http://reisei.way-nifty.com/spiritsoulbody/2005/07/post_7110.html 1.「科学主義」の批判 ……現代人はあまりに科学を絶対視しすぎている。
科学的方法論の有効性の限界についての議論。この点を勉強することは絶対に必要である。
というのは、科学を至上の価値とする価値システムを持っている限り、すべての神秘思想、形而上学は「うそくさく」思えてしまうからである。
なお、「科学的世界観」となどという言葉を平気で使う人は全く思想哲学の勉強をしたことがない素人であるので、そのようなHPなどに目をくれる必要はない
2.この世界はどのように成立しているか(素朴実在論からの離陸)
これは哲学的論点なのだが、結局のところほとんどの人がこれを理解できていないので、科学主義につけこまれてしまうのだ。
科学主義は結局、素朴実在論の批判という哲学の問いを回避しているにすぎない(素粒子物理学の一部にはそういう問題意識が生じたが)。
みな、世界がそこにあることが「あたりまえ」だと思っている。だがそうではない。
なぜ世界があるのか、いや、本当に世界というものがそこにあるのかどうかということが、大きな問いであるのだ。
この問いがわからなければ、「思想」はない。
「スピリチュアル思想」である以前に、「思想」に入門しなければならないのだ。そのポイントが、この「存在の問い」を理解することなのである
たとえば、世界はなぜこのようにあるのかという問いに対して、
宇宙は150億年前にビッグバンによって発生して、地球というものができて生命の誕生が云々・・
といった答えを始めるのは、もう最初から全然終わっているのだ。
ビッグバンなんてありはしない。ただそういうものがあるという夢を見ているだけの話かもしれない。
いや、さらに言えば、「地球」なんて本当にあるんだろうか。
もしかするとみんなで「地球」というものがあるという夢を見ているだけかもしれないのである。
おそらくこの点が、「精神世界」系の人々がよく理解していないところなのだろう。
だが、哲学における根源的な問いというものを理解すれば、私たちは、科学者によって提供される「物語」を疑う権利を有することがわかる。
世界と意識とは分離不能である、ということである。