●森田療法体験記●

このエントリーをはてなブックマークに追加
200癒されたい名無しさん
201ちょん:2009/02/22(日) 13:29:47 ID:mQlT1Kga
本気で相談です。
二年くらい前に美容院いったら変な髪型にされて、みんなに変といわれて、
自分でいろいろ手を加えてたら髪の事しか考えれなくなってしまいました。
苦しくて坊主にしたりしたのですが、その時は楽なのですが、髪がのびて
美容院で切ると、また自分の髪型は変なのではないか?誰かに変と言われるのでは
ないかとビクビクしています。気にしすぎなのは分かっているのですが、考えて
どうこうできるものではないと二年間戦ってきて思います。森田療法の本も3冊
くらい読みまして、実践しているのですが、どうにもなりません。
本当に悩んでいます。何かいい方法はないでしょうか?薬などで治りませんよね??
202癒されたい名無しさん:2009/04/04(土) 14:09:13 ID:0nldNVOy
特定のこだわりが症状であり、本来の純粋な心になることが治ることであると元祖は言っていますよ。これは改めて繰り返すまでもないような気がします。
またある種の医師はおそらく神経症を理解していませんが、多数の方はほどほどに理解していると思います。
この森田療法は適用を限定していますが、森田で治るなら他の精神療法、薬物、カウンセリング、宗教など出る幕がないはずですよ。
神経症の治療は簡単なことが難しいのが馬鹿げている反面よく考えると馬鹿にもできないものはありますね。
203癒されたい名無しさん:2009/04/04(土) 21:12:32 ID:2KNpXNhr
本人の考え方の問題、治る必要はない、何も異常が無いから!
204癒されたい名無しさん:2009/04/09(木) 06:03:15 ID:2Zo1HtYk
神経症については、客観的にも(主観ほどではなく)異常と観察される例は少なからずあり、多くの場合森田に習わなくも気にしているから余計になるということは、当事者もある程度知っていると見受けられます。
205癒されたい名無しさん:2009/04/09(木) 20:11:19 ID:LNXyVKZi
禅問答の話を持ち出す人へお聞きしたいのですが
禅問答と神経症の治りは具体的にどう関係しているのですか?

わかりやすく教えててください。

右脳で解けとか、仏性だとか、わけのわからない言い方でない
わかるようにお願いします。
206癒されたい名無しさん:2009/04/10(金) 06:55:55 ID:tzRilc5W
それが言えたら、誰も苦労はしないよ!
人間は自我意識だけでは生きて行けないという事。

自我意識だけで体を使おうとした場合に書痙、吃音、体の震え、
指の震えが来る。

自我意識だけで心を制御しようとした場合には、心が暴走してしまう。
人間が自我意識だけを認めようとしている状態、是が神経症という事。

人間はパンのみにて生きる訳ではないという事。
人間の計らいの他に人間を働かせているものが存在するという事。

自我意識が命令しなくても、体が動いている状態が在る。
「思わずに急ブレーキをかけた」時は自我意識は係わっていない。

人間が思わずに行動する時は、「誰が急ブレーキを」掛けたのか?
自我意識は感知していない。
207癒されたい名無しさん:2009/04/10(金) 08:20:48 ID:Z+AfM6iO
?
208癒されたい名無しさん:2009/04/10(金) 18:48:29 ID:0/lc2bnU
人が時間をかけて身につけた考え方を短日時に治すことは難しいですね。だから急ぐ場合は薬になります。
考え方を治せば治ってくるので、森田で治るのではなく、森田でも治るのであり、それが行えれば何でも良いのです。
このようなことから宗教から医師まで誰でも始められる色々な治療法が存在し、ビジネスにする場合もあるわけなのですね。
209癒されたい名無しさん:2009/04/11(土) 19:30:35 ID:1T6se/+7
>>206
無意識というのでそうかと思いなるべく自我意識にまかせないで運転してたら、車をぶつけたよ。
まともに聞いたのがばかだったよ。
だからね、無意識無意識なんて単純に割り切れないのではないの?

自我意識だけでも人間はパンのみにて生きる訳ではないことはわかるんだけど
自我意識もパンもなかったら困るでしょ。

そういうふうに神経症的(と言ってら失礼ですが)に割り切れないのではないの?
210癒されたい名無しさん:2009/04/12(日) 01:06:39 ID:LtcY9JmL
>>206
>それが言えたら、誰も苦労はしないよ!

それいうこと、おかしいと思いますよ。
211癒されたい名無しさん:2009/04/12(日) 18:04:27 ID:ulS5yUEm
210様へ

詳しく書いたなら聖書になってしまいます。判りますか?

仏教の経典になってしまいます。分かりますか?

今言った事が詳しく書いて有るものです。
212癒されたい名無しさん:2009/04/12(日) 21:06:17 ID:um6OQQO1
3ヶ月ぐらい本当に玄関先までしか出れなくなった。独り暮らしなのに
日記を書きはじめれば、家から出れるかなぁ?中島義道もしていたらしいけど
もう、病院に行くしかない?でも独りで出れないんだ。
213癒されたい名無しさん:2009/04/13(月) 00:11:46 ID:OEg2q8OE
無意識というのでそうかと思いなるべく自我意識にまかせないで運転してたら、車をぶつけたよ。
まともに聞いたのがばかだったよ。
だからね、無意識無意識なんて単純に割り切れないのではないの?

自我意識だけでも人間はパンのみにて生きる訳ではないことはわかるんだけど
自我意識もパンもなかったら困るでしょ。

・・・・なるほど・・・・そうです。
214癒されたい名無しさん:2009/04/13(月) 07:57:19 ID:LnBxmww0
はて?森田療法、仏教、禅などに神経症を治すのに目を引くようなものあったかな?
215癒されたい名無しさん:2009/04/13(月) 17:11:21 ID:OEg2q8OE

聖書と仏教の経典
をごちゃまぜにしている馬・鹿がいるな
216癒されたい名無しさん:2009/04/13(月) 17:19:10 ID:Q5RxTnrE
人間の心を相手にしている事、人間の苦しみを相手にしている事。

人間の脳の構造は、昔も今もあまり変わってはいない事。

脳の構造上に、人間の苦しみが存在している事。

二元論そのもので人間の脳が出来ている事。

分からない人には分からないかも知れない。

それは仕方が無い事かも知れません?
217癒されたい名無しさん:2009/04/13(月) 18:43:41 ID:OEg2q8OE
脳の構造上に、人間の苦しみが存在する
二元論そのもので人間の脳が出来ている
という
馬・鹿がいるな
218癒されたい名無しさん:2009/04/13(月) 22:15:44 ID:Q5RxTnrE
じゃ、二元論は何処から生じますか?脳は一つ、心は一つなら。
如何して心は、言い争いをしますか?強迫観念と、自我意識は
何で二つ在るのですか?
219癒されたい名無しさん:2009/04/14(火) 01:02:56 ID:cgqfQWz1
心は一つなら一つ。
二つにすんなよ。

二元論オタクさん。
220癒されたい名無しさん:2009/04/14(火) 06:28:47 ID:zmXLXcU0
神経症は、心で言い争いをしています?

