>以前から、豊受さんて神さまのことがなんとなく気になってるのですが。
>今年の春には、ご挨拶してみたくなり初めてお伊勢参りというのをしてみました。
>やはり外宮にひかれました。
>なんだろなー。。。
>私が必要としてる「女性性」みたいなものを、教えてくれるような感じがあったりして。
>……で。
>なにかレスがありましたらお願いします(いつもながら曖昧でごめんなさい)。
御神鏡には、常世と映世を各々に返す隔ての役割もあるが、
自分と向き合うということに始まって終わる初伝にして奥伝の役割もある。
そして、この質問への回答の軸は、
自分に向き合い、自己を知り、人(>他人)を知り、息吹を知る、ということ。
また、豊受の祭祀系譜は棚上げして投影性から汲み戻すと、
知っているようでいて知らない自分を知る象徴、
行動することは失敗することの怖気と向き合い続けること。
人類は問い続ける種であったことで適者生存の脳を得た。
何故斯く事象が生じ斯様な情緒が動くのか。
しかし自己を識ら図とも営むことはできる。
ことほど作用に抽象的な認識で生きて逝く日々の瞑し。
女を知り、男を知る道程の皮を剥く木立の揺らぎの斎庭を
外宮に求めたのは汝し自身であらう。
此れで解凍になったかな?
[いなり様の神体を見る](福翁自伝より)
ソレカラ一つも二つも年をとれば、
おのずから度胸もよくなったとみえて、
年寄などの話にする
神罰冥罰(みょうばつ)
なんということは大嘘(だいうそ)だとひとりみずから信じきって、
今度はひとつ、いなり様を見てやろうという野心を起こして、
私の養子になっていた叔父様のうちのいなりの社(やしろ)の中には
何がはいっているかしらぬとあけてみたら、
石がはいっているから、
その石をうっちゃってしまって代わりの石を拾うて入れておき、
また隣家の下村(しもむら)という屋敷のいなり様をあけてみれば、
神体は何か木の札で、これを取って捨ててしまい平気な顔をしていると、
まもなく初午(はつうま)になって、
幟(のぼり)をたてたり太鼓をたたいたりお神酒(みき)を上げてワイワイしているから、
私はおかしい。「ばかめ、おれの入れておいた石にお神酒を上げて拝んでるとはおもしろい」と、
ひとりうれしがっていたというようなわけで、
幼少のときから神様がこわいだの仏様がありがたいだのということはちょいともない。
うらない、まじない、いっさい不信仰で、狐狸(きつねたぬき)がつくというようなことは
初めからばかにして少しも信じない。
こどもながらも精神はまことにカラリとしたものでした。
あるときに、大阪から妙な女が来たことがあるその女というのは、
私どもが大阪にいるときに邸(やしき)に出入りをする
上荷頭(うわにがしら)の伝法寺屋松右衛門(でんぽうじやまつえもん)というものの
娘で、年のころ三十ぐらいでもあったかと思う。
その女が中津に来て、おいなり様を使うことを知っていると吹聴(ふいちょう)するその次第は、
だれにでも御幣(ごへい)を持たしておいて何か祈ると、
その人にいなり様がとっつくとかなんとかいって、
しきりに私の家にきてほらを吹いている。それから、
そのときに私は十五、六のときだと思う。
「ソリャおもしろい、やってもらおう、おれがその御幣を持とう、
持っている御幣が動きだすというのはおもしろい、
サア持たしてくれろ」と言うと、
その女がつくづくと私を見ていて、
「坊(ぼん)さんはイケマヘン」と言うから、
私は承知しない。「いま、だれにでもと言ったじゃないか、サアやってみせろ」と、
ひどくその女を弱らしておもしろかったことがある。
758 :
単、直:2008/09/20(土) 20:39:00 ID:Tn1DQMob
もうすぐ秋だね
秋刀魚の詩
あはれ 秋風よ
情こころあらば
伝へてよ
男ありて
今日の夕餉ゆうげに
ひとりさんまを食くらひて
思ひにふけると。
さんま、さんま
そが上に青き蜜柑みかんの酸すを したたらせて
さんまを食ふはその男がふる里の ならひなり。
そのならひを あやしみ なつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て 夕げにむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする 人妻と
妻にそむかれたる男と食卓に むかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男に さんまの 腸はらをくれむと 言ふにあらずや。
あはれ 秋風よ
汝なれこそは 見つらめ
世のつねならぬ団欒まどゐを。
いかに 秋風よ
いとせめて
証あかしせよ かの一ときの団欒まどゐ ゆめに非ずと。
あはれ 秋風よ
情こころあらば 伝へてよ
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児をさなごとに伝へてよ
男ありて
今日の夕げに ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま、
