ヒッキー体験談

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1さち
第一回

もう、丸23年も前のことになる。
その当時の記憶は、定かではない。
自分にとってイヤなことの記憶なのだろう。
抑圧された記憶となっていて、ちゃんと思い出す事ができない。

今でこそ、「ひきこもり」は世間一般に認知されているが、
私の頃は、まだハシリであった。
誰もが、どうしていいかわからず、暗中模索していた。
世間の目も、もちろん冷たかった・・・

なぜ私がひきこもったのか、原因は未だ持ってわからない。
私にもわからないし、誰にもわからない・・・
いじめらてたわけでもないし、学校が嫌いだったわけでもない。
大体高校3年にもなってひきこもる例は、珍しいらしい・・・

その日は突然やってきた。
高校3年の4月11日のことだ。(私は覚えていないが、母がそう言っていた。)
朝、どうも身体がだるい・・・
熱を計って見たら、37,5℃あった。
誰もが風邪をひいたのだろう・・・と思った。私もそう思った。
とりあえず、学校を休んだ。
そしてそれが、これから始まる3年間の登校拒否の第一日目だった・・・

つづく
2(-_-)さん:04/06/26 02:43 ID:???
2ゲッツ
3(-_-)さん:04/06/26 02:43 ID:amonINlL
つまらん
















糸冬 了
4さち:04/06/26 02:44 ID:???
2

次の日も、その次の日も、ずっと熱は下がらなかった・・・
病院に行って点滴もした。
でも、朝になると熱が出る・・・

 今も何かあると熱がでる。
 疲れたとき、どうしようもなくイヤなことがあったとき、
 色々と考えなくちゃいけなくて、考え込んだとき・・・
 夜、あ、熱があるな・・・と思う。
 子供たちと熱の計りっこをして、「ほら!お母さんが一番っ!」と自慢する!

さすがに母親というのは、子供の事には敏感である。
私の様子が普通ではないと気づいた。
児童相談所へ行ったが、当時18歳になってしまっていたので、
そこでは、相談に乗ってもらう事が出来ず、
市の教育相談に行ったそうだ。
そこで、隣の隣の市の神経科を紹介された。
ワラをもすがる思いの母は、私をそこに連れて行った・・・

なぜか、血液検査をされ、その結果で
「登校拒否です」と言われた。
(血液検査で、なぜそれがわかるのか、今もって不思議である。)
私は、そうかも知れない・・と思いつつ、認めたくなかった。
何ヶ月かして、「あの病院であんなこと言われなければ、
私は学校に行けたかもしれない」と、ずいぶん母を責めた。
そして、その病院の先生と学校に行くと約束をして帰ってきた。
5月頃のことである。

3へ続く
5(-_-)さん:04/06/26 02:44 ID:???
5ゲッツ
6(-_-)さん:04/06/26 02:44 ID:???
お前の体験談など








ど   う   で   も   い   い 
7さち:04/06/26 02:44 ID:???
さちのひきこもり体験談 3

しかし、そんな約束をしたからと言って、
簡単に学校へいけるようになるわけが無い。
結局、ずるずると行かないまま、一週間が過ぎた。
で、病院で、「学校に行かなかった」と言ったら入院させられた。
神経科なんちゅーとこは、入院するもんじゃーないね。
ほんとに気が狂っちゃう気がした。
お見舞いと言うか、様子を見にきた父に、
「お父さん、このままだと本当に気違いになっちゃうから、
ここから私をだして!」と泣いて訴えた。
しかし、学校に行けないと、ここからは出られないという事がわかり、
先生に「学校に行くから、家へ帰してください」と頼んだ。

