カズを知らねぇ消防や厨房達、
耳の穴かっぽじってよーく聞け。
お前ら夢持ってっか?
自分の胸に手あててよーく考えてみ。
周りからバカにされようが笑われよーが、
守りたい、育てたい、貫き通したい自分だけの夢、持ってっか?
持ってる奴は知らない間にホコリ積もってねーか?
持ってない奴は1つぐらい持ってみたくないか?
テレビに出てくるカズをよーく見てみ。
全盛期から、いや多分ガキの頃から変わらないのは、あの目だよ。
夢を追ってる目。
確かにワールドカップ本戦には出てねーよ。
J2に落ちたし、代表入りもぶっちゃけ厳しいわ。
もちろんそんなのカズが一番分かってるよ。
でもあの男の目は、変わらねーんだよ。
会ったこともない人からKINGなんて呼ばれたら、
普通はもう満足しちゃうっしょ?
でもあの男のやることは、どこに行っても変わらねーんだよ。
ずっと昔から目標が変わってねーから。
ワールドカップ
その夢の舞台に立ったカズは、永年夢を支えてくれた人たちに、
アンチも含めた全ての日本代表サポーターに、
そしてなにより愛してやまないサッカーに、
大きな恩返しをしてくれるはず。
俺はその瞬間が見たいなぁ。
とりあえず若者は「脚に魂込めました」を古本屋で見つけること。
カズがどのくらいすごかったかおのずとわかるよ。
個人的にはカズの一番すごいところは「メンタリティー」
県選抜はおろか城南中ー静学まで一度もレギュラーを取れなかった170cm52キロのもやしっ子が
今とは比べ物にならないほどレベルの高かったブラジルリーグで88年間ポジション別ランキング
ウィングで3位にまで上り詰めた。
今でこそ海外進出なんてあたりまえだが、日本にプロリーグもなく、自身のチームでもレギュラーを取れないような男が
「ブラジルでプロになる」と言った。
カズと同世代の有望な高校生ですら、頭にもよぎらなかった「失笑もの」の夢を現実化してしまった。
これが、カズという男。
ブラジルでまだ無名の頃、ニキビ顔のカズ少年は「スーパータイム」のインタビューにこう応えている。
『僕の夢は日本をワールドカップに連れてゆくことです!!』
305 :
(-_-)さん:2005/08/18(木) 12:32:14 ID:WcEMANWY
んで、この記事を読んで
引きこもりを卒業できた奴はいるわけ?
306 :
(-_-)さん:2005/08/18(木) 12:51:29 ID:j0EbKGMU
むりぽ。だって俺はカズじゃないから。
307 :
(-_-)さん:2005/08/19(金) 10:57:08 ID:5lPMv50I
戻る度に日が沈んでぇー行くぅー…♪
僕はシゴトの関係で何度か彼に会ったことがあります。
その中で最も印象深いのが、六本木のデカイクラブで開かれた「カズを励ます会」の時のことです。
フランスW杯最終予選(97年)、残り3試合となったところで、カズは突然、代表から落選しました。
彼の半生〜ワールドカップ出場だけを目標に生きてきたこと〜があまりにも有名だったせいか、
日本中を巻き込んだ議論になりました。
その直後に行われたのが、このパーティーでした。
僕は知り合いに誘われて足を運ぶことになったのですが、会場に着いてみると、案の定、オカダ監督への文句ばかり。
サッカー選手や解説者、業界人たちが酔っ払いながらオカダ批判を繰り返していました。
そんな中、カズは遅れてやって来ました。
急に静まりかえった会場で、マイクも使わず、彼はこう言ったのです。
「今の代表、絶対フランスに行けると思うんだ。応援してやりたいと思うんだ。」
「オレは今回出れないけどさ、2002年、もう1回チャンスがあると思うんだ。だから皆さん、応援してください。」
・・・唖然としました。
何でこの人はここまで前向きに生きていけるんだろう。
いったいこの人はナンなんだ・・・?