強迫観念と戦っているではないですか?

221癒されたい名無しさん:2009/04/14(火) 18:24:41 ID:cgqfQWz1
>>220
その通りなんだが、二つが当然のような言い方をするな。

神経症なおった人は、
神経症に苦しんでいる人と一緒になって
二つに加わって「二つごっこ」しちゃいかんだろ〜
222癒されたい名無しさん:2009/04/14(火) 18:54:00 ID:7mwstHrZ
222
223癒されたい名無しさん:2009/04/14(火) 19:39:48 ID:zmXLXcU0
二つ在る事が分かった時が治る時です。それが「悟り」です。
224癒されたい名無しさん:2009/04/14(火) 19:57:22 ID:cgqfQWz1
>>223
>二つ在る事が分かった時が治る時です。
おれを神経症と勝手に思ってんだろが、思い込み激しいね。
神経症なおった人は、理解でなおるというアドバイスをするな。

>それが「悟り」です。
そういうこと言うからあんたの悟りはウソだと言われるんだよ。
二つ在る事が分かったなんて妄想だよ。

心は一つなら一つ。
二つにすんなよ。
225癒されたい名無しさん:2009/04/15(水) 05:15:21 ID:MCH84plr
人間の精神活動は自我意識だけではない事を教えているものが有る。

それが「禅問答」
226癒されたい名無しさん:2009/04/15(水) 06:51:24 ID:Etq0tt6l
無意識に問題があると考える。
それが「西洋医学」。
227癒されたい名無しさん:2009/04/15(水) 18:23:28 ID:S8zXbowd
>>225,>>226
>禅問答・・
>人間の精神活動は自我意識だけではない事を教えている

いまさら禅問答なんて言うなよ〜、
禅問答は神経症でない人を神経症状態に持ってく工夫だよ。
神経症者は各自の神経症という名の禅問答をかかえてんだろ。

自分の精神活動や意識の状態を問わないのが不問・森田療法だろ〜。
何をはき違えてるんだ〜?

あんたみたいな神経症治った人は、
神経症に苦しんでいる人と一緒になって
心を二つに分けて「心二つごっこ」しちゃいかんだろ〜
しっかり、しろよ〜。

228癒されたい名無しさん:2009/04/17(金) 05:07:22 ID:vhgrq7M5
キリスト教と、禅ををごちゃまぜにしている馬★鹿がいるな。

西洋医学で言う無意識と、禅で言う無意識をごちゃまぜにしている馬☆鹿もいるな。
229癒されたい名無しさん:2009/04/17(金) 19:18:01 ID:vhgrq7M5
>無意識というのでそうかと思いなるべく自我意識にまかせないで運転してたら、車をぶつけたよ。
 まともに聞いたのがばかだったよ。
 だからね、無意識無意識なんて単純に割り切れないのではないの?


体験記としては、一番の書き込み?
230癒されたい名無しさん:2009/04/18(土) 01:40:49 ID:sdtyx3aB
>鈴木大拙博士の本を子細に読んだ場合には、宗教の元、或いは「神秘主義」というものの、
根本は同じ事に根ざしているという事を書いて有ります。(人生問解ホームページより)

1 神秘主義とは?
2 根本とは?
2 森田的体験とそれらはどう結びつきますか?
231癒されたい名無しさん:2009/04/18(土) 18:53:31 ID:Yln0q/9f
鈴木大拙博士の本には書いて有ります。
232癒されたい名無しさん:2009/04/18(土) 22:40:34 ID:sdtyx3aB
>森田的体験とそれらはどう結びつきますか?

ということは書かれていないでしょう。
233癒されたい名無しさん:2009/04/19(日) 06:04:14 ID:wVMn7TLG
行動の中に「それ」が有るという事です。頭の中の事「妄想」は相手にしていない
事です、症状が有っても今の行動を続けてゆくと言う事です。

症状を(妄想)を言った場合には叩かれます。実際の日常の暮らし(作務)の中
或いは自分の行動の中で「それ」を掴むという事を、どちらも教えています。

症状(妄想、或いは、疑問)が有ったままで(あるがまま)身体を使う事。
不安が有ったままで、暮らしてる行く事、その中にこそ、人生が有るという事を
どちらも、教えています。

普通に暮らすという事は、雑念の処理の仕方を「学べ!」という事です。
不安(疑問)が有ったままで、そのままで暮らしてゆくという事。

普通の暮らしという事は、自分の行動する時の、自分を働かせているもの。
全神経を「妄想」ではなくて、自分自身の行動に、或いは自分の全身に気を
使うという事。この中にしか自分の人生は無いという事をどちらも、教えています。
234癒されたい名無しさん:2009/04/19(日) 17:58:32 ID:D/cQgPcE
>>233
おおむね、良い意見です。良く本を読んでいるようで真面目な勉強家のようですね。
>>228のキリスト教・禅について私も意見させてください。森田的体験とは無関係ですが。
(ただし一般のキリスト教に関してです。グノーシスに関しては研究中ですので意見が言えません)

>不安(疑問)が有ったままで、そのままで暮らしてゆくという事。

これはおっしゃる通りです。大筋、間違っていません。

>普通に暮らすという事は、雑念の処理の仕方を「学べ!」という事です。

キリスト教でそういうのかわかりませんが、禅では雑念、妄想という「分別をしない」んです。
神経症の人がそうであるうんぬんでなく、禅を出すなら最終的にそこを言わないといけません。
ですから、冒頭でお話しされたように
>行動の中にそれが有るという事です。
というような「分別をしない」です。

>不安が有ったままで、暮らし・・その中にこそ、人生が有るという事をどちらも教えています。

人生があるとは言わないはずです。
233さん自身が>症状を(妄想)を言った場合には叩かれます。
とお話されている通りです。

禅はキリスト教のように
『教え(大拙の本や経典)があって学びがあるというのではない』ことを
御確認下さい。教外別伝です。
235癒されたい名無しさん:2009/04/20(月) 22:22:33 ID:4wGE9IX/
だから言っただろよ、
キリスト教と禅をごちゃごちゃにしている馬・鹿がいるんだ。
236癒されたい名無しさん:2009/04/21(火) 05:03:38 ID:1IAyVIBC
人間の考えている事は、洋の東西、今と昔、あまり変わっていない気がします。
それは頭の構造が同じに出来ているからです。