それから一週間無遅刻、無早退、無欠席で学校に行った。
そして、私は家に帰ってきた・・・
また、家族にとって地獄のような日々が始まった・・・

 私は制服が嫌いだ。
 学校にいけない時、ちゃんと間に合う時間に起きても、
 制服を着るという行為がどうしてもできなかった。
 制服を前にして泣いていた。
 今でも、制服は嫌いだ。
 鍼灸院で、鍼灸師をしてるくせに、白衣を着ないのはそのせいだ。
 白衣を着ると患者さんに圧迫感を与えるからと、妙に説得力のある
 言い訳をするが、単に私が嫌いなだけだ。
 圧迫感を受けるのは、私の方なのかもしれない・・・
8(-_-)さん:04/06/26 02:45 ID:???
8ゲッツ
9(-_-)さん:04/06/26 02:45 ID:???
感動しますた
10(-_-)さん:04/06/26 02:45 ID:???
そんな事を聞いて俺になにかメリットがあるのか?
11さち:04/06/26 02:45 ID:???

学校へは、相変わらず行かない日々が続いた。
「先週はちゃんと行けたのに、どうしていかないんだ!」
と父に言われた。
「だって、あれは病院から出るために行っただけだもん。」
と、訳のわからない理屈をこねた。

近所の人達も、さすがに私が学校に行ってないことに気づきだした。
親戚の人達もあれこれ言うようになった。
私は親戚の中でも、よい子だった。
成績もよく、運動もでき、母の自慢の子だったに違いない。
当時、高校で生徒会副会長もしていた。
「あんなにいい子だったおまえが、どうしてこんな事に・・・」
と、祖母に言われた。そして、おそらく祖母は母に
「おまえの育て方が悪かった」と言ったに違いなかった。
母の苦悩の日々はまだまだ続く・・・
12(-_-)さん:04/06/26 02:45 ID:???
12ゲッツ
13さち:04/06/26 02:46 ID:???
閑話休題・・・

登校拒否児は、退行すると言われている。
自分のやりのこしたことがあると思われる年代まで、
子供返りしてしまうのだ。
そして、そこからやり直して、今の年代まで戻ってくると、
引きこもりから抜け出せるらしい。
事実、私も退行した。
「お母さん、一緒に寝ようよ」と言った。
母は別段嫌がる風も無く、二階で一緒に寝てくれた。
しかし、何日かたったある日、私がその部屋で
金縛りにあってしまったのだ。
気味悪がって、母はそれ以上、一緒には寝てくれなかったが・・・

家では、小さいときから、漫画はご法度だった。
漫画の本は、ほとんどなかった。
その反動がでたのだろう。
それから、私は漫画の本を読み漁った。
「できなかったことをしてるんだ」と思ってる母は、もう止めなかった。

14さち:04/06/26 02:46 ID:???
話を元に戻そう。
それからは、朝になると熱が出るが、
昼過ぎには元気になる・・・という状態になってきた。
しかし、階下にいて、お客さんに
「あら?今日は学校お休み?」と聞かれるのがイヤで、
二階にずっといた。
真夏の30度を越える暑い日に、窓もカーテンも締め切って、
布団をかぶって寝ていた事もある。
今思えば、異常としか言いようが無いのだが、
そのときは何とも思わずにそうしていた。

母は、色々な本を読んだり、人から話を聞いたりしていた。
しかし、当時の物は、どれも「親の育て方が悪かった」としか
書いてなかった。
母はずいぶん自分を責め、悩んだ事だろう。
15(-_-)さん:04/06/26 02:46 ID:???
14ゲッツ
16(-_-)さん:04/06/26 02:47 ID:???
>>15
おしい!14だ
次は頑張れ!
17さち:04/06/26 02:47 ID:???

