上の例は成長期の不平等を言っている訳だが、それを自己努力の不足と言う責任論で無視する人が絡んでいる。
日本も一寸前には、誰の目にもそんな機会の不平等な状態にあった。
そんな中では良いとこのお坊ちゃんお嬢さんは入学当初から区別された場所に入って、自覚的に目のあたりにそれを感じられるような学習環境でなかった。 大工の息子が通うようなところには入学しなかった。
中間層が多くなった時代になってからも、そんな利点は知るところであるから早い時期から無理して良い場所を求める者は後をたたなかった。
学級崩壊が言われるようになってからはなおさらだな。
一方で自己責任を言い立てる者も多くなったw