正社員に忠誠心なんかない。いざとなれば高給目当てに、技術を売り渡すし、
実際にサムスンの超高待遇にひかれてヘッドハンティングされた日本人技術者は多い。
それが現在のサムスンの飛躍的進歩に繋がっている。
ハンティングされたのは、もちろん正社員で開発の中核をなす重要人物が多かった。
サムスン電子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%B3%E9%9B%BB%E5%AD%90#1980.E5.B9.B4.E9.A0.83.E3.81.8B.E3.82.89.E7.8F.BE.E5.9C.A8 1986年に東芝の半導体事業本部長の川西剛にサムスン電子から接触があり、
川西氏は韓国へ訪れサムスン電子会長や幹部総出の歓迎を受けた。 歓迎会で韓国の
半導体工場を見てくださいと頼まれ、また韓国の半導体工場を見せた見返りに、
東芝最新の大分工場を見せなければいけない結果となった。 その後、大分工場の生産ラインを
統括する製造部長がスカウトされ、大分工場と同じ設備を持つ製造工場が建設された。
バブル崩壊後、サムスン電子には77人の日本人が技術顧問で在籍していた。またサムスン電子の
外国人技術者の殆どは日本人だった。松下電器、三洋電機、シャープ、東芝、NEC等の製造業出身の
日本人技術顧問には技術移転が命ぜられた。 日本人顧問への業務内容としては、家電事業、
AV機器事業、半導体事業などで使用している製造装置の現況調査、人事情報を基にした日本電機企業の
組織図の作成、東芝出身の顧問にはフラッシュメモリの技術移転、資金難に陥った東芝にフラッシュメモリの
共同開発を勧める提案などが命じられた。