そう思って、何度も彼の表情を伺いました。
でも、彼の顔には強がっている様子はどこにもありませんでした。
心からそう思っているようでした。
彼の口からオカダ監督批判が発せられることは、ついにありませんでした。
自分の全てを捧げてきた夢が実現しそうになった瞬間に取り上げられた。
それなのに、夢を取り上げた人を応援できる心の広さと
「もう1回チャンスがあると思う」と言えるバカみたいにポジティブな思考回路。
僕は、前向きに生きるヤツの強さを痛感しながら家路に着きました。
ttp://blog.so-net.ne.jp/tomono/2005-07-20 より抜粋
5年ほど前、祖父が亡くなったときだった。
いとこ(小3と小4)があまりにも落ち着きがないため、「どっかで遊ばせてきてくれ」 と叔父に頼まれた。
サッカーボールをもって近くの公園へ出かけた。
小3は野球、小4はバスケが好きらしく
「サッカーなんてちゃらいから好きやない」
と言ってあまり乗り気じゃなかった。 そこへトレーニングウェアを着てランニングしていたカズが通りかかった。
「うぉ!カズだ!!トレーニング中みたいだから喋りかけたらあかんかな?」
そんな俺の葛藤とは関係なしにキングカズはこっちに向かって走ってきた。
あろうことか
「おう、サッカー少年、頑張ってるな!」
と声を掛けてくれた。今でも夢じゃないかと思うんだが
俺が持ってきたサッカーボールで曲芸のようなリフティングを見せてくれた。
子どもたちは「すげー、すげー、それどうやんの?」と興味津々。
カズはわざわざ子どもとマンツーマンで「足のここを使うんだよ」とすごく丁寧に教えてくれた。
子どもたちは俺が中高を通じてやったこともないようなリフティングをあっという間にマスターした。
30分は付き合ってくれただろうか、一通りのリフティングとドリブル、パスの種類を子どもたちに伝授すると
「サッカーって楽しいだろ?いつか同じピッチでサッカーやろうな!」
と子ども達に語りかけ、走り去っていった。
子ども達が速攻でサッカー少年団に入ったのは言うまでもないだろう。
「俺、カズさんにサッカー教えてもらったんだぜ」と今でも自慢しているらしい。
写真もサインもないから誰も信じてくれないけど、
あの数十分の出来事はあいつらの人生を変えたと言っても過言じゃない。
横浜でもそういう子ども達の出会いがありますように・・・
長文スマソ
カズJ2ゴールage
312 :
(-_-)さん:2005/09/06(火) 00:36:20 ID:k/a2Z12x0
俺は川崎に住んでるんだけど、家の近くにKSP(神奈川サイエンスパーク)
っていう建物があったんだよね。
そこをヴェルディ川崎が宿泊施設として 利用してたんだ。
入り口で出待ちしていろんな選手のサインもらったなあ。
ロッサム、永井、石川、ビスマルク、北沢、菊地。
その中でも一番感激したのはカズと少しだけ喋れたことだな。
俺がサイン用によれよれのTシャツとマジックペンを持ってうろうろしてたら、
カズの方からこっちに来てくれたんだよね。
書きなれた感じのイタリアっぽいサインをしてくれた。
しかもカズがバスに入っていく時、こっちを見て
(・−・)b
ってやってくれたんだ。
それからというもの、俺の中でカズは常にNO.1なんだ。
ネタみたいに見えるかもしれないが、本当の話。
おれがカズを生で最後に見たのはオールスターの試合。
試合後、ピッチを一周するんだけど、カズの近くにカズのユニがサインペンと一緒に
放り込まれた。
普通の選手なら気づいても無視するだろうけど、カズはユニを拾い上げて素早くサインすると、
投げ込んだ奴に向かって華麗に投げ返していた。
正直惚れた。泣いた。周りの連中もカズコールだったよ。
カズが輝きを放つのは、今の世の中が ”才能”や”年齢”や”運”を言い訳にして妥協して、
”自分らしく”などと口先だけで自慰に耽り、平坦な”通常の”コースから外れないように気をつけながら、
浅はかでささやかな即物的な幸せだけを求めて生きる、”賢い”人間で溢れかえっているからなんじゃないだろうか。
カズの笑顔は教えてくれる。語りかけてくれる。
才能だとか年齢だとかを、努力しないで諦める言い訳にしちゃいけないと。
自分らしさなんてものは元から備わっちゃいなくて精一杯の努力の結果として現れるものだと。
リスクを恐れずに生きることで望みうる可能性の大きさを。
