>>249 わかるわかるそういうときたまにあるよね。
でも人間は観念的動物で「恋は盲目」、「あばたもえくぼ」と言われるように、恋に落ちた者には
他人から見れば「どうして」と思われるような欠点までもが、チャーム・ポイントに見えてしまう。一頃はやった「人面魚」にしてもそうである。
頭部の模様にすぎないものを「人面」だと
言われれば、なるほどそのように見えるし、中には神の遣わせた奇跡として手を合わせる人まで出てくる。
フランス革命の頃にこうした「観念」というものの重要
性に目を向
け、この観念の生成、機能を研究することが社会についての唯一の科学となると考えた哲学者のグループがいた。いや、彼らは「観念を持つ」、「思う」ということが「存在する」ということと同義であるとすら考えたので
ある。彼らは、自分たちの作り出したこの新しい学問を「観念の学」、すなわち「イデア」の「ロゴス」、イデオロジー(ideologie)と名ずけた(1)。この学問は「医学」をお手
本としながらも、それ以上に実践的な学問を目指していた。観念、感
情、美徳、悪徳といった人間精神の道徳的状態と、肉体的・身体的状態の間の因果関係を解明することで、習慣に、道徳を欲求に改
造するための手法が発見されるだろう。そうなればこの学問によって「理想
の人間」を作り出すことができるようになる。イデオロジーとは人間を幸福、あるいは完成に導くことになる学問として構想されたのである。
しかし「理想の人間」と言って
も、誰にとって、何が「理想的」なのかは大いに問題である
。このようなことは科学的に決定されるものであるハズがない。支配者にとって理想的なのは、逆らわず、命令しなくとも、痒いところに手が届くほど意図通り行動してくれる服従者だろう
し、いかに肉体的に健康でも、反骨精神に富んだ
人物(例えば強靭な肉体と卓越した策略能力を持った革命家)は「健全な精神」の持ち主とは映らない。そも
そも「健康である」ことが「何のため」に重要な価値な
のかすら疑問である。