155 :
147:05/03/02 23:53:33 ID:O5mq2YgW
>>149 しんだらパーか、そういう風には考えた事なかったな。
もし俺の書き込みがそれを匂わせているなら、ごめんね。
生きている以上俺は、今いいことがあるように生きたい。
そう思って、俺の興味のあることを追求し、これからも生きるつもりだ。
どんなにポジティブであろうと、引きこもりは存在する。
俺は海外でいえば、小学生1年
こちらでいえば幼稚園年長、
その頃に死の恐怖について親や大学教授と話したものだ。
俺は明らかに一般的にみれば異端児だった、
149の感じてた気持ちもわかる。
既にあの頃には、社会からは成長後も、
違う目で見られることは価値観の違いでわかっていたし、
実際そのとおりの環境だった、勿論認めて絶賛してくれる人もいるし、
小学生時には作文で全国で表彰され、
器械体操やスポーツでもオリンピックを狙えるとまでもてはやされ、
知能は人間離れしていて、
顔も別スレにあるとおり、ハーフに見え、
(俺はいじめられて来たので、そうは思わないが)
すごくかっこいい顔立ちらしい。
が、しかし
いずれも悲劇の事故等によって、
そのほとんどの功績を奪われ無にされた。
俺の努力では防ぎきれない不幸だ。
156 :
147:05/03/02 23:54:23 ID:O5mq2YgW
でも俺はここで屈するつもりはないし、あきらめるつもりはない。
難易度が高ければ高いほど俺は、萌えて来るんだよ(間違えた字)
引きこもってしまっているが、
俺は着実に将来開けるよう努力してる最中だ。
157 :
考える者:05/03/02 23:55:24 ID:io23xn+R
俺はそもそも魂の存在自体認めていないから>148と相容れることは無いな。
まずなぜ魂という概念を認めるのか?
死後の世界に魂が行ってどうなるのか?
聞きたいことは尽きないが、まず焦点を当てるべきは今この世で、死者におけるこの世を「無」にリセット出来るなら、最低限の「死」の有用性は確保できるんだから、許容することにする。
158 :
147:05/03/02 23:58:00 ID:O5mq2YgW
>>153 俺はその条件に心を待たせることで
同じ人間とするつもりだ。
しかし周りの価値観では、人として認めるにはあまりにも
むずかしいかもしれないな。
俺はむしろ普通の人間よりも、
友人として彼らと付き合える気がする。
159 :
136:05/03/03 00:09:08 ID:???
>>157 君は生か死かの境目に居るといったけど、僕と同レベルの死への感情
だね。
君から吹っ切れた人間の話が聞けると思ったけど、それは無理だったみたいだね。
死のうとすることにはあまり関心を持たないほうがいい。
死のうとする一線を越えられないんなら、それは「自殺すればいい」という気持ちに
甘えることにしかならないからね。さっき書いたのがその甘えの象徴だと思ってくれ
ればいい(ちょっと間違いまくってたけど。)
自殺は究極の選択だけど、それに余り甘えてはならないよ。
160 :
147:05/03/03 00:11:36 ID:ew9m274T
>>154 うそかどうかはわからない、断定するのはおかしい。
それと、世の中死ぬほど苦しい思いをしている奴はたくさんいる。
二度と元に戻らない俺の身体の一部!心!
でも俺は生きる、単純に死ぬのが怖い、それだけだ!!
だがどうせなら花火のようでいい、輝いて死にたい。
本能につきうごかされみっともない、だけど生きたい
多くの人が口にしてるからいっておきたい、
>>誰よりも死について 考えてると思ってる。
思うのはいい、しかし人から見れば、それは傲慢にしか写らない。
誰よりも?確かめたこともないのにそんなのわかるはずがない。
感情の高ぶりによる思い込みだ!
死について俺のほうが考えてるとか、
そう安易に書き込みできる人は、
まだまだ俺の中では考えてない部類に入ると俺は思う。
死についての考察は人の痛みを知ることまで至るのはデフォルトだ
それを意識して、自分は誰よりも、とは書くことに意味を感じないはずだ
ちなみにその変を前提にして、最初に死ぬ法律があれば
俺も魂の存在は否定しているけどある状況下での死後の世界は存在すると考えてる。
自己に強烈な死を感じさせるほどの現象が周囲で起きれば
それに対応し回避するために主観的時間を伸張させるから、その0.1秒後(物理的時間)に
死亡したとしても、その死亡した人の主観的時間はすでに伸張させられてるわけだから
その人は自分が死亡したと認識することができない。
つまり肉体が生命の機能を失ったとしても主観的時間の伸張により
自己を存続、認識することは可能である。
と、俺は考えてる。それが死後の世界
162 :
(-_-)さん:05/03/03 00:22:12 ID:ew9m274T
この世界で成功する秘訣は最終的に運だ
それを解き明かすことがアカシックレコードを解くということ
なのかもしれない。
下手に長い文章かいてるが、
俺のいきるってのは、
辛い思いをしてきた人を一人でもいい思いできるような
そんな世界を作っていくことだ。
俺にとってでしかないが、
生きる=目標
163 :
(-_-)さん:05/03/03 00:23:08 ID:ew9m274T
ID何時の間にか変わってるよ!!
