そらのいろ、みずのいろ part2

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833名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 21:16 ID:???
フンドシじゃなくてフル珍じゃねえか、ボケw
834名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 21:22 ID:???
落ち着いて語れるようになったのはいいが、昨日からずっと最下段ってのはどうなのよ。w

遅レス
>>785
だよね。
これ、主人公たちに感情移入すると、ナレーション風のト書きで、自分の言動の意味を
一々解説される、という感じになるし。
リアルでもそうだが、上からの視線で自分のことを解説されるのは、してる側にバカに
するつもりが無くとも、やはりイヤなもの。
だから、むしろナレーターであるト書きの隣に座って、一緒に「おーおー若いのぅ」とか、
ニヤニヤしながら観るのが、まぁ、「いい」楽しみ方なように思う。

789>>790
うん。
あそこは、十三のおとぼけが無かったら、ネガティブ・キャンペーンになってるとこだった。
「そうです」と答えると一瞬顔を曇らせるはず、それで完成する。 「ワタシは朝チャンの
セイで苦しんでマス」というアピール。
ま、あの時点では、菜摘芽は朝を嫌ってるハズだから(弌とベタベタ&自分を嫌ってる)、
無理もないんだが。
835名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/03 23:13 ID:???
相変わらず最下層に張り付いたまんまだなw

俺は感情移入した時、必ずしも3人称のト書きが不快とは思わんかったな。
つうか結局、馬鹿に成り切って素直に受け入れられるかってことじゃないかね。
頭のいい人は、分かってるからいちいち説明すんなボケって気になるのかも知らんけど。
それよりは、状況をどんどん限定して選択肢をしぼってくれた方が緊張感があっていいや。
深みはなくなるけど。
836名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 00:47 ID:???
高校生が高校生をやってるというのもあるか。
普通のゲームは大人が高校生演じてるのが多いけど、そらみずは視線が実際に高校生。
大人のプレイヤーにとっては、ト書きで子供扱いされるのが何か嫌って感じかも。
837名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 01:45 ID:???
>>836
それはあるね。
十三みたいな雑学王な高校生とか
朝みたいな料理ならなんでもお任せな高校生がいて
少し濃度の濃い4人組だけど高校生っぽくは感じる。

ただ、ト書きはコレが正解だとか人の感性を決め付ける言葉が多いのが気になる。
確かにライターが生み出したキャラだし、
それが正解なんだろうけどプレイヤーの感受性を殺してる。
俺が弌だったら、十三だったらこう感じるな的な余裕が生まれない。
838名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 02:35 ID:???
>>837
ただ、プレイヤー自身の感性を敢えて制約するという手法もあるから、一概には何とも言えない。
それが成功してるかどうかは別として。

特に、これはプレイヤーをある特殊な精神状態に追い込むために使われることが多い。
自由度を殺して、逃げ道をなくすというのかな。今回だとまず野合前提のシナリオありきじゃないかっつう希ガス。
839名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 11:05 ID:???
837は感性を制約する方法を否定しているんじゃなくて、
たとえば美しいものを「美しい」とそのまま記すのは、今ひとつだ、
という話をしていると思われる
840名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 11:07 ID:???
・・・ちょっと違うか。説明くどくどやって正解にしてるから、美しいのを美しい言うのとは違うな。
えーと、美しいかどうかよくわからん対象について、美しいという主観を第三者的な視点から
断定してしまうのがまずい、

だな。
841名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 11:11 ID:???
で、これは感性を敢えて制約する手法として、いまいちだということを837は言ったのだと思う

野合を受け入れるときにプレイヤーキャラとして生ずるのが自然な葛藤が、制約されると
プレイヤーは野合という結果ゆえにでなく、その手法ゆえに、ライターの価値観を押し付け
られながらシナリオを読んでいるような気分になってきてしまう。これはいかんと
842名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 11:28 ID:???
ライターが変人なんだよ、多分。
843名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 12:05 ID:???
嘘屋は市ね。
844名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 14:14 ID:???
そもそもそんなに説明くどいと感じなかったが。
845名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 14:29 ID:???
小説向きの文をエロゲでやっちゃったから違和感が出てしまうのだと思う
846名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 16:12 ID:???
>>841
>自然な葛藤が、制約されるとプレイヤーは野合という結果ゆえにでなく、
>その手法ゆえに、ライターの価値観を押し付けられながら
>シナリオを読んでいるような気分になってきてしまう。これはいかんと

