派遣制度って、差別制度かな? パート23

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380名無しさん@そうだ登録へいこう
>>354 でビデオの紹介があった。 その存在は検索中に原語の動画がちょこっと出てきて知っていたが見たことはなかった。

哲学または哲学史というものは、観察とデータ・資料にもとづいて厳格に論を進め、その課程の整合性に注意を配りながら進捗する。
それが学というものの値打ちだろうね。

空海の他力本願はそのあたりの事情は洞察していただろう。 師の前で自力本願を主張する同席者に伍して頭角を現した。  
だが、普通、人はその人生を律する程度にはものを考えているだろう。    

以前、ニート、派遣、底辺生活者は、それなりに人間に相応しく生活が出来なくてはならない主旨の書き込みをした。
法治社会では、例えば、競争社会では勝者があって落ちこぼれが出るのでなくて、敗者のそれなりの生活が保障されることによって競争の正当性が担保されるべきだ。

我々は、環境の変動に対して資質の多様性という戦略で生き延びてきた生命の系譜を継承するものとしての宿命を負っている。
だから、多様な人々が生まれ出てくる。 それらの人々が生まれ出でることが我々人間という種の存続のための保険だ。
だから、種として、いろんな存在があることを蔑ろにすることはできない。 これが公平な感覚というものだ。
その時の環境で有益な働きが出来る者はその能力を伸ばして人類に貢献するのが吉だろう。