さんま苦いか 塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて さんまを食ふは
いづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは 問はまほしくをかし
佐藤春夫
この詩は彼の若いときの実体験を綴ったもの、だから奥まで沁みるんだね
>>753 福沢諭吉はフリーメイソンだったらしいよ。
Benjamin Fulford
http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2007/09/post-22.htm 福沢諭吉が生前、フリーメーソンに入会していたことは中丸薫女史の本で知りました(「闇の世界権力はこう動く」)。
しかし、彼がフランスのパリで入会していたとは知りませんでした。長い間、どうして慶応義塾はあれほど西洋かぶれなのか、と思っていましたが(哲也さんが慶応出身ならすみません)。。。
しかし、どちらかというと慶応って、英米派のほうではないですか?日本版ハーバード大学みたいな。。。あ、話がずれてすみません。
Posted by: じゅん | 09/27/2007 at 13:27
じゅんさんへ:
慶応大学では同窓会の三田会において先輩からフリーメーソンの入会を勧誘されるといううわさです。
フリーメーソンは2人以上の推薦で入会希望者の入会を認めるそうなので、先輩二人が目をつけた後輩を推薦すれば入会させやすく、このせいか慶応大学のOBにはフリーメーソンの会員が多いようです。
参考に三田会のホームページのURLを次にあげときます。
インターネット三田会
http://www.inet-mitakai.com/index.html 週刊誌でしたか、慶応大学出身者が日本の陰謀の元凶だという記事がでましたが、やはりフリーメーソンであるためかもしれませんね。
すると竹中元平蔵さんや小泉元首相がフリーメーソンであるかどうかは興味深い話題になるでしょう。
福沢諭吉がフランスのフリーメーソンであるグランド・オリエントに入会したのは、英米系のフリーメーソンと違って推薦が必要とか面倒な入会条件がなかったからでないでしょうか。
Posted by: 哲也 | 09/27/2007 at 21:13
>>760癒されたい名無しさん
フリーメーソン?龍馬さんもそうだった。
グラバー黒幕説(その10:亀山社中設立の謎1) - 海援隊始末記 - 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/kaientaisimatuki/diary/200712170000/ 加治将一が「坂本龍馬はフリーメイソンである。」という根拠としてあげているのが、
「7800挺の銃」です。
亀山社中設立が慶応元年(1865年)閏5月、しかし、最初に買い付けた「7800挺の銃」はその設立後わずか3ヶ月後に銃が届いています。
「注文」ではなく、「到着」です。
また、貿易の実務担当は、豪商:小曾根英四郎(26才)で、前年にはじめて海舟から紹介されて会ってから数回しか面識のない龍馬に、資金、商売のノウハウ、人材、事務所をすべて提供してます。
このことから、加治氏は「石の扉」にて以下のように解説をしているのです。
「私の長年抱いていた疑問は、まさにこの点にありました。動きがじつに素早いのです。それまで商売の経験などないに等しい竜馬が、そんなに素早く会社を設立などできるでしょうか?」
そして、こうも書いています。
「出会いから会社設立までは、たった数回の顔合わせだったといいます。しかも竜馬はまだ無名の下級武士で、勝海舟の付き人のようにして現れた男。
そんな若造に金を与え、会社をこしらえてやる。考えれば考えるほど合点がいきません。」
そして、「7800挺の銃」についても、
「車も電話もない時代、値段を決め決済方法を決めるなど、細かな商談を成立させる貿易業務終結までの行程を考えれば、これは突拍子もない速度です。しかし、届いているわけです。
すべてがスムーズにいったのは、竜馬の魅力的であり、人の心を捉えて放さない資質による、とある歴史家は言うでしょう。
しかしそれは、ビジネスのリスクや複雑さを知らない学者の感覚であって、私のように長年商売と格闘してきた人間からすれば、夢のような速度なのです。」
と、解説しています。
そして、
「小曾根英四郎と竜馬の間に大物がいた。つまり、英四郎には利益を保証した人物がいたとしたらどうだろう。そして、その人物がすでに銃を海外に確保していた。
さらにその人物は、自分で輸入するとなにか不都合が生じる立場にいたのです。だから、自分に代わるダミーを探していた。」
「つまり藩も幕府も背負ってない、いわば根無し草のような竜馬をリクルートしたのです。 亀山社中をダミー会社として作らせる。英四郎はその男といわば歩調を合わせていて、竜馬を看板にすえたのです。」
「その男」とは、「黒幕」トマス・グラバーであるとしています。
そして、その背景にはフリーメイソン加入ということが上げられます。
>>762 トマス・グラバーさんがいなければ幕末は?
