■おもらし無くて何がエロゲーか!<pink版>■

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140名無したちの午後
では問う。
「おもらし」と「放尿」の違いとはなんぞや?

俺の個人的な見解では、両者の最大の違いは、
尿者自身の意思にかかっていると思う。
尿者の意思に反して排尿してしまえば、それは「おもらし」だ。
寝小便や、トイレまで我慢できずに…、というのがこれに該当する。
だが、服を着ていても尿者が自分の意志で放尿したのなら
それは「おもらし」ではない。「放尿」だ。
さらにその行為によって性的興奮を味わう第二者がいるのなら
それは「放尿プレイ」に昇華される。
もちろん、放尿行為を他者に見られることによって
尿者自身が興奮するという状況もこれに当てはまる。
そういう意味では恥ずかしい姿を見る・見られるという
いわゆる「羞恥プレイ」的な要素が強いものと言える。
と、このような理論展開を続けていくと、ひとつ疑問が生じる。
S1『、放尿することを他者に強要されて排尿するのは
「おもらし(プレイ?)」に該当しないのか?』という疑問だ。
確かに、この場合の放尿は尿者の意思に反しているだろう。
しかし、最終的な排尿行為は尿者が”仕方なく”自分の意志で行っている。
これは一見矛盾のように思える。しかし、そうではない。
なぜなら、カテゴライズしたとき「放尿」は「おもらし」を含むからである。
S1のような状況は「放尿」かつ「おもらし」と呼べるのだ。そこに矛盾は無い。
つまり、『「おもらし」は「放尿」である』という命題は成り立つが
『「放尿」は「おもらし」である』という命題は必ずしも成り立つものではないのである。
よって、結論としては「おもらし」≠「放尿」というよりも
「おもらし」≦「放尿」という公式が成り立つのではないかと考えている。