中学生の時、親の仕事で渡米。
中一から高校、大学へと飛び級
(中学 高校 どちらも半年しかいってない)
「NASAにはそういう人おおい」と発言
15歳で帰国 上智大学入学 学生時代同時通訳会社で働く
学会の通訳なので専門用語を覚えなければならないのに「たった3000語、30分で覚えれる」
上智大学卒業後 三菱地所に就職
人事部に「なりたい職種、社長と答えた」無理ですと言われる
結局会計と財務を担当。三菱地所の財務担当者としても活躍。
一九八九年のロックフェラーセンター買収にも中心メンバーの一人として関った。
買収後、数年間、デビッド・ロックフェラー氏が会長を務めるロックフェラーグループ社の全取締役会にも出席。
デビッド・ロックフェラー氏の邸宅に招待されたときには運転席にデビッド・ロックフェラー氏、
助手席に高木丈太郎三菱地所社長が座り、
後部座席には、通訳をしなければならないので、苫米地英人が座った。
デビッド・ロックフェラー氏に運転手をさせて後部座席に座ったことがあるのは、
恐らく世界中でも苫米地英人ただ一人だろう。
科学者になりたいという夢を捨てきれず、
フルブライト奨学生を申し込んでトップで合格。
イエール大学大学院修士課程へ。
人工知能の研究をする。
2年かかるところを1年で修了。
当時1名しかもらえないフルブライト奨学金で入学
「一番しかなったことないから。」
カーネギーメロン大学大学院哲学科計算言語学研究科博士課程転入
カーネギーメロン大学変な名前だけどすごい大学
理由 人工知能ではカーネギーメロン大学が一番だったから転入
「俺一番以外行かないから」
カーネギーメロン大学の博士課程へ。
世界初の音声通訳システムを開発
5年に1人しか出なかった当時の同大学の計算言語博士号を取得。
この分野で4人目の博士。
「言語学は数学の一部」
「神はいない」グレゴリーJチャイティンが数学的に証明した
「俺が先に生まれていれば先に証明した」20歳年下