禅と言ってもキリスト教と言っても所詮人間の考えている事、行いに過ぎません。
共通点が見つからないという観点からみたなら、見つかりません。

ただ、人間の苦しみ、救いという観点からみた場合には共通点が有ります。
それが分からない人は、まだ救われたことが無いのかも知れませんが?
237癒されたい名無しさん:2009/04/21(火) 19:02:45 ID:EiobYuGC
>>235

共通点があっても区別がつかない、おバ★カさまを相手にしないでいいよ。

ついでに
脳の脳の構造上に、人間の苦しみが存在するという、クル★くる★ぱーさまも相手にしないでいいよ。

ここは☆☆☆体験記☆☆☆ですから。
238癒されたい名無しさん:2009/04/21(火) 20:49:44 ID:1IAyVIBC
森田療法を受けた実体験です。
239癒されたい名無しさん:2009/04/22(水) 03:04:21 ID:mTcNJpEp
本物の●●ですな。
240癒されたい名無しさん:2009/04/22(水) 21:32:48 ID:iTgoJibK
ちょっと違うけど善意でないかな。手の内を隠して実は何でもないものよりましだな。
241癒されたい名無しさん:2009/04/22(水) 21:56:33 ID:mTcNJpEp
善意があるからいいというのではないのかな。

善意だから、タチが悪いと言う場合もあるんだな。
例えば親子のような関係で親が一方的に自分の側からみた時の善意正義を振りかざすとき
あなたのこと思って良かれと思っていってるのよ、言うこと聞きなさい
なんてやることがあるけど、そういう(相対的な正義の)教えをおし付けられた子は、いい迷惑なんだな。

それは何何教の布教もそういうことがある。押し付けられ方はこっちが正しいという。
押しつける方も正しい。正しい者同士で結局は戦争だな。

手の内も外もない、何にでもないことを示しているのが禅とか言われるものだろ。
242癒されたい名無しさん:2009/04/23(木) 03:07:31 ID:hceW4uC3
じゃかってにやってり在って事か。
243癒されたい名無しさん:2009/04/23(木) 03:07:31 ID:hceW4uC3
じゃかってにやってり在って事か。
244癒されたい名無しさん:2009/04/23(木) 07:12:34 ID:hceW4uC3
じゃ、なんでもいいということかい。
なんでもいいのか?
245癒されたい名無しさん:2009/04/26(日) 11:09:18 ID:h/Ri5HHE
大先生がもっと危ない人だったら、こうはなっていませんでしたよ。残念でしたね。
246癒されたい名無しさん:2009/04/26(日) 14:58:31 ID:MnTDkEx1
森田療法受けたけどドロッポした
始めにやる個室治療中に幻覚ではじめて中止させられた
その病院信じられなくなって別の病院でその話したら自分の病気、森田療法は適応外だったらしい
森田療法は向き不向きあるから合う人にはいいと思う
247癒されたい名無しさん:2009/05/06(水) 22:26:13 ID:LcdyTlCt
>森田療法は向き不向きあるから・・・

ということを誤解すると
自分に合うか合わないかということになるが、そうではない。
自分の都合で楽を考えて合うとか言っていることが治りを妨げる。

向き不向きというのは
原則的には不向きということです。
248癒されたい名無しさん:2009/05/07(木) 00:54:43 ID:IxBNvXSW
247の訂正補足
>向き不向きというのは
 
原則的には「神経症以外には」不向きということです。
249癒されたい名無しさん:2009/05/07(木) 02:08:22 ID:zUU+zdhJ
なんかさ、もっと即物的に生きたほうがいいんじゃない?
小難しい事は抜きにしてさ……
病んでしまう人ってみんな頭でしか考えないよね。
まずはだな!肉体労働をして疲れて帰って一風呂浴びてビールでも煽って後はガーっと寝たらスッキリでしょう?
だからお百姓にうつなんかいないでしょうにさ。
250癒されたい名無しさん:2009/05/07(木) 18:16:40 ID:Dv1Ff5rL
>>249
肉体労働すれば治るってことは、ないでしょ。
百姓にうつはないって、初めて聞いたなあ…???
251癒されたい名無しさん:2009/05/08(金) 20:37:02 ID:f2Jl9IoF

もりたは基本、神経症のためでうつのためでないよ。
252癒されたい名無しさん:2009/05/12(火) 19:22:12 ID:h2fhV/8v
人格障害とか統合失調症も対象外
253癒されたい名無しさん:2009/05/15(金) 15:25:36 ID:PacnKO17
ねりまに2次会一人で独演のおじさんいませんか
アスペだと思うんですが、、
254癒されたい名無しさん:2009/05/15(金) 20:17:20 ID:6p0ZOXtZ
ねりまのおじさんは
自己愛性人格障害では?
255癒されたい名無しさん:2009/05/20(水) 20:27:16 ID:pkuHbTUE
結局、不安だろうが体調悪かろうが、
生身の人間だからそんなこともあろうと、
無視する姿勢だよね。
256癒されたい名無しさん:2009/05/23(土) 04:14:50 ID:0DQAK6bU
他スレ情報で
「森田療法のすべてがわかる本」(北西憲二)は ★
「強迫観念と神経衰弱の根治法」(森田正馬)は ★★★★★!

だとさ、
もう少し前に言ってほしかった!!!
257癒されたい名無しさん:2009/05/23(土) 09:32:07 ID:NBZguysG
神経症を全面的に治す過程は、大木は1日にして成らずに同じなり
258癒されたい名無しさん:2009/05/24(日) 11:29:50 ID:MaBb4CsM
>>256
ある程度情報収集するなり立ち読みするなりすれば
正馬の本がもっとも有益なことぐらいわかるだろ
それがわからない時点で良くも悪くもたいした神経質じゃないかもよ?
259癒されたい名無しさん:2009/05/24(日) 12:04:05 ID:AfEjM+j4
いろいろ読んで神経質、神経症のからくりがよくわかった。高良先生の森田療法のすすめ
がわかりやすかったです。
260癒されたい名無しさん:2009/05/25(月) 19:51:51 ID:7Xk93qbQ
「森田療法のすすめ―ノイローゼ克服法」(高良武久) ★
「実践森田療法」             (北西憲二) ★
「神経質の本態と療法」          (森田正馬) ★★★★★
261癒されたい名無しさん:2009/06/02(火) 03:27:29 ID:FyXpOgSx
北西憲二先生は、評判悪いな、乙。
262癒されたい名無しさん:2009/06/02(火) 22:36:51 ID:FyXpOgSx
45分で3万円・・・って、乙
北西憲二先生、評判悪いな。
263癒されたい名無しさん:2009/06/03(水) 06:59:38 ID:SQpnYKbF
神経症が治らないため死ぬ人間がたまにいるのだから安いともいえる 
まあこの病気は天才をしばしば出すからそれまでは辛抱だな 
天才の反対もよく出るが 
264癒されたい名無しさん:2009/06/04(木) 22:53:19 ID:J6Gmrek1
神経症は死なない。
265癒されたい名無しさん:2009/06/05(金) 15:16:04 ID:FPpZzBcr
本などの受け売りじゃあな
266癒されたい名無しさん:2009/06/07(日) 23:36:08 ID:Ps+d48vq
新版 森田式精神健康法 長谷川洋三        ☆
森田療法        北西憲二+中村 敬   ☆
神経質の本態と療法   森田正馬        ☆☆☆☆☆
だってさ・・・買う?
267癒されたい名無しさん:2009/06/08(月) 00:26:23 ID:VzFpz/rw
神経症にはね、快楽に身を委ねるといいよね。享楽的に刹那的にです。
268癒されたい名無しさん:2009/06/08(月) 13:44:49 ID:1m4dEDCL
享楽的に刹那的にはね、症状に身を委ねるといいよね。神経症にです。
269癒されたい名無しさん:2009/06/13(土) 16:33:42 ID:xg3v9+Ny
斎藤療法批判
斎藤「先生」さんへの敬称は以下省略させてもらう。
(斎藤への悪口目的でなく森田やっている人のために批判させてもらう)
5/30今日の言葉より
>一休さんが「どんなにつまらない雑用を我慢してやろう」のような書き込みをし・・・
>「どんなにつまらなくても」の形容詞がつく・・・人達は正常な心の持ち主ではないのだ。