それは手法から来る違和感ではなくて、価値観から来る違和感だろう。
手法は単に葛藤や他の選択肢を消すために使われてるだけだから。
スリラー物を見てるとき、自分なら恐怖を感じないという自由度を残しておくと物語に入れないのと同じ。
結局、緊張感を出すための一手法だと思うよ。
問題は、スリラー物なら自分は恐怖感を味わうために見てるという心の受け入れ準備があるけど、
野合はあんまり特殊すぎて、その世界に自分が入れないってところが問題だと思う。
もちろん、それを回避するために長い前準備をしてるんだとは思うけど。
847名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 16:50 ID:???
3人称のト書きってそんなに珍しいもんじゃなかろ。
それに、そらみずでもキャラの性格を固定したり、物語の方向を決めたりする場面で使われてるだけだし。
ただ、これは理不尽だ、と感じることはあるがな。
848名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 17:59 ID:???
確かに小説風味かもなぁ。違和感というより特徴かなって感じたけど。
849名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 18:33 ID:???
ゲームじゃキャラの台詞より長いト書きなんて読んだことねぇよ

つーか諸々を台詞に織り込めとは言わんが、ト書きが必要な時点でダメテキストだろ
850名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 18:44 ID:???
>>849
> つーか諸々を台詞に織り込めとは言わんが、ト書きが必要な時点でダメテキストだろ

さすがに、これはアンチの釣りにしても頭悪すぎ(藁
3人称が云々って似たようなカキコ見かけるけど同一人物だろう。
851名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 19:05 ID:???
しかし、そらみずは確かに独特だよ。独特だからダメテキストってのはさすがにアレだがなw

思うに、この作品にはどうしても二つ視点がいるんだよ。「恐るべき子供達」wと大人と。
まず強制的に読者の視点を子供視点まで下げることに注力してる気がする。
このギャップを受け入れられるかどうかが、楽しめるかどうかの分かれ目だと思うね。
俺は、むしろ結構面白い試みだと思った。上手くいってないと感じられる箇所もあったが。
852名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 19:41 ID:???
もっとシンプルな話でさ、構成上の問題。
物語の司会進行を、登場人物がやるか作者がやるかって話。
司会進行部分が台詞より長くなるのは当たり前で、>>849の批判はまあちょっと的はずれだ罠。

むしろ司会進行を作者がやるのはどうよってこと。
例えば笛なんかだと、司会進行は全部、主人公が長々とやる。
これだと感情移入は楽なんだけど、好感度高めキャラでないと使いづらいという側面もある。

そらみずは、良くも悪くも精神年齢低めキャラの成長物語に仕立て上げるための工夫だと思うね。
853名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 19:47 ID:???
主人公がやろうが、作者がやろうが、結局作者がやってんだけどな(藁
854名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 19:54 ID:???
進行役やらせるのは伊部さんでいいんじゃ?
あの人は第三者(実際には第五者だけど)役の為にいるんじゃないの?

主役が2人いるんだから、本人じゃだめなら片方がやるって手もあるんだけどさ。
855名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 20:01 ID:???
>>854
伊部さんがやるのはさすがに無理だろ。ストーカー伊部さんになっちゃうよw
あと片方の主役がやるのはありだけど、それは主人公がやるのと変わらないので意味がない。
必要なのは語り手と主人公達の精神年齢を分離させることだから。
856名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 20:09 ID:???
>>846-847
>それは手法から来る違和感ではなくて、価値観から来る違和感だろう。〜

例がこっちが言ってる内容と全然かみあってないんだけど。
野合に入る際に違和感があるかどうかが価値観の問題でないとは誰も言ってないし、言うわけないでしょうが・・・。

そうではなくて、違和感を感じる価値観のもとでの結果につなげていくときの手法の話をしてるんだよ。

>スリラー物を見てるとき、自分なら恐怖を感じないという自由度を残しておくと物語に入れないのと同じ。
スリラー物を見てるときの「恐怖」感は、否応もなく味わわせる(むこうからやってくる)ことだが、
野合は登場人物の主観的な選択(向かっていく)だから、恐怖の例をあげて自由度を限定する
手法として肯定するのは、的外れ。

つーか、「自由度を残しておくと物語に入れない」とか言ってるけど、君、後付で理屈こねたでしょう?
この言い方には、読者が物語に入るならばどんな表現手法でも通じるという前提があるんだけど
分かってる?

