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ID:m1kQi7Hh
お前は落ち着いて話を聞く事もできないのか・・・
937 :
癒されたい名無しさん:04/10/13 03:41:41 ID:IdkN42ya
それからしばらく親戚の前で『やった奴連れてこい』『殺す』などと暴れてたらしい。
今思えば勝手な行動だったよ。離婚の事実を早いうちに報告でき連絡を常日頃から取り合う事が出来ていたらこんな事にはならなかったとも思わないが少なくとも心配かけたままあの世には行ったりはしなかっただろう。不思議と涙はこの時でなかった。
初めて出たのは診療所を出てメールの着メロが鳴りなにげにメール開いたら信じられない相手からだった…番号がそのままアドレスになっているこの見覚えのある番号…くそっ。この糞フォーマ!おふくろからのメールが今更入ってきた。
『〇〇がだいじょうぶならおかあさんもだいじょうぶですおやすみなさいしごとあしたもがんばりなさい』
938 :
癒されたい名無しさん:04/10/13 03:50:07 ID:IdkN42ya
本当涙枯れるまで泣いた。
だいじょうぶならもう一度起き上れよ?
漢字の変換も教えてやるから。今度こそ親孝行するから…
すまん、以上で終わり。俺の名前伏せている以外実話やから案外ありきたりでオチもない。文才もないからつまらんやろうけど許してくれ。
これもありきたりの言葉だけど大切な人死んでからじゃ本当遅い、今のうちだぞ?
939 :
癒されたい名無しさん:04/10/13 07:33:19 ID:0tnhf4WP
(T_T)
940 :
癒されたい名無しさん:04/10/13 08:16:58 ID:8ykEAbwc
大切な者(物)って、亡くした後にしか、わかんないよね。自分の親だけは、絶対死なない。なんて思ったりするし‥10代で両親を亡くした時は、孤独感に苛まれて、荒んだ生活だったなぁ。
朝っぱらから大泣きしました。
自分も今、家族と距離置いてるからさ…
うちのオカンともダブリまくりで涙が止まらない…。
942 :
癒されたい名無しさん:04/10/13 09:15:39 ID:HyNCFgRi
>>915 そういうちょっとずつの嬉しさと優しさが生きる糧なんだと思います
ありがとう!
>>919 ヽ(`Д´)ノウワァァァァァァァァン!!!!!!!!!!! 感動した。
親友さん家族、いつもでも幸せに。
>>924 お母さんはたった三文字でもあなたとメールできたとき心から幸せだったと思うよ。
私にも大きな息子がいる。けっこう普段はそっけなく過ごしているけど
息子からのリアクションって、息子が想像しているよりずっと親にとっては
嬉しいものなんだ。
私も離婚騒ぎが始まって何年かたった、だけど親には言えない。
親はとっても年寄りで「女の幸せは結婚にある」と思っているから。
感づいてはいるみたいだけど親は敢えて聞いてはこない。
だから、私は仕事をしっかりして、子ども達と親を訪れて私の元気な顔を
見せ続ける。
でも、あと何年できるだろうか、彼らは幸せなんだろうか、そればかりが
気にかかります。
みなさん、いい話を聞かせてくださってありがとうございます。
「Pink」に続き、今度は「苺」という話です。
いつだったか、夜中にこんな番組を観た。
戦争で妻を残して日本を離れ51年間ロシアで暮らした人がいた。名前を弥三郎といった。ロシアでは無実の罪で捕らえられ裁判にかけられた。
無罪が確定してからも再三にわたってスパイの容疑をかけられたが、そんな日本人を「この人はそんな人じゃない」と信じたひとりのロシア人女性がいた。
名前をクラウディアといった。
ふたりはその後37年間、共に暮らした。37年経ったある日、