ハンドルネーム一休さんの心は極めて正常で、斎藤のコメントがおかしい。
心の状態はこうなるはずだというきめつけがあることが。
決め付けがないことが斎藤の言う無為である。
「つまらなくても」とはいっていないこれだけで斎藤が神経症状態を引きずっていることが分かる。
つまらない時は詰まらないのが無為である。
270癒されたい名無しさん:2009/06/13(土) 20:31:39 ID:xg3v9+Ny
斎藤療法批判 2
(斎藤への悪口目的でなく森田やっている人のために批判させてもらう)

神経症の状態、治った状態の定義に見られるように
無為とは逆なことを説いているわかりますか、この矛盾が。
271癒されたい名無しさん:2009/06/13(土) 20:34:24 ID:xg3v9+Ny
斎藤療法批判 3
(斎藤への悪口目的でなく森田やっている人のために批判させてもらう)

>神経症を治す方法
>雑用を「無」の状態で行う。無とは・・・するからするの境地を意味する。
>神経症を治す最後の砦は意思である。

境地・意思を問題にするから神経症になる。
272癒されたい名無しさん:2009/06/13(土) 20:36:55 ID:xg3v9+Ny
斎藤療法批判 4(斎藤への悪口目的でなく森田やっている人のために批判させてもらう)
>治癒の定義
>治るか治ってないかの二者択一で、

治癒は二者択一でない。

斎藤療法批判 5
>神経症世界と健康世界の比較

こういう比較自体が不要である。思想の矛盾するだけである。
273癒されたい名無しさん:2009/06/14(日) 12:31:24 ID:ZXyNwmMG
斎藤療法批判 6(斎藤への悪口目的でなく森田やっている人のために批判させてもらう)
今日の言葉6/14
>時に自分が悲観的になった時にものの見方を変えて右が駄目なら左がある、
>自分のこの能力は駄目だが、こちらの方は手ごたえがあると意図的に思考を変えてみる。

斎藤自身が批判する認知療法をやっている。
意図的に思考を変えてみるのは思想の矛盾が待っている。神経症真っ盛りを自身が実行。
森田療法では悲観的は悲観的、そのまま。
274癒されたい名無しさん:2009/06/14(日) 12:47:30 ID:ZXyNwmMG
「一休さん」批判斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
>鈴木診療所6/14
>また、作業室の掃除も2回掃いて一度雑巾で乾拭きするというように手順が決められ、なるべく入院生を動かす仕組みになっていました。
>強迫行為を強迫行為で置き換えるの話ですが、自分は「間髪入れない動き恐怖」「動きを早くする恐怖」を身につけてしまいました。

これを主観的虚構というのだ。無為ではないでないか。

>それを退院後も守らなければ、全治しないと思っていましたし、社会で成功するコツはそれだと思っていました。

守れば全治するというのは無為ではない。治すことより、「雑用」「動き」はどうしたのか?
275癒されたい名無しさん:2009/06/14(日) 13:03:49 ID:ZXyNwmMG
「一休さん」批判2
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
自分の悩みを知る6/14
>上記では、自分の悩みをもっと具体的にここで発言してみたらよいと言い、
>【今日の一言】 2009年6月13日-土曜日
>頭痛や強迫観念を常に口外し、人に訴えて、同情を求めてはいけない。森田正馬と書かれています。
>森田の幹部連中に定見が無く支離滅裂なのに、どうして患者を指導できようか・・・

これは、「一休さん」の言うとおりです。
近頃の森田セミナー参加の先生より、「一休さん」の方が森田正馬を知っている。
276癒されたい名無しさん:2009/06/15(月) 06:00:45 ID:hs8/xM9Y
「一休さん」批判 3
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
>自分の悩みを知る'00.4 2009/6/14   後半
>そして初一念はただそれきりならばよいけれども、「アアうまく話せた有り難い。この次もあんなふうにやればよい」
>という考えが起これば、すでにそれがやりくりの選択となって・・・・と言っていますが、勝手に起こってくる考えには患者は責任が持てません。
>そんなことよりも、こういうのを森田の小理屈、言葉遊びというのです。

森田は「一休さん」と同じことを言っている。勝手に起こってくる考えには責任が持てないでよい。「一休さん」が批判したいための小理屈です。

>あるがまま、あるがままと唱えてみても、あるがままにはなりません。

そのとおり。「一休さん」は、これらの点は、森田セミナーの先生よりよくわかってる。

>目的本位に行動すれば、あるがままの心になるというのなら、

森田正馬はあるがままの心を目標にしていない。誤解して批判する愚痴。

>会社勤務で対人恐怖のくせに一番嫌な営業職もやり・・・結局はホテルのボーイにまで落ちてしまった。

会社勤務>ホテルのボーイという物差で自分で自分をランク付けし苦しんでいるプレイをやめたらどうか。
277癒されたい名無しさん:2009/06/15(月) 06:03:45 ID:hs8/xM9Y
「一休さん」批判 4
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
>では森田の本を繰り返し読むのはどうなのか?

事実が唯真。事実が本より前。繰り返し読むのは自由。

>生涯森田をやろうとするのはどうなのか?

生涯森田も生涯斎藤も必要なし。

>「あるがまま」という言葉をお守りのようにする患者はどうなのか?

お守りは煎じて飲んでもらう。カスは畑の肥料か、燃えるゴミに。

>「なすべきこと」「プラスの行動」をなさないと神経症は治らないと教育されてしまった患者はどうなのか?

