派遣制度は差別制度とゴネるルサンチマン・20人目

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164名無しさん@そうだ登録へいこう
>>160
自分で選ぶことの出来ない状況に人は翻弄される。
自分の資質についても育つ環境についても。 勤勉な質に生まれるか怠惰な質に生まれるかなども自分で選べる状況で生まれてこなかった。
人生の後々までも多大な影響をうけてしまう幼児の生育環境も選り好みなど出来るはずはなかった。

一方、社会の活性化のためには自由競争を必要とし、社会のなかにその機能を組み込むことは、それは一つの社会のありようを選択したことであり、一つの社会的な約束事だ。
その約束事を成り立たせ人々に受け入れさせるには正当な条件が必要だ。 

個人なり組織なりが豊かに自由に活動するためにはそれを安寧に保っための社会的仕組みが必要である。 立法・司法・軍事・警察・行政の機構が円滑に機能しなくてはならない。
それを皆で支えなくてはならない。 そしてそれが公正に機能してこそ競争という機能を社会に組み入れ万人に納得させることができる。

社会のなかで競争に参加するためにはいうなればそのような寺銭を払わねばならない。

能力の高い者がそれなりに成果を享受できるということも社会の安寧に依存することで、自らの活動のすべてでそれが生じたわけではない。

書物を読んでいるなどということは動物としとしてはもつとも隙のある状態だ。 そんな無防備な状態で勉強できるのも社会の安寧があってのことだ。
それらは誰しも等しく享受できるわけだか、それを等しく生かせるかどうかは定かではない。
個々の置かれている状態は千変万化、等しく与えられた安寧が逆に遙かな隔たりを生んでしまうかもしれない。かえってありようのブレは拡大してしまうだろう。

ということで、競争が成立するためには、敗者があるいは直接的に競争に参加しなかった者が社会から排除されるということは考えていけないことになる。
社会は維持されねばならないのだ。 社会のすべての成員は維持されることで得られる果実を享受するための権利がある。 一方、義務も負っている。

付加価値の高い成果物をこの世に生み出すために競争という場を取り入れたのだ。 
逆に、社会的観点からは、競争によって生まれた付加価値を社会に還元される目当てで競争を取り入れたと言えるであろう。