>>344 エロゲっていうか、なんでポルノが女性差別なのかってのは、
アンドレア・ドゥオーキンが提唱した「性的モノ化(sexual objectification)」という概念を理解する必要がある。
モノ化とは、読んで字のごとく、女性を性的な欲望を満たすためのモノ(object)として扱うということを意味する。
ポルノや美人コンテストは、女性を性的な対象・客体としてのみ扱うため、
社会的にそれがやり取りされる結果、女性が人格としてでなく、性的なモノとしてとらえられるようになり、
女性の社会的差別が拡大・再生産されてしまうというのが、ラディカル・フェミニストの主張。
(モノ化についてのより詳細な議論は、
http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/bulletin/9/eguchi.pdfなどを参照されたい)
しかし、ラディカルフェミニストのポルノ観はあまりにもステロタイプであり、
日本のオタク系ポルノ作品に対する正確な評価とは言いがたい。
例えば、アメリカのフェミニストで日本アニメの研究者であるネイピア女史は、次のように論じている。
「女は単なるセックスの道具であるというステレオタイプな見方を正すように、
日本のポルノグラフィー・アニメにおける女性の身体は、相反する様々な形で表現されることが多い。
女性の身体は確かに、干渉されたり、暴力を加えられたり、拷問の対象として描かれることも多いが、
この上なくパワフルで、本能の赴くままに描かれるシーンも存在する。
……最も暴力的な作品でさえ、女性の身体が能動的で、脅威的な変容を遂げる
可能性を秘めたものとして表現されることが多い。」
(スーザン・J・ネイピア『現代日本のアニメ』)
ネイピア女史は『妖獣都市』などの、一昔前の過激なアニメを念頭においてこのような評価を下しているのであり、
最近の純愛要素の入ったエロゲであれば、よりいっそう、モノ化とは無縁になろう。
もっといえば、BLなどのように、男性を性的客体と見るポルノさえ出現している現状に対して、
ラディカル・フェミニストのポルノ理論はなんら有効な分析を提出できない。
もちろん、ポルノ文学や、「男女平等的な」ポルノはポルノではなく、「エロチカ」と呼ぶべきであるとして、
マッキノンやドゥオーキンは区別をはかろうとしているが、エロチカとポルノの区分はきわめて曖昧だ。