ひたむきに一見割に合わない努力をし続けて、高みを目指し続けて生きることで手にする生の充実感を。
スマートな人間はバカと呼ぶであろう男の、眩しすぎるかっこよさを。
≪新バスローブは茶色≫
シドニーFCから獲得オファーを受けたFWカズが心機一転、新たなバスローブを用意した。
「だんだん寒くなってきたからね。去年12月にパリで買ってきたんだ。色は茶色。新しい試合用だね」。
カズといえばシャワー後のバスローブ姿が有名でこの日の練習後も11番と刺しゅうが入った白のバスローブを
身にまとっていた。17日の徳島戦(三ツ沢)は移籍後初のデーゲーム。
「いい調整をしてカズゴールを決めたいね」
と3試合ぶりの得点を誓っていた。
ttp://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2005/09/17/06.html
317 :
(-_-)さん:2005/09/18(日) 01:00:40 ID:JQGF8+pe0
1982年12月、カズは15歳で高校を中退し、単身でブラジルのプロチームにサッカー留学をした。
その旅立ちの日、静岡駅の新幹線ホームには多くの仲間が精一杯の声援で、カズを見送りにきていた。
不安で胸が一杯だったのにもかかわらず、それでも懸命に笑顔で応えていたカズ。
それから8年間、何度もくじけそうになったが、そんなときは、駅まで見送りにきてくれた仲間達や家族の顔を思い出し、
ブラジルで認められても自分自身が納得できるまでは日本には戻らないと歯をくいしばった。
そして現在も、キングカズの挑戦は終わらない。
(法務省「社会を明るくする運動」ポスターより)
318 :
(-_-)さん:2005/09/19(月) 22:11:08 ID:k8Pif2sp0
カズさんはかっけーな
この人、この時:サッカー選手・三浦知良さん
◇W杯−−人生そのものなんです
<プロ選手になって20年。横浜FCは、ブラジル時代から数えて15番目のチームになる>
クロアチアのチームに移籍した時、僕にとっては3度目の海外挑戦で、15歳でブラジルへ行ったころと
同じような純粋な気持ちだったんですが、32歳になっていて「現役はこれで最後かな」って感じましたね。
ところが帰って来たら京都(パープルサンガ)からオファーがあって、「もう最後」と思ったら
神戸(ヴィッセル)で、そして横浜FCでした。契約は僕が40歳を迎える07年初めまであるんですが
今では「その次」も現役でやっていられたらと思うんです。僕はまだ終わらないよって。
ピッチに立っている限り、日本代表に復帰してブルーのユニホームを着て、ワールドカップ(W杯)に出られる道が
あるかもしれない。時間と体力との戦いなんですが、可能性はゼロじゃないと自分を信じてプレーを続けているんです。
<かつて「夢物語」と言われた日本のW杯出場を、98年フランス大会で実現した立役者の一人。
だが大会直前、登録メンバーを外された>
日本は(94年米国大会予選最終戦で出場を逸した)「ドーハの悲劇」も経験したし。確かにW杯は遠かったですね……。
でも僕は、98年の予選を突破し大会出場に導いたメンバーとしての誇りは失っていませんよ。
あのW杯には出られなかったけど、サッカーを取り上げられたわけじゃないですからね。
<三浦選手のホームページ。「目標」には「ワールドカップ」と書いてある>
いつか現役をやめても監督やトレーナー、あるいは(日本サッカー)協会の人間としてW杯に行く機会があるかも
しれません。W杯が僕にとって現実に遠いものになるのか近いのか。その答えを僕は出していないし、
今はまだ出さなくていいと思っているんです。W杯は僕の子供のころからの夢であり、人生そのものなんですよ。
320 :
(-_-)さん:2005/09/25(日) 09:33:18 ID:nfHICf0t0
J2初カズダンス。正直感動した。
321 :
(-_-)さん:2005/10/01(土) 20:25:18 ID:Rz05tNyhO
シドニーFC移籍決定上ゲ
age
カズ伝説にワラタ
324 :
(-_-)さん:2005/10/22(土) 02:06:20 ID:D2QTPWqC0
キングカズが夢に出てきた、感動した。
カズにあやかって、
ここに来ている奴らはパソコン早くぶっこわせ。
