281 :
名無したちの午後:
人間が存在しているのは全て偶発性の連続の結果。
自我は高度に発達した脳がつくり出した幻想であり人生に意味なんて無い。
ただDNAに書き込まれた生きようとする力が人生に価値を与えるだけ。
極端な話例えば、ここに一つのリンゴがあるとする。
赤に対する色覚異常の人がそのリンゴを見たとき灰色に見えているのかも知れない。
だが、正常な人が見ればそれは赤に見える。
この違いは、人がその対象を見るとき、自己の肉体を媒介としてしかその対象を捉えることが
出来ない事による。
極端に言えば、私が赤と認識している色が他人にとって同じように見えているとは限らない。
ただ単に同じ対象に対して、赤という言語上の記号を与えているに過ぎないと考えることが
出来る訳です。
私たちはコミュニケーションを取っているのでは無く相手に対して自分を投影して
相手が考えている事を推測しているに過ぎない。
つまり世界の中で個人が認識しているのは自分だけだったりする罠(w
相手も同じ事をしている訳なのだが偶発的にどうもお互い同じ前提で物事を捕らえているらしい
というだけでコミュニケーションが成り立ち物事に意味があるかのように皆が振る舞っている。
このように現実は砂を噛む様な殺伐としたもので
人々はコミュニケーションを通じて現実を付加価値化・虚構化しないと生きていけない。
だから解り合えない人間が解りあったフリをして愛している様に振る舞う。