【百円と】派遣制度は差別制度・28【不快な仲間達】

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375名無しさん@そうだ登録へいこう
例えば、犬を飼う場合を考えてみよう。
わんちゃんは飼い主の意向にそわなくてはならない。
だがこれも考えてみれば飼い主と犬の契約だ。
飼い主は犬を自由に出来る代わりに全力で十分に食事を与え犬の生存と外からの害悪を防止しなければならない。
犬が誰かからいじめられればそれから守る必要がある。
もちろん、飼い犬が第三者に危害を加える事は人間世界では許されない事だから、飼い主はそんなことがないように犬を制限せねばならない。
犬を飼うという事によって生じた責任は飼い主が負うべ責任だ。 直接的には犬の責任ではない。
飼い主は犬の行動を制限する。 その代わりその他の事では犬らしくある事を保証してやらねばならない。
犬殺しの捕殺の危機から守らねばならない。
わんちゃんがわんちゃんに相応しく暮らす事に害になることから犬を守らねばならない。
国法が犬を不自由に鎖でつなぐ事を命じるものであればそれと戦うか、あるいは広い庭を用意して犬の情緒と健康を守らねばならない。
国法を受け入れるしかないのであれば、犬の最低限の情緒の安定と健康の維持のために散歩に連れ出す事が必要だろ。
これは人間と犬との太古からの契約と自覚すべきことだ。
そんなことを理解できない不心得者が増えたから動物愛護法などというものが必要になる。

わんちゃんだってそれだけの事を要求する。
だったら人間において、第三者がある個人に契約を通じて関与するとなるとどれだけの留意事項が生じるかはいわずもがなだろう。
それが嫌なら契約で見知らぬ人を縛るな。