されたまま〜っ。

>こうすれば治るという手段を与えられた患者はどうなのか?

与えられても受け取る必要はない。事実唯真にマックジキコ。

278癒されたい名無しさん:2009/06/15(月) 06:06:42 ID:hs8/xM9Y
「一休さん」批判 5
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
>特別なことをしない 2009/6/13
>相手の都合も考えずに、相手を巻き込んでしまう。例えば思い立ったら直ぐに電話をしてしまう癖です。

わかったらやめたらよい。

>仕事は集中力だと思っていますので、定時に帰宅しています。

仕事は達成にある。集中力があったなかったは2の次って。

>森田のような努力努力の世界はしょせん長続きしません。

森田の言う努力について、どこに努力するかを誤解(わざと?)している。(のか?)
279癒されたい名無しさん:2009/06/15(月) 06:15:15 ID:hs8/xM9Y
「一休さん」批判 6
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
>自分の悩みを知る'00.4 2009/6/12
>神経症者は唯でさえ、24時間治すことしか念頭にない人達です。テレビを見ていても、通勤していても神経症のことが頭から離れません。

意識は常住でないって斎藤禅の講義であったのでは?自分の思い込みで事実を捻じ曲げないこと。

>神経症者は意識地獄状態なのです。

意識が悪いわけでない。意識地獄と(分別)意識するから。

>他のことに関心が向かない状態です。

向かない時はそれが事実。無為と言うんだろ斎藤療法では。

>仕事でも遊びでも関心が湧かないという自己の生存にかかわる異常な脳の状態になっているのです。

異常な脳の状態には森田療法を適応しないこと。
正常な脳の状態ゆえに正常な自我機能のもとに葛藤し苦悩する神経症にのみ適応される。

>神経症者にとって、最大の関心である治そうというのは扁桃体の興奮です。

扁桃体まで実感できない。興奮だけで十分。興奮のまま。・・・最大の関心を雑用、本用、社用、学校用に回す。

>「自分の悩みをしる」というタイトルからして、神経症という勝てない敵に対する好戦的な印象を持ちます。

これは良い。勝てない敵に対さないことが無為。無為と言うんだろ斎藤療法では、よく勉強しよう。
280癒されたい名無しさん:2009/06/15(月) 20:05:05 ID:hs8/xM9Y
「一休さん」批判 7
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
>岡本【今日の一言】 2009年6月15日-月曜日
>神経症者は言葉離れをしないと駄目です。らちがあきません。
なるほど。

>自分は森田の言葉を捨てました。
捨てたんなら「捨てました」という表現ががでてこないはず。

>森田の言葉なんて糞喰らえです。
言葉の奴隷にならなければ良いだけ。言葉自体糞喰らえでも糞喰らわないででもない。

>だから縛られるものが無く自由を味わえるようになったのです。
それが本当なら、結構。ついでに「自由」も捨てたらどうか。
281癒されたい名無しさん:2009/06/15(月) 20:07:09 ID:hs8/xM9Y
「一休さん」批判 8
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
>森田の言葉   2009/6/10
>>ただ、これを思い捨てる、すなわち「嫌いなものは嫌い」「人前は恥ずかしいものである」と、事実そのままに見る
>>ときに、容易に嫌いは好きになり、人前も恥ずかしくなくなるのである。(森田の言葉)
>↑それが出来ないから神経症者は苦しんでいるのです。(「一休さん」)
>こう言われると神経症者は事実そのままに見ようとする新しい努力、はからいを始め、それが新たな強迫観念になります。
 
そう見ようとするとできない(「一休さん」)その通り。そういう努力をするなと森田は言う(=思想の矛盾)。
282癒されたい名無しさん:2009/06/15(月) 20:10:07 ID:hs8/xM9Y
「一休さん」批判 9・・・勝手に誤解して批判する例が以下である。
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
>森田の言葉   2009/6/10  後半
>波をうっているタライの水は、どのように傾けようが静まりません。その傾けてどうにかしようというのが森田なのです。
タライの水を傾けてどうにかしようと「しない」のが森田。

>>嫌いな食べ物でも、人並みにこらえて、仕方なしに食べていれば、まもなく好きになるのである(森田の言葉)
>↑嫌いなものをあえて好きに変える必要があるのか?そこに正馬の強迫性志向を感じる。
好きになる目的でなく仕方なしに食べる目的。

>自分には向いていない、やっていても面白くない仕事を好きになるように何年もへばり付いて耐えている必要があるのか?
好きになる目的でなく仕方なしに食べる目的。向いているか向いていないか目的でなく、食えるか食えないかが第一。
その次に向いていることがあればへばり付いて耐えている必要はない。

>森田の連中は仕事だけは絶対に辞めるな、転職しないでそんまま留まれ、そうでないと貴方の症状は治らないと
>必ず言いますが、自分はそれは間違っていると思います。
すべてが必ず言うかわからない。が、「症状」目標でいう先生がいたら、それは間違い(「一休さん」があっている)。

>今は不動産屋に勤めていますが、内容が分るので楽しいと言えば何となく楽しいし、充実感を感じる瞬間があります。
楽しいし、充実感を感じる瞬間があって構わないが、目標にしない。

>しかし、その前に知準に習った言葉や生き方を全廃してから自分の人生が始まったのです。
「知準に習った言葉」や「森田の教え」より前に事実がある。

>日中は仕事に行き、帰宅後は主婦業をやり、休日は仕事の本など読まず、遊んでいます。
>森田の教えは努力努力なので、休日も仕事の本を読めでしょう。
タライの水を傾けてどうにかしようと「しない」で、主婦業をやり、休日は仕事の本など読まず、遊んでください。
283癒されたい名無しさん:2009/06/16(火) 19:13:16 ID:9nV4onjT
「一休さん」批判 10
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
>【今日の一言】 2009年6月9日-火曜日 岡本
>>眠らないでいようと思えば、直ちに眠ってしまう<も眠りに対する囚われ、手段です。
>上記の森田が考えた方策も結局は意思の力が働いてしまうに他なりません。

「と思えば」の解釈を意思の力の計らいとすれば、これは「一休さん」の言うとおり。

>神経症者は何事にも意思の力が働いてしまいます。それを唯一落とすのが手足を動かして何かをやる、です。
落そうとしないでよい。働きのまま。

>それを道元は身心脱落、脱落心身と言いました。それは成りきっている姿です。
わからないことは言わないで良い。

>成りきっている時は高度の集中状態で考えていて考えていない状態です。症状を感じているが、感じていないです。
集中の高度も低度もない。考えている時は考えている状態、て考えていない時は、考えていない状態。

