと出会ったのは同年5月のことであった。
 佐川はルネと出会ってほぼ1ヶ月後の6月11日、「世の白人女性のイメージ」を一身に彼女に背負わせ、射殺した。

 彼はドイツ語の詩朗読の録音を口実に、ルネを自室に招き、ライフル銃で彼女を背後から撃ち殺した。
 死体の血をぬぐい、衣服を脱がせてのち、死姦。バスルームへ死体を運び、解体をはじめた。写真を撮影したが、
フィルムはすぐ足りなくなってしまった、という。
 撮影後、尻、乳房、太腿を切り取りフライパンで焼いて夕食とした。翌日からの動きは、『霧の中』より抜粋させて頂きつつ記述しよう。
 翌朝は起床ののち、「バスルームに入るときためらわれた。ドアをあけると大きな蝿が飛びでてきて驚く。ルネの顔にも蝿が止まっているのを目撃。
ショックを受けた」。
「ふくらはぎから足の裏にかけて生のまま、陰部周辺をフライパンで焼いて食べる。自分の耳の後ろが脂でべとべとになっており、
人間の肉には随分脂がのっているものだと実感する」。
 その後外出して肉切り包丁と電動ノコのモーターを購入。
「帰宅後、死体解体。ルネの手を用いて自慰。鼻、唇、舌を口にふくむ。腹部を切開して、内臓を取り出した。腸はとてもきれいだった。
 首を切断。髪の毛を持ち、ルネの首をぶら下げ、鏡に自分と並べて映した。『カニバルだ!』と叫びたかった」。
 バラバラになった死体をゴミ袋に入れ、トランクに詰め込んだ。その後はTVでサー・ローレンス・オリヴィエの『ハムレット』を鑑賞している。
そののち死体を捨てに行くが捨て場所が見つからず、帰宅。冷蔵庫に保存していた肉を食うがいささか食傷気味であった、という。