生の過程に死があり、死の過程に生があるならば
それらに明確な境界線は存在しない訳だから、生きる事と死ぬ事は同意語
生と死の境界があるとしたら個体として存在する前だけかな
165 :
(-_-)さん:05/03/03 00:34:39 ID:quHymIn+
>>160 誰よりも死のことについて考える時間を裂いてきたのは
確かだと思ってる。それで得たものは少ないかもしれない。
別に誰よりも死について知っているとはいってない。
ただ 死ねば楽になれる。無になれる。 ってのが今まで裂いて来た
時間の中でほとんどだ。でもそれは結果的に死に対する甘えにしか過ぎなかった。
そして今こうして引き篭もっているのも、死のうとしたからだった。
でも結局死ねない。
だから死ぬのは無理だって篭ってきて判ったんだ。
結局寿命が来るまで生きなきゃならんみたいだし、自殺ってのはするもんじゃない
と思う。結局考えるだけ時間の無駄。それより生きていくことについて考えるほうが
有意義かと思う。
アホな事言ってないで働けよ
チンカスはすっこんでろ
>>125 俺もそうだ。
おれと関係ない所でポジティブに生きてる分には構わないけど、
ポジティブな生き方や考えを俺に押し付けられると反吐が出る。
自分と違う考え方を認められず、目くじら立てて罵倒するような輩は人間が小さい。
言うことに魅力や説得力があれば、貶さなくても自然と耳を傾けるようになるんだけど。
ポジティブであることは生きる上で有利。
それ以上でもそれ以下でもない。
何も自分の生を裏付けるものが無くても無条件に
生きる意欲を持てればいいが、それは通常人間のキャパシティを
超えてるから、ポジティブ=善と信じたがってるのだと思う。
しかし、下駄を履けるかどうかは本人次第なので押し付けても
仕方が無い。
ネガにきくのは共感されること
生きるってなに?って考えるのも人生。考えるには飯を食わなければ死んでしまうから
働かねばならない。それだけの話
鶴見渉みたいに死にたいやつはどんどん退場すればいいと思う。
問題は苦しくても生きたい(死にたくない)と思う連中だ。
174 :
あいみ:05/03/03 13:04:34 ID:???
押し付けたりしない
ただ希望…
いずれ 死んでいくとき
あぁ、もう少し生きていたかった
って、思える自分に会いたいかも
それって、幸せって事だから
引き篭もりという行為は消極的な積極性。と思った
みんな頑張ってね
ひきこもりは現実的である
177 :
はなくそまん:05/03/03 19:14:14 ID:gfRqYGNK
ひきこもりはうんこちゃんである
哲学者は答えを出しそうと信じ込むのは嫌いな生き物だ
なぜなら考えるのをやめたらそこで目的が終わってしまうから
だから自ら悩み陶酔し絶望する
神になることが目標じゃないんだな
ビビッタよ。 このスレだいぶ伸びてた。
>>178 俺は考えるのと悩むのは違うと思う。
俺の中三の時の日記は学者のようなことが書いてあったが、たいした内容じゃなかった(笑)
けっ、その書き込みも大した内容じゃないぜ
やっぱり自意識過剰のヤツは痛いと思う。
仏に逢えば仏を殺せ
祖に逢えば祖を殺せ
何にも捕われず縛られず
ただあるがままに己を生きること
つまり、ひきこもりは正解
生きるって、死なないって事さ。
食うこと
生きるとは、恵まれた者からすれば楽しいばかりの人生であり、
恵まれない者からすれば辛いだけの人生でもある。
この救われない現実を信じたくないが為に生み出されたのが、宗教の輪廻の思想ではないのか。
186 :
(-_-)さん:05/03/04 01:01:50 ID:zkvKeZi8
俺は虫だ。
だが、生きる。
生きる=死ぬまでの暇つぶし
動く事。
アパシー(分裂病患者の無気力を表す言葉)も困難と戦う力のなさが原因である。
真面目で仕事熱心という適応過剰な病前性格は、自然に湧いてくる気力ではなく、不安のしからしめた性格であり、その本質はアパシーである。
そういった人達の内面にあるのは、フロイドがイドと呼んだ衝動ぐらいである。
性と暴力の衝動ぐらいがあっただけなのである。
神経症者には神経症的要求と人に気に入られるために自分を犠牲にする自己消滅の面しかない。
不安から自己消滅した八方美人となるか、あるいは不安が取れて、わがままな人間になるかである。
内面が悪く外面がいいというのは神経症的人間の特徴である。
(『人生の悲劇は「よい子」に始まる』PHP文庫 加藤諦三)
八方美人で自滅した('A`)
生きるってなんだろ
生きるってなぁ〜に
永井均だけはガチ
竹田青ジはヤオ
196 :
(-_-)さん:05/03/10 02:12:35 ID:4so+fDwW
笑うこと
まだこんなスレが・・・
青臭いこと考えるの止めて運動でもしようぜ。
198 :
BlackJack ◆ZIGUXwEZZo :05/03/10 02:15:44 ID:lQHjUWmF
他人とのコミュニュケーション。
これだね。
おまいらそれだけ文才があるんら、一歩外に踏み出してみようよ。
( ^・_ゝ・^)200
おまんこ女学院だろ
死ぬまでに好きなことをする期間
少年時代には我々はちょうど芝居の幕を前にした子供達のように
何が出てくるだろうかという愉しい緊張した期待を抱いて
我々の眼前にある生涯の前に立っている
何が本当に出てくるのかを知らないでいることは
一種の幸福である
というのはそれを知っている者にはときとしてその子供達は
ちょうど無実の犯人が死の宣告の代りに
その反対の生の宣告を申し渡されたが
その判決が一体何を意味するものなのか
とんと呑みこめないでいるようなのと似ているように思われるだろう
それにも拘わらず誰もが高齢に達することを希んでいる
言い換えれば次のような内容のものとなる状態を希んでいるのである
「今日は具合が悪い
これからは一日ごとに具合悪くなっていくだろう
そして最後に最悪のものがやってくるのだ」