>心身脱落は寝転がりながら鈴木大拙の本を読んで身につくものではありません。
体で覚える前の寝転がることであり、鈴木大拙の本を読むことである。
284癒されたい名無しさん:2009/06/16(火) 19:15:12 ID:9nV4onjT
「一休さん」批判 11
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
>2009/06/08 生活発見会
>また、ホームページには、「神経症の心構えと対策」というのがあり、・・・・心構えや対策を持ちたがり、
>日々の改善を止められないのが神経症者の狂った妄想の世界であることを・・・・理解していません。
ハゲ同。

>自分などは何の療法もしていませんし、自己啓発の類の本を読むことを好みません。
良いことです。

>森田信者は療法を捨て、丸腰で生きる勇気など持ちあわせていない。

森田信者斎藤信者になるのは自由ですが、森田自身は僕の言うことを信じないで良いからという言葉を残し、
森田の言葉が宗教教義として思想矛盾に連動すことを戒めましめたのです。勇気が問われないのが森田です。

>彼等は規範に縛られる生き方の方がむしろ楽なのかもしれない。
なるほど、そういうことは一部の人に言えます。
285癒されたい名無しさん:2009/06/16(火) 19:16:15 ID:9nV4onjT
「一休さん」批判 12
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう
>2009/06/07 鈴木知準
>人間の心というのはそのようなものです。
そのようともその場その時わからない。

>心はいじくり回さない、工夫しないのが一番です。
そうです。
286癒されたい名無しさん:2009/06/16(火) 19:20:23 ID:9nV4onjT
「一休さん」批判 13
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう
>自分と森田療法のつきあい1 2009/6/16 パート1
>16歳で発病しました。森田はやたらと努力、努力と言いますが、神経症の発病を考えれば、
>同じ努力では解決しないと何故彼等は思い至らないのでしょうか?
心はいじくり回さない、工夫しないのが一番です。と「一休さん」御当人が言うとおり。
森田はやたらと心に努力したら思想の矛盾になると言っている。

>また、森田の知識の蓄積の量が、神経症解決に至るか至らぬかの分かれ道だと信じていました。
神経症理解=神経症解決ではない。

>今思うに自分が治っていないにもかかわらず、何と無責任な生き方をしていたものだと思います。
今も治っていないで、同じことやっている。フラッシュバックある斎藤先生さんも同様。
完全に理解していないで森田を良いところ悪いところと客観的に見ることができず
感情に翻弄されるまま、全面否定の揚げ足取りしてる。

>しかし、普通人が知らない概念や言葉などは本当はどうでも良いのです。
>何故なら、彼等はそれらを知らなくても何の支障もなく人生を生きています。
ハゲ同。だから生涯学習(森田学習、斎藤学習)はいらない。

>それを捨てなければいつまで心の自由は戻りません。
それを捨てなければと思うから心の自由は戻りません。いつでも心は自由。
287癒されたい名無しさん:2009/06/16(火) 19:26:28 ID:9nV4onjT
「一休さん」批判 14
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう
>自分と森田療法のつきあい1 2009/6/16 パート2
>生活発見に参加し学習会にも出て、習い始めましたが、まるで教習所の教科書のような印象を持ちました。
>すなわち神経症を随分とアカデミックな捉え方で考えているものだと。

・・・・・また聞きのまた聞きでで、一つの話として聞いたことですが、
森田の弟子、高良先生は、欧米の療法的アカデミックな捉え方で書き換えてしまった。
結果、学問的には、(それも森田理解が不完全だが)良しとしても、神経症者にとっては
それが新たな思想となり、もう一つの思想の矛盾となることもあると聞いた。

つまり、「一休さんの森田批判」は森田正馬を高良先生以降の森田の矛盾で批判している
から、読者は混乱する。そして情報を混乱させ喜んでいる人もいる。
感情的に自分の嫌いなものを排除したい「一休さん」斎藤「先生」さんは、そんなことどうでも
よく批判し自分らの感情が吐き出せればそれでいいという批判になっていて、まったく、
一般の神経症の人に役に立つ目線の情報発信ではない。

さて、「一休さん」用に言いかえると「一休さん」が自分満足目標を捨てて、
「一休さん」さんと同じ用に神経症に悩む人のための目標に転換して、
森田の良いところ悪いところの事実を語って行けば良い。今の「一休さん」さんはそのように見えてそうでない。
「斎藤に認められたい」を捨てて、一休さんサイトをつくったらよいと思う。
そういう「雑用」したらどうかと提案する。
もし「一休さん」=斎藤と言う自作自演だったらしようがないが・・・
288癒されたい名無しさん:2009/06/17(水) 18:43:45 ID:IziTyLjV
「一休さん」批判 15
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう)
>自分と森田療法のつきあい1 2009/6/16 パート4
>生活発見ではどの会場に行っても、判で押したように「なすべきことをなせ」と言われます。
>こちらも古くなると、同じ本を読んでいるので質問してもその前に答えが予測できてしまうので、
>詰まらなくなりました。
答えを求めるから詰まらなくなる。「森田の知識の蓄積の量が、神経症解決に至る」(←「一休さん」の言葉)でない。

>生活発見では行動に優先順位をつけ、一番高いものから取り組めと教えられ、貴方の場合は学生なの
>だから、勉強をすれば治ると言われ続けました。
こういえば良いというセリフだけ覚えて、それを言うことで足りると思うから具合が悪い。

>勉強不能でしたので、なすべきことをなしたいのはやまやまなのですが、「努力」しても勉強し、
>内容を記銘できないのです。
内容を記銘できないことに努力するのでない。内容を勉強することに努力する。
何に努力するかが違ったのだ。そこがはっきりしたら、くりかえすだけ。

>結果としてなすべきことをなしていないから症状である勉強不能が治らないという、完全な堂々巡り
>になってしまいました。
なすべきことをなしていないから治らないのではありません。なすべきことをなしたら治るという
取引でもありませんね。なすべきをなしたらなせたという事実だけです。
勉強不能が治らない・堂々巡りという『(普通人が知らない)概念や言葉などは本当はどうでも良いのです。
彼等はそれらを知らなくても何の支障もなく人生を生きている』(←「一休さん」の言葉)ように
『心をいじくり回す』(←「一休さん」の言葉)努力しない。

>精神葛藤とは、努力しても解決しないが、その努力を止めることが出来ないことを言うのでしょう。
止めることが出来ないというのは考え。

>学習会理事が言うのには、「自分は対人恐怖だが、話す内容がある時は困らないが、
>雑談が今でも苦手だ」という内容でした。それを聞き、自分はがっかりしました。
そういう学習会は無駄。
289癒されたい名無しさん:2009/06/17(水) 18:47:44 ID:IziTyLjV
「一休さん」批判 16
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう
>自分と森田療法のつきあい1 2009/6/16 パート5
>自分の神経症発症は、身の丈に合わぬ程の「なすべきこと」をなそうとしたからだと思っています。
>皆治りたいがために必死なので、言われなくとも「なすべきこと」や「努力」をやっている筈です。
>何故森田はその上に「なすべきこと」をなせと言うのでしょうか?
「心はいじくり回さない、工夫しない」(←「一休さん」も言う)ということを言っているのだ。

