無気力は悪くない、自分が無気力だと自覚していれば。
自分を可愛がろう、そのときにはじめて立ち上がれる。
無気力は希望の前の幼い心。
無気力は自覚すれば、やすらぎになる。
無気力を受け入れること。
無気力な自分を責めているうちは立ち上がれない。
欲張りな人は立ち上がれない。
欲張りな人は、ただの石ころをポケットに入れる。
次々に入れて、重くて動けなくなる。
漁師が沖で魚をとりすぎて、船が重くなって動かないようなもの。
立ち上がりたければ、捨てること。
親にすがりついて立ち上がれない人。
恋人にすがりついて立ち上がれない人。
お金にすがりついて立ち上がれない人。
ストレスに苦しむのは、あなたが欲張りだから。
なんでもかんでもうまくいくことを望んでいるから。
ひとつうまくいけば、それでいい。
この世の中でうまく生きようと思うからストレスが生まれる。
この世の中を自分なりに生きたいと思ったとき、心のやすらぎが生まれる。
欲張りな人は、出発点を忘れている。
途中でうまくいくことが当たり前になっている。
鉛筆をけずったとき、勉強の意欲が湧く。
水道の栓をひねったとき、料理の意欲が湧く。
朝つゆの一滴でスミをすったとき、凛とした一日が始まる。
私は、自分を百だと人々に言っていた。
しかし、実際は五十でしかない。
そんなときに人前で緊張する。
実際の自分の正体が分かったら皆から軽蔑されるにちがいない、そう思うからである。
実際の自分の正体が分かったら、
その時、私のすべては終わる。
そんなふうに考えてストレスで消耗する。
しかし、「愛」とはそのようなものではない。
もしその時に、あなたを捨てる人がいれば、その人は元々あなたを愛してはいない。
別れたほうがいい。
失敗を恐れている人が分かっていないことは、失敗しても、
自分は愛されるに値するのだということである。
「私は必ず成功してみせる」と言って、そのうえで失敗しても、「私は愛されるに値する」のである。
若い頃、十しかない自分の能力を二十に見せようとした。
少し経って、そうするから心休まるときがないと思った。
さらに年月を経て、次のように分かった。
若い頃、自分の能力は十しかないと、自分で勝手に決めつけていた。
そして二十なら人は自分を認めてくれると、自分の世界観のなかで勝手に思いこんでいた。
つまり、私は自分の世界観のなかだけで生きていた。
周囲の人が見えてなかった。
周囲の世界が見えたときには、いまの自分のままで皆が認めてくれるということが分かった。
あなたは知っているのか。
自分がどこにいても光っていることを。
純粋に真面目に生きてきたから、あなたには魅力がある。
「魅力って?」
「魅力って、そー、あなたにはあなたの匂いがある」
つらい人生を必死で生きてきた歴史が、やはりあなたにあらわれている。
だから、地位の高い人の前でも、もっと自信をもって行動してください。
あなたは自分がどんなに素晴しいか分かっていない。
悔しいけど、本当に素晴しいんだから。
泣いた顔も素晴しい。
笑った顔も素晴しい。
(以上 加藤諦三の言葉 より)
>640
。・゚・(ノд`)・゚・。