アールグレイで甘美な午睡 4

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890アールグレイなTAO
 自分は、いつも迷い、戸惑いのなかにいます。それを論理性で担保して
生きるしかない。
 迷いながら、たぐることが人生だと考えます。その軌跡が、体系化されていれば
喜びとなる。
 霊的なことは、魔道に堕ちることが大半であり、基本は、あかき心、なおき心
そういった神道や、仏教のとらわれなき我、かもしれませんね。

 ニューエイジの一部は、人々の我執を増長させているように見えます。
 私は、オカルトグッズ全廃論者でもあるので、エネ商売には、反発を感じます。
 むしろ、ホンモノのお札、お守り、幣束にチカラは、これらとは問題になりません。
 オカルトグッズは、ゲルマラジオのようなものだと思いました。
 しかし、ホンモノのお札、お守り、幣束であっても、求める「何か」とは
違います。それは、神そのものとは、異なるし、神々に属するものでしかない。
 神と神々は異ななります。神々は、我々に近い。

 しかしながら、伝統的宗教そのものではないにせよ、その周辺に、ホンモノはあると
思います。長い時間に鍛えられたものじゃないと。
 数百年ぐらいは、要すると思います。一定の評価がでるまでは。

 歴史的にも、ハヤリ神とか、外道的な存在が、主導権を握ろうと、
日本的な霊的土壌を揺さぶろうとしては、追い出されているように見えます。

 もちろん、それは国家神道に対してではないし、むしろ、廃仏毀釈が、霊的世界
に混乱をもたらしたように、別の秩序があるのでは、と「妄想」してます。
 復原力を、有していますから。


 ところで、自分を神だと唱える犠牲者が、これからも出るでしょうね。
 あのコテハンをなんとかしてあげたいが、手が出せない。あそこまでいくと・・・・。
 チャネリング系オカルト駄本の罪は深いです。
 ラジニーシのような存在も。
 

 祖霊を大事にすることや、穏やかな信仰心は、貴いと思います。
 もっとも、「向こうさん」が悟れば、先祖供養なんかは、必要がなくなるでしょうが。
 家代々の守り、あるいは障害というものも厳然としてあるようです。
 その意味では、一見不条理ですね。物質的な家制度ではなく、目に見えないものを
敬い、世のために尽くしてきた一族は、徳をもってるなぁと思います。
 その子孫は、思いがけないところで助けを受けたりするようで。
 逆に、人の土地財産を掠めたりした家の子孫は、惨憺たるものです。
891アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 06:52:07 ID:KQ1+c2OF

 仏教も神道の変形のような役割を、日本では果たしているのですね。
 悟りではなく、部族の守り神が、仏教の眷属のカタチをとって存在した、
といえるのかも・・・・。
 だから、日蓮宗と真言宗が争うのも無意味だし、日蓮正宗系は、困ったことを
目に見えない世界に引き起こしてるとも言える。
 教学など、あまり大きな要素ではないのに。

 自分の考え方は、一種の日本型スピリチュアリズムです。
 (といっても、独自の考え方で、シルバーバーチは、現実の厄災にはものの
役にも立ちませんから、それとは別です)
892アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 08:03:38 ID:KQ1+c2OF

以下、>>877の私見を、4年ぶりにそのままコピペしてみたい。
再確認のためにも。
9まであります。連続投稿になるので、一時中断するかも。

http://curry.2ch.net/occult/kako/1019/10198/1019899205.html
の458以降を、整理して。

以下、引用


1
 以下は、私特有の深謀遠慮(笑)により、「一般論」である。
 特定の者をさすのではないが、それゆえかなり応用可能でもあるかもしれない・・・・。

 例えば、弟子・信者たちは、結果的に優れた事例を見せられてるわけでもなく、期待感に
よって「難病でも治るぞ」と思い込んでいるだけなのだろう。

 彼らにして見れば、証明不能の奇妙な「定理」を受け入れ、これを応用して問題を演習して
いるという、悲惨な状況にあるわけだ。
 事実、心身の調子ぐらいはよくなるだろう。腰痛なども直るだろう。

 だが、彼らの思いが、依拠する力の源泉は何かという事に至ることはない。
 おそらくそのように仕向けられているのだろう。教祖もその事に気づかない。
 「完全なインキチ」でもそうである。

 直感、体感だけで生きる。考えることをしない。
 観察して「法則性」を見いだす作業さえ放棄してしまう。
 「感じた」ことそれ自体が証明である、とされる。
 危ういものだ。自己の存在をすべてパワーに明け渡す。

