ハンドルネームを改めます。雑談用ハンドルネームを作りました。
新世紀エヴァンゲリオンに登場するキャラクターの真希波・マリ・イラストリアスが好きだけど、
そのキャラクターのイメージを壊してしまってはまずいと考えて、反省。
「自分は語音明瞭度が高いのだ」といきがっていたのも悪かったと思う。そういう考えは間違っていた。
今度は聞こえないなりの生活を考える。近い将来、人工内耳へ置き換える可能性があるから。
ラジオを聞いている時、手元にある玩具の部品をカチャカチャやっただけで、その雑音が
補聴器をしている右耳に大きく入り、ラジオの聴取がお手上げ。
上司の話を聞く時には、上司の顔を見て、口の動きを読んで、何を言っているのかを判断する。
今、思い出せば、車の免許を取る時、教習所に通っていた頃、教習指導員の話を聞く時、
指導員が助手席に座っているので、ちょっと大変だったかと思うが運転を覚える頃に克服。
今、思い直してみると、やはり字幕があると、明瞭度が向上。
難しい言葉は字幕があった方が助かる。
字幕と音声を照らし合わせて、意味を知ることが可能。
よく考えてみると、自分も決して語音明瞭度は人並みと優れているわけではない事を再認識。
ラジオを聞く時、難しい言葉が出ると、よくわからないという場面もある。
音は聞こえていても言葉としてしっかり認識されていないことも時々ある。
いくら言語訓練を受けていても、限界というのはどうしても生じる。
もし、小さい頃に補聴器がつかず、聞こえていない状況で育った場合は、成人になって
補聴器/人工内耳等で聞こえが改善した場合でも、音声を認識しにくい状況だったのであろう。
音が入ってくるのを覚えていないから、脳髄が音声を処理できないためである。
幼少時代に補聴器が付き、言語訓練を受けたからこそ、なんとか音声のみで生活ができる。