わかりやすい例をあげてみるか。
朝礼で注意事項を申し渡す。 そして、それを作業者は承認する。
まあ、承認したとしても、渋々とか心からとかその程度・精度は色々あろう。
だが、それは俺が今述べようとする観点からは、あまり重要ではない。
問題は朝礼で言い渡したことを適用すべき時に、それが行われるか行われないかが問題なのだ。
行うべき時にそれを行う能力が足りなかったのか、あるいは、留意すべきことが意識から飛んでしまったゆえに留意点を守れなかったのか、いろんなことが行われる。
意識的にしろ無意識的にしろ、人は語ったこと考えたことと違うことをやってしまう。
訓練された人間でもそれは起こりうる。 人格が統合されているかいないかにかかわらず、いろいろなブレがあるかにそのようなことが起こってしまう。
言葉で理解する・表現することとは一応関係はあるが、それとは違った現実の様相を呈するのが人間の行動なのだ。
そんなことはことさら言わなくても誰でも感じていることだ。
そんなのを越えて作業がうまくいくように計らなければ監督者の責任というか立場は真に支えることができない。
朝礼で言いました。 それなのに作業者がその通りに出来ませんでした。 私の責任は一切ありませんでは仕事にならないのは明らかだろう。
まあ、そう言う責任逃れが横行しているけどねwww