 これでは、「近代」までの蓄積をも否定しているのであって、ポスト・モダンどころの話ではない。
 有史以前に逆戻りという訳か。

 実際、こういった共同幻想型のエネルギーというのは、「存在する」のだ。
 夢や幻ではない。プラシーボ(思い込み)とは、一部重なるものの、厳密には異なる。
 いわば「過渡的実体」(一時的にある存在)といったところか。
 そのエネルギーの実体は、私見では仏教で言う「魔」だと思われる。
(続く)
893手紙。:2006/04/23(日) 08:04:07 ID:1K7Kkpvn
 みんな!元気?
旅に出てる、とら。は、何故だろう。 みんなが元気なのわかるんだ。
 不思議55階のホテルの部屋 スレ番は ルームナンバー あの子と二人窓から 夜の街を見下ろす
 あぁ この街で和える なんて 不思議。
 と、言うわけで とら。は元気です。月曜には 帰ります。 
 おみあげ 楽しみにしてて サイチェン!
      とら。より。 追伸
 まったく 俺は 堪え性無いなぁ、、、。だから、月曜に、またね。バイ茶。
894アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 08:04:26 ID:KQ1+c2OF
2
(続き1)
 教祖自身が「詐欺・インチキ」だと思いながらやっていても、実は「やらされている」のであり、
そのような疑似エネルギーは、一定の範囲で集団妄想のようにうごめくのである。
 彼自身、どうしてこううまくいくのだろう、と思ってしまうこともあるかもしれない。
ここが非常に不思議なところで、今まであまりにも問題にされなかった。
 世間では「感じているもの」を嘲笑するだけで終わるのだ。
 無理もないことだが。だが、「腐れ縁のエナジー」は働くのだ。

 その現象の本質は、我執、妄執(とらわれ)であり、仏教が長く「魔事」と呼んで避けてきた
ものの流れであろうと思われる。
 達人なら「空を観じることにより」(悟ることで)消滅する類いのものだろう。
 しかし、一般には(特に気感のある人、霊媒体質の人にとっては)存在すると感じられる、
一種の影響力である。
 無理に言い換えると、短期的には「ある」が、長期的には「ない」。
 但しとらわれていると、永遠に「ある」。

 その「共同幻想」には、何十人何百人もが距離をおいても同時に感じる、という意味での
「狭い客観性」がある。「気」(或いはサイエネルギーの低次のもの)のもたらす現象でもある。

 全くのデタラメなら、これほど問題ある宗教団体が、そこかしこに出現するはずもない。
 そこにひかれる人は、「何か」を感じるのである。
 当初集まって行く者たちは、決して「馬鹿」ではない。
 新聞を読んで世間の人が笑うほど、彼らは「アホ」ではない。

(続く)
895アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 08:05:38 ID:KQ1+c2OF

>とら。さん、元気でよかった。
 おはよう。
 挟み込む感じになってごめんね。
 あとで、そこをまたこぴぺするよ。
896アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 08:06:12 ID:KQ1+c2OF

(続き2)

 つまり、マインド・コントロールや催眠術は、「気」あるいはアストラル次元の働き
(気より上位の存在。距離を超える。遠隔の土台ともなる)を活用しているのだと思われる。
 それを無視して、物質的現象(脳だけの働き)というスタンスのみで、論じられるため、
むしろ犠牲者が後をたたない。

 命令機能を伴う搬送波(情報を載せた電波のようなもの。
 テレビの電波も映像や音声の搬送波として使われている。
その比喩である。気やエネにも命令を載せることができる)としての「気」については、
もう論じる必要もないだろう。
 また、あまり書きたくなかったが、異性もコントロールできる。女性は気をつけてほしい。
危うきに近寄らずだ。
 なお、これらについては、html化の終わっている宗教板のレイキ・スレ1での
(111と142〜800あたりの)議論が参考になるかもしれない。
そこにはレイキ・スレの2からリンクできる。
(続く)
897アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 08:07:14 ID:KQ1+c2OF


続き3)
 つまりは、決して脳内現象のみにとどまらないのだ。
 願わくば、仮説でもよいから、(勿論、マスコミや社会通念レベルでは無理だが、各個人のレベルでは)
この立場になって、眺めていただきたい。随分、オカルトの犠牲者は減少することになるであろう。
 「いにしえの人々」にとっては、これが常識(こういったものはすべて避けるべきこと)
だった時期もあると思う。
 今の日本人は、これを失ってしまったのかもしれない。

 さて、例えば、HPも道具立てになっている。
 だが、見た者が「パワーを感じて」も騒ぎ立てるべきことでもない。
 「良くあること」に過ぎない。写真や書籍もそういった性質をもっているし、経典などもそうである。
グッズだけがどうこう、というものではない。
 一向に不思議な事ではないのだ。そのように交流、浸透しあっている「別の現実」がある。
 今に始まったことではない。
 勿論それは、「悟り」からみれば「ない世界」であると思う。
 だが、こういった不可解な状況は生じ得るのだ。一時的とはいえ。