あと、当然だが>>849は間違いな。
857名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 20:10 ID:???
読者が物語に入るならば→読者が物語に入るための
858名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 20:17 ID:???
要するに、こういうこと。

登場人物がある決意をするときに、その決意が正しいと読者に受け入れさせたいときに、
それについて、ト書きで触れるのなら、小説という形でそのことを語る意味は無いし、
価値観が一致しない読者は、そこに作中人物を見ずに、作者を見てしまいます。
それでは、シナリオとしては(シナリオによって作品世界を読者に受け入れさせるという意味では)失敗です。

それについて、登場人物がある決意をするいきさつや、登場人物の主観として
描き、その主観について、登場人物に説得的な理由付けをさせるならば、
その登場人物に対して、共感できない、という形で、その作品を読者に受け入れさせることには成功しています
(価値観の相容れない考えの持ち主が作者だけである、ではなくて、世界にはいる、と一般的に考えさせることができた)。

価値観の違いによって感ずる違和感とは、問題が違う。
859名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 20:20 ID:???
追加:858の2つめのパラグラフで、価値観が一致していたとしても、作者が見えることに
手法上の問題を見る人は、違和感を感じます。
860854:04/09/04 20:23 ID:???
いや、別に伊部さんにデバガメやれってんじゃなく、登場人物として居るのとは別に
昔話を聞かせる的なストーリーテラーの役目も負ってもいいんじゃないかと。

つまり、嘘屋的にはプレイヤーに状況を説明する第三者ってより
納得させる「天の声」が必要だったんだな。

今祭りになってる某ゲームも作り手とプレイヤーとの温度差がかなりあるっぽいけど、
あっちにはその天の声すらないらしい。
861856-859とか:04/09/04 20:29 ID:???
別にト書きで状況説明をするのは普通なんだが、
そこで作中人物の行動の是非を論じてはいけないということだよ。

小説の作者は論によって読者を説得しようとしているのではなくて
作品世界を見せることによって読者を説得しようとしているんだから。
862名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 20:31 ID:???
説得は、作品世界を現実世界における何らかの意味での指針として肯定するように説得する、
ということではなくて、そういう世界を想像上成立させることについての説得ね。
863名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 20:40 ID:???
>>858
ト書きだけで決意を説明するわけではないし、むしろ長々とした物語の方が主体だと思うよ。
あとどんな作品にも自分はこう思ったという心理描写はあって、
それがそらみずではト書きに含まれてるだけって話だと思う。

つまいト書きに含まれていると作者の影が見え、一人称なら一見作者が隠蔽されてるだけ。
そんなに重大な違いではないように思う。
864名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 20:41 ID:???
>>861
主人公が直接考えた形を取るか、ト書きで心理描写するかだけの違いだと思う。
865名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 20:44 ID:???
もう、これは読み手の価値観の問題だろう。
つまり「作者はなるべく隠れているべき」という価値観の持ち主なら、ト書き手法自体に否定的。
それを重要視しないなら、ト書き手法で良しということになる。
866名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 20:51 ID:???
つうか野合のあたりは、ほとんど会話主体で、ト書きで価値観を押しつける部分なんてないだろ。
867名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 21:19 ID:???
おまいら評論家の話はむつかしくてワケワカメw

>>861
たとえば具体的にどれよ。
868名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 21:30 ID:???
ト書きとか主人公視点での進行とかより気になるのは
俺が気になるのは「正解」という言葉なんだけどな。
正解みたいな強い言葉は誘導でもなんでもなくて強制だろ。
ここに違和感を感じるんだよな。
相手の感情やそれを受けての行動に対して正解なんて言葉は不適切だと思うのよ。
人間の考え方や受け取り方、行動は千差万別だろ?
弌と十三の考え方、行動はきちんと個別の書き分けができてるのに
その後のト書きでそういう個人の感情ではなく作者の価値観を押し付けられてるように思う。
869名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 21:36 ID:???
>>868
正解って言葉が使われるのはどの場面?
あとそんなにたくさん同様の場面ってあったかな。
気に入らない箇所があるっていう意味なら分かるけど、全編そんな感じいう気はしないけど。
870名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 21:49 ID:???
朝がやらかした後になだめる時とか、選択肢を選んだ後にちょこちょこ出てたと思う
871名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 21:50 ID:???
野合のあたりは割と心理的葛藤の心理描写が細かくて丁寧な感じがしたけどな。
むしろ価値観の押しつけ感は希薄だったように思うよ。3人称なんて別に意識せんかったし。
それよりは、余計なことに悩むな、普通にいけ普通に、って必死に祈ってたけどw
872名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 22:13 ID:???
批評が手法に偏りすぎじゃないかい。

