派遣制度って、差別制度かな? パート23

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688名無しさん@そうだ登録へいこう
>>687
分かっていないようだな。 この世の存在とは場における関係性だ。

かっての近代産業は原材料の有効部分のみに着目して産業廃棄物・排出物は垂れ流しにした。
それでは人間の命にも深い関連をもつ環境が持たないことが判明し、最大の留意が必要であるという認識が一般的になった。
また、有限な資源を考えるという視点も確立した。

一方、産業革命を先駆したイギリスの労働者の酷薄な状況、チャップリンのモダンタイムスで象徴されるような就労状態などなど、人々の就労に関する問題は継続している。
デカルト以来の要素に分解して物事を考えるスタイル、産業にあっては分業の問題がある。
労働を全人的な一貫したひとまとまりとしてしつらえるのでなく、単純作業に分解して部分の効率化と全体の効率化を繋げる方式、
さらに、部分最適化は全体の最適化の観点からは過剰価値の付加につながるので必要な十分な品質に管理する、 等々、
これらは、やはり、産業の産出結果にのみ着目する考え方だ。
だが、それらをになう企業の現場から産出されるのは直接の結果として産出される製品・サービスだけではない。
そこに働く人間の在り方が再生産たれている。 常に、人間のある状態が産出されている。

かって、産業廃棄物を目をふさいで利益を追求していたように、製品とサービスの市場への適応を考える余り、もう一つの産出物の有り様を蔑ろにする傾向は続いている。
さらに人々の状態の再生産は廃棄物としての輩出でなく、まさに、究極の価値あるなにかとして出力しなければならないものだ。

で、どんな安物を産出しているか分かるよな。