 そこにちょっと足を踏み込んだとしても、あまり驚かぬことだ。
 興奮のあまり、「自分は特別なんだ」と舞い上がるとそのまま「魔境」ツアーだ。
 ただし、片道切符であることが多い。

 「確かにパワーは感じましたが、それが何か?」で、終わって良い。
 後は捨て置けばよい。(もちろん「感じない」ほうの人が多い。意外に「守られて」たりする。
下手に感じるとエサになる、昔の私がそうだ)
 ともかく、そこで捕らわれると、双方の気が交流して、カルマを帯びたひとつの「場」が構成されてしまう。
そこから次の展開が招来される。
 まったくの「インチキ」でもそうなので、念のため。

 「迷妄の気」は生き物のように融合して暫定的実体をつくりだす。
 そこに「何か」が寄ってくることもある。それが「主」となることもある。
それが「教祖」の始まりだったりする。
(続く)
898アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 08:07:46 ID:KQ1+c2OF


(続き4)
 団体によっては、金粉が降ることもあろう、テレパシーのようなことも起こり得るだろう。
勿論、病気も治るかもしれない。ただし気まぐれで不確定ではあろうが。
 同じ手順での再現性が、恐らくとても低いだろう(難病のこと)。
 何があっても捕らわれないことだ。

 どうでもいい小さなことは、比較的当たる。
 人生の根幹にかかわる重大事、重病などについては、さほどあてにならない。
 いつも、右往左往、振り回される。自分の人生は何だったんだと叫び出したい人もでるだろう。

 人間の意識と気の関係は、極めて不思議で、教祖ごと取り込まれかねない性質のものである。
 これは、その顛末を見た人でなければ、なかなか実感できないことだろうと思う。
 時には、残酷な事件も起きる。

 いずれにせよ、こういったところの教祖は、安らぎがなく、いつも落ち着きなく戦ってばかりいるようだ。
 疑心暗鬼が基本姿勢となる。

 なのに、当事者たちは「選ばれたメシアあるいはその部下」と思い込んでしまう。
 選民意識に囚われる。過度になるとファッショとなる。

 やがて、どこかで教祖の人が変わるような局面がでてくる。
 一種の絶対主義、全体主義となる。
 当初、非難していたはずの他の団体と類似性を帯びていったりする。
 「愛と正義」のファシズムである。
 このあたりは、実に興味深い。おきまりのコースだ。
 で、さらに「その先」があるのだが、これは、書かぬが花だろう。
(続く)
899アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 08:09:06 ID:KQ1+c2OF
(続く)



続き6)
 本来は、良いことをしても、その善行の痕跡さえ消し去り、静かに去るのが理想だと思う。

 結局、私は(望んで得る)超能力的なことは、推奨できない。
一時的に好結果がでるように思えても、それが人生全体にどういう意味をもつか、極めて難しい点がある
(呼び込むリスクも並大抵ではない)。
ひとつの団体、人物は最低でも十年は見なければ、その良否は判断できないと思う。

[以上は、実在する特定の個人団体を指すものではない]

[以下は、実在するHPを暗示するものだ](注:当時、ある団体というか、そこの信者に向けたもの)

 さて、再度、その問題の大きさを認識してもらうため、くどく言う。

 あのページへのリンクを貼っている弟子たちへ。
 君たちはここを見てると思う。
 ネットは、「仲良しクラブ会報」の冊子のように閉じた世界のものではない。
 ワールド・ワイド・ウェブ、今更言うまでもないだろう。
 世界に向かって開かれたクモの巣の如き「往来」である。
 つねに第三者の目に触れる。(パスワード制にしても、やはり五十歩百歩だ)
900アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 08:10:50 ID:KQ1+c2OF
>>899と順番が逆になりました。
>>899はレスとして削除。もう一度出します。




(続き5)
 これらは、不可避な、一種の人類的な「業」なのだろうか・・・。
 (その危うさを、特に肉食妻帯をしなかったころの、仏教の修法師、禅師らは見抜いて来たらしい。)

 こういったことは、姿を変えて、おそらく何千年もの間、繰り返されてきたはずである。
日本では、民俗学的にいう「ハヤリ神」なども、その系統なのかと思う。
何がニューエイジだと言うのだろう。
 それは、ある種の存在の餌場のようなものなのだ。

 さて、他に気をつけるべき一般論としての、次の点。

 「この世に存在するものの本質は、結局は善なのだ、みんないいエネルギーばかりなのだ」との、
偽善厨房感覚で対処すると、悪い連中に利用されてしまうことも多い。
厳しい現実の修行を越えられないものが、そう考えると言うのは、甘えのひとつでしかない。