クラウディアは夫が日本に残してきた妻が生きていることを知る。
様々な想いが脳裏を巡ったことだろう。それでもクラウディアは弥三郎を日本へ帰した。
齢80を越えて、別れれば二度と会うことはかなわないかもしれない。
それでも彼女は日本に残された妻、久子のもとへ、弥三郎を送った。
それは人の犠牲や不幸の上に自分の幸せを築くことは出来ないという想いからのことであった。
果たして、弥三郎は51年の時を経て、妻と再会した。もしあのままロシアでクラウディアと暮らしていたとしたら、、、
それはそれで幸せな人生であったろうと思う。異国から来た自分をなんのためらいもなく信じ、心から愛してくれた。
弥三郎はクラウディアを想い、日本で生きている妻を想った。その想いに一片の曇りもあろうはずがなかった。
人生にはあり得ないような出来事が不意にやってくる。51年ぶりに再会した妻はひとりで暮らしていた。
残された人生を、久子とともに暮らすことを決めた。
クラウディアは後にこんなことを語った。
「言葉ではうまく言えないけれど、弥三郎が大切なのと同じくらい弥三郎の大切な人が大切なの。
弥三郎は私を心から愛してくれた。私には弥三郎と過ごした37年間の幸せな想い出がある。
それだけで充分、これからの人生を生きてゆけるわ。」
久子はクラウディアに心から感謝した。夫を送り返してくれたことだけにではない。
もし夫がロシアで誰とも結婚せず、ひとりでいたとしたら、きっと気がおかしくなっていたことだろう。
夫が幸せに暮らせたのは、クラウディアさんがいてくれたからだ。
弥三郎とクラウディアが日本とロシアに離れてからこの5年間で交わした手紙は150通にのぼる。
「弥三郎さん、毎年最初に取れた苺は、あなたの口に入れていましたね。今年は入れることが出来ませんでした。
弥三郎さん、あなたは久子さんに会えたのです。これから先、二人がともに長生きされることを心から祈ります。」
こんなことがあるんだなぁと思いながら、あまりにも素敵な話だったので急いで思い出しながら書いた。
これからきっと、苺を食べる度に思い出してしまうだろう。
そんな話でした。
それ、見た見た。
でもどうしようもなく切なかったなぁ。
誰も悪くないのにみんなが苦しかったと思う。
でも人間の心の強さを教えられるような番組でした。
洪水で取り残されたわんことか救助されるところを見ると
それだけで癒される
>離婚騒ぎの若い人達へ
大丈夫だから親には言いなさい。
親はあなた達が考えているほどヤワじゃないから
あなた達よりもしっかり受け止めるよ。
親はあなた達よりも長く人間やっているんだから。
伊達に歳食ってないよ。
ある日の日記です。
濡れたアスファルトが朝日を浴びて時々きらきら光っている。雨はあんまり降るといやだけど、雨上がりは悪くない。しずくのついた木がすこしうれしそうで、それもまたいい。
以前の日記で「苺の話」として書いたクラウディアさんと弥三郎さんの話が本になっていた。『クラウディア 最後の手紙』。本屋さんでほんの何ページかめくっただけで、
これはまずいと感じた。立ち読みしてても泣いてしまうに決まってる。すぐ買って帰って、一気に読んだ。たぶん今年読んだ本の中で一番いい話になるだろう。
今年はまだ半分も過ぎてないけど、そんな予感がする。
弥三郎さんの話を読んで、別のおじいさんを思い出した。
Aさんは学生の頃、ふとしたことで知り合ったおじいさんで、ちょっと格好いい人だった。油断するとすぐ戦争の話を始めるのが玉にキズだったけど、Aさんの話はどこまで本当でどこから嘘か境目がわからなくて面白かった。
昔は設計技師でな、旧満州の鉄道の設計をしてた。日本に帰りたくても帰れんでな、もうそのまま向こうで骨埋めるもんやとあきらめとった。それがどういう訳か今のこの清掃会社の社長の親父を向こうで世話したんが縁でな、
