エロゲ表現規制対策本部 270

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158青識亜論 ◆GJwX8m7K0g
規制派の価値観があり、感情的な基礎付けがある。
反対派にももちろんある。

しかし、多くの価値観が並立することを認めるならば、
民主主義国家においては、相互の寛容が要請される必要がある。
なぜなら、絶対的で唯一の価値観を観念できない以上、ある価値観を排除しようとするとき、
それは自らの価値観が理不尽に排除されることを肯定することになるからだ。

そして近代国家において、価値観同士の寛容という理念は、
法治主義、民主主義、自由主義、そして表現の自由という形をとる。

「寛容は、われわれとは誤りを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、
われわれのすべては始終誤りを犯しているという洞察から必然的に導かれてくる。
としたら、われわれは相互に誤りを許しあおうではないか。これが自然法の基礎である」
――ヴォルテール