青虫たちの甘美な密議

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263アールグレイなTAO

例えば100スレと105スレの弥生さんは、言い分が異なり、どちらが
本当の弥生さんか、分からなくなってしまうのです。
最初に言っていて、相手が理解した語義の内容が、それは別の意図だよ、
ということに簡単に切り替わる。

さらには、今笑った弥生さんが、突然感謝してる相手を罵倒する。
その理由が、その一個のスレのなかでなら、一応筋はとおっているが、別の
スレッドとつなげると、意味が分からなくなったものです。

新聞の連載小説が、その日の分なら、整合性があって読めるが、次の日のは、
登場人物のキャラクターが別のものとして描かれているような感じです。

おそらく、「そのときそのとき本当である短期間の弥生さん」がいるので、
「前の別の弥生さん」に投げかけられた批判は、まるで自分を馬鹿にし、誹謗
するように感じられたことでしょう。見に覚えのないいいがかりを言われたよう
に。

 弥生さんは、2年の記憶喪失があったと言いました。
 アルグレスレでは、極めて短期間での「感情面に対する」記憶喪失のごとき状
況が頻発したのです。


 感情を構成した数個のスレの思いの体系と、別の数個の思いの体系が、記憶喪
失にでもあったかのように、感情の土台が、べつのものになっていたのです。

 もう少し、時間を置いて、落ち着いたら、なぜ、かくも多くの人の批判があっ
たの、分かってくる日もくると思います。

 このような人の場合、霊的と称される問題が、実は根の深い要素をもっている
ことがあります。

 まず、医学的なフィルターで自分を確認することが望まれます。

 その次に、前世がとか、魔が、とかいう話が、ようやく俎上にのせる資格が
ある程度でるのです。

 ここでいう資格というのは、意志疎通の共通場が築けるかどうかのことを
意味しています。