いいから。
>カズは15歳で高校を中退し、
この部分だけ俺といっしょだ
カズ先生 “J元年”小学生に夢授業
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051019-00000007-spn-spo 横浜FCのFW三浦知良(38)が18日、横浜市立丸山台小学校で自らが
発案した特別授業「夢で逢(あ)えたら」を開いた。
地元に愛されるクラブづくりをモットーに神戸時代に始めたもので小学生と
カズが夢を語り合うもの。
将来的にはJ1横浜、プロ野球の横浜ベイスターズとの“合同授業”も視野に
入れており、今回は横浜での「1時限目」となった。
受け持ったのはJリーグ元年でもある1993年生まれの6年2組。
Jリーガーを目指す少年とリフティングを競うなど終始、明るい授業となった。
「子供のころの考え方を思い出したり、僕にとってもいい経験。
横浜は18区だから、まずは18校を目標に今後も続けたい。
それにしても小学生はストレートだね、年俸まで聞かれたよ」と笑っていた。
授業後はシドニーFC移籍前最後の11月6日福岡戦のチケットを生徒に
プレゼント。「一生懸命戦うことの大切さを見せたい」とカズ。
もちろん残り3試合に集中するが、同時に16日のメルボルン戦で0―5と
大敗したシドニーFCを心配するなど移籍準備も整ってきた。
子供たちの目に、夢をあきらめない38歳の雄姿を焼き付け、カズは4度目の
海外挑戦に旅立つ。
(スポーツニッポン) - 10月19日6時4分更新
329 :
(-_-)さん:2005/10/30(日) 22:51:18 ID:kJD5uTqC0
来週のサンデースポーツでキングカズ特集
_,,,,、、、、、、,,_
_、-''~:::::::::::::::::::::::"ー-,,
;":::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::i!
∩ |:::/ ̄ ̄ ̄`' ̄ ̄¨ヾ::::|
(⊂)|:::| ━、_ _.━ |.:.::|
| | |/ ,-ェュ 、 ,-ェュ、 |.:.:|_
| |(゙| ´ ̄ ,/ 、  ̄` |/,. |__
|/\| ( 、 ゙、__,-'' 、)ヽ__/ノ:∧
l`‐⌒ヽ\ `こニニ'´ _..┘丿(:./~ヽ
\‐⌒ー |\___ _,∠|:.:.:.: < )|::| |
\:.:.:.:.└-\-ー/ ┌‐┐:.:. :.:.:.├┤
\:.:.:.:.:.:.:.::∨:.:.:.:`--':.:__,,,,,/(u_ノ
\:.:.:.:.:.:¶ ¶.:.:.:.:.:.:,ノ゙ \
さすがキングカズだな
このスレ読んでカズに興味がわいてきた
333 :
(-_-)さん:2005/11/06(日) 08:31:01 ID:HqOk2EJr0
カズあげー!
カズ氏ね
335 :
(-_-)さん:2005/11/06(日) 10:54:17 ID:9Hs1rG9R0
KAZUフェイント
KAZUダンス
KAZUキック
KAZUは多くのものを残してくれた
日本代表は98年フランスW杯出場を決めたのですが、カズは本大会のメンバーから漏れてしまいました。
衝撃でした。もし自分がカズであったら、僕は廃人となってしまう気がします。
普通の人間ならそうなっても不思議じゃないくらいのことです。
ただ外れただけならまだいいのです。外れたのが三浦知良だから衝撃なのです。
日本をW杯に連れていくという夢を叶えたものの、ずっと日本をW杯に連れて行くことを最大目標に掲げ、
努力し、結果を出しててきた男・三浦知良が行けなくなってしまうなんて・・・
それでもカズは
「それなら次の大会に出ればいい」
と当たり前のように努力を再開させた。
その時の心情、前述したような、その時までのカズの努力の軌跡を考えると、カズが何故そこでも冷静さを
保てていたのかが信じられない。だが、15歳でブラジルに渡り結果を残し、どんな不遇にも耐えてきたカズ
の精神力を考えると納得ができるとも思う。
・・・だけどやっぱり信じられない。カズはなんという男なんだ。
格好良すぎます。信じられないくらい。1人の人間として尊敬し、素晴らしさに驚愕しちゃいます。
そんな三浦知良という男の魅力を今、もう一度実感してみませんか?