「ト書きで価値判断すること」が常に/誰にとってもいけないわけじゃない。
ト書きの心理描写や天の声でも同じこと。その効果とセットにしないと。

曖昧にしておくことで余韻を重視して読み手なりに考えたいと思う場合もあるだろうし、
宙ぶらりんの状態を、はっきりしたところに着地させてもらった方が安心する場合もあるだろうし。
ある人にとっては押しつけがましいことも、別の人にとってはクリアで好ましいかも知れない。
あとは、それが過度か適度かって話もある。
873名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/04 22:26 ID:???
イチイチそんなこと気にしない俺様が最強
874名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 00:27 ID:???
そう言うお前を菜っちゃんがひと呑みだ!
875名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 00:31 ID:???
望むところだ!
876名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 11:18 ID:???
なんでもかんでも価値観に還元したがるお子様が多いですね
877名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 11:46 ID:???
>>863
「長々とした物語の方が主体である」からといって、>>858でないとはかぎらない。論理的に反論になっていない。
どんな作品にも心理描写があって、ト書きに含まれる、という点も否定していない(ちゃんと文章読んでるの?)。
問題にしたのは、>>868>>870のこと。

>>864
「直接考えた形を取るか、ト書きで心理描写するかだけの違いだと思う」は、「見解の相違」と答えて反論した
気分になる人がするような言い方だな。違いの是非について論じているのに、それらが違う(だけ)と思う、では、
何も論じたことにならない。「見解の相違だな」で片付けるのがカッコイイとか勘違いしている類の人間なのか、864は
(さすがにそこまで馬鹿ではないでしょうが)。

>>865
>>865以前の「価値観」の意味と、865の1行目の「価値観」の意味とでは、同じ字面でも意味が全く違う。
前者の価値観は、野合の是非にかかわることだが、後者の価値観は、手法は価値観によって決まる問題かにかかわることだ。
途中で(気づいてすらいないだろうが)言葉の定義をかえて、一緒くたに論じるのは無意味だ。

>>872
>「ト書きで価値判断すること」が常に/誰にとってもいけないわけじゃない。

・それ自体として正しいが、それが正しいからといって相手の議論への反論にならないようなことを述べて、何か意味があるのか?

 一般的に手法として適当かを論じている場合に、特殊な手法でも通じる場合がある、とか、
 「ある人にとっては(価値観は別として一般的には手法として見る人にとっては)押しつけがましいことも、
  別の人(たまたま価値観で同意できるかだけを基準とする人)にとってはクリアで好ましいかも知れない」とか

 答えることに、何か意味があるか?

・曖昧にしておく・・・読み手なりに考えたいと思う、は主語と述語で主体が変わっていて意味がわからん。
 宙ぶらりん・・・は、すでに書いたが、特殊な例を問題にしても仕方がない。

というか、872は、内容以前に、関連性を考えずに、ただ思いついた問題を挙げまくるとか、
なんとなく違う気がするから「偏りすぎ」と頭で述べたりしている(手法に<偏りすぎである>のがなぜか
自分の考えとのかかわりで、何の脈絡づけもされていない)。内容以前に、論じ方に問題ありすぎ。
878名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 11:48 ID:???
「ある人にとっては(価値観は別として一般的には手法として見る人にとっては)

→ 「ある人にとっては(価値観は別として一般的な手法として見る人にとっては)
879名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 11:52 ID:???
>>871
これには同意。

それから、今回の話はもともと>>836-あたりから始まっている。
880名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 11:58 ID:???
↑以上を要約すると↓
881名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/05 12:04 ID:???
嘘屋氏ね。
882名無しさん@お腹いっぱい。
>>880
すまん、ちょっと長いよね。要するに・・・

・ある問題点を指摘されたときに、それよりもっと大きい問題点がある、とか、もっと大きい点で問題はない(として
 ある問題点の是非については触れない)、とか言うのは、論理的には反論にならない。

・手法も野合も価値観の問題だが、前者と後者の問題を価値観という一つの言葉で一緒くたにしちゃだめ

・複数の何かの是非が問題になっているときに、複数の何かの違いだ、と答えるのはナンセンス
 (「見解の相違」とか言う奴は殴りたくなりませんか?)

・一般的な問題について話しているときに、それにあてはまらない例外があることを指摘するのは反論にならない。

ということです。はい。

>>881
なぜこのタイミングで入れるかな(笑