そして、あるとき新聞で登校拒否児や、いわゆる不良少年たちを
預かって、立ち直らせているというお寺の記事を読んだ。
母は、速攻で電話した。
私にもその新聞記事を見せた。
しかし、私がそんなのに興味をもつはずも無い。
私は家でこのままいればいい・・・と思っていたのだから。

その少しあと、戸塚ヨットスコールが問題になった。
あの時新聞で見たのがヨットスクールであったなら、
私はそこに入れられたかもしれない・・・
今思うとぞっとする。
お寺でよかった・・・

18(-_-)さん:04/06/26 02:47 ID:???
ありゃ・・・
19さち:04/06/26 02:47 ID:???
ある日、両親が「東山動物園に行こう!」と家族みんなを誘って、出かけた。
確かに動物園にも行った。
しかし、母の目的は、私をお寺に連れて行くことだった。
東名高速の名古屋インターで、家の帰るのとは違う入り口に入った。
「お父さん!!間違えたよ!!」私は叫んだ。
「あのね、これからあのお寺に行こうと思って・・・」母が言った。
私は激怒した!「そんな話は聞いてないっ!!!」
途中渋滞で車が止まったとき、弟は、私が車を降りてしまうのではないかと
思ったそうだ。
今なら確かにやりかねない。きっとそうするに違いない。
しかし、当時は、そんなこともできなかったのだ。
仕方なく、お寺に連れて行かれた・・・
20(-_-)さん:04/06/26 02:48 ID:???
19ゲッツ
21(-_-)さん:04/06/26 02:48 ID:???
21ゲッツ
22さち:04/06/26 02:48 ID:???
住職は、「そこまで本人がいやがっているのだから、
今日は預かれない・・・」そう言った。
お寺で、話をしているとき、母が私に
「お母さんも死ぬから、一緒に死のう」
と言って泣いた。
私は「私は死ぬ気なんてないから、お母さん一人で死ねば?」
と言い放った。
実際、死にたいと思わなかったし、死ななくちゃならないほど
悪い事をしてるとは思っていなかった。
しかし、母をそこまで追い詰めているんだ・・・ということはわかった。

母は考えた。どうしたら、私をここへ置いていけるだろう・・・と。
その日は名古屋のおばさんの家へ泊まり、私の説得にかかった。
「このまま家にいたらダメになる・・・」
両親とおばに説得され、私は諦めざるを得なかった。
仕方なく、次の日から、私はお寺で生活をすることになった・・・
6月のことである。

23さち:04/06/26 02:49 ID:???


お寺の生活は、不快なものではなかった。
私が学校へ行かないことを、誰も責めない、
何をしてても、誰にも何も言われない・・・
それは、安堵感のある生活だった。
しかし、お寺にいる子供たちみんなで、
何かをするのは、やはりいやであった。
「団体行動」が、嫌いになっていたのだ。

お寺には、2ヶ月ほどいたように思う。
あまり記憶がない・・・
お盆になったので、家に帰ってきたような気がする。
9月も、少しいたかもしれない。
あまり覚えていない・・・
でも、お寺はいいところだった。
楽しかったのだ。

とにかく、お寺で、粗食に耐えていたのは覚えている。
少しやせて帰ってきた。
しかし、その反動で、家に帰ってから、贅の限りをつくした。
お母さんに「あれが食べたい、これが食べたい」といい、
自分でも食べたい物をつくり、ケーキなどのお菓子も作った。
作った物は、私が一番食べた。
みるみるうちに、体重は前とは比べ物にならないほど増えた。
「豚」とかいうレベルではなく、「熊」のようだった・・・
洋服も着られなくなっていた。
女物のLサイズでもダメで、男物を買ってもらった。
大体、ファッションなんて気にしないから、着られればいい・・・という感じであった。
(どこにも出かけなかったしね)
24(-_-)さん:04/06/26 02:49 ID:???
覚えていないと行っていたわりに隅々まで明確な記憶だな
25(-_-)さん:04/06/26 02:50 ID:???
25ゲッツ!
26さち:04/06/26 02:50 ID:???
それからの生活は、朝、きちんと起きて夜寝るようになった。
しかし不眠症だった。

