良い方に考えられるのなら個性という言い方も有りだと思う
今日20歳くらいの池沼とその親父が電車に乗ってた
親父は服装も不潔ではないが、安そうな服をきて
靴もブリジストンのランニング
顔も疲れきってて、髪も薄かった
そして、周囲の人間に対して萎縮したような
自信のなさそうな目をしていた
それをみて、池沼を20年育てるのってのはどういう意味があるのだろうと思った
子供が健常者なら、その成長を喜び、父親なら子供が自立したあと
二人で飲みに行くのを楽しみにしたり、孫の顔をみたり
立派に仕事をしている姿を見るのが楽しみにするものだろう
しかし、池沼にはそれは期待できない
たとえニートで引きこもりでも知能と体が健康ならいくらでも人生やり直せる
しかし、池沼は人間でないのだから無理なのだ
そういった人の親としての楽しみを持つこともできず
20年もその池沼を飼うことに費やしていずれ定年して
孫の顔も息子の立派に大人になった姿を見て
一人前に育て上げたという誇りももてず
自分の人生の半分は何のためだったのかとむなしい気持ちになる