無かったと思います。
龍馬さん暗殺以後
亀山社中(海援隊)は指導力を失い自然解散します。
ヨウツベ探したけど、河島英五の「竜馬のように」が見つからない!
少年のままで生きることは 誰にも出来ない
振り向けば 昨日のことさえ もう目覚めぬ それは化石
人は鳥でもない 魚でもない まして石でもない 花でもない
茜の空にたちむかえ 心を斜め十五度に傾けて
鳴呼 遥かに行かん
鳴呼 遥かに行かん
魂を空に帰す時が いつかは来るけど
恋人よ 泣いてすがるな いざ別れの 時が来ても
人は風でもない 流星(ほし)でもない まして砂でもない 雲でもない
夜明けの風に立ち向かえ 心を斜め十五度に傾けて
嗚呼 竜馬のように
嗚呼 竜馬のように
ID:erOdW3cjさん
ご苦労さまです。
ごめんください。
単チョさんがいらっしゃるのはこちらでよろしいですか?携帯からなので全体をみずに失礼します。
今夜はごあいさつにまいりました。初めてかきこみをさせていただきます。
あちらではエーエーをありがとうございます。
わたくし、スプーナとクマーをこよなくあいしてますの。
こんどあちらでエーエー合戦しませんか。和尚了解済みでございます。
和尚もいやに決まってるとおもいますが。
それではしつれいします。
訂正です。スプーナではなく、オプーナです。
単さんいますよ。
しょこたんギガ好きです。
>>776 そうですかよかった。有り難う御座います。
でもお父さんの映像でしたか・・・。
宮沢賢治は菜食主義。の法華経信者でしたね。
映画 銀河鉄道の夜の音楽は細野さん。
ギガかわゆす。ありがとです。☆
宮沢賢治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮沢賢治(宮澤賢治)(みやざわ けんじ、1896年8月27日 (戸籍上は1896年8月1日)- 1933年9月21日)は、日本の詩人・童話作家・農業指導家・教育者。
郷土岩手の地を深く愛し、作品中に登場する架空の地名、理想郷を「岩手(いはて)」をエスペラント風にしたイーハトヴ(Ihatov)(イーハトーブあるいはイーハトーヴォ(Ihatovo)等とも)と名づけた。
その空前・独特の魅力にあふれた作品群によって没後世評が急速に高まり国民的作家とされるようになった。
昭和8年(1933年)9月21日に急性肺炎で死去した。享年37。法華経1000部を印刷して知人に配布するよう父に遺言。生涯、独身であった。死の前日農民に夜遅くまで肥料の相談を受けていたという。
戒名は真金院三不日賢善男子。なおこの戒名は、国柱会から授与されたもので、東京都江戸川区一之江にある、国柱会の霊廟には、賢治の遺骨の一部と妹トシの遺骨が納められている。
>妹トシの遺骨が納められている。