そして、みんなより少しはやく自動車学校に通った。
10月頃のことだ。
高校じゃないから、ちゃんと通えた。
不思議なものである。
しかし、自動車学校の無料送迎バスに乗るのがいやだった・・・
どうしても乗る事ができなかった。
行きはいつも送ってもらった。
しかし、帰りに迎えにきてもらえないとなると、
1時間かかる道を歩いて帰った。
バスに乗ることを考えれば、1時間歩く方が私には楽だったのである。

普通に路上試験まで合格し、あとは、免許取得のための
最終の筆記試験を残すだけとなった。
そこでまた受験に行けなくなった。
なぜなのかわからない・・・
しかし、有効期限はまだあるから・・・って放っておいた。
高校3年の3学期、みんなが自動車学校に行って、次々と免許を取る中、
私はそのまま、試験を受けずにいた。
そして、翌年5月9日、「今日は占いによるとラッキーデーだから」という
単純な理由で、試験を受けに行った。
で、受かってしまったのだ。
27(-_-)さん:04/06/26 02:50 ID:???
26ゲッツ
28さち:04/06/26 02:50 ID:???

免許を取ってから、父の送迎が私の日課となった。
車の運転は、そんなに好きではなかった。
今でこそ、主婦暴走族?という運転をするが、
当時は、対向車や、後ろにいる車が怖かった。
父が横に乗ってるときはいいのだが、一人で家に帰るときは心細かった。
ある日、一人での帰り道、右折が出来ずにオタオタしてしまった。
後ろの車のおじさんが降りてきて、「出なきゃダメだよ」と言った。
そういうイヤな思いをすると、もう2度と、父を送って行けなくなった。
とにかく「イヤなことからは逃げる」というのが、その当時の私だった。
家族もそれを知っていて、腫れ物を触るように私を扱った。
とにかく、私のご機嫌を損ねないように・・・という感じだった。

29さち:04/06/26 02:50 ID:???
そして、また4月がきた。
私はひとつ下の学年の子と一緒に学校に行くことになった。
お友達のいるクラスに入れてもらった。
でも、一日行っただけで挫折した。
行かない!と決めてしまった。
母ももう諦めていた。
しかし、ずっと学校に行かない私を毎日見てるのはつらかったらしい。
その上「親離れできない子が登校拒否になる」と聞いた母は、
物理的に、私を親元から離そうと考えた。

しばらくして、名古屋の中学に通ういとこの面倒をみてほしい・・・と言われた。
いとこは当時岐阜県に住んでいて、名古屋まで通っていた。
名古屋に親戚の人が借りている部屋があって、
今はそこには住んでないから、いとこと二人でそこに住むという話になった。
どれくらい一緒にいたか、あまり覚えてないが、
私はその子のご飯を作ったり、洗濯や掃除をしたりしていた。
しかし、いとこの家族も名古屋で住むことになり、その子は親元に戻っていった。
私は、家に帰らず、名古屋で一人暮らしを続けた。
そう言えば、編物教室とかにも通った気がする。
30さち:04/06/26 02:51 ID:???

ある日、様子を見にきた母と、話をするのだが、どうもうまく言葉が出ない。
一人で部屋にこもってばかりで、人と話をしなかったから、
顔の筋肉が落ちてしまったのだ。
舌もうまく回らなくなっていた。
驚いた母が、私を家に連れて帰った。
母も驚いただろうが、私も驚いた。「らりるれろ」が言えなかったのだから。