彼が“KING KAZU”すなわち王様と呼ばれる理由が分かるはずです。
いや、日本人として、1人の人間として知るべきだと僕は思います。
・・・そして、まだ 三浦知良 という男のドラマは終わっていません。未だ継続中です。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/eternalarcenciel_11kingkazu_777/6681587.html より抜粋
337 :
全財産4000円の胎児 ◆aRjt7IHj1M :2005/11/09(水) 15:57:29 ID:ndzNH6lF0
引きこもりは積極的にケアすべし
338 :
全財産4000円の胎児 ◆aRjt7IHj1M :2005/11/09(水) 19:23:53 ID:ndzNH6lF0
2004.11.05 Friday
カズが召集されなかったのは「必然の結果」である。
これまで試合に出ていない選手にチャンスをなどは美辞麗句で、
真相は別のところにあるだろうと私は思う。某メディア筋によると、
カズの召集に対し、まっさきに反対したのはボンバーヘッド中澤である。
中澤とカズの抗争、このことはメディアであまり取り上げられない、
当時ヴェルディ川崎のテスト生だった中澤は練習試合で、
カズと対戦する機会があった。当時のヒーロー・キング・カズにとって
練習試合など、文字通り、練習の一環にしかすぎなかった。
しかし、中澤にとっては生死を分けるかもしれない練習試合。
元々ポテンシャルが高かった中澤はカズをボロボロに完封した。
その後がいけない、カズは練習後、中澤を裏に呼び出し、
「怪我でもしたらどうすんだ!」と先輩風を吹かせたそうである。
ゴンちゃんは分からないがカズに対する反発は発生して当然なのだ。
カズに対する同情の余地など一切ない。
「心にゆとり」がないと、こういうところで「しっぺ返し」を食らうのだ。
因果関係が正当に帰結して私はスッキリしている。
完封されたカズ、練習試合後、中澤に対し、
「お前、やるじゃねえか、これからも頑張れよ」
この一言がいえたら今回の結果は変っていたかもしれない。
339 :
全財産4000円の胎児 ◆aRjt7IHj1M :2005/11/09(水) 19:28:00 ID:ndzNH6lF0
>>264の件も、考えてみればギャルだろうとなんだろうと自分のファンなんだから、
ファンに失礼な言動だと思う。ファンに怒鳴る日本人はサイテー。
>「お前、やるじゃねえか、これからも頑張れよ」
練習中に削られて、こんな事言う馬鹿がいたら見てみたい。
>>339 ファンはファンでも無礼なファンだから仕方ないとも思える処置だと思う
いけないことをした奴に対する指導として怒鳴ったのだから、それは正しいのではないかね
>>338の件も事実とは多少違う点が多いしな
事件に対する意見が中澤に傾きすぎだし、ベテラン招集だったのがカズだけに的を絞られてるし
記者が単にカズが嫌いだったのではないかね
342 :
全財産775円の胎児 ◆aRjt7IHj1M :2005/11/11(金) 04:04:39 ID:9I2vorhP0
343 :
全財産775円の胎児 ◆aRjt7IHj1M :2005/11/11(金) 04:07:03 ID:9I2vorhP0
中澤DQN 練習中にムキになるDQN
全財産減っていってるな・・・
345 :
所持金70円の胎児 ◆aRjt7IHj1M :2005/11/11(金) 04:16:56 ID:9I2vorhP0
そうだな
>>338 全然違うな、記者の悪意を感じる。
練習試合中(試合の前日)に中澤がカズに危険なタックルをしたから
「怪我でもしたらどうするんだ」とカズが言った。
無視した中澤に「聞いてるのか」と詰め寄ったって話。
ブラジルから帰ったばかりの中澤は当たり前のプレーだと思ってた。
カズはどこまで落ちぶれても 栄光を、頂点を目指しつづけて努力する男だ
カズは可能性がどんなに低くても それに賭ける男だ
いや、可能性が無くとも、それを作り出そうとする男だ
もはや彼に口出しできる人間は誰もいない
カズしか興味ない
実は大昔、この カズと池袋で一緒に飲んだことがある 。
