暴走への閾値が低い人間を過酷な状況におくとどんな結果になるか分かるはずだ。
社会としてはそのような人々の耐久力が高められるような環境をつくり、
閾値内に収まるような生存の可能性を担保し、安らかに生きられる状況を用意し、
過酷な環境を誘発する制度をきちんと制御して、不祥事の発生の確率を低めるしかやりようがない。
でなければ何度でもおこる。
過酷な状況をつくり、越えられない壁を張り巡らし、蔑視と差別が罷り通るなら、
いつなんどき誰もが、脇腹を刺され、薬液をぶちまけられ、車をぶつけられ、銃を乱射され、爆薬を投げつけられておかしくない状況と言える。
被害を受けてから慌てふためいても後の祭り。 ただそれだけのことだ。
100パーセントの対策はないとしても、それなりの知恵があるかないかの違いだ。
脇腹を刺されてからでは遅いんだよ君。
ていうか,その時は物言えぬ君となっているだろう。