その年のいつ頃だっただろう・・・
前に行った病院のある市の教育相談に、登校拒否に詳しい先生がいると
母がどこからか聞いてきた。
またまた、私はそこへ連れていかれた。
私はもう期待していなかった。
誰と話をしても、悪いのは親、本人としか言われなかったのだから・・・
そして最後には「学校に行け」と必ず言われた。
そういわれることで、どれだけ私が傷つくかなんてことは、何もわからずに・
31(-_-)さん:04/06/26 02:51 ID:???
>>27
アチャー
32(-_-)さん:04/06/26 02:52 ID:???
31ゲッツ
33さち:04/06/26 02:52 ID:???
その先生は小林先生と言った。
小林先生は私が今まであった人たちとはあきらかに違っていた。
私が話しをしてて、気分がよくなったのである。
学校に行かない私のことを責めなかった。
学校に行きなさいとか、行かなくちゃダメだとは、
一言も言わなかったのである。
私の今までのことをすべて聞いてくれて、
「そうか・・・つらかったな・・・」と言ってくれた。
私のことをちゃんと認めてくれたのだ。
母に対しても、「育て方が悪かった」とは言わなかったようだ。
学校に行けないというのは、今の教育制度に適応できないだけで、
それはそれで、その子の個性だと言われたのだ。
そんな風に言われたことは一度もなかった・・・
私たち親子は救われた気がした。

小林先生に、私と同じ年で、同じように学校に行けない女の子を
紹介してもらった。
彼女は、私のようにあれこれ引っ張りまわされず、
ずっと2年間家にいたそうだ。
彼女とは考え方が同じだったせいもあって、すぐに仲良しになった。
母親同士も、同じ境遇の娘を持つ親同士、話があったようだ。

また、その先生のお手伝いをしていると言う、女の先生も紹介してくれた。
岩崎先生というちっこくてすっごくかわいい先生だった。
でも、岩崎先生は、後に「私のやりたいことは、ちがうの!」と言って、
信州大学の医学部を受けて、受かってしまったというツワモノだ!

何度か小林先生の所に通い、私は自分を取り戻していった。
34さち:04/06/26 02:53 ID:???
そして3度目の4月がやってきた。
20歳になっても、まだ高校生である。
さすがに前の学校では、行かれないだろうということになり、
転校することになった。
転校先は、小林先生がいる市の私立の高校だった。
姉妹校が私の市にもあり、そこには妹が通っていた。
私は一人暮らしを始めた。
4畳半一間にちょっとした炊事場がついてるだけの部屋。
押し入れさえもついてなかった。お風呂は銭湯だった。
でも、私はあの部屋が好きだった。
自分の城のような気がしていた。
1階にはお弁当屋さんがあり、よく買いに行ったし、
近くには本屋さんもあり、しょっちゅう入り浸っていた。
ちょっと足を延ばせば、変わったパン屋さんもあった。
快適な一人暮らしができたのである。

転校したからといって、毎日ちゃんと行けたわけではない。
行ったり行かなかったり・・・
行っても、午前中で帰ってきてしまった。
一日ずっと学校にいたことはなかった。
行事のあるときは、絶対に行かなかった。
休んだ日に先生がきて、
「ちょっとドライブに行こうか」と私を誘い出し、
学校まで行って、「今日は校門くぐったから出席!」
といってくれた日もあった。

35さち:04/06/26 02:53 ID:???
毎日公衆電話から、実家に電話した。
「今日は行けた」「今日はいけなかった」と・・・
ある日、気まぐれで電話をしなかったら、
親がすっ飛んできた!
「何かあったのかと思って・・・」

何かあったといえば、ある日の明け方、
知らない人が、階段を上ってきて、(私の部屋は4階だった)
ドアを開けようとした。
怖かった・・・
今なら戦うんだけど(笑)、その当時、そんな勇気はなかった。
このまま息を潜めて、朝が来るのを待っていようか・・・と思ったとき、
下の道路を人がとおるのがわかった。
私は窓を開けて叫んだ。
「すみません!警察を呼んでください!」
それを叫ぶのに、どれだけ勇気が行ったことか・・・
学校に行くのと同じくらいの勇気を必要とした。
結局、その人は、隣にあるビジネスホテルと間違えて
私の部屋上ってきたらしいということがわかったが、
階段に汚物を撒き散らして、みんなで掃除をしなければならなかった。
36さち:04/06/26 02:54 ID:???
そして、受験の時がきた。
卒業の見込みは立っていなかった。
しかし、私は鍼灸の道に進みたかった。
卒業できなければ、次へ進まなければいい・・・
そんなつもりで、受験した。
合格してしまった。
さて、どうしましょう・・・

ほとんどの教科は単位をもらえた。
試験の成績はよかったからである。(勉強は嫌いではなかったので・・・)
問題は、家庭科と体育だった。
なぜなら、その二つは授業が午後にあって、
私は一度も出席しなかったからである。

37(-_-)さん:04/06/26 02:54 ID:???
こんな長文読む気がしねぇ
チラシの裏にでも書いとけ、な!
38さち:04/06/26 02:55 ID:???