一浪して受けた大学の合格発表の日だったから、たしか昭和60年の3月。
予備校で知合った静岡出身の鈴木という男が
「地元の後輩が外国から久しぶりに帰ってくるので紹介したい」と連絡してきたので、
池袋の東武百貨店の最上階にあるバーで待ち合わせた。
鈴木と一緒に現れた髪の短い男が、18歳の三浦知良、カズだった。
静岡の高校を中退して15歳でブラジルへ渡りサッカーで生計をたてていた彼が、
一時帰国した際に、大学受験で上京していた鈴木へ挨拶によったらしい。
鈴木は浪人時代の唯一の友達である僕に、カズを紹介したかったのだろう。
「だれだかわかるか?サッカーの三浦だよ」と鼻高々に語る鈴木。しかし 僕はカズを知らなかった。
そういう時代だったのだ。当時メジャーなスポーツといえば野球。サッカーといってもまだJリーグの発想すらなかった時代。
実力もないくせにジャイアンツの選手というだけでテレビに出まくれる野球と違い、
当時既に日本トップレベルの技術を持っていたサッカー選手も知名度は全国区ではなかったのだ。
「はじめまして、三浦です」
ペコリと頭を下げ、デップで立たせた髪をこちらへ向けながら笑顔で挨拶するカズは、
気さくで無邪気、精悍で礼儀正しく、男らしかった。
「じゃぁ、三浦君はサッカーが物凄く上手い人なんだ」
「いやいや、大した事ないですけどね」
カズをつかまえて「うまい」もくそもないんだが、その当時の僕にはその程度の認識しかなかった。恥ずかしいことだ。
静岡学園でカズの一年先輩だった鈴木は、カズがいかに優れた選手で飛びぬけた技術を持っていて、
これまでどれだけの実績を残してきてその結果日本のサッカー界でどれだけ有名であるかを、注文したビールをグビグビ飲みながら熱く語った。
というより、せっかくスターを紹介してるのに僕があまりにもその価値を理解していないので頭にきたのかもしれない。
もっとも、サッカーを知らない僕にもこの男がとてもいい奴だという点はすぐに理解できた。
いい意味で不良、冗談がうまく、なのに礼儀ただしい。いま思い出してもカズは大人だった。
15歳で志をもつ人間はやはり違うのだろう。
会話の中で「プロ契約するかどうか迷っている」と言っていたので、その頃はまだ契約はしていなかったと思う。
「ソクラテスみたいなスター選手なら稼げますけど、今の俺みたいなのが契約しても食っていけるかどうかわからない」というような話しをしていた。
親のすねかじりで大学へ行こうとしてる僕には、同年代の男がブラジルでサッカーをして生計をたてるという意味がよく理解できずに目まいがした。
「三浦くん、俺は正直サッカーをよく知らないんだけど、たとえば野球選手ならプロ入って活躍して最後は日本シリーズ勝って、みたいな目標があるでしょ。
サッカーしてる人は、たとえば君の場合は、最終的な目標はどこにあるの?」
これに対するカズの答えは明確だった。彼は迷わずこう答えた。
「それはやっぱり、日の丸しょってワールドカップに出る事でしょうね」
・・・どうですお客さん、すごいでしょ?
このせりふ、僕は絶対に忘れる事ができない。既にこの頃からカズは、日本をワールドカップへ連れて行くと、本気で考えていたのだ。
Jリーグなんて単語もない20年前のあの当時、ワールドカップへ出場するんだと真剣に考えていた人間がサッカー界に一体何人いただろうか。いや、一人でもいただろうか。
フランス・ワールドカップで、カズと北沢が日本代表から漏れたとき、ぼくは真っ先にこのカズのせりふを思い出して泣けた。
少年時代からずっと長い間ワールドカップへ出ると信じて闘い続け、日本のサッカーを今の地位まで押上げた男が、
時代がやっと彼に追いついたその時に既にピークを過ぎていたとは、なんと残酷な話しだろう。
記者会見でカズは「魂みたいなもんは、むこうに置いてきた」と胸をはった。
その魂とは10代の頃からずっと燃え続けていたのだということを、僕は知っている。
別れ際に鈴木が言った。
「こいつ、15歳の頃から『俺はサッカー界の長島茂雄になる。絶対になる』って言ってたんだよ、真剣に。おかしい奴だろ」
当時の僕にはその意味がよくわからなかった。
でも今はよくわかる。そうだったのか、カズ。君はなんて凄い男なんだ。