 
24(-_-)さん:2005/12/25(日) 19:42:20 ID:???0

 翌朝、ブローニュの森の湖に死体を遺棄。その日はレストランで食事をとった。
 さらに翌日の14日、日本食品店に出向き、すきやきの材料としてシラタキの缶詰と白菜を買う。店員に肉はどうかと聞かれ、「肉はうちにあります」と答えている。
 翌15日、故郷の母と電話で話したのち、ルネの残った肉を焼いて食べる。日本への逃亡を考え、銀行から金を引き出すものの、警察の追っ手のほうが早かった。
この日、佐川は逮捕される。部屋にはルネの食べのこしが冷蔵庫にもフライパンにも残っており、刑事たちを驚愕させた。
25(-_-)さん:2005/12/25(日) 19:56:29 ID:???0
『霧の中』においてもっとも興味深いのは、佐川はそれまでカニバリズムを体験したことがなく、いわばその妄想は「机上の空論」とも呼べるものであったというのに、彼が現実の「死体」「人肉」を目にしても、まったくひるむことがなかったという点である。
 空想は現実の前には無力である、という「常識」を打ち破って、佐川のカニバリズムの幻想は凄惨な現実を目の前にしても消えることがなかった。もっともいかに強固なカニバリストである彼としても「幻想のパワーアップ」には苦労したようで、
ルネの下着をナプキンのように皿の横に置いたり、テープに録音した彼女の詩の朗読を聞きながら食事をすすめたり、ヌード雑誌を脇に置き、「ここは尻、ここは腿……」といちいち確認しながら味わったりなど、いろいろな小細工は弄している。
26(-_-)さん:2005/12/25(日) 19:59:23 ID:???0
「強い匂いも味もなく、簡単に口の中にとけていきました。匂いのない、マグロのとろのようなものです。
『おいしい、やっぱりおいしい……』
 こうしてその肉の何片かを口に運んだのです。
『やっぱりうまいぞ! やっぱりうまいぞ!』
 それから、白い肌と青い眼の顔を覗き込んでそう叫んでやりました。
 遂に白人の美しい女を食ったのです。そして、思い通りうまかったのです。この上ないうまい肉だったのです……」
 佐川は4日間にわたってルネを食べつづけ、この著書の中ではその記述は24ページにわたっているが彼に言わせると、
「とても書き足りない。最低でも二倍の頁数は必要」
 だったというから、彼のアパートは想像を絶する酸鼻さだったろう。
「鼻は軟骨そのままのこりこりした噛み心地。唇は意外に固くて生では食べられなかった。
舌も同様だが、苦心して噛みくだこうとしているときふと、鏡を見ると、舌と舌とが絡み合っているのが見えた」
 己れの身勝手な欲望の前に他者の人生を奪い、しかもそれを美味い、不味いと淡々と語る佐川のこの著書は、
当時「客観的」なのか「「贖罪としての真実の吐露」なのか「ただの無神経」なのか、判断が難しいとされた。
しかし幸か不幸か発禁扱いにもされなかったことで、かえってのちのちの話題性や価値が薄まったとも言えるこの作品は、
ゴースト・ライターが書いたものだった、という説もある。
27(-_-)さん:2005/12/25(日) 20:01:57 ID:???0
逮捕後、佐川は父の雇った「フランスでもっとも高名で、かつ金のかかる弁護士」と呼ばれたフィリップ・ルメールの働きにより心神耗弱を認められ、無罪となった。
 アンリ・コラン精神病院には無期限の入院とされたが、14ヵ月後、国外追放同然のかたちで退院となり、帰国後、都立松沢病院へ入院。
しかしこの病院もほぼ一年後の1985年8月に退院し、以後は精神治療を受けた形跡はない。
 佐川は『霧の中』を書き、また唐十郎との書簡集である『佐川くんからの手紙』は、唐に芥川賞をもたらした。
 「文筆業で身をたてることを決心した」と言う佐川は、『サンテ』、『蜃気楼』、『カニバリズム幻想』など現在にいたるまで10冊近い著作を出版し、
そのかたわらインタビュー、対談、また犯罪事件の「評論」もこなし、かつAV監督や風俗のレポートなど卑俗な仕事も引き受けている。
 しかし内実は、現在も親の仕送りを受け、親の買い与えたマンションに住んでいる。
 そして「カニバリズムに対する幻想は消えた」とは言うものの、
白人女性に対する一種フェティッシュとも言える偏愛は健在であるようだ。

 皮肉なことに、彼は今糖尿病と痛風(ともに贅沢病と呼ばれていることは言うまでもない)のため、
一切の肉食を禁じられている。まるで精神のかわりに、肉体が贖罪してでもいるかのように。
28(-_-)さん:2005/12/25(日) 20:19:49 ID:???0
読んだけど理解できません><
29(-_-)さん:2005/12/26(月) 00:17:17 ID:mfcC/HEM0
この時代は佐川よりも川俣軍司の方が強烈だった思い出が・・
30(-_-)さん:2005/12/26(月) 00:34:56 ID:???0
こういう猟奇ネタを好んで話題にしたり情報収集している人たちってどういう人なの?
信じられない・・・・
31(-_-)さん:2005/12/26(月) 00:39:13 ID:???0
勉強にはなるわな。気を付けるようになるだろう。
変な物として考えない方がいいよ。
32(-_-)さん:2005/12/26(月) 00:41:07 ID:???0
>>13
あれ?「マグロの食感でトウモロコシの味」では?
33(-_-)さん:2005/12/26(月) 03:02:58 ID:???0
>>30
犯罪者が過去の犯罪者の情報を収集していた犯罪マニアだった
なんてのもあったな。母親に毒を飲ませた化学工房もたしかそうだったろ。
34(-_-)さん:2005/12/26(月) 03:08:53 ID:???0
取り方次第では有害でもあり有益でもある。
35(-_-)さん:2005/12/26(月) 14:13:13 ID:???0
>>30
他人にああいうむごたらしい遺体写真とかを見せて快感に浸る>1のような人種が
世の中にはいるんだよ。コワイね。 (((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
36(-_-)さん
age