妹さんの死にかなり影響受けたらしいですね。
賢治は熱心な音楽好きであり、暇を見つけてはレコードを買っていた。
あまりにも賢治がレコードを買っていくため、賢治が行きつけのレコード店のレコード売り上げが異常に上がり、結果イギリスに本社を置くポリドール・レコードから表彰された。
浅草オペラのファン(ペラゴロ)で、上京した際には、しばしば観劇した。当時の浅草オペラの役者だった田谷力三らの名前を織り込んだ詩「函館港春夜光景」も残している。
教師時代、賢治はよく『ブッシュに行くぞ』と言って、生徒を花巻市内のそば屋『やぶ屋』へと連れ出していた(『薮(やぶ)』の英訳が『ブッシュ』)。
そこでは必ず天ぷらそばと三ツ矢サイダーを注文していた。『やぶ屋』は現存しており(店舗は当時の建物ではない)、同店のホームページに賢治の逸話が掲載されている。
[2]なお、このエピソードでも分かる通り、一般にベジタリアンであったとされる賢治ではあるが、それは必ずしも生涯一貫したものではなかった。
国柱会は右ですけど・・・本人は純粋なイメージです。
>一般にベジタリアンであったとされる賢治ではあるが、
>それは必ずしも生涯一貫したものではなかった。
さすがにね・・・でも937歳の短命であった。
790 :
単、直:2008/09/21(日) 00:22:57 ID:KCx5mjEa
( ´)`Д) )) < ハァハァ こんな所でダメェ
/ つ つ < 大丈夫だって,誰も見てねえよ
(( (_(_ ノ ノ
し∪ ∪
Σ( ゚д゚ )゚д゚)
/ つ つ
(_(_ ノ ノ
し∪ ∪
( ゚д゚ )゚д゚)
/ つ つ
(_(_ ノ ノ
し∪ ∪
ナ ゝ ナ ゝ / 十_" ー;=‐ _ _ _ _ _ |! |!
cト cト /^、_ノ | 、.__ つ (.__ ・ ・
,. -─- 、._ ,. -─v─- 、._ _
,. ‐'´ `‐、 __, ‐'´ ヽ, ‐''´~ `´ ̄`‐、
/ ヽ、_/)ノ ≦ ヽ‐'´ `‐、
/ / ̄~`'''‐- 、.._ ノ ≦ ≦ ヽ
i. /  ̄l 7 1 イ/l/|ヘ ヽヘ ≦ , ,ヘ 、 i
,!ヘ. / ‐- 、._ u |/ l |/ ! ! | ヾ ヾ ヽ_、l イ/l/|/ヽlヘト、 │
. |〃、!ミ______ゝ、 ____l レ二ヽ、 、__∠´__|/ | ! | | ヾ ヾヘト、 l
!_ヒ;  ̄ ̄|::::::::::::::lニニ〈:::::::::::| ri|::::::::::|ニニ|:::::::::::::|~.!==、 、__,._-─‐ヽ. ,.-'、
/`゙i u `ー―′ .\ー‐′ !{`ー‐! l`ー‐‐′|::::::::::〉ニ|:::::::::::::|ニニ//ニ !
