ttp://www.sankei.co.jp/books/news/070419/nws070419000.htm 【コラム・断 中条省平】ゲーム的リアリズムの時代
東浩紀が『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書)を書いた。ライトノベルを中心にして、新しい物語のありかたを論じた本である。
一般読者のために補足しておくと、ライトノベルとは中高生を主な読者とする娯楽小説のジャンルで、マンガ・アニメ的なイラストがついて、文庫本やノベルス形式で発売されている。
驚くのはその売れ行きで、最近人気の「涼宮ハルヒ」シリーズなど8巻で340万部も売れているし、他にもベストセラーがいくらもあるのだ。
東浩紀は、大人のよく知らないこうした小説の特徴を分析して、ライトノベルや一部のコンピューターゲームに見られる手法は、
すでに、マンガやアニメさえ超えて、新たな「ゲーム的リアリズム」の時代に入っているという。
その特徴は、物語のなかで起こったできごとを「じつは非現実だった」と変えてしまうこと、そして、最も重要なのは、登場人物の死を簡単にリセットできることである。
東の分析を読むと、確かにライトノベルやゲームとともに物語は新たな段階に入っていることが頭では理解できる。
だが、東がライトノベルとともに挙げている美少女ゲーム(プレーヤーがギャルとエロな恋愛遊戯を行うので「ギャルゲー」とか「エロゲー」とも呼ばれる)
の例を見ると、東のいうとおり、ここでは、自分の欲望を肯定する成人男性(オヤジ)
になれない若い男が、陵辱される美少女に感情移入して自分の繊細さに満足し、しかし同時に、ゲームの展開のなかでは、オヤジ以上にオヤジ的な欲望を全開にする喜びを味わっている。
そこに物語の未来は本当にあるのか? というのが、単純素朴な私の疑問なのである。(学習院大学教授・中条省平)
陵辱エロゲに物語を求められてもなぁ