>雪。さん
参考文献:『戦争がつくる女性像』(若桑みどり)
これは、俺にもお薦めなのかな?
「前近代的なタイプ」の俺にも?
でも、俺は、たぶん、前近代的なタイプであるのは、ネット上だけかもしれない。
本気で、天女様を信仰していた俺は、女性的な神様の気というのを、はっきり
感じてたような気がします。
それは、イディオロギーとしての女性でもなければ、性的な意味での女性でもない。
やはり、一種母性の原形質のようなものはある。
でも、娼婦性はない。
むしろ、大きく言えば、宇宙的なものの一顕現であるかもしれないな。
人には、マリア様や観音様を求める性質がある。
それは、人間の母親のもつ母性とは、またちがう「母性」のようなものかもしれない。
ある意味、男を、より男たらしめるものであるように思う。
オスにすることはない。
女性に対してより潔癖になるのかもしれない。
ジェンダーの世界の問題は、アストラルの低いところで起きる問題ではないのかな。
で、やはり、女性とシャーマンという、興味ぶかい世界の話になるのだが、
自分は、リアルでも、そういうタイプと良く出会う。
それは、霊感がある、というような、そういう意味での女性さすのではない。
もちろん、恋愛相手になったりするのではない。
そういうこととは、とても遠い。
むしろ、仕事の依頼者として、まるでこちらが相談相手になるような、気晴ら
し相手になるような感じだ。
そういう感覚を通してみると、ジェンダーの問題ということとは、遠く離れた
ところにある女性の性質論とからんでくるようにさえ思う。
女性としてのアストラル身体のほう。肉体ではない。
このあたりは、不可思議で。
でも、女性の神様というのがある。あれは、幽的世界を越えたところにある
もので、何故、女性としての気の表現感覚ででてくるのか、全く不思議だ。
天神様は、最初、多治比のアヤコ、だったかな。
この若い女性に、霊言として現れた。
「天神様」が藤原系を懲らしめて十数年後か。
このアヤコの母が、サニワとなった。
そこで指定された場所が、北野天満宮だったと思うが。
それにしても、第2宗教板 正編「青虫たちの甘美な午睡」では、女性のシャーマン論
を、いくつか展開したと思う。
なつかしいな、と思った。
沖縄のユタ、ノロ、についても、もう少し考察したかったなー。
さらに言えば、アイヌの祭祀とか、いろんなことに興味もある。
ああ、思い出した。
何を信仰されてますか?と聞かれたら、俺は「天神様です」と答える位置に
いたのに、いつしかズレてしまった。
榊をあげて、母の長年の原因不明の病気がその日のうちに治ったという快挙が
あったのも忘れてた(苦笑)。
そうそう、天神様です。
>榊をあげて→玉串 と訂正。