_/:::::::! r,,. \ ゙! u└--┘ u.゙ !ー7 |`ー--′ | トy'/
_,,. -‐ヘ::::::::::::::ヽ、 u ,___ /´ !、 ⊂ニ⊃ /! `ー´ u ;-‐i´
! \::::::::::::::ヽ ;;;;;; / ざわ・・・ ヽ ;;;;;; / ヽ ⊂ニ⊃ /ヽト、
i、 \:::::::::::::::..、 '''/ ヽ.___,./ //ヽ、 ;;;;;; / ゝざわ・・・
法華宗は当時の宮沢家とは宗派違いであったので、父親との対立を深めることとなった。
弱者に対する献身的精神、強者への嫌悪などの要素はこれらの経緯と深い関わりがあると思われる。
また、良き理解者としての妹トシの死が与えた喪失感は以後の作品に特有の陰影を加えた。
永訣の朝
けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ
銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……
>>789訂正。
937歳の短命であった。×
37歳の短命であった。○
793 :
単、直:2008/09/21(日) 00:26:43 ID:KCx5mjEa
>>773癒されたい名無しさん
-― ̄ ̄ ` ―-- _
, ´ ......... . . , ~  ̄" ー _
_/...........::::::::::::::::: : : :/ ,r:::::::::::.:::::::::.:: :::.........` 、 そんなこと聞かれてもなぁー・・
, ´ : ::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ /:::::::::::::: : ,ヘ ::::::::::::::::::::::: : ヽ
,/:::;;;;;;;| : ::::::::::::::::::::::::::::::/ /::::::::::::::::::: ● ::::::::::::::::: : : :,/
と,-‐ ´ ̄: ::::::::::::::::::::::::::::::/ /:::::::::::r(:::::::::`'::::::::::::::::::::::く
(´__ : : :;;:::::::::::::::::::::::::::/ /:::::::::::`(::::::::: ,ヘ:::::::::::::::::::::: ヽ
 ̄ ̄`ヾ_::::::::::::::::::::::し ::::::::::::::::::::::: :●::::::::::::::::::::::: : : :_>
,_ \:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: `' __:::::::::-‐ ´
(__  ̄~" __ , --‐一~ ̄
__ でも・・なんだ…? この温もりは……!
_,.ゝ'" `ヽ、 胸から湧いてくる…… この温かさ……
_≧- ヽ 感謝の気持ちは……
> ハ、ト、_、 ,.-、 ヽ
7,. ハl. //ヘ \^') \ レスが………
W'\</、ノ、 u `! ト、 \ レスがただ… そこに在るだけで…
/ ,`'~,.っ |! |/'\__ \ 救われる……!
. 'イ-<_.、 |:! :! ./ `-、_\
し'^l | ./ _ `\ レスがまったくない
0 / V./ `><_ `ヽ \ その寒々しさを考えたら…
(j \/ / /´ ヽ\/\
|| | | ,/ :l \ \ 今… 見えるその存在は
J ,.r┼‐|TT|_/ ! \ \ まさに救い…!
_|_l_l ___ / (\lll|,|_|_| /| \ \
ノ | ヽ |_|・・・ ヽ ´ヽ ヽ、 :|,..-''" l \ \ 希望そのもの……!
`\ >'l 匚o] //ヽ
_|_l_l _ ヽ/ /` |_|_|_| // ヽ
ノ | ヽ |_|・・・ l\ ,! /ヱ7 ヽ
794 :
単、直:2008/09/21(日) 00:29:23 ID:KCx5mjEa
/ ̄\
| |
\_/
__|__
/ \
/ :::─:::::::─\
/ <●>:::::<●> \
| (__人__) | ということでこんなお馬鹿な
/ ∩ノ ⊃ / 感じしかできないけど
( \ / _ノ | |
.\ “ /___| |
\ /___ / 時間も夜しかできないかも知れないお
/ ̄\
| |
\_/
ノ L__|__
⌒:::\:::::/::\ でもよし!いいお
/ <●>::::<●>\
/ (__人__) \
| |::::::| | 単直はやるお!よろしくね
\ l;;;;;;l /l!|
/ `ー' \ |i
/ ヽ !l ヽi
( 丶- 、 しE | ドンッ!
`ー、_ノ 煤@l、E ノ >
レY^V^ヽ
>>789 ASIMOさん
>937歳の短命であった。
銀河鉄道937!?
父親との確執は・・・。
>>796 賢治のお父さんはかなり厳しかったようですね。
確執は賢治の右よりな活動もあったけど複合的理由だと推測されますね。
宮沢賢治 農民芸術の綜合
……おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか……
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て
『つめくさ灯ともす宵のひろば たがひのラルゴをうたひかはし
雲をもどよもし夜風にわすれて とりいれまぢかに歳よ熟れぬ』
詞は詩であり 動作は舞踊 音は天楽 四方はかがやく風景画
われらに理解ある観衆があり われらにひとりの恋人がある
巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
結論
……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……
われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である
理解を了へばわれらは斯る論をも棄つる
畢竟ここには宮沢賢治一九二六年のその考があるのみである