あけましておめでとうございます。
面白い議論をしてるね。
ID:fCjZBDpb0君の言う、
「例えバーチャルやフィクションでも女性に対してやりたい放題するという
事は女性への軽視につながる」
というのは、このスレでも何度か触れたけど、「性的モノ化」と呼ばれる議論で、
マッキノン−中里見に底流する、フェミニズム系規制派の理論的支柱。
だから絶対になんらかのかたちで反論を用意しておかなくちゃいけないロジックだ。
性的モノ化については、ネットで読める論文だと、これがわかりやすい。
江口聡「性的モノ化と性の倫理学」
ttp://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/bulletin/9/eguchi.pdf この論文の中でも触れられているように、
「ワンダフルな性的モノ化」、つまり、女性を性的に対象化することによってしか描かれないが、
表現としてきわめて価値の高い題材(D・H・ロレンスのような)をも禁止するべきなのか、
という反論がまず一つありうる。
もう一つは、そもそもモノ化は悪なのか、という問題がある。
例えば、ヤオイのように、女性が男性を性的にモノ化するポルノもありえる。
このもとでは、女性はむしろ性的な主体として、男性を自らの欲望のためにかしずかせているわけだ。
ドゥオーキンも、女性が性的に上位に立つポルノ作品をものしているが、これは逆向きのモノ化であるといえる。
ポルノというのは、なるほどモノ化とは無縁ではありえない表現の形態だけども、
単にそれだけではとどまらず、豊穣な表現の可能性を秘めている。
ストロッセン氏や宮台氏が指摘したように、ポルノを通してむしろ自己を表現するポルノ女優や女流作家もいるわけで、
規制派のポルノ=性的モノ化=悪という構図は、あまりにも単純化が過ぎる。