 そのレベルでの「愛」や「善」は、食虫植物が放つ「美」のようなものなのだ。

 いずれにせよ、ニューエイジ的に「悪はない、実相はすべて善」などど、天台本覚思想のすり替え
のような話を持ち出し、結局は「因果をくらます」(つまり原因と結果の関係を曖昧にごまかす)一部の者
の妄言には、要注意だろう。
 これが妥当するのは、究極での話に過ぎないのだ。

 本来のこのレベルに在る者は、「エネ商売」「エネ遊戯」などしない。
 これらは「分別」の世界だ。「無漏」(むろ:行為をしたという自分さえ捨てる、
その轍さえ残さない、と一応は説明しておこうか)の業とは全く異質のものだからである。
 そこには、常に「我」が在り続ける。俺が、俺が、である。「〜された」といっては戦い、
最後はガタガタに疲弊する。他人を憎悪して呪術をするが、その憎悪に気づかず、「正義の遂行」
だと勘違いし合理化する。
 あまつさえ、落ちた地獄を天国だと思い続ける。
901アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 08:12:00 ID:KQ1+c2OF



続き6)
 本来は、良いことをしても、その善行の痕跡さえ消し去り、静かに去るのが理想だと思う。

 結局、私は(望んで得る)超能力的なことは、推奨できない。
一時的に好結果がでるように思えても、それが人生全体にどういう意味をもつか、極めて難しい点がある
(呼び込むリスクも並大抵ではない)。
ひとつの団体、人物は最低でも十年は見なければ、その良否は判断できないと思う。

[以上は、実在する特定の個人団体を指すものではない]

[以下は、実在するHPを暗示するものだ](注:当時、ある団体というか、そこの信者に向けたもの)

 さて、再度、その問題の大きさを認識してもらうため、くどく言う。

 あのページへのリンクを貼っている弟子たちへ。
 君たちはここを見てると思う。
 ネットは、「仲良しクラブ会報」の冊子のように閉じた世界のものではない。
 ワールド・ワイド・ウェブ、今更言うまでもないだろう。
 世界に向かって開かれたクモの巣の如き「往来」である。
 つねに第三者の目に触れる。(パスワード制にしても、やはり五十歩百歩だ)

902アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 08:12:43 ID:KQ1+c2OF


(続き7)
 不治とされる病気で苦しみ、ワラをもつかむ気持ちの人もこの世には多い。
そのような人も、当然ネットはする。
 彼らに「自己責任だろう!」という言葉をぶつけるには、あまりにも残酷な場合がある。
 彼らが、何とか救われたいと、たまたま、あなたのHPにたどり着いたとする。

 そこに「教祖」のホームページへのリンクがある。(ウェブとは言い得て妙だな)

 だが、教祖は、医師でもない、鍼灸師でもない、なんら資格もない(表示されていない)。
なおかつ対象となる病名(!)が列記されている。治療されうると間接的に表現されている(!)。
電話番号はない。所在地も明記されていない。経歴、本名、通名もない。
 ところが、そのページで、入金手続につながる申込は受けている。

 ・・・あなたが、このようなページにリンクしているということは、ある種の「連帯責任」
を負う覚悟があると判断していいだろうか?
 (何よりも、弟子のホームページにも、「症状が改善」「矯正する」という言葉が使われている
ではないか。「お金をとって業(ぎょう)として行う」人物の事で!)

 直ちに民事賠償の対象にはならぬだろうが、社会的責任、人道的責任は、君らが考えているより
はるかに大きいことも知るべきだ。
 底の浅い知識で他人の人生を迷わせる、という結果責任(善悪の意思は関係ない)は、極めて重い。
これはもう十分お解りの事だろうと思う。
(続く)
903アールグレイなTAO:2006/04/23(日) 08:13:22 ID:KQ1+c2OF


(続き8)
 以上は、いまだ未熟なネット世界だから、多少のお目こぼしにあってるようなものだ。
 (後記注:これは4年前の私見のコピペです)
 一般の目にふれる、新聞の折り込みチラシなどで、あのようなことが記載されていたら、物議をかもすだろう。
 結局、この世は君らが考えているほど甘くはない。(あの世も、かな)

 「そのとき」になって、「何故なんだ」と騒いでも、「自己責任」である
(麻薬的なエネの中でのある種の責任能力を論じるのは酷ではあるけれど)。
 この二十年の間、水面下では多数の実例もある。

 まぁ、「魔にたぶらかされるな」というのも、注意義務の中に含まれるというのだから、
随分厳しいとは思うのだが。心しておかれよ。
 自分は特別なのだ、とはくれぐれも思わないことだ。
 いつの日か、浦島太郎のような気分に追い落とされるであろう。
 一日も早く目を覚ませよ。

(後記注 以上は、4年前の私のカキコのコピペです)

http://curry.2ch.net/occult/kako/1019/10198/1019899205.html

その後にも、きつい私見が書き込まれてます。
そこでのコテハンは、「458」