>人間の心というのは、余計な作為を加えない状態が一番よいのです。
>その一番良いとは、心が自由だということです。
心のいちばん良い状態などない。比較しようがないから。条件なしに自由。

>心が自由だから、人との雑談が楽しいし、言いたいことが後から後から湧いて来る。勉強も楽しい、
>家事だって、当人は別に大したことをやっているとは思っていない。新幹線に乗って旅行するのも楽しい。
>朝だって時間になれば起きだしてしまう。趣味の世界(自分の場合は英語ですが)も楽しい。
心が自由だから神経症にもなれる。

>それには強迫行為を止めるべきです。森田の本を読むのが一番いけない。しかし、強迫行為をやって
>いる最中は、当人はやるべきことをやっているつもりで、それが強迫行為であるとは判らないのです。
強迫行為は葛藤するから問題になる。そういう行為は問題にならない。
強迫行為になるかならないかの評価より前にその行為の達成されてどう影響なり作用なりを見ないのか?
290癒されたい名無しさん:2009/06/17(水) 18:51:27 ID:IziTyLjV
「一休さん」批判 17
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう
2009/6/16 −2
>先の投稿で、「身の丈に合わぬ」という言葉を盛んに使いましたが、「身の丈に合わぬ」は余計でした。
こういう自分の訂正するところはこの人の誠実さを感じる。
斎藤「センセイ」さんや右脳左脳おじさんより謙虚。

>なすべきことをなそうとしたから、努力を開始したから、で充分でした。
なそうとしたのでなくてなそうと心をいじくる努力をしたから。

>なすべきことをなそうとしたから、逆に動きが止まってしまう。
そこからまた動く。

>努力しようとしたから、自然に生きることが出来なくなってしまう。
自然に生きることと言う抽象論しない。

>神経症者は何事にも強く意思の力が働いてしまいます。
働くまま。

>その反射的に働いてしまう「意思の力」を落とすのが、立ち上がって目前をやれ、
>目の前にゴミが落ちていたら、すっと拾ってしまえ、洗いものが溜まっていたら、お皿を洗ってしまえ、です。
>これに対する斎藤の意見。こんな簡単な動作に「すっと拾ってしまえ」と表現するのが既に病の世界。
>我々が動く時には枕詞が何もない。
枕詞あってもなくても、ゴミが片付き、皿が片付くことでおわり。
291癒されたい名無しさん:2009/06/17(水) 18:57:00 ID:IziTyLjV
「一休さん」批判 18
斎藤療法の一休さんの森田批判についての論評(「一休さん」への悪口目的でなく森田勉強のために批判させてもらう
2009/6/17
>特に慈恵医大系の森田
はよく言われるように森田というが実質、認知行動療法。高弟と言われる高良先生理解からしてもう森田とは別世界。
新型森田の北西先生に至っては東洋思想に基づいた認知療法であると本人も言っている。

>合格発表を見に行く道すがら、合格していたら、自分の神経症や心はどう変化するものかと期待
>していましたが、特にどうという変化もなく、がっかりしました。
自分の神経症や心はどう変化するものかと期待することは斎藤の言う「無為」でないではないか?
斎藤「センセイ」は教えないのか?

>外に目が向く人間にするには、仕事が一番良いと言っていました。
外に目が向く人間が目標でない。仕事が目標。

>入院森田も自分の心から作業の方(外部)に注意を向ける訓練であり、現実の仕事の方が良いと
訓練でなく、現実の仕事。

>いくらなんでも森田は時代遅れではないでしょうか?
時代遅れというなら禅はもっと時代遅れ。何故、斎藤「センセイ」は講義する?

>SSRI等の登場によって、不安神経症に関しては病気であると渋々認め始めたようです。
病気なら脳の狂った人に対して斎藤禅の講義をやめて薬物情報だけにすべき。
病気であるなら医師免許がない斎藤「センセイ」は治療としてのHPやめるべき。
病気に思えていたが実は、病気に見えていただけだったと治ったらわかるはずである。
斎藤センセイ「一休さん」がわかっていないのは、神経症でない可能性と、神経症が治っていない可能性がある。

>生活発見でもらった勉強不能に対して印象に残るアドバイスはその程度でした。
最善のアドバイスを求めることをやめる。目標が勉強自体にない証拠。

>斎藤の意見、森田療法、森田療法を指導する人達に共通するのは神経症が治ったから指導している
>のではなく、
確かに、森田療法を指導する先生は神経症体験がない人が多く机上の理論の指導だけである。
中にはそうでない先生もいる。

>狂いの世界にある神経症者は斎藤も含めてその嘘が見えなかった。
それは斎藤療法自体も含まれる。
292癒されたい名無しさん:2009/06/17(水) 22:11:22 ID:P8Vfcebn
291さんに賛成!
神経症が治った後は、治ったか?治ってないかを問題にしなくなります。

貴方は治っていない、斎藤は世界で初めて治った。
治った世界は素晴らしい。青い顔をして、今日も神経症をやっている
のか、神経症をやっている人の気持ちが、自分には分からない?

未だフラッシュバックが在る?オイオイ斎藤氏よ!大丈夫かい?
293癒されたい名無しさん:2009/06/18(木) 00:08:48 ID:N+Ba6BZp
>>292
単なる斎藤に対する悪口だ。

274-291が悪口目的でなく、真面目にとりくんでいるのに
失礼だ。

ウザイ!
294癒されたい名無しさん:2009/06/18(木) 06:51:39 ID:jFGmOe4K
ウザイと言うお前もウザイ
295癒されたい名無しさん:2009/06/19(金) 04:20:31 ID:lGJyv3pp
有害神経症サイトランキン(星の数が多いほど要注意)

1 人生問題の解決        ★★★★★ 
[治療実用性の欠如。自己矛盾多く論理的整合性の欠如。野狐禅論。情報伝達の倫理観・責任感の欠如。] 

だってさ・・・
言葉使いも悪いね・・・
296癒されたい名無しさん:2009/06/19(金) 04:24:04 ID:lGJyv3pp
優良神経症サイトランキン(星の数が多いほど優良)

神経症・対人恐怖症のあなたへ(ブログ)☆
だってさ・・・
言葉使いいいね・・・
297癒されたい名無しさん:2009/06/20(土) 06:55:35 ID:l7XRSGjQ
「一休さん」批判 19
斎藤療法の掲示版「一休さん」についての論評(「一休さん」への悪口でなく森田勉強のために批判させてもらう)
> 2009年6月18日貧乏が金持ちぶれば虚栄であり、小胆者が大胆ぶればかえって真実心ではない。(森田正馬)
>上記は倫理の話であり神経症者は人格者にならなければ神経症は治らないと言って・・この類の話は医療ではない。
森田はこの話で無為を言っているのである。

