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石原:03/06/14 00:11 ID:U7/W/dNQ
いやーんカバ〜ん。
( ´,_・・`)ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ
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(-_-)さん:03/06/14 00:22 ID:XOy5MxKy
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 先生、またまた石原です!
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| ギコネコ __ | ̄ ̄| ̄ ̄| ̄ ̄| |
| 終了事務所. / \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | ∧∧ | < 何がうふ〜んだ!終了だ!ゴルァ!!
(゚Д゚,,)| \_______________
∧∧ .※ ⊂ ⊂|. |〓_ |,[][][]|,[][][]| ..| |
(,, ) / U ̄ ̄ ̄ ̄ 〓/| |,[][][]|,[][][]|,[][][]|/
/ つ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜( ) | | ∩∩
〜´ ̄ ̄ (´Д`) ゴラァ
UU ̄ ̄U U 【完】
『だから日本人は…』
*『たけしのテレビタックル』を見ていると「だから日本人は…」という言葉がよく聞かれる。
*チョコット外国に行ってきたヤツも良く口に出す。
*「だから日本人は…」と外国と比較して日本の悪いところだけをとやかく言う。
*それって外国カブレのヤツのセリフぢゃないの?。
*確かに日本には悪い点や直したいところもあるだろう。しかし「だから日本人は…」などと見下した言い方をしていいものだろうか。
*このセリフを吐くヤツはどこかの国と比較しているのだろうが、諸外国の方々は決して自国を卑下したりしない。
*いや、逆に母国の「ここがいいところなんだ」と素晴らしさを語る。
*「だから日本人(あるいは母国)は…」と言うのは日本人だけの悪いところだ。
*日本には日本の歴史的背景があって、習慣、言語が現在のようにあるのだ。その中には悪いところもあれば良いところもある。
*まず、母国の良さを語れずに、安易に「だから日本人は…」などと言っているヤツは自分を恥じるべきである。
日本人の悪いところ
私は海外で生まれ、最近主人の転勤で日本に戻って来ました。同僚、仲間と仕事中に協力するのは大切な事で、
とてもよい事だと思いますし、仕事の後にコミュニケーションを取る事も大切だと思いますが、日本人は仲間意識が強すぎると思います。
皆と同じでなければダメだという感覚が強すぎます。飲み会に誘ってもらえなくても、いいじゃないですか?
私は、仕事の後まで、同僚や上司に拘束されるなんて、耐えられません。夜は、自分と家族、親しい友人のために時間を使います。
会社の人の為に、大切な時間を無駄に使いません。
環境ホルモンってなに?
カップ麺のポリスチレン容器からスープに溶け出すスチレンモノマーやダイマーといった化学物質が、
環境ホルモンいわゆる「内分泌撹乱物質」の疑いあり、と言われているのだ(※)。
日本人の悪いところは、いったんマスコミなどでワーッと騒いでも、アッという間に忘れてしまうところだ。
「環境ホルモン」という言葉も、一時期まるで流行語のようにあらゆるメディアで見ることができたが、
最近はトンとごぶさただ。さすがに「環境ホルモン」という単語そのものには耳になじみができたかもしれないが、
実際に日本人のひとりひとりがその言葉の本質を理解し、
日常生活でそれについてたえず意識するというレベルにまでこの概念が浸透したかというと、これは疑問だ。
私たち日本人の悪いところは、間違いを恥ずかしいと思うことです。
ドイツ語が母国語で
ない以上、私たちがミスをするのは仕方のないことで、初めから完全にできる
人などいないのだから、どんどん間違って、それを指摘してもらい、直してい
くことが、ドイツ語上達への近道なのだとつくづく感じました。恥ずかしがっ
て、話しをしないと、会話の中での言い回しなども覚えることができず、単語
量も増えず、いいことなしなのです。最後の講座は、そういった意味でとても
刺激になり、もっともっと頑張らねばと、改めて自分に言い聞かせることがで
きました。できることなら、いつもこのような刺激を受けつつ授業に参加した
かったと思います。
私達、日本人の悪いところはそこだ。もっと自分に自信を持ってアピールしていったほうが良い。その理由は二つある。
第一の理由に、私達は、「遠慮という殻」をかぶっているかぎり、成長しないのだ。
要するに「蝉」である。殻にかぶっていては何も出来ない。成長しないわけだ。殻から出て、
初めて意味がある。分かっていながら、分からない、
このような事は、はっきし言って「宝の持ち腐れ」である。外に出て、羽を思いっきり伸ばしてみよう、
羽ばたかせてみよう。新たな道が開かれる。
「あの子おとなしいわねぇ〜」と言われるより、
「あの子積極的ねぇ〜」と言われたほうが嬉しいはずだ。
第二の理由に、チャンスを逃すからだ。今こそ飛び立つとき、そんな時に飛び立たない、
何てもったいないことなのだ。例えば、高校入試のとき今は絶好調。トップクラスの講校にいけそう、
そんな時消極的で受けない、こんなもったいないことはない。チャンスは一度しかないかもしれない。
こんな体験をした人はいるであろう。確かに、遠慮することはいいことだ。
しかし、こういう名言がある。未来には、ひとりでにできる未来と、自分で作る未来との二つがある。
いくら生い茂る茨の道も、自信を持てば、切り開けるはずだ
日本のある会社が香港で現地の人間を採用しようと求人広告を出したという。
「日本語のできる人を求む」
すると瞬く間に、「我こそは日本語が達者である」と胸を張ってたくさんの香港人が押しかけた。
会社側はおおいに喜んで、さっそく面接をしてみたが、実際にはほとんどの人が、
「コンニーチハ、サヨナーラ」といった挨拶程度しか日本語を話すことができなかったそうである。
このくらいの挨拶は私にだってできる。私達にまったく関係ないフランス語やドイツ語、
中国語だっていえる。私は物事を、自信を持って言えるほうだが、いくらなのでも、挨拶しか出来ない言葉を、自信を持って
「私は出来ます。」なんて言えっこない。できないことをできるなんていうと、とてもはずかしいし、何しろ、
日本人は遠慮しがちである。
皆さんもこういう会話を聞いたことがあるだろう。
「つまらないものですが、受取って下さい。」
「いえいえ、もらうわけにはいきませんよ。」
「そんなことを言わずもらって下さい。」
「じゃあもらおうかしら。」
日本人はこのような会話が日常的だ。まず、最初の「つまらないものですが」という文。実際には、
何千円とするものが入っているはずだ。この瞬間、中身のものがつまらないものだと思う受取人はいないはずだ。
本当につまらないものだったらわたさないはずだ。「いえいえ、もらうわけにはいきませんよ。」この文だって遠慮し過ぎ。
私だったらすぐもらう。二回目の返事をまっているようじゃ、本当に何処にいっても生きていけない
私たち大人がもっと子どもたちに思いやる心、やさしさを育てなければいけないとはんせいさせられた。
そして子供にも甘やかすのではなく、
どんな時にでも対応できるような心の強い子供に育てたいと思った。
・人と同じでないことを嫌うのは、日本人の悪いところだと思う。子の映画を見て、あるがままの姿を受け入れ、
お互いに認め合うことのできる人間になってほしいと思った。