斎藤環 Part20 ──重大疑惑と奥地と貴戸と

このエントリーをはてなブックマークに追加
913(-_-)さん
稲村斎藤派と奥地派(と便宜的に言っておく)の抗争の第二ラウンドは、
Part20を迎えるこのスレでも、飽きもせず相変わらず続いていた。
>>66(および名無し自演?)と、それに反論する者との間の論争などがそれだ。


稲村斎藤派は必ず、「治療」か「放置」かという二項対立を用意したうえで
当事者を煽る。
「アメリカ側につくのか、テロリストの側につくのか」と迫ったブッシュ同様、
他の選択があらかじめ存在していない、誘導尋問となっているところに
ディベート的詐術がある。
具体策について突っ込まれると、実はこれに答えることができない。( >>128 )
当の斎藤自身も「治療といっても平凡なことしかできない」などと言っている。

「にわか社会学」を否定するために経済学の言葉を借りてきている節はあるけれども、
「マクロ経済の悪化と労働の階層化が主因」、つまりぶっちゃけた話が
「不況だからニートやフリーターが増える」という、ごく当たり前のことを
言っているに過ぎない。
こちらもまた、新聞記事レベルの「にわか経済学」である。

唯一語っているのは「ニートには精神障害者年金を受給させろ」( >>101 )
という、ある意味究極の社民主義的な政策なのだけれども、
「現実主義」を自称するわりには、その財源はどこから出す気なのかについて
全く触れていない。斎藤はひきこもり100万人などといって煽っているが、
それら当事者をすべて一生国が食わせてやるなど、それこそ夢物語である。

たとえその適用を一部に限ったとしても、不正受給で適当に生き延びられるなど
というのは多くの場合「釣り餌」であって、多くは薬漬け・入院漬けの過程で
酷い目に遭う。
精神障害者として、その社会的責任能力を著しく制限してしまうことについても、
その重大な意味について多くを語ろうとしない。
それらの都合の悪い現実はすべて隠蔽し、ときに自己責任に帰してしまう。
それはつまり、社民主義の皮をかぶった保安処分論でしかない。