敗戦のごたごたの最中にどさくさで帰れたんや。墜落しとった飛行機を修理して操縦してな。ようやったわ。でもな、帰ってきたはええけど、大変やったで。食うもんはないしな。なんでもやったわ。元の仕事に戻れたんは
だいぶ経ってからやけどな。ちなみに大阪の地下鉄の設計したんもわしやで。
ほんまかいな。。。どこまで本当なんかさっぱりわからん。
いつだったか、こんな話をしてた。
奥さんが若い頃は物凄い美人で、若かりしAさんは、何とか気をひこうとそれは色んな作戦を練ったそうだ。
奥さんは元々お嬢様で、直接会いに行っても面会させてもらえないような家なので、いつも手紙を送っていたそうだ。
その手紙の内容は内緒と言って教えてくれなかったが、手紙といっしょにある物をいつも同封していたらしい。それは、
Aさんの子供の頃からの自分の写った写真。赤ちゃんの頃のものから、徐々に成長していく自分の写真をいっしょに入れていたと。
会って話したくてもなかなか会えないから、自分のことを少しでもわかってもらうためにそうしたそうだ。
やがて自分の写真だけでなく、自分が撮った色んな写真・・・見たもの感じたもの触れたもの、感動した景色、食べたごはん、
友達と写った写真、親の写真、ある日見た空がきれいだったとか、それこそ思いつくまま送れるだけ送ったそうだ。
うーん。ちょっと唸った。それはすごい。でもそれ本当の話?作ってるんじゃないのー?という突っ込みは無視されて、Aさんの話は続く。
↓続きます。
そうして送り続けた写真はどうなったか。めでたく結ばれた奥様がちゃんと
アルバムに整理して大事に保存してくれていたそうだ。結婚してからは、
ふたりで行った旅行先の写真や、子供の写真が増えていった。
時々アルバムを出してきては、ふたりで茶を飲みながら話をするのが楽しかったと。
「いい人だったんだねぇ。よかったね。そんな人と結ばれて。」
「ああ。最高だった。わしには出来すぎた女房やったよ。」
Aさんの話はさらに続いた。
一度家が火事になったことがあってな。隣の家で出火してうちにも火が移ってきたんや。そらもうびっくりしたでぇ。
夜中でな。女房が先に気づいてわしを叩き起こした。そらもうあっという間やったわ。箪笥から何から全部燃えてもうた。
でもな、ひとつだけ火事に遭うて嬉しかったことがあったんや。火の回りが早くて、とにかく持てるもんだけ持って
飛び出さないかんかった。わしも女房もな、一目散にアルバム取りにいったんや。なんやお前もこれが大事なんか言うたら、
「これがあれば他はいいんです」、言いよるんや。そら、何が嬉しかったて、あんなうれしいことはなかったで。
「他のものは失くしてもなんとかなるけど、これはどこにもないでしょう。私の宝ですから。」
「違うわ、わしらのじゃ。」
奥さんは10年前にガンで亡くなった。棺の中にそのアルバムを入れて見送ったそうだ。
何にも言えない。Aさんはしばらく目をつぶって思い出していた。どれほど悲しかっただろう。
「わしも、もうじきや。」
「何が?」
「もうじきあの世行きや。やっと会えるわ。」
「何言うてんねん、もうしばらくおりぃやぁ。」
酒が入ると気が弱ってすぐそんなことを言う。もうちっとおりぃや。寂しいやんか。
あれから10年と少し経つ。そのAさんも、今はもうこの世にいない。
どこまで本当だとか、いつかそれはどうでもよくなった。
心に残ったものは全部本当のことだから。ちゃんと響いたことだから。
ありがと、じいさん。父方も母方も早くに亡くなってたから、
俺にとってはあんたは本当のじいさんだったよ。
ちょっと嘘つきでお調子者だけど、思い出すと笑顔ばかりが目に浮かぶ。
あんなじいさんになりたいものだ
いつも長文でごめんなさい。読んでくださってありがとうございます。
>>943 なんか袴田さんの事を思い出しちまった。
・゚・(つД`)・゚・
