>>904 なぜそう受け取る必要があるのですかね。
何千年もの間論争が続いている問題にすぐ決定的な答えが見つかるはずはないと見透かしているのに、どうしてこねくり回すということに流れるともっていくのですかねw
あまり人をたかをくくって見てはいけませんぞ。
そういう理論的には決着のつかない問題を根本に持つ課題でも、その中に生身を晒してそれなりの答えで対処してきたのが人間の歴史です。
理論的に答えが出ない問題でも歴史を命の系譜を背負って生きて、時々の必要に答えてきたのが人間の生き様なのだ。
20世紀の数学基礎論の成果はゲーデルの不完全性定理を生んだ。
有限の前提から出発して論証しても真偽の決定不可能な命題が存在することが証明された。 これはいわば理性の限界を見出したようなものだ。
だが、人類は命は世代を繋いでいくことによって、時々の状況の中で洞察を極めて時々の妥当性を突き詰める。
これが命という形式を通じてそれに答える人間が持つ偉大な価値なのだ。
さて、解決策は、力と会話とルールの適切なミックス、
つまり、、
1) 経済力、政治力、組織力、技術力、社会情勢、警察力、軍事力、所有など
2) 対話、会話、話し合い、議会、論理、世論、理論、方式 官僚制、 民主主義など
3) 社会慣習、規則、法律など
この三つの政治的・技術的・理論的な適切な配分によって求める必要があると以前に書いて、必要に応じて解決策の方向性を提示してきた。