害者・隔離・安楽死・倫理・責任・権利

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1名無しさん@お腹いっぱい。
私は、知的及び精神に障害が有る物は障害者だと思いますが、身体障害者を障害者と思いません。
ただ、体が不自由なだけの人間です。
いや、本来体が不自由なだけの人を障害者と呼び、知的及び精神に障害が有る物は、別の呼称が有る
べきなのかもしれません。
ただ一つ確実に云えるのは、知的及び精神に障害が有る物と、体が不自由なだけの人間を、障害者と同
じ言葉で呼称する事に問題が有るのは事実だと思います。
故に健常者に理解を求める時に会話が成り立たないのだと思います。

質問の前にあらかじめ申し上げますが、この質問で云う所の障害者は先に述べた【体が不自由なだけの
人】の事ではありませんので、誤解、曲解のないようお願い致します。

さて、本題です。
障害者の安楽死や隔離を議題にすると大抵ヒステリックに反論されるのですが、私はこの問題を避けて
通れない議題だと思います。
なにより障害者自身も与えられた自由と責任に、頭を抱えているのではないでしょうか?
事実、下関駅を放火して【累犯障害者】と云う言葉を広めるきっかけに成った、あの人はこう言っていました。

『刑務所に戻りたかったから放火した』と・・・

彼は迷惑していたのではないだろうか?
無責任に自由だけ与えて福祉などと云う偽善者どもに踊らされ、迷惑していたのではないでしょうか?

※極重度の障害者は安楽死にしてあげるべきではないでしょうか?
※信号機などのルールを守れないレベルは、初めから隔離にすべきではないでしょうか?
※罪を犯した障害者は(障害とは改善するもので無いが故に)一生隔離すべきではないでしょうか?
※その線引きに外れた者も、いつでも避難できる様にすべきなのではないでしょうか?
※無理に生かし続けられる事の無いよう延命行為はしない。

自由には責任が付きまとうものです。
しかしその責任を負えない者に自由を与えるべきではないと考えます。
権利と云うなら、健常者が安全に生活する権利はどうなるのでしょうか?
2完全無欠のバリアフリー
独自の理屈だな。たしかに、肢体不自由者という表記もあるが難しいぞ。
先天性は多くが、CP(脳性麻痺)、ポリオ(脳性小児麻痺)による、四肢麻痺および、体幹麻痺であって
後天性が、脊髄損傷、手の指を落としたことでも、肢体不自由者になりえる。

先天性の多くは、合併症状として、言語障害や、知的障害を誘発している。それだけでも自由が無いといえば自由が無い。
後天性が脊椎損傷の場合、腎不全など内臓系の病気にかかりやすい。
そういった人が精神的に参っているのが事実であり、現実。

スウェーデンでも昔はこういった政策はあったが、今は廃止になっている