今放送大学で、障害者団体の話を聞いた
一、われらは、自らが脳性マヒ者であることを自覚する。
われらは、現代社会にあって『本来あってはならない存在』とされつつ自ら位置を認識し、
そこに一切の運動の原点を置かなければならないと信じ且つ行動する。
一、われらは、強烈な自己主張を行なう。
われらが、脳性マヒ者であることを自覚した時、そこに起こるのは自らを守ろうする意志である。
われらは、強烈な自己主張こそがそれを成しうる唯一の路である信じ、且つ、行動する。
一、われらは、愛と正義を否定する。
われらは、愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる
人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ、行動する。
一、われらは、健全者文明を否定する。
われらは、健全者のつくり出してきた現代文明が、われら脳性マヒ者を弾き出すことによってのみ
成り立ってきたことを認識し、運動及び日常生活の中から、われら独自の文化をつくり出すことが
現代文明の告発に通じることを信じ、且つ、行動する。
一、われらは、問題解決の路を選ばない。
われらは、安易に問題の解決を図ろうとすることが、いかに危険な妥協への出発であるか身をもって知ってきた。
われらは、次々と問題提起を行なうことのみが、われらの行ない得る運動であると信じ、且つ、行動する。
「将来を悲観して」障害児を殺した親に同情から減刑を嘆願する運動に
じゃあ俺達は殺されてもいいのか?と立ち向かったのだという。障害者が殺されても裁判にすらならない事も多かった、と
これを「オタクを殺してしまったが、気持ち悪かったし犯されそうだと思えたので正当防衛」
とか抜かす阿呆を擁護する世論 みたいに置き換えると…結局妥協はあってはならないんだなとよく分かる