>神経症が治るとは、神経症になる前の自由な世界を取り戻すことであると言うのに。
繰り返すが自由な世界だから神経症になることもできる。
298癒されたい名無しさん:2009/06/20(土) 07:09:02 ID:l7XRSGjQ
「一休さん」批判20
斎藤療法の掲示版「一休さん」についての論評(「一休さん」への悪口でなく森田勉強のために批判させてもらう)
> 2009年6月19日
>女子医大に行ってこの強迫観念を起こしている神経を切ってもらうことは出来ないものかと相談に行きましたが、
>まるで相手にされませんでした。
これは、たまたまであるが、医大の医者の不親切は当時の「一休さん」に親切になった話として聞けなくはない。
299癒されたい名無しさん:2009/06/20(土) 18:40:31 ID:l7XRSGjQ
>禅問答(斎藤療法HP)
>ジェーソンが、やはり私の想像通り神経症の迷妄の中にいるのが判明し、つい最近次のようなEメールをよこした。
>「今日、素晴らしい経験をした。自分を見回したら空間が広がっている。物と空間が見える。自分はそのセンター
>にいる。自分は認識のセンターにいるのだ」と言う。私は直ぐ「たわ言を言え。何も感じないのが無だ」
>と返事をした。すると「何も感じないならどうやって無を認識するのか」と禅問答になってしまった。
認識ない・感じている→無。です。
こういう話は神経症者さんの何の役にも立たたない。のです。

>これも見ても、無為療法は禅に似ているのが分かると思う。ジェーソンは多くの者同様に「無」を理解しようと
>して間違ってしまった。「無」とはゼロであり、
ゼロであるでもなく、ゼロでないでもない。
・・・ZENがわからないんだったら、強引に持ってこないでも、神経症は事足りる。神経症者さんは混乱するだけ。

>では無解答が脳をどのように変化させるのか。神経症とは不安症であるから扁桃体の恐怖反応が暴走しています。
>・・・不思議に焦燥状態になった脳が次第に冷えて行く。・・・脳は格段に安定している。
脳の状態を査定しているのはいずれにせよ執着し(とらわれ)ている。

>解答欲求が冷めると、自分の目の前が見えるようになります。
欲求のまま。

>自分の目の前が見えると本来の健康な脳活動である無意識が活発に作動し始め、”あれをやれ、これをやれ”と
>命令してくる。無意識だから考える必要が無い。次々と手が出て足が出て、身の回りの細々雑務を処理して行くと、
単純作業はそれで良い。が、「本来の健康な脳活動である無意識」という文は斎藤さん自身無意識で書き込んだのか?
無意識が良く、それ以外はダメというのは、無・無為がまるでわかっていない。

>気が付いてみたらすっきりした生活をしていた。これが最高の解答であるのを誰が拒否できるであろうか。
「健康な脳活動が無意識」と言うことであれば気がつけない。・・・無意識が良くそれ以外はダメというわけではない。
生活をしていた。これが最高の解答ということは正論。
300癒されたい名無しさん:2009/06/20(土) 18:45:37 ID:l7XRSGjQ
斎藤療法論評 8 (斎藤さんへの悪口目的でなく森田勉強者対象として論評させてもらいます、良ければ一緒に)

>「無」を科学から検証する (斎藤療法HP)
>私は繰り返し「無」、あるいは無意識の重要さを説いてきた。「無」とは意識しない動作であり、
意識しない・するに関わりない。ZENでいう「無」は無意識の無ではない。何について意識しないのかが不明瞭。
「神経症世界と健康世界の比較」「神経症治癒定義」が「無」がわかってない証ですね。残念ですが。

>・・・自転車に慣れない頃は自転車が倒れないことだけに心を集中して乗っていたであろうが、慣れた今は
>自転車のことは全く考えていなく、ただ目を前方に向けているだけで頭の中は別のことを考えている。
かように、無意識だけでなく、その都度、自由自在。

>未だ科学は、高度の判断する前頭葉がどれほど我々の意思決定に関与しているか解き明かしていないが、
>・・・・科学研究所から、我々は意識して決断しているようであるが実はその7秒も前から無意識脳からの信号
>が発射されていて決断が予測できると言う注目ある発表があった。
どう判断より何を判断し行動が重要。車のメカを知る前にどこへ行くかが先。

>・・・例えば今日の午後にある所に行こうか行くまいか迷っている時に、強引に決定でなく、雑務の処理に追われ
>・・・・・・と実験で分かった。認知、判定、動作の決定は運動前野と言う無意識に近い領域で処理されていたのだ。
「自転車のこと」ばかり考えていて、ただ目を前方に向けていない。
このスレでも無意識、無意識という人がいて、車をぶつけた人がいた。
斎藤さんも「車を運転することが先である」ことを忘れて、無意識だそうでないに終始しているのは神経症的なのだ。

>我々の日常生活の中で具体的に説明すれば、流しに立って皿を洗う動作を健康な人では意思でやっているようで、
>実は無意識にやっている。事実斎藤は気持ちよく毎日の雑用を処理しているが己の意思でやっているように見えない。
「気持ちよく」「己の意思」に執着するのをやめたらどうか。

>汚れた皿を思う感覚であり、身の回りをきれいにしたい、早く次ぎの仕事に入りたいの思いが私を後ろから押して、
>気がついたら流しに立ってたが本質に近い。この無意識による動作の処理で最も際立つのは、強迫観念との衝突が
>ないことだ。
無意識による動作の処理をしようということが神経症的なのだ。
無意識のまま、強迫観念との衝突のまま、意思による強引な決定のまま、用を処理しているでよし。

>意思による強引な決定には必ず強迫観念が前に立ちはだかる。意思で雑用に立ち上がったとしても強迫観念の妨害で
>30分後にはへたり込んでしまうであろう。
そういう観念で事実を捻じ曲げることをやめ、ただやればよい。

>神経症者ではこれを仕事に出て環境の圧力で解決しようと試みるが不自然な動きを試みる人に良い仕事は期待できない
>から、間もなく仕事にも行き詰ってしまう。
不自然な動きかどうかより仕事が終わったの?です。行き詰ってしまう・・・と言うより実際仕事したら良い。

>・・・・無意識を活発に動作させる状態が健康な世界であり、強迫観念と競合しない幸せな世界なのです。
心の内わけが無意識ならよく、そうでなければ、ダメというのは神経症的思考であることをよくみてください。

>努力をすれば神経症が治るは間違いであったのだ。
何ついての努力化が不明瞭。それを斎藤さんは知っていて、努力即幸福批判のため言わないのだろう。
努力をすれば神経症が治るというのは、認知行動療法(=高良、長谷川、北西ら慈恵大系の森田療法)ならともかく、
森田はそうは言わない。