働かない若者ニート、就職意欲なく親に寄生 PART2
通学や仕事をせず、職業訓練も受けない「ニート」という若者が52万人。その意味は?
「ニート」どう見る
ニートについての記事を目にするとき、強く違和感をおぼえる表現がある。
9月に、労働経済白書で若年無業者についての試算が発表されたとき、
52万人の無業者を「働く意欲ない若者」と見出しにつけた新聞があった。
白書そのものも、厳しい若年層の雇用失業情勢には、背景の一つとして、
若年者の側に「就労意欲の欠如」を指摘する声があると紹介した。
特集したあるテレビのニュース番組も、そのタイトルは「働かない若者たち」だった。
メディアがニートを就業意欲に欠けた、働かない若者たちと表現した瞬間、
読者や視聴者の多くは、それを怠惰な若者、甘えた若者、親のスネかじりを厭わない若者と、
ほとんど自動的に認識することとなる。
しかし、ノンフィクションライターの曲沼美恵氏と「ニート」(共著、幻冬社)を書く過程で出会ったその素顔は、
働くことを軽視した表情でもなければ、無職の現状に気楽に甘んじている態度でも決してなかった。
ニートは不透明で閉塞した状況のなか、働くことの意味をむしろ過剰なほど考えこんでいる。
ニートが象徴するのは、個性や専門性が強調される時代に翻弄され、
働く自分に希望が持てなくなり、立ち止まってしまった若者の姿だ。
だから、私たちはニートを「働く意欲のない若者」とせず「働くことに希望を失った若者」と書いた。
「働かない若者」ではなく「働けない若者」と表した。
ニートに共通して見られるのは人間関係に疲れてしまっていることだ。
無職でいる自分の現実を前に「別に無理して働かなくてもいい」とこたえる人もいる。
ただ、その言葉をまともに受け、気楽に現状に甘えていると決めつけてしまう大人は無邪気すぎる。
表面的にどうであれ、ニートのほとんどは、心の底では「働きたい」と思っている。
働くことでしか得られない本当の自由や自立があることも、知りすぎるほど知っている。
しかし、働くことに向けて動き出すためのきっかけや、動き出した先の自分に対する具体的な自信があまりに欠けている。
そんなニートをそれでも「意欲が足りない」と言うべきだろうか。
君はひきこもり?それともニート?
ニートやそれになりそうな人が必要としているのは、職業についての知識や情報ではない。
人と交わることの楽しさと緊張、そんな実体験だ。
高校や大学のインターシップでは遅すぎる。もっと早くそうした体験ができなければ、増加に歯止めはかけられない。
だから、私は「14才の挑戦」を提唱したい。精神的にも不安定になりがちで多感な時期の中学2年の11月を選び、
第2週の月曜から金曜までの5日間、地域の心ある大人に頼み、
全国約120万人の中学2年生すべてに、実際の仕事を体験させたい。
働くとはどういうことかを、中学生が大人と行動を共にしながら具体的に感じる。
それは大人が若者の問題に本気で向かい合おうとしていることを、すべての若者に伝える挑戦でもある。
誰がなってもおかしくないニートという個人に、他者が適切に手を差し伸べることこそ、
社会における本当の共生なのだ。
ニートと呼ばれる若者を、ダメな人間と決めつけることなく、
他者からのきっかけを求めている存在として丸ごと受け止められる、
そんな大人がどれだけいるだろうか。
ニートは私たち一人ひとりに問いかけている。
(聞き手・松本一弥)