体育は、春休みに特別授業をしてくれた。
「バスケットのゴールを連続で5本決めたら単位をあげる」
と、言われた。
できちゃった・・・(笑)
「なんだ・・・体育が苦手で欠席してたわけじゃないんだね」と言われた。
ふふ〜ん。私、バスケは得意なんだも〜ん!

家庭科は、調理実習を2品作って、家の人に感想を書いてもらいなさい
という事になった。
実家に帰る時間はなかった。
私は料理をつくったふりをして、感想も自分で書いて提出した。
それで、OKがでた。
さすがに私立の高校である。

卒業式に、みんなと一緒には卒業できなかったけれど、
校長先生の配慮で、卒業証書の番号は、みんと同じになっている。

こうして、私の長かった3年間が終わった・・・

39(-_-)さん:04/06/26 02:55 ID:???
で、ダイエットしたの?
40(-_-)さん:04/06/26 02:55 ID:???
                  __ __ __ __ __                __ __
                 ∠__∠__∠__∠_.∠_../ |        __∠__∠__∠l__
               ∠__∠__∠__∠__∠__/|  |        ∠__∠__∠__∠__/.|_
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41さち:04/06/26 02:55 ID:???
長い人生の中の、たった3年のことだから・・・
とよく言われたが、その3年でいろんな事を学んだ。
色々な物を失ったし、その分大きな物も得た。
両親には、精神的にも、金銭的にも大きな負担をかけた。
妹弟も、また私の犠牲なった。
妹は母が私にばかり目を向けていたので、ぐれた。
今も、結構ぐれている。(笑)
と言うか、自立心が強くて、実家にはほとんど寄りつかない。
弟は姉二人がそんななので、
「俺がしっかりしなくちゃ」と長男に目覚めた。
しかし、私から見れば、やはりどこか頼りないのだが・・・

42さち:04/06/26 02:56 ID:???
ただ・・・
今の私がここにいるのは、あの3年があったからだと思う。
そうでなければ、違う道を選択していたであろう。
私は今の自分が決して嫌いではない。
イヤなことから逃げようとするし、何かあれば、拒否反応で
身体に症状がでるが、それはそれで楽しんでいる。
働きに出ることが出来なくて、自分で仕事を始めた。
しかし、仕事をする気がないので、患者さんがくれば仕事をする・・・
といった具合だが、それはそれで、私だと思っている。
いざとなれば、とんでもない力を発揮できる事を、
自分でわかっているからでもあるだろう。
他人からすれば、どうしようもない奴だと思われるかもしれないが、
私は私で、結構今の自分を肯定しているのだ。
小林先生が言っていた「個性」であるだろうと思っている。

長々と書き連ねてしまった・・・
読んでくださってありがとうございました。
長いだけでつたない文で、ごめんなさい。
何か、感想など、掲示板に書いてくださるとうれしいです。






