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癒されたい名無しさん:
自分で読み返して見て釣りっぽいなあと思ったけど一応実話。
九州の田舎に生まれた。母子家庭だった。
歯科技工士だった父は私が4歳の頃、くも膜下出血で他界。
自営業だったので厚生遺族年金も労災も下りず、仕事関係の機械や車のローンも有り
生活はかなり苦しかったwww
母は介護施設の職員で、土日祝関係なく働き、残業は当たり前。
夜勤も月8回ほど有り、休みは少なく、祖母が面倒を見てくれた。
その後激務で体を悪くした母は、独学で資格を取り、民間病院の医療事務に転職。
勤務時間は短くなり、身体的な負担も減ったが、正社員なのに手取りは11万。
頼りにしていた祖父母も立て続けに他界し、学校に秘密で青果店でアルバイトもした。
それなりに偏差値の高い公立高校に通っていた私は看護師を志願していたんだけど
寮のある県立看護学校ですら通える経済状況ではなかった。今思えば通えないことはなかった気もするが。
その時自衛隊の看護学生の募集を知った。採用されれば学生でも自衛官扱いで給料をもらえる。学費も寮費も無料。
もうこれしかないと思って必死に勉強した。倍率は60倍を超えていた。
合格したのは奇跡だったと思う。
もちろん合格できなくても、働いてお金を貯めて県立看護学校に奨学金借りてでも看護師になってたと思う。
これは後で思ったことだけど、この時落ちてたら良かった。
看護学生になったと同時に自衛官として採用され、東京にある自衛隊の全寮制看護学校に進むことになった。
新幹線に乗り九州から上京する朝、母は駅まで迎えに来てくれた。
私はまたいつでも会えるだろうと思っていたが、母は最期の別れのような顔をしていた。私はそれを笑い飛ばした。
ただただ希望で胸がいっぱいだった。
つづく