では、奥地派のほうはどうか。
稲村斎藤派が語ろうとしない「治療」の暗部をつくことについては上手なのだが、
ではどうやって生活していけばいいのかという点について突っ込まれると、
稲村斎藤派と同様、とたんに不明朗になってしまう。
自分たちの側(
>>144 )から反論の材料として持ち出してきたはずの
「ゴルツらが(賃)労働イデオロギーの終焉を唱える」
云々という件については、それがどうこのスレと関係があるのか、
とうとう最後までそれ以上語らず(語れず?)に逃げ通してしまった。
これはさすがに
>>144の怠慢である。
「学校」的な場から積極的に飛び出たはずの者が、なぜアカデミズムの言葉で
理論武装しようとするのかという問いについても、これに答えることができなかった。
「東京シューレも国策に回収済み」だと、つまりフリースクールまわりの運動も
相当に学校化されてしまっているのだとする
>>138には
(じつはこれが、昨今の御用組合化などにもリンクする重大な問題なのだが)
レスを返していない。
その自覚があるのかないのか、あるいは否定するのか、ハッキリするべきだろう。
さらに大事なのは、「どうせ社会復帰できないんだから、精神障害者になっちゃえ」
とする稲村斎藤派に対して、どう有効な社会復帰への青写真を示せるのか
ということだ。
いまやNPOとして政府・財団・企業からも資金援助を受けている東京シューレは、
そこが曖昧でもすでに食って行かれるのかもしれないが、これから先
本気で稲村斎藤派のアンチテーゼであろうとするためには、そこを
ハッキリさせられるかどうかが肝になるだろう。
次スレでは、これら両者ともども、仲良くお引取り願いたいと思うところである。