おわり♪
43(-_-)さん:04/06/26 02:56 ID:???
どうでもいいな
こんな奴の人生聞いても参考にならん
44(-_-)さん:04/06/26 02:57 ID:???
44ゲッツ終了
45(-_-)さん:04/06/26 02:57 ID:???
今が幸せでしょうがないんだね。なんだかんだで結局上手くいくような人生でよかったね、削除依頼出してこい糞
46(-_-)さん:04/06/26 02:58 ID:???
自己完結してるじゃん
なんでここで意見を求める?
47さち:04/06/26 03:00 ID:???
ただ自慢したかっただけです
「さち」という名前も幸せの音読みから取ったものです
今わたしは幸せなので♪
48(-_-)さん:04/06/26 03:02 ID:???
ムカツク
49(-_-)さん:04/06/26 03:03 ID:???
涙が出てきました
良い先生に恵まれて良かったですね
50さち:04/06/26 03:04 ID:???
普通の人に話しても自慢にならないし、
ココの人達なら思いっきり自慢できると思って♪
51(-_-)さん:04/06/26 03:06 ID:???
幸せなのはいいけど

人を見下したような態度はどうかと思う
それも個性?
52(-_-)さん:04/06/26 03:06 ID:???
 \ えっ…と、クソスレはここかな…、と /
    ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     ∧∧ ∧∧.__._
    ∩゚Д゚,≡,゚Д゚)    |.|
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53さち ◆2pJ2Y76JcE :04/06/26 03:06 ID:???
偽者が出る前にトリップ付けますね。
なにか感想等ありましたら、ドンドン書いて下さい!
54さち ◆2pJ2Y76JcE :04/06/26 03:08 ID:???
>>51
もちろん個性だと思います。
もともと、こういう性格なので・・・
お気に触ったらすいません。
55(-_-)さん:04/06/26 03:08 ID:???
>>1
ウワ━━。゚(ノд`)゚。━━ァ!!!!
56(-_-)さん:04/06/26 03:09 ID:???
 \ えっ…と、クソスレはここかな…、と /
    ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     ∧∧ ∧∧.__._
    ∩゚Д゚,≡,゚Д゚)    |.|
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     〜′ /´ └─┬┬─┘
      ∪ ∪      ││ _ε3
               ゛゛'゛'゛
57(-_-)さん:04/06/26 03:09 ID:???
>>54
まぁ、、とにかく幸せならいいや
おめでと
それだけ
58(-_-)さん:04/06/26 03:11 ID:???
 \ えっ…と、クソスレはここかな…、と /
    ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     ∧∧ ∧∧.__._
    ∩゚Д゚,≡,゚Д゚)    |.|
     `ヽ    |)====
       | _ |〜 .|__|.|
       U U


        ∧∧  ミ _ ドスッ
        (   ,,)┌─┴┴─┐
       /   つ..  終了 │
     〜′ /´ └─┬┬─┘
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59本物のさち:04/06/26 03:12 ID:???
>>42以降のレスは
私じゃありません。
60さち ◆2pJ2Y76JcE :04/06/26 03:12 ID:???
さっきからクソスレのAA貼ってるのは誰ですか?
単なるスレ汚しなら帰ってください。邪魔です。
61(-_-)さん:04/06/26 03:13 ID:???
 \ えっ…と、クソスレはここかな…、と /
    ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     ∧∧ ∧∧.__._
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     `ヽ    |)====
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62煽りの小五郎:04/06/26 03:13 ID:gYuZfxHl
>>59
いわんでも、見りゃ分かる。
63(-_-)さん:04/06/26 03:13 ID:???
こういうスレって、大抵>>1がトリップつけずに偽者が出てきて終わるよね
64(-_-)さん:04/06/26 03:15 ID:???
さっきからコピペ貼ってる人いいかげんうざいですよ
65(-_-)さん:04/06/26 03:16 ID:???
で、1は何が言いたいんだ?
66本物のさち:04/06/26 03:18 ID:???
>>65
何か感想を書いて下さい。
67(-_-)さん:04/06/27 04:47 ID:???
自分が引きの時に嫌な思いしてたのに抜けた途端ひきを見下すってすごい神経だな。まぁ釣りだろうが
68(-_-)さん:04/07/03 12:11 ID:???
  ∧_∧
 ( ´∀`) < ぬるぽ
69(-_-)さん:04/07/04 20:25 ID:zvKsSx1N
お前だって・・・・
70(-_-)さん
>>68
ガッ