>>943 いい話をありがとう。俺、地元劇団の脚本家なんだけど、話を元に
本書きたくなった。つか、書いてみる。うまくまとまるかわからんが。
951 :
sage:04/10/14 16:16:30 ID:XgTVOO5v
空気を読まずに書くと、梅宮アンナママの名がクラウディアさんじゃなかったけか…と <(_ _)>
952 :
癒されたい名無しさん:04/10/14 16:19:00 ID:ssjDCYYA
954 :
もう少しここに ◆16i1keR0oc :04/10/15 23:27:42 ID:ElOxN0h1
去年のクリスマス前に書いた日記です。
9月末にかかった「髄膜炎」という病気の最中に、「大動脈弁閉鎖不全症」という病気を併発した。
髄膜炎は10月半ばで完治して、いったん退院したものの、大動脈弁閉鎖不全による心不全は投薬だけでは改善の気配がなく、
状態悪化にて11月5日に再入院。診ていただいたどの先生からも早期手術を勧められることとなった。
心臓から全身へ送り出されるはずの血液が、ほとんど逆流しているらしい。顔面蒼白はまだいいとしても、
ものの数メートルも歩くと息があがる。心臓がバクバクするし、ときどき突然胸がズキンと痛む。
階段を上がると気が遠くなりそうになる。これが自分の身体なのか?と実感がわかない。
今月は手術を受けるために病院を移ることになった。一時退院して実家に帰り、猫さんたちにも久しぶりに会った。
ちゃちゃさんもかりんくんも、やたらと膝に乗ってくる。どちらかと言えば、いつもは母や妹たちの膝の上にばかり乗る
かりんくんが、今回はなぜかやたら俺の膝の上に乗りたがった。のんびり屋さんのかりんくんなりに、
何かを感じてくれているんだろうか。ちゃちゃさんの軽く1,5倍の大きさと重量のあるかりんくんは、
膝の上に寝そべっているだけで結構重い。だいたいが身体が大き過ぎて膝の上に収まりきらない。
それでも時々こちらを見上げては心配そうにペロペロ顔を舐めてくれるかりんくん。頭をなでると、
顔を近づけて鼻をすりすりしたり、ごっつんこしたりしてくれる。相変わらず、やっぱりちょっと犬みたいだ。
みなでいっしょに紅葉狩りや温泉にでも行けたらよかったんだけど、
そんな元気もなく家にいる間ずっとぐったりしていて、余計心配をかけて申し訳なかった。
身体が弱ると、気持ちも弱ることは今回とてもよくわかった。元気で丈夫なだけが取り柄
だったはずなのに、思うように動かなくなった身体のおかげで、ベッドの上で横たわっている時間が
ものすごく長くなった。本もたくさん読んだ。色んな病気と闘っている人たちともたくさんしゃべった。
余命3ヶ月を宣告された人、左半身不随でさらに両目が緑内障、その上に大腸を全部摘出している人、
原因不明の病気で大きな手術をしたけども、今後も入退院を繰り返すしかないという隣のベッドの若者はまだ21歳。
自分と同じ病気で8年前に手術をしたというおじいさんには、これからのことを面白おかしく教えてもらって、少し安心させてもらった。
友達や家族が心配して何度も顔を見にきてくれる。夜になって突然ポロポロ涙がこぼれてくることが時々あった。
親より先に死んでしまうことだけはしたくない。したくなくてもそうなってしまうかもしれない自分の身体が何よりもどかしい。
こんな苦しいことは家族や友達に降りかかって欲しくないなぁと思う。
↓続きます。
955 :
もう少しここに ◆16i1keR0oc :04/10/15 23:29:08 ID:ElOxN0h1
↓続きです。
病気になったくらいでは何も変わっていないかもしれない。これからだって何も変わらないかもしれない。
けど、いつまでも変わらずに健康でいられることがどれほど幸せなことなのか、それだけは身に沁みてよくわかった。
クリスマスには胸の骨を切り開いて、心臓を取り出してかっさばいて、大動脈弁を切り取って
人口の弁と取り替える手術が待っている。正直怖い。全身麻酔をして人口心肺で生きているなんて、
ほとんど1回死ぬようなものだもの。今年はもう手術日の空きがクリスマスとイブくらいしかないらしい。
そりゃあそんな日に手術なんて誰でもいやだろうな。
けど、手術を先に延ばしていたら、心臓の弁に細菌が感染したり血栓が出来てそれが脳へ回ると、
天に召されてしまうかもしれない。先生たちに何度もそう言われた。クリスマスに手術をして、
神様から新しく命をプレゼントしてもらえるのだと思おう。
実家に帰った時、9月の髄膜炎で一番最初に病院から実家にかかってきた時の電話のメモを見つけた。
「悪くすれば3割の人は亡くなる」
妹の字だった。主治医の先生からそう聞いたんだろう。自分でかけた電話では出来るだけ心配させないように、
ちょっと熱が出て入院することになったと言ったはずなのに、母が病院に飛んできた理由がわかった。
はっきりしたことは俺には何も言わず、実家の近くの病院に転院するようにやたら勧めてたのはたぶんその言葉が理由だろう。
知り合いのお孫さんが今年の春に同じ病気で20歳で亡くなったことを後から聞いた。
「大丈夫、大丈夫やから」と何の根拠もなく繰り返す俺の言葉の、何と説得力のなかったことだろう。
本当は怖かった。39.8度の高熱が続き、経験したことのないような激しい頭痛が治まらない。
ICU横の病室では一睡も出来ないまま1週間が過ぎた。死ぬかもしれないなと何度か思った。
意識は時々途切れていた。点滴をつけながら下着1枚でひとりでトイレまで歩いたりしていたこともあるらしい。
その頃見舞いに来てくれていた家族との会話の内容はあまり覚えていない。たぶんとっさに出てきた言葉が
「大丈夫大丈夫」だけだったんだと思う。大バカ者だ。
大人になっても相変わらず心配のかけどうしで、せめて父母には、病気することなく
長生きしてくれることを願う。泣きたくなるくらい、そう思う。無事に退院できたら、
何かクリスマス・プレゼントを探しにいこう。どこかにいっしょに旅行にでも行けたらいいな。
少し遅くなるけど、それは許してもらおう。
読んでくださってどうもありがとうございます。毎回長文でごめんなさい。
治るように祈ってるね。
?
いい話ではないけども。
小4の頃の話。
じいちゃんが、検査の為に入院した。どこか悪いとは聞いてはいた。正直、その時は心配したが、異常なしと出たらしく一般の病室に移ったので見舞いに行った。
いつも通り元気なじいちゃんがいた。いつも通りの笑顔を向けてくれるじいちゃんがいた。
久しぶりに会ったって事もあり、色々な話をした。
そしてその明後日、オレは泊まり掛けでの林間学校に行く事になっていた。じいちゃんに言うと、
「おぅ、気を付けて行ってこい。じいちゃんは不死身だから心配するなw」
と笑いながら言ってくれた。
続きます。
続き
オレは林間学校に行った。二泊三日。
じいちゃんもオレが帰る日に退院という話だった。
正直、林間学校なんてどうでも良かった。何より早く帰ってじいちゃんの笑顔が見たかった。
帰れば見れる。前みたいにだっこしてもらえる
はずだったのに
林間学校の二日目の夜の掃除中。
わざわざ親が迎えに来るとのこと。なぜ?と先公に聞くと、
じいちゃんが死んだ、と。
聞いた瞬間、「何を言ってんだこいつ?」と思った。
そりゃそうだ、異常なしって言われたから安心してここに来たんだ。
でも、親が迎えに来て本当だということ、そしてオレがお見舞いに行けたのはもう危なかったから最後に逢わせたかったという事を聞いた。
すいません、もう少し続きます。
家に着くまでの間一眠りして、着いた時には朝だった。
近くの公民館で葬儀が行なわれた。棺の中のじいちゃんはただ寝てるみたいだった。
信じられない、信じたくない一心で「不死身だって言ったじゃねぇかよ」と小声で呟きながら、出棺までずっとじいちゃんの傍にいた。
一通り葬儀も終わり家に帰ると、オレ宛てに手紙が来ていた。
じいちゃんから。
手紙にはこう書かれていた。
弱いじいちゃんでごめんな。今まで本当にありがとう。
それだけ。
バカ野郎。感謝したいのはこっちなんだよ。ふざけやがって。今まで頑張って生きてきたじゃねぇかよ。
真剣に泣いた。誰がその場にいようが関係なしに。何であの時もっと話さなかったのか、何で死に目にその場にいれなかったのか。自分の至らなさに腹が立った。
いつも笑顔を向けてくれたじいちゃん。優しかったじいちゃん。
オレは貴方のように、立派な人間になるように頑張ります。天国から見守っててください。
長文乱文スマソ。
963 :
癒されたい名無しさん:04/10/16 11:29:20 ID:AZ8dJKOL
964 :
癒されたい名無しさん:04/10/16 19:23:44 ID:93Q7SOo9
私も病院にいた頃のおじいちゃんの手紙持ってる
まだ幼稚園だったからかなり字も汚かったし、書いた内容も忘れてしまった。
おじいちゃんが亡くなって10年位たつけど、今もケースに入れて大切にしてる。
おじいちゃんの思い出少ないし覚えてないけど、手紙だけで充分嬉しいな
965 :
アホ君:04/10/16 19:33:32 ID:Kh16Z48K
966 :
癒されたい名無しさん:04/10/16 19:45:05 ID:2Ncp1srD
和歌山に来たデンマークのサッカーチームの話は出たの?
和歌山 トマソン
いつ読んでもええ話や(つД`)
968 :
癒されたい名無しさん:04/10/17 01:22:43 ID:ONTkKvsx
デンマーク代表の話、初めて知りました。いい話ですね。感動しました。
教えてくださってありがとうございます。
970 :
癒されたい名無しさん:04/10/17 02:39:43 ID:HzweC79v
私も初めて知りました。
誰も死なない話の方が、却って涙が出ます。
>>968 トマソン選手と監督、漢だ!
・゚・(つД`)・゚・
972 :
癒されたい名無しさん:04/10/17 11:39:47 ID:fyGR2VUA
>>968 。・゚・(ノД`)・゚・。ぅう…
携帯だから見れなかった…
973 :
癒されたい名無しさん:04/10/17 18:18:27 ID:PJwFvRCt
デンマークの話鳥肌が立つほどイイ話でした☆
泣いた。数カ月ぶりに泣いた。
975 :
癒されたい名無しさん:04/10/17 21:33:47 ID:06L6o/A2
涙が出てきました。
初めて知りましたが、とてもいい話で感動しました。
なんだおい デンマーク王国の人たちスバラシイではないか
正直どこらへんにある国かもわからないが 。・゚・(ノ(ェ)`)・゚・。
ぶっちゃけ和歌山もどの辺かわからないが。・゚・(ノ(ェ)`)・゚・。
うぅ、デンマークの話泣ける…
でも会社だから泣いちゃだめ(>_<)ウワーン
978 :
癒されたい名無しさん:04/10/18 13:41:03 ID:BltMntra
癒されたYooy
980 :
癒されたい名無しさん:04/10/18 16:06:20 ID:FVFT/hlV
俺がションベン漏らした時、クラスの女子が俺の漏らしたションベン
雑巾で拭いてくれた
癒される・・・
今日、くのいちの女の子が忍びをやめたがってて、おれが
「大丈夫、オレが長老に頼んでやるよ!!」とかなんとか言って慰めてる夢を見た
おれはまだ大丈夫だと思う
982 :
癒されたい名無しさん:
デンマークの話よかった。
涙が溢れてきたよ。
このスレ大好きなんだけどもう982。
だれかパート2たてて下さい。お願いします。
俺たてられんのや。