“K”は姫神ファンサイトもよく取り上げて叩いていたわけであるが、その際、サイト
「HIMEKAMI音語りの会」のパクリだと叩く書き込みをしていた。(
>>204の350,
351,352,353,354,356,375,362,377,442,443,444,445,448)その時には提訴、損害賠償
など言い出した挙げ句、著作権侵害差止等、請求事件の民事裁判の判決文まで紹介す
る凝りようだ。注目すべきは370で“K”に叩かれた人のある発言、
>私自身の推測の域を脱しませんが、このような卑劣きわまりない行為をする人間は
>「HIMEKAMI音語りの会」管理人もしくは関係者であると思われます。
>何をしでかすかわからない凶暴性を持つ精神異常者たちの行為にはいささか恐怖を覚え
この方、なぜこんな推測をしたのであろうか?
ところで、“K”が執拗に擁護した「HIMEKAMI音語りの会」とはどのようなサイ
トであったのか?今となっては見る事が出来ないサイトであるが、当時の姫神スレに貼
られた部分だけを探して抽出してみた。
>私が映像のBGMとしての姫神に、本当に世間が評価している程の価値があるのか、と疑
>問に思い始めたのはこの頃です。映像のBGMとしての姫神の音楽が、ある種のセオリー、
>お約束の中に完全に組み込まれていて、新鮮味を感じられなくなってきたのです。ドキ
>ュメンタリー、ひいては映像全般に、どんなシチュエーションにおいてもBGMが必要な
>のだろうか、という思いも生じてきました。それらに対する答えを NHKの10分間程度
>のドキュメンタリーに見い出しました。白神山地の森を取り上げた番組だったと記憶し
>ているのですが、番組中、BGMはもちろん、オープニング、エンディングにも一切音楽
>が流れませんでした。 映像の撮影と同時に収録した音とマタギの語り、そしてナレー
>ションが番組中の音の全てでした。 しかしながら、取材現場に流れていた空気を、他
>の大型ドキュメンタリーよりずっと純粋に伝えてくれていたと思います。
>姫神の何とかという曲が流れてきた、という事にのみ関心を持ち、被写体の心情に思い
>至らない人間は、やはり、感性、想像力、思考能力が甚だ貧困なのではないでしょうか。
>ここ数年、現実とヴァーチャルの区別をつける事ができない人間の問題がクローズアッ
>プされています。それはえてしてヴァーチャルな事柄を現実世界に持ち込む事の方のよ
>うです。しかしながら、その逆もまたしかりです。そちらの方も大いに問題です。現実
>の事象を、レンズなりブラウン管なりを通すと、もうアニメーションかドラマと混同し
>てしまう。BGMで姫神の曲が鳴るだけで愚直に喜ぶファンに、現代の日本社会の病理が
>垣間見えます。
>感性の貧相な、予め用意された選択肢からつまみ上げることしかできない、自分の言葉
>で語る事ができない人間が、臆面もなく行う卑劣な行為があります。 他人が感じ、想
>い、書き連ねた事柄を叩き台にしておきながら、その事には一切触れずに記事を書く、
>あるいは叩き台どころではなく、そっくりそのまま流用する、といった行為です。自分
>の感性でネタ一つ想起